第17話 乙女達の危機 ~男なら黙って立ち向かえ~
前回のラスト……(ミ ゜Д゜)またつまらぬものを斬ってしまった
一閃。
斬り飛ばされたホブ・ゴブリンの片腕が宙を舞い、ほんの数秒間だけ滞空した後、ボトッと音を立てて地面に落下した。
「GAGIGAAAAAAAAAAッッ!?」
右腕の半ばから先を失ったホブ・ゴブリンが狂ったように絶叫を上げる。
傷口からは間欠泉のように血が噴き出し、激痛とショックに耐えられなくなった巨体が崩れ落ちるように地面に膝を突いた。
「……勝った」
思わず呟いてしまった。
あの怪物が全身に傷を負い、片腕をも失い、膝を屈している。
それを成した二人の少女は緊張を解かず、手負いの獣ならぬ手負いの怪物を鋭く睨み付けていた。
ミシェルは両手で握った長剣の切っ先を向け、ローリエはいつでも次弾の魔術を詠唱出来るようにそれぞれ油断なく身構えている。
俺の馬鹿野郎。何が勝っただ。
トドメを刺した訳でもないんだから最後まで油断するな。
追い詰められれば、鼠とて猫に噛み付くのだ。
鼠なんぞより遥かに凶悪で強靭な魔物が、武器や片腕を失った程度で諦める筈がない。
必ず抵抗する筈だと誰もが考えていた。
油断はしていなかった。
―――その考えこそが油断だとも気付かずに。
俺もミシェルもローリエも警戒を怠ってはいなかった。
片膝を突いたまま動けずにいるホブ・ゴブリンに注意を向ける中、俺がそれに気付くことが出来たのはただの偶然だったのだろう。
強いて理由を挙げるとすれば、直接戦闘には参加せず、離れた位置で二人よりも周囲を俯瞰するように見ていたからかもしれない。
視界の端で何かが動いた。
ローリエの後ろに生えている低木が僅かに揺れていた。
明らかに不自然な揺れ方。
風が吹いている訳もでもないのに何故と思った時、木の葉の緑色とは明らかに異なる薄汚れた緑色が垣間見えた。
まさかと気付いた時には既に遅かった。
「ローリエ、後ろ!」
「えっ、がぁ!?」
警告虚しく、ローリエは後頭部を思いっ切り殴られた。
低木の隙間から飛び出してきた一匹のゴブリン―――その手に握られた拳大の石によって。
「GYAGYAッ」
「―――ッッ!?」
前のめりに倒れ、そのまま動かなくなるローリエ。
四肢からは完全に力が抜けている。
殴り付けた張本人であるゴブリンは、倒れたローリエの姿を見て嗤っていた。
ざまあみろと言わんばかりに耳障りな声でゲラゲラと嘲笑っている。
―――テメェは何を嗤ってやがるんだ?
「うおおぉぉあああああああッ!」
「GYABUッ!?」
気付けば俺はゴブリン目掛けて駆け出していた。
半ば飛び掛かるように突き出された拳が顔面のど真ん中を捉え、鼻っ柱を潰す。
潰れた鼻から血が噴き出し、小鬼の面相が更に醜く歪んだ。
体重差と勢いに押し負け、子供のような矮躯がゴロゴロと転がっていく。
「ローリエ!? おいしっかりしろ!」
「……ぁ、ぅぅっ」
転がっていくゴブリンには目もくれず、慌ててローリエを抱き起こした。
目蓋は力無く閉じられ、頭から流れた一筋の赤い血が顎先まで伝っている。
一瞬、俺まで血の気が引きそうになったものの、僅かながらもこちらの呼び掛けに反応を示してくれたことに一先ず安堵する。
おそらく意識が混濁しているのだろう。
後頭部を石で殴られたのだから当然だ。
応急処置程度なら俺にも出来る。
安心するにはまだ早いかもしれんが、適切な処置をすれば大丈夫な筈だ。
後頭部にタオルを添え、そっとローリエの身体を横たわらせる。
「ぐぅぅ……マスミ、ローリエはッ!?」
「大丈夫! ミシェルはホブ・ゴブリンを頼む!」
見れば、ホブ・ゴブリンが残った左腕を滅茶苦茶に振り回してミシェルを攻め立てていた。
攻撃を捌けてはいるものの、明らかにミシェルの動きは精彩を欠いていた。
きっとローリエの容体を気になって意識が散漫となり、目の前の戦いに集中出来ないのだろう。
このままではミシェルまでもが危ない。
ローリエは無事であると伝えるため、もう一度声を張ろうとした時、突然影が差した。
ゾクリと肌が粟立つ。
振り向くと同時、ついさっき殴り飛ばした筈のゴブリンが大口を開けて噛み付いてきた。
「クソがッ!」
咄嗟に左腕を掲げて盾の代わりにする。
黄ばんだ乱杭歯が服ごと皮膚に突き立てられ、鋭い痛みに顔を顰めてしまう。
幸いにも生地が丈夫であったおかげか、そこまで深く突き刺さってはいない。
だが目の前の小鬼はそれが不満なのか、唸り声を上げながらどんどん顎に力を籠めてきた。
「GIGYU、GUUUU……ッッ」
「ぐっ、がっあぁ……!?」
「マスミッ!?」
駄目だ。こっちを見るなミシェル。
俺のことは気にせず、目の前の敵に集中しろと伝えたかったものの、痛みに耐えようと食い縛った歯の隙間からは、意味を成さない唸り声しか漏れてこなかった。
「くそッ、退けえぇ!」
無理矢理にでもホブ・ゴブリンとの間合いを開けようと考えたのだろう。
長剣を大きく振り被り、渾身の一撃を放とうとするミシェル。
―――それはこの戦闘が開始されてから彼女が見せた最大の隙だった。
「GAGARAAAAAAッッ!!」
がら空きの胴体に巨大な拳が突き刺さる。
振り抜かれた拳の勢いそのままに吹き飛ばされたミシェルは、洞窟脇の岩壁に背中から叩き付けられた。
彼女を中心に音を立てて幾筋もの亀裂が岩壁に走った。
「ガハッ!?」
岩壁に背を預けたままズルズルと崩れ落ちるミシェル。
気を失ってしまったのか、へたり込んだまま動く様子がない。
刻まれた深い亀裂が、彼女が喰らった衝撃の大きさを物語っている。
ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!
このまま全滅など冗談ではない。
俺はゴブリンに左腕を噛まれたまま、自由な右手を腰の後ろに伸ばした。
「GYU、GYU!」
「いづ……っの野郎!」
俺の腕を食い千切ろうと必死なゴブリン。
唸り声を上げる度に潰れた鼻からプシュプシュと鼻血が噴き出している。
「きっっったねぇ面ぁ、近付けんじゃねぇよ!」
ベルトに装着していた革の鞘―――その中に納められていたサバイバルナイフを右手で引き抜く。
刃渡り20センチを越える大振りの刃。
逆手で握った凶器を捻り込むようにゴブリンの首筋へ突き刺した。
「GYA!?」
食らい付いていた顎が外れ、左腕が解放されると同時に前蹴りをゴブリンの土手っ腹にブチ当てる。
ナイフを刺されてとっくに絶命していたのだろう。
蹴られたゴブリンの身体は何の抵抗もなくあっさりと転がっていった。
「くそったれ!」
噛まれた左腕が痛む。
あの不衛生極まりない歯に噛まれ、何かおかしな細菌に感染してはいないだろうかと心配になるも、自分への治療は後回しだ。
傍らで横になっているローリエは未だに目覚める様子がない。
ミシェルも動けないままだ。
「どうする……ッ」
これでは全員で離脱することなど不可能だ。
そんな俺の焦りなどお構いなしに、ホブ・ゴブリンは巨体を揺らしながら身体の自由が効かないミシェルの元へ近付いて行く。
嗤っていた。
ローリエを殴ったゴブリンと同じように醜悪な笑みをその顔に浮かべていた。
なんでテメェらはそんな風に嗤えるんだよ。
魔物の歪んだ笑顔を目にした俺は……。
―――side:ミシェル―――
痛い。
殴られたお腹が痛い。
もしかしたら骨が折れているかもしれない。
咳き込むと最悪だ。涙が出そうになる。
岩盤にぶつけた背中は痛いというよりも熱かった。
吹き飛ばされた時に剣も手放してしまったようだが、手足は痺れて碌に力が入らないので、仮に剣が手元にあったとしても満足に振るうことは不可能だったかもしれない。
俯けていた顔を上げれば、隻腕となったホブ・ゴブリンがゆっくりとこちらに近付いてくるのが見えた。
危険だ。このままではマズい。
立ち上がって戦わなければ……そんな私の意思に反して、身体は全く言うことを聞いてくれなかった。
本当にマズい。
だってこいつ、今の動けない私を見て嗤っているのだぞ。
腐ってもゴブリン。世界共通あらゆる種族の女性の敵だ。
奴らが身動きの取れない女性を前にして、何もせずにいられる訳がない。
初めての相手がゴブリンだなんて死んでも御免だ。
それでもやはり身体は動いてくれなかった。
「……嫌だなぁ」
別にロマンチックな展開を求めていた訳でもないが、私だって乙女だ。
やはり初めては愛する殿方に捧げたい。
だが流石に無理そうだな。
―――殴って悪かったな、マスミ。
せめて奴が私を嬲り者にしている内にローリエを連れて逃げてほしい。
そうすれば私も舌を噛んで自害することが出来る。
ホブ・ゴブリンが近付いてくる。
半ば諦めの気持ちで迫り来る巨体を眺めていると、不意に異臭が鼻を突いた。
この臭いはなんだと疑問を抱く間もなくパリンと何かが割れる音が響いた。
その直後……。
「GIGYAAAAAAAAッッ!?」
ホブ・ゴブリンの身体が燃え出した。
いったい何が起きたんだ?
突然の事態に理解が追い付かず、呆然としている私の耳に―――。
「発情してんじゃねぇよ、このゴブ公が」
―――マスミの声が聞こえた。
頑張れ真澄くん




