第35話 蛇身を討て ~反撃開始~
前回のお話……巨大蛇、空を舞う
(蛇 ゜Д゜)シャー
(ロ&エ ゜Д゜)うそーん
「ミシェル、無事か!?」
ブチ破られた壁の穴を潜って家屋の中に入る。
いったいどれ程の衝撃だったのか、室内は半ば倒壊寸前の酷い様相と化しており、ミシェルの姿は何処にも見当たらなかった。
「ミシェル、おいミシェル! 何処だッ、返事しろ!?」
室内を見回し、何度もミシェルの名を呼び続けるが、彼女が俺からの呼び掛けに応じることはなかった。
代わりに室内の一角―――倒れた家具や壊れた外壁の残骸が幾つも積み重なっている―――で、ガラガラと何かが崩れるような音が聞こえた。
飛び付くように音のした場所へ行き、そこに積み重なっている物を片っ端から退かしていく。
果たして掘り起こしていった先に―――。
「ぐっ、ぅぅぅ……」
「ミシェル!」
―――彼女は横たわっていた。
「づぅぅっ、マ、マスミ……」
「待ってろ、すぐ出してやる」
自身の右腕を押さえたミシェルは、顔面に大量の汗を浮かべ、痛みに耐えるように歯を食い縛っていた。
見れば、彼女の右腕は正常とは言い難い方向に折れ曲がっていた。
おそらくは先に喰らったフェルデランスの尾によって骨折してしまったのだろう。
俺は倒れたミシェルの背中に手を回すと、極力負担を掛けないようにゆっくりと彼女の上体を起こした。
「マスミ、私はっ、あぐっ……!」
「無理に喋んな。今治療してやるから」
俺は膝に手を付いて呼吸を整えている最中のユフィーを呼び寄せ、法術でミシェルを治療するよう指示した。
「ひ、従者使いが荒くはございませんか?」
「一刻を争う状況なんだよ。従者でもなんでも認めてやるからさっさと治療しろ!」
自分でも酷い物言いをしている自覚はあるものの、気を払っていられるだけの余裕がないのだ。
外では今もあの怪物を相手にローリエとエイルが奮闘してくれているが、二人だけではいつまで保つかも分からない。
フェルデランスに勝つためには、一秒でも早くミシェルの傷を癒し、戦線に復帰してもらう必要があるのだ。
「少しだけ……少しだけ息を整える時間を下さい」
「お前マジで体力ないんだな」
はぁはぁと肩で息をするユフィーを見守るが、当然この間も外から派手な戦闘音が聞こえてくるため、焦燥感ばかりが募っていく。
『焦るでない』
「分かってるけど……!」
宥めるようにニースが胸元をさすってくれたおかげで、幾らか落ち着きを取り戻すことが出来た。
三十秒程の時間を掛け、ようやく呼吸が整ってきたらしいユフィーがロブイールを治癒した時と同じように胸の前で両手を組む。
「て、てぇ……『天高きに御座す、尊き御方よ。慈悲の御心を以て、彼の者の傷を癒し給え』」
神への祈祷。紡がれる祈りの言霊。
多少どもりながらではあったものの、ユフィーの祈りは確かに神へと届き、ミシェルの身体が淡い光に包まれた。
全身の細かい傷が治癒された後、光が右腕に集中し、骨折の修復が始まる。
「マスミ様、ミシェル様の腕を真っ直ぐに伸ばして下さい」
「でもそんなことしたら……」
「法術とて万能ではございません。そのままでは仮に折れた骨を繋ぎ直せたとしても、ミシェル様の腕は正常な状態には戻りません。それでもよろしいのですか?」
ユフィーが初めて見せる厳しい表情と口調。
彼女の言う通りにしなければ、ミシェルを完治させることは出来ない。
ならば躊躇している場合ではない。
「ミシェル……」
すまんと内心で謝罪した後、彼女の折れた腕を掴み、骨の位置を調整していく。
途端にミシェルの口から「ぃぎッ、あがあああああああッッ!?」と獣染みた絶叫が上がった。
「頼むッ、我慢してくれ!」
俺は今にも暴れ出しそうなミシェルの身体を必死になって押さえ込んだ。
無論、骨の位置がズレないように掴んだ腕だけは離さない。
「ッッ……ミシェル、耐えてくれ……!」
あのミシェルが涙を流し、喉が張り裂けんばかりの悲鳴を上げ続けている。
当然だ。骨折した箇所を直接掴まれている上にそれを無理矢理動かされたんだ。
痛いなんてものじゃない。
俺なんかじゃ耐えられない程の激痛が彼女を苛んでいる筈だ。
それでも手を離す訳にはいかなかった。
「くっ、まだなのかユフィー!」
「外傷と比べて、内部の負傷……骨や内臓の治癒には時間を要します。こればかりは……」
疲労を滲ませた声で悔しそうに告げるユフィー。
力を振り絞ってくれている彼女に急げとは言えない。
「頼むぞ?」
「お任せを」
今はユフィーを信じるしかない。
逸る気持ちを抑えつつ、俺はミシェルの身体を押さえ込むことに専念した。
「ローリエ、エイル……持ち堪えてくれよ」
こうしている間にもフェルデランスを相手に戦っている二人に向けて―――届かないとは理解しながらも―――声援を送る。
そして少しずつ痛みが和らいできたのか、ミシェルの呼吸が徐々に安定し、強張っていた身体からも力が抜けてきた。
「ようやっと大人しくなったか」
状況が好転したとは言い難いが、確実にミシェルは回復している。
その事実に一先ず安堵の息を吐こうとした時、一度だけ地面が揺れたのを感じた。
「地震か? フェルデランスだけで手一杯なんだから、これ以上の面倒事なんて御免だぞ」
御免だというのに、事態は悪化の一途を辿っていく。
地震か、あるいはただの錯覚だったのか。
判然としない揺れを感知してから僅か十秒足らず。
二度目の揺れ―――先程の何倍、何十倍もの大きな振動と破砕音が轟き渡り、驚く暇もなく襲い来た衝撃によって、俺の意識は白く塗り潰された。
……。
…………。
―――side:エイル―――
地上に立つわたし達目掛けて、空から一匹の巨大な……巨大過ぎる蛇が降って来る。
冗談のようにしか思えないその光景を、わたしもローリエちゃんも状況を忘れて呆然と見上げていた。
『ジャアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』
迫る巨大蛇の雄叫びを耳にした時、わたしはなんとか硬直状態から脱することが出来たけど、ローリエちゃんは未だに上空を見上げたまま。
もう時間がないの。
「ローリエちゃん!」
ごめんと謝罪の言葉を口にするのも惜しんだわたしは、ローリエちゃんの身体を全力で蹴り飛ばし、反動で自分自身も反対側へと跳んだの。
目を見開き、驚きを露にしているローリエちゃん。
距離が開いたわたし達の間、そのちょうど真ん中にフェルデランスは頭から落下してきたの。
「ぅわッ!?」
高度からの落下で加速した大質量が地面に衝突し、それによって生じた突風がわたし達を吹き飛ばしたの。
「がッ、ぁぐ、ぎぃッ―――!?」
何度もバウンドし、転がり、地面の上を滑っていく。
いったいどれだけの距離を飛ばされたのか。
ようやく止まった時には、自分が何処を向いているのかさえも分からないような状態に陥っていたの。
「ぁぅ……気持ち、悪い……」
平衡感覚をやられたのか、景色がぼやけて見える。
耳鳴りも止まらないし、地面がグニャグニャと歪んでいるように感じられるの。
打ち付けた全身のあちこちが痛い。
多分、出血もしている。
特に左の足首から伝わる痛みと熱が尋常じゃない。
もしかしたら転がっている際に捻ったかもしれないの。
「立た、なきゃ……」
満足に力の入らない四肢を懸命に動かし、なんとか身体を起こす。
ぼやけた視界の先に広がっていたのは、壮絶な破壊の痕跡。
沢山の人で賑わっていた筈の大通りはその姿を変貌させていたの。
フェルデランスが激突した地面は大きな地割れを起こし、身が竦みそうになるくらいの深い断層を晒しているの。
周囲の建物は軒並み倒壊していて、マスミくん達がいったいどの建物に居たのかも分からなくなっているの。
ローリエちゃんの姿も見当たらない。
「みんな、何処……?」
応えはない。
まさか……と最悪の可能性が脳裏をよぎった瞬間、これまで感じたことがない程の深い喪失感に襲われた。
その可能性を認めたくなくて何度も頭を振る。
嘘だ。そんなことある筈ない。
「マスミくん、ミシェルちゃん、ローリエちゃん、ニースちゃん、ユフィーさん……お願い、誰か返事して……ッ」
二度目の呼び掛けにも応えはない。
代わりに聞こえてきたのは、シューシューという独特な息遣いと何かが這いずるような音。
のろのろと音がした方に顔を向けると、この惨状を引き起こした原因―――フェルデランスが倒壊した建物の上を殊更ゆっくりと這いずりながら移動し、わたしの元へ近付いてこようとしていた。
咄嗟に矢を放とうとしたけど、自分の手に弓が握られていないことに今更気付いた。
おそらく吹き飛ばされた時に手離してしまったの。
辛うじて矢はまだ何本か残っているけど、これだけじゃどうしようもない。
「でも、もう……」
どのみちわたし一人だけじゃ勝ち目なんてない。
それに仮に生き残れたところで、みんながいないんじゃ……。
「だったら、いっそこのまま」
フェルデランスが何を考えているのかは分からないけど、きっと今のわたしはこの巨大蛇にとって格好の餌食にしか見えないと思う。
実際、抵抗の素振りを見せず、座り込んだままのわたしの元へ、フェルデランスはなんら躊躇した様子もなく這い寄って来た。
そのままわたしを喰らおうと、その顎を開き掛けた時―――。
『ジュアアアアアアアアッ!?』
―――蛇体を捻り、空に向かって苦しそうな雄叫びを上げた。
いったい何が起きたの?
「くっ、エイルさんッ、逃げて下さい!」
「ロ、ローリエちゃん!?」
見れば、わたしと同じように全身のあちこちに傷を負ったローリエちゃんがフェルデランスの胴体―――ミシェルちゃんが斬り裂いた箇所に獣爪を深々と突き入れていたの。
でも、彼女の無事を喜んでいる暇はなかった。
傷口を抉られ、激痛に悶えていたフェルデランスがぎょろりと眼球を動かし、憎悪の眼差しでローリエちゃんの姿を捉えた。
直後、自らの長大な尾をローリエちゃんの身体に巻き付けたの。
「ぐ……あッ、ああああああああああッッ!?」
巨大蛇の怪力に締め上げられ、悲鳴を上げるローリエちゃん。
バキバキと何かが砕けるような音がわたしの耳にまで届く。
幾ら獣人の肉体か強靭だといっても、あんな攻撃に耐えられる筈がない。
「やめて……やめてよぉ……!」
無意味な懇願。
魔物がわたしの言葉を理解出来る筈もないし、仮に出来たとしてもやめてくれる訳がない。
助けに行きたいのに身体が動かない。
魔術を行使したくても魔力の制御どころか、精神集中すら上手くいかない。
ローリエちゃんの、大切な人の危機を前にただ見ていることしか出来ない自分が悔しくて、情けなくて、自然と涙が込み上げてくる。
「お願い、誰か……」
―――助けて。
声にならない呟きに応えたのは轟音と光。
かつて一度だけ耳にしたことのある、まるで稲妻が落ちてきたような炸裂音が轟き、鋼色の閃光がフェルデランスの片目を撃ち抜いた。
『ジャアアアアアアアアアアッッ!?』
もう何度目になるかも分からない絶叫が迸り、尾の拘束が弱まったことでローリエちゃんも脱出することが出来た。
「調子に乗ってんじゃねぇよ。このクソ蛇」
自らの蛇体を地面に打ち付けるようにもがき苦しんでいるフェルデランスに向けて、傲然と言葉を吐いた彼の姿は満身創痍だった。
傷や汚れのないところを見付ける方が困難なくらいに全身ボロボロだというのに、それでも彼の闘志は微塵も衰えていない。
その瞳は、今尚輝きを失っていなかった。
「ここから大逆転だ。舐めんじゃねぇぞ、異世界」
鋼色に輝く異界の銃を携え、マスミ=フカミは言い放った。
お読みいただきありがとうございます。




