第18話 煙草一本火事の元 ~消し忘れにはご注意を~
前回のラスト……放火魔参上
「発情してんじゃねぇよ、このゴブ公が」
ホブ・ゴブリンに対して告げ終えたところで、ふと思い浮かんだ。
そもそも魔物に人間の言葉を理解することが出来るのだろうかと。
「まあ、どうでもいいか」
理解出来ようと出来なかろうと大した問題ではないし、そんなことを気にしている場合でもない。
何しろ……。
「GIGYAAAAAAAAッッ!?」
派手に燃えているからな。
真っ赤な炎がホブ・ゴブリンの巨体を燃やしているのだ。
背中を中心にジリジリと肌を炙られ、汚れた緑色の肌が徐々に黒く変色していく。
生きたまま炎に焼かれるなんてゾッとするなぁ。
まあ、やったの俺なんだけどさ。
「GAGYAッ! GIGAAAAAッ!?」
ホブ・ゴブリンは己が身を焼く炎を消さんと必死に藻掻いている。
残った左腕で炎をはたき、届かない背中は地面に擦り付けることで消火を試みている。
何故、突然ホブ・ゴブリンの身体が燃え出したのか。
答えは今俺が握っている小さな素焼きの壺。
村長さんから譲ってもらった徳利にしか見えないこの壺にちょっとした細工を施したのだ。
細工そのものは非常に簡単。
革袋に入れて持参した液体を壺の中に注ぎ、布で栓をするだけ。
液体の正体は、俺が元の世界から持ち込んだ灯油。
生木を燃やす際にも使用している。
栓代わりの布に火を点ければ準備完了。
即席火炎瓶の出来上がりである。
誤って自分が火傷しないよう厚手のグローブも着用済み。
瓶という名が示す通り、本来は瓶―――大体はビール瓶―――を用いるものだが、ちゃんと割れればなんだっていい。
こいつを投げ付けてやったのだ。
ぶつかった衝撃で壺が割れ、中に入っていた燃料が飛散して着火。
ホブ・ゴブリンの身体は炎に包まれたという訳だが、所詮は急造の兵器。
同じ投擲武器である手榴弾のような破壊力も殺傷力もないし、火炎瓶単体では爆発を起こすこともない。
ミシェルの斬撃やローリエが放った〈炎矢〉の方が余程大きなダメージを与えていることだろう。
だが肉体よりも精神へのダメージ―――恐怖を与えるという面で見れば、勝っているのは間違いなく火炎瓶の方だ。
何しろ生きながらにして身体を焼かれるのだ。
炎によって皮膚を炙られ、熱と煙で呼吸すら儘ならない。
酸素を求めるあまり無理に息を吸おうとすれば、忽ちの内に気道を焼かれる。
身体の内と外を同時に焼かれる恐怖と苦痛。
それがいったいどれ程のものかなど、俺には推し量ることも出来ない。
知りたいとも思わないが……。
「焼身自殺の気分は味わえたかよ?」
「GA、GAGAGIII……ッッ」
必死の消火活動が功を奏したのか、その身を焦がしていた炎は消えたものの、ホブ・ゴブリンは息も絶え絶えの有り様と化していた。
身体のあちこちからは未だ燻ったように煙が出ている。
まあ、即席の火炎瓶モドキではこの程度が限界だろう。
こんな小さな壺では大した量の油も入らないし、燃焼する範囲も時間も限られてしまう。
という訳で……。
「お代わりどうぞ!」
追加の火炎瓶をプレゼントしてやった。
一個で足りないのなら、二個三個と追加するまでよ。
投擲した火炎瓶モドキが割れ、再びホブ・ゴブリンの身体が燃え上がった。
「GYAGIIIIIッ!?」
「炙りホブにでもなっとけ」
絶対に食わないけど……。
絶賛炎上中のホブ・ゴブリンを尻目にローリエの容態を確認する。
「ローリエ。おい、ローリエ」
「んっ、ぅぅ……マスミ、さん?」
よし。意識は回復したようだ。
「隠れてたゴブリンに後ろから殴られたんだ。まだ痛むか?」
「少し……でも、大丈夫です」
「無理するな。頭殴られたんだから急に動くなよ。取り敢えずホブ・ゴブリンは燃えてるから、俺は今の内にミシェルを回収してくる」
怪我をしたローリエを残して行くのは気が引けたものの、グズグズしていては火が消えてしまう。
俺は燃えているホブ・ゴブリンを迂回し、ミシェルの元に急いだ。
途中、落ちていた彼女の剣を拾っておくのも忘れない。
「おいミシェル、生きてるか?」
「……勝手に殺すな」
思っていたよりも元気な声が返ってきた。
身体に力が入らないのか、未だにぐったりとしてはいるものの、命に別条はなさそうだ。
こちらも一安心である。
「ホブ・ゴブリンの身体が突然燃え出して……マスミ、お前は魔術が使えたのか?」
「使えりゃ楽だったんだけどね。生憎とあれはただの小細工。魔術なんて立派なもんじゃないよ。動けるか?」
「……すまん。手足の痺れは抜けたのだが、まだ上手く力が入らない」
少しだけ手が持ち上がり、すぐにパタリと落ちた。
魔物の怪力で殴り飛ばされた上に岩壁に叩き付けられたのだから無理もない。
五体満足でいられるだけでも御の字だ。
「分かった、俺が背負って行く。身体触っちゃうけど緊急時なんで勘弁な―――」
「マスミ……ッ」
見開かれたミシェルの青い双眸が俺の背後に向けられている。
もう消えちまったのかよ。
振り向けば、隻腕の魔物が立ち上がっていた。
何度も焼かれたことによって、全身の至るところが黒く爛れており、ぜぇぜぇと荒い息を吐く口の端からは血液混じりの涎がダラダラと垂れている。
変わり果てた無惨な姿。とてもこれ以上戦えるようには見えなかった。
このまま時間が経てば、遠からず勝手に力尽きてくれるのではないかとさえ期待してしまう。
「もっと上手に焼けてろよ。生焼けなんて食ったら腹下しちまうだろ。絶対に食わんけど」
満身創痍以外の表現が思い付かない程ボロボロになったホブ・ゴブリン。
それ程の状態に追い込まれているにも関わらず、魔物はこうして立ち上がってきた。
激痛と恐怖、そして憎悪に彩られた二つの眼。
怒りの矛先は片腕を斬り落としたミシェルでもなく、炎の矢を射当てたローリエでもなく、自らを二度も火達磨にしてくれた張本人―――俺だけに向けられていた。
魔物に注目されたところで嬉しくもなんともないが、満足に動けないミシェル達を狙われるよりは遥かにマシか。
回収してきた抜き身の長剣をミシェルの隣に置き、ゆっくりと彼女の傍から離れる。
「マスミ、何を……?」
「自信はないけど引き付けてみる」
急ぐことなく、摺り足のように殊更少しずつ横に移動していく。
この間、ホブ・ゴブリンは俺から視線を外すことなく、ずっと目で追い続けてきた。
そうだ、こっちを見ろ。
俺だけに意識を向けろ。
「テメェに見られたって嬉しかねぇけどな」
右手を腰の後ろに回し、いつでもナイフを抜けるように逆手で柄を握っておく。
ホブ・ゴブリンの視界からミシェルの姿が外れるような位置にまで移動したところで足を止める。
俺が足を止めると同時に奴も身体ごとにこちらに向き直った。
完全に俺しか眼中にないのは結構だが、乱れた呼吸を繰り返すだけで一向に攻めてくる気配がない。
誘っているのか、あるいは俺が考える以上に消耗しているのか。
十中八九後者であろう。
目だけを動かしてミシェルとローリエの様子を確認した後、ナイフを抜いて構える。
「おら、どうしたよデカブツ。さっさと掛かって来いよ」
―――反応はない。
「さっきまでの威勢はどうしたよ。ギャーギャー喚き散らして疲れちまったのか?」
―――反応はない。
「それとも散々燃やされてビビったか? 魔物だなんだっていっても所詮は畜生だな。頭数揃えなきゃ何も出来ねぇんだろうが、この臆病者」
―――反応は……あった。
言葉は伝わらなくとも、自らが嘲笑されていることだけは理解出来たのだろう。
汚れた乱杭歯をギリギリと食い縛り、残った左拳をキツく握り締めている。
10メートル以上も離れて対峙する俺とホブ・ゴブリン。
彼我の距離を詰めようと奴が一歩を踏み出すよりも早く俺は地面を蹴った。
まさか俺の方から先に攻めてくるとは思わなかったのだろう。
つんのめるように体勢を崩すも、ホブ・ゴブリンは迎撃のために左腕を振り被った。
俺は構わずに全力で走り、相手の間合いに踏み込んだ。
手を伸ばせば届く距離。
脳天を打ち砕かんと振り下ろされる鉄槌の如き拳を、俺は咄嗟のスライディングによって回避した。
頭上スレスレを通過していく拳が捉えたものは、直前に俺が放っておいた小さな壺。
火炎瓶モドキ作成のために用意しておいた最後の一個が、ホブ・ゴブリンの拳によって砕かれた。
「GA!?」
二度も自分を焼いた炎が、三度我が身を犯す。
刷り込まれた恐怖。一瞬先に待ち受ける未来を想像し、硬直するホブ・ゴブリン。
果たして未来は……やってこなかった。
「悪いな。それ何も入っとらんのだわ」
ホブ・ゴブリンが砕いたのは、油の入っていない空の壺。
バラバラになった壺の破片が地面に落ち、思考が追い付かないホブ・ゴブリンは呆けたように固まっている。
俺がホブ・ゴブリンに接近するという危険を犯した理由は、あくまでも奴の注意を引くため。
本命はこっちだ。
「ローリエさん、お願いします」
「〈炎矢〉!」
意識外からの魔術による攻撃。
打ち合わせをした訳ではない。
接近する前、視界の端に魔術の詠唱を始めるローリエの姿が映ったから、きっとタイミングを合わせてくれるだろうと信じて行動したのだ。
そして見事、ローリエはその信頼に応えてくれた。
三つの炎閃が宙を走り、ホブ・ゴブリンの背中、左肩、右脚にそれぞれ命中し、炸裂する。
「GOOOAAAAAッッ!?」
効果は絶大。特に右脚は根本から千切れ飛び、巨体を支えることが不可能となったホブ・ゴブリンはうつ伏せに倒れた。
「……今度こそ終わりだな」
「GUAAAA……」
まともに動く力もないのか、残った左腕と左脚はピクリとも動かない。
相手は虫の息。放置しても問題ないのかもしれないが……。
「テメェにはきっちりトドメ刺しておかねぇと安心出来んからな」
ポーチの中から取り出した煙草を口に加え、ライターで先端に火を点ける。
深く息を吸い、静かに紫煙を吐き出す。
煙草を吸いながら腰に吊るしていた革袋を外し、残りの油を全てホブ・ゴブリンの身体に振り掛ける。
これから自分がいったい何をされるのか理解したのだろう。
焼け爛れた魔物の顔が恐怖で歪む。
「あばよ、ゴブ公」
ピンッと指で煙草を弾く。
クルクルと回転しながら落ちた煙草の先端がホブ・ゴブリンの身体に接触し―――。
「GIIIIAAAAAAAッッ!?」
―――燃え上がった。
断末魔の叫びが先細るように小さくなっていく。
ゴブリンの体臭と油独特の臭気に混じって、肉と脂が焼ける匂いが広がっていく。
物凄く臭かった。
「やれやれ」
「お疲れ様」
なんとか動けるようになったのか、ローリエに肩を借りながら歩いてくるミシェルから労いの言葉が掛けられた。
「ようやく終わりか。マスミには助けられたな」
「ええ、わたし達が無事なのもマスミさんのおかげです」
「止めてくれよ。恥ずかしい」
俺は不意を突いて燃やしただけだ。
最後だって、ローリエの援護がなければどうなっていたことか。
「ところでマスミよ」
俺の肩に手を置いたミシェルが妙にギラついた目を向けてくる。
はていったいなんだろう?
「村に戻ったら、ちゃんとあのしりあるばーを貰えるのだろうな?」
「気にするのそこ?」
見ればローリエまでもが期待に瞳を輝かせていた。
力を合わせて強敵を討ち果たした感動など何処にもありはしない。
「はいはい、心配せんでも帰ったらちゃんと上げるよ。今度は違う味でも試してみるか?」
「なん、だと……アレとは異なる味が存在するというのか」
「もしやマスミさんは勇者様なのでは……」
こんなことで勇者認定されても困る。
シリアルバーでどうやって戦えというのか。
餌付けでもしろと?
なんとも締まらない終わり方に苦笑が漏れる。
それでも何故だろう。なんとなく俺達らしいかなぁとも思えてしまう。
そうして時間も経過し、すっかり炭化してしまったホブ・ゴブリンの亡骸を見たローリエがポツリと漏らした。
「……魔石まで燃えたりしてませんよね?」
「「……あ」」
慌てて魔石の取り出しに掛かる俺とミシェル。
アチアチと若干火傷しながらも取り出された魔石は……ちょっとだけ焦げていた。
締まらない終わり方だなぁとは思っていたけど、まさか本当に締まらない結果になってしまうとは……。
「火なんて使いやがったのは何処のどいつだ」
「お前だ」
すみませんでした。




