第23話 鉄拳乙女
前回のお話……決闘終了
(シ ゜Д゜)そこまでッ!
「そこまでッ!」
修練場内に響くシェリル夫人の声。
それは決着の合図。
「勝者、マスミ=フカミ」
見物人達が静まり返る中、立会人であるシェリル夫人の口から俺の勝利が告げられた。
「これにて決闘は終了とします。結果については一切の異論を認めません」
双方離れなさいというシェリル夫人の言葉に従い、俺はディオンの首からナイフを外した。
途端にディオンは〈曠薙〉を取り落とし、くずおれるようにへなへなと尻餅をつくと、そのまま動かなくなってしまった。
俺が後ろに下がって距離を置くのを待っていたかのようにお供連中が動かない主の元へと駆け寄って来る。
「若様ッ、ご無事ですか!?」
「坊っちゃま! お気を確かに!」
お供連中の呼び掛けにもディオンは応じることなく、何処か虚ろな表情を浮かべてブツブツと何事かを呟いているだけだった。
「糸の切れた人形ってよりかは、心神喪失って感じかね」
知ったこっちゃないけど。
兎にも角にも、このくだらない決闘も今度こそ本当に終了だ。
全身の強張りを解すようにゆっくりと息を吐き出す。
「はぁ、疲れた」
と言って大きく伸びをした途端、突然視界が真っ暗になった。
あ、これヤバい……と思った時には、手足の感覚も失われていた。
立っているのかどうかもあやふやな感覚。
そんな状態で自分の身体を支えることなど出来る筈もなく、ぐらりと後ろに傾いていくのが分かった。
このまま倒れたら痛いだろうなぁとは思うのだが、如何せん力が全然入らない。
せめて後頭部は強打しませんようにという儚い願いを抱きながら倒れようとしたその時、背中に何かがぶつかってきた。
「マスミッ、大丈夫か!?」
「……ミシェル?」
すぐ傍でミシェルの声が聞こえる。
時間の経過と共に徐々に視界も回復してきたので、ゆるゆると首を巡らせれば、目尻に涙を溜めた彼女の顔が映った。
どうやら倒れそうになった俺を抱き留めてくれたらしい。
ミシェルの少し後ろには、両手を前に突き出した妙な姿勢で固まっているローリエとエイルの姿もあった。
この二人は何をやっとるんだ?
「何はともあれ助かったよ」
「この馬鹿者! いきなり倒れるな。心配したではないか」
「はは、緊張の糸が途切れたんかな。急に気ぃ抜けちゃったよ」
現に今も手足には碌に力が入らない。
微かに指先が痺れるような感覚がある程度で、自力で立つには今暫くの時間が必要そうだ。
「顔色が悪い。本当に大丈夫か?」
「あー、多分貧血だな」
左脚の負傷は俺が考える以上に深かったのか、未だ出血が止まる様子はなかった。
最後に無茶な動きをした所為かな。
精も根も尽き果てた上に血が足りていない。
そりゃ貧血の一つや二つ起こすわ。
「あー、悪いんだけどもうちょい支えててもらってもいいかね? 全然力入らねぇ」
「構わん。無理はするな」
「ありがと」
お言葉に甘えて体重を預けるも、ミシェルにとっては然したる負担でもないらしく、かなり余裕がありそうだ。
後ろから女性に抱き抱えられる―――しかも自分よりずっと年下―――というのは絵面的に相当恥ずかしいのだが、そこは我慢するしかない。
「あといい加減、止血くらいしたらどうだ?」
「したいけど動けない」
なんて思っていると数人のメイドさんが傍にやって来て、テキパキと治療を施してくれた。
「奥様からのご指示です。動かないで下さいね、お客様」
「動けないので安心して下さい」
「お前達、変なところを触ってマスミをその気にさせるなよ?」
「下品なことを言うんじゃありません」
お嬢様が口にしていい台詞ではない。
こんな状況でその気もへったくれも……ってかその気ってなんだ。
その間もメイドさん達の手が止まることはなく、仕上げとばかりに左の太腿にギュッと包帯が巻かれた。
これで一安心。
「ご苦労様、マスミくん」
「シェリル様……何故撫でる?」
にこやかな笑みを浮かべながら歩み寄ってくるシェリル夫人。
何故か彼女は隣に来るなり、俺の頭を撫で始めた。
身体の自由が利かないので手を払うことも出来ない。
「よく最後まで諦めなかったわね。偉い偉い」
「はあ……」
「母様、マスミを子供扱いしないで下さい」
「あらぁ? ミシェルちゃんってば、もしかしてヤキモチ?」
シェリル夫人が揶揄うように笑みを深めれば、ムキになったミシェルが「違いますッ」と言い返した。
耳元で大声を出さないでほしい。
「別に照れなくてもいいじゃない。べったりくっついちゃって仲良しさんねぇ」
「こ、これはマスミが倒れそうになったから仕方なく……」
「そうなの? ならすぐそこで固まってる二人のどちらかに譲ってあげたら?」
「絶対に嫌です」
意思表示のつもりなのか、俺の身体を抱き抱えるミシェルの両腕に更なる力が籠められた。
一瞬、胸骨がミシッと軋んだような気が……。
何気ないやり取りの中、俺が人知れず身の危険を感じていると、にわかに前方が騒がしくなった。
見れば、ついさっきまでへたり込んでいた筈のディオンがお供連中の制止する声も聞かずに立ち上がっていた。
その手には取り落としていた〈曠薙〉が握られている。
それを見たシェリル夫人の眉が不愉快そうに顰められた。
「まだ何か用があるの、坊や?」
「……嘘だ」
譫言のように嘘だ嘘だと繰り返しながら、左右に頭を振るディオン。
その動きが徐々に激しくなっていく。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……嘘だぁぁぁ!!」
「……嘘なんかじゃないわ。貴方は負けたのよ」
「そんな筈はないッ。貴族である僕が負けるなんて有り得ない! こんな、こんな冒険者風情にぃ……ッ!」
「如何なる勝負においても立場や肩書きなんて然したる意味を成さないわ。いい加減現実を受け入れなさい」
「……うるさぁい!」
激高したディオンが〈曠薙〉の剣を高く振り上げた。
こいつ、俺だけじゃなくミシェルやシェリル夫人までいるってのにッ!?
「オイッ、止めろ!」
動けない俺には声を上げることしか出来ない。
だが当然、ディオンが俺の言葉に耳を貸す訳もなく、その剣に秘められた能力を発現しようとした時……。
「ふおッ!?」
俺を抱き留めていたミシェルの存在が突如として消失した。
支えを失った身体が崩れ落ちそうになるも、シェリル夫人が即座に背中に手を回してくれたおかげで転倒は免れた。
そして何故か礼を告げる間もなく、彼女の腕の中に抱き留められてしまった。
「何故?」
「えっ? この体勢が好きなんじゃないの?」
好きかどうかはさておき、背中から伝わってくる幸せな柔らかさと温もりには大変満足しております。
などと馬鹿なこと考えている内に……。
「消え―――」
「貴様が消えろ!」
一陣の風と化したミシェルの拳がディオンの顔面に突き刺さった。
手加減無しに叩き込まれた一撃にディオン如きが耐えられる筈もなく、あっさりと殴り飛ばされた。
久々に唸りを上げた豪腕は本日も絶好調なり。
お供連中の頭上を凄まじい勢いで通過したディオンは、放物線というにはかなり鋭角的な角度で床に激突した。
そのまま何度か床の上をバウンドし、ゴロゴロと転がった後でようやく停止した。
「……生きてる?」
「死んだんじゃない?」
如何にも興味無さそうなシェリル夫人は平然と恐ろしいことを口にした。
目の前で人死には勘弁してほしい。
ピクリとも動かないディオンの身体。
ミシェルに殴られた顔面は、小さな子供が見たら間違いなく泣き出すであろう程に酷い有り様と化していた。
主の惨状を目の当たりにした使用人達の間から悲鳴が上げる。
「この愚か者めが! 貴様も殿方ならば見苦しい真似などせず、潔く結果を受け入れんかぁ! 恥を知れッ! そして帰れぇぇぇッ!」
「いや絶対に聞こえてないと思うぞ」
片手を腰に当て、ビシッとディオンを指差すミシェル。
格好だけなら何処に出しても恥ずかしくない立派なお嬢様だというのに、その佇まいは余りにも男前過ぎた。
これ程アンバランスな御令嬢もそうは居ないだろう。
「おのれ、若様になんということを!」
「伯爵家の御令嬢といえども許さん!」
主をやられて―――殺られてはいないと信じたい―――激怒した護衛の騎士達が一斉に剣を抜いた。
すわ刃傷沙汰かと思いきや……。
「〈炎矢〉!」
「〈風撃〉!」
大気を引き裂く赤と緑。
灼熱の閃光と烈風の砲弾が俺の左右を通過し、今まさに剣を構えようとした騎士二人に直撃した。
炸裂した魔術によって壁際まで吹き飛ばされた二人は、どちらもうつ伏せのまま沈黙した。
そんな仲間の姿を目にした残りの騎士達の表情が凍り付く。
「主が主なら、部下も部下ですね。本当に無粋でしつこい人達です」
「オイタは駄目~」
ゆったりとした歩調で前に進み出るローリエとエイル。
魔術で人を吹き飛ばした直後とは思えないような普段通りの態度に薄ら寒さを覚える。
仁王立ちしているミシェルの傍まで歩み寄った二人は、その左右に並び立った。
「正直、このまま出番無しで終わるものだとばかり思ってたんですけどねぇ」
「ミシェルちゃんには先を越されぇ、シェリル様にも横から奪われてぇ、良いところなし~」
「ですね。こんなことで目立つのも乙女として如何なものかとは思いますけど……」
「憂さ晴らしには丁度良いの~」
「普段は全く発揮しないくせに、こんな時だけはミシェルもヒロイン力みたいなものを発揮するんですから。見せ付けられてるこっちも面白くないんですよね」
「イチャイチャしてたの~」
「取り敢えず二人には後で色々と物申したいことがある」
仲が良いのか悪いのか、よく分からない女性陣のやり取り。
色々とツッコミたいことはあるのだが、薮蛇になりそうなので黙っておく。
「マスミくん、愛されてるわねぇ」
「さてどうなんでしょうねぇ」
凄みのある笑みを浮かべ、バキバキと指の骨を鳴らしながら近付いていく女性陣と完全に怯えている騎士達。
動けない俺に彼女達を止める術はなく、そもそも止めるつもりもない。
せめて女性陣がやり過ぎませんようにと願いながら、俺は変わらず抱き抱えてくれているシェリル夫人に身を預けるのだった。
あぁ、背中から伝わる感触が幸せだ。
お読みいただきありがとうございます。




