第22話 短刀一閃 ~アラサー警備員 対 青年貴族~
前回のお話……真澄くんは諦めない
(デ ゜Д゜)HAHAHA
(真 ゜Д゜)こにゃろー
いったい幾度吹き飛ばされたのだろう。
回数が十を超えてからは、数えることも止めてしまった。
というより悠長に数えている余裕が無くなった。
「ずおぁッ!?」
そして今また吹き飛ばされた回数が一つ増え、床の上を滑っていく。
停止するのとほぼ同時に身体を起こし、ナイフを構える。
直後に視界が歪んで身体が傾き掛けるも、床に手を付くことで転倒を防ぐ。
ブンブンと何度か頭を振り、眩暈を無理矢理解消する。
「……寝てる場合じゃねぇ」
自分自身へ言い聞かせるように小さく呟き、前方を見据える。
視線の先では、幾分呼吸を荒くしたディオンが忌々しそうにこちらを睨んでいる。
その手には、俺を何度も吹き飛ばしてくれた忌々しい〈曠薙〉の剣が変わらず握られていた。
「しつこい上にしぶとい奴だ。いい加減、諦めたらどうなんだ」
「ドアホ。諦める訳ねぇだろうが。まだまだピンピンしてるっての」
嘘だ。ピンピンどころかフラフラ気味だ。
吹き飛ばされた回数と同じ数だけ床に身体を打ち付け、転がりまくった所為で全身のあちこちが痛い。
床へ激突する際には身体強化を用いてダメージを軽減させてはいるものの、蓄積されたものは決して無視出来るものではない。
ついさっき眩暈を起こし掛けたことから判断するに、三半規管にも少なからずダメージを負っているかもしれない。
強がってみせたはいいものの、果たしていつまで動けるだろう。
相手に悟られる訳にはいかないので、頑張って虚勢は張るけど。
「そっちこそ随分と息が荒いじゃねぇのよ。もうお疲れかい、お坊ちゃん?」
「本当に口の減らない男だ……!」
自称紳士らしからぬ仕草で、チッと舌打ちをするディオン。
ちゃんとイライラしてくれているようで一安心だ。
「ハッハッハッ、悔しかったら減らしてみろ」
「本当に……腹立たしいなッ!」
言うと同時にディオンは剣を縦に振り下ろした。
まだ剣の届く間合いではないが、奴の〈曠薙〉にそんなものは関係ない。
振るわれた刃の軌道に沿って発生し、指向性を与えられた突風が襲い掛かって来る。
俺は微かな振動が肩へ伝わってきた瞬間、大きく横に跳んで迫り来る突風を回避した。
「クソッ、さっきからちょこまかとぉ!」
「ハッ、んな見え見えの攻撃当たるかよ!」
苛立たしげに声を荒げたディオンが再び〈曠薙〉を振るえば、収束された大気が猛烈な勢いで放たれた。
真正面から来る凶悪な風の鉄槌を、俺は先程と同じように肩に振動が伝わったタイミングで地面を蹴って回避した。
絶対の自信を持っていた筈の攻撃が立て続けに躱され、ディオンは小さな子供のように地団太を踏んで悔しがっている。
いい気味だと見ていて思う反面、内心は冷や冷やものだった。
「これが外だったら土埃なりなんなりが舞って、もうちょい楽に躱せるんだけど」
〈曠薙〉が発生させる不可視の風を目視で捉えることは不可能。
では何故、先程から回避することに成功しているのか。
その答えは……。
「お前やるなぁ」
ネーテを出発してからこっち、ずっと俺の肩にくっ付いたままの一匹の鍬形兜。
こいつが回避するタイミングを教えてくれたのだ。
何度か吹き飛ばされ、着実にダメージだけが蓄積されていくことに焦りを覚え始めた時、突然肩に振動が伝わってきた。
こんな時にいったいなんだと思えば、肩の鍬形兜が、しがみ付いたまま背中の翅を震わせていたのだ。
飛ぶ訳でもないのになんでと思っていたら、ディオンが剣を振った際には必ず翅を震わせているのに気付いた。
もしやと思って、翅を震わせたタイミングに合わせて横へ跳んだところ、見事回避することに成功したのだ。
原理は不明だが、どうやらこの鍬形兜には、攻撃のタイミングが分かるらしい。
おかげでこうして直撃を食らう頻度はかなり少なくなった。
ニースには手を出すなと言っておきながら、この体たらく。
一対一の勝負において、他者から力を借りていることに若干の心苦しさを覚えはしたものの……。
『従魔……使い魔とは主の一部であり、力そのものじゃ。不正を働いて手に入れた訳でもないのじゃから、何も気に病む必要などない』
という有り難いお言葉を我が守り神様からいただいたので、開き直って頼りまくることにした。
「自力でも飛ぶからかな? なんぞ風を感じ取るセンサーでも付いとるんかね?」
指で角を軽く突っついてやると、鍬形兜は任せろと言わんばかりにカチカチと大顎を鳴らしてみせた。
ちなみに何度も床の上を転がっているにも拘わらず、何故こいつが潰れていないのかというと、俺が吹き飛ばされた際には空中に避難していたかららしい。
ちゃっかりしている。
「あとで名前考えてやるからなっ!」
そう告げた後、俺はディオンの元へと一気に駆け出した。
接近されることを嫌ったディオンが横薙ぎに剣を振って広範囲に風を放つ。
鍬形兜が教えてくれたタイミングに合わせて身を低くすることで、辛うじて迎撃の風をやり過ごす。
風圧に煽られた戦闘帽が後方に飛ばされていくも、構わず前へと進む。
距離を詰められ、焦ったディオンが後ろへ下がるよりも俺が斬り掛かる方が早かった。
「シィッ!」
自身に迫るナイフを目にしたディオンの表情が強張る。
あと少しで刃が届くと思われた時、至近距離から発生した突風に阻まれ、自らの意思とは関係なく俺の身体は後ろに下げられてしまった。
ズザザザッと音を立て、ブーツの底が修練場の床を滑っていく。
転倒こそしなかったが、また距離を開けられてしまった。
どうやら〈曠薙〉の風には、再使用まで一定の時間を要するといったありがちな欠点が無いようだ。
接近しては離される。
さっきからこの繰り返しだ。
鍬形兜のおかげで離れた間合いからの攻撃は回避出来るものの、至近距離で放たれるものはどうしようもなく、踏ん張って耐えるしかなかった。
「はぁ、はぁ、また仕切り直しか。でも……」
繰り返した甲斐はあった。
視線の先にあるディオンの姿は、明らかに先程よりも呼吸が荒くなっていた。
〈曠薙〉の能力を発動するには魔力を流す必要がある。
そして魔力の消費は精神に負担が掛かる。
奴は既に何度も能力を使用している。
一度の能力使用にどれだけの魔力を要するのかは知らんが、あの様子から判断するに、それ程余裕があるとは思えなかった。
無駄弾は撃つような余裕は無いだろう。
尤も余裕が無いのは俺も同じだが……。
「随分とお疲れだなぁ、お坊ちゃん。そろそろ降参するか?」
「だ、黙れッ。貴様のような下民などにぃ……!」
体力と魔力は奪ってやったものの、決め手に欠ける状況。
次にあの風の直撃を喰らった場合、俺も立っていられるかは分からない。
なんか戦ってる時の俺っていつもギリギリだよなぁ。
そう考えると勝手に苦笑が漏れた。
「決着つけるにゃあ、頃合いかね」
問題は、あの風をどうやって破るかだが……。
「ニース、あの風は魔術と同じようなものと考えていいのか?」
『うむ、魔力によって発生させた風じゃからな。その考えで概ね間違っておらぬ』
「てぇことは、同じく魔力を持った武器なり魔術なりじゃないとアレには干渉出来ないってことかい?」
俺からの質問に『うむ』とニースが頷く。
俺に魔術は使えない。
エアライフルの弾丸なら干渉出来る可能性はあるけど、果たして今の残り少ない魔力で撃てるかは微妙。
まあ、元々使うつもりもなかったけど。
「しょうもない意地だよな」
西部のガンマンでもないのに決闘で飛び道具を使うのって、個人的にどうなのかなぁと思う。
それにあの男のことだから、自分のことは棚上げして卑怯だなんだと喚きそうだしな。
「さっきから何を一人でゴチャゴチャと喋っている!?」
「そうカッカしなさんな」
激昂するディオンにそう返しつつ、肩の鍬形兜に向けて「頼むぞ」と小声で呼び掛ける。
返答代わりにカチカチと大顎を鳴らす従魔の姿に心強さを覚えた。
「宴もたけなわだ。観客の皆さんが飽きる前に……」
右手のナイフを握り直し、気張れよ俺と内心で言い聞かせ―――。
「仕舞いといこうかね!」
―――全力で駆け出す。
残った体力の全てを使い切るつもりで脚を前に進める。
すかさずディオンが迎撃の突風を放ってくるも、鍬形兜が教えてくれたタイミングに合わせて斜めに踏み込み、最小限の動きで回避する。
駆ける脚を止めず、残りの距離を一気に走破し、剣を振り切った状態のディオンへ飛び掛かった。
「オオァァアアアアッッ!」
雄叫びを上げながらナイフを走らせる。
しかしナイフの刃がディオンの身体に触れるよりも僅かに早く、引き戻された〈曠薙〉によって阻まれ、攻撃を届かせることは出来なかった。
ガチリと噛み合った互いの得物を挟んで、俺とディオンは至近距離から睨み合う。
「おのれ下民がぁ!」
「下民下民ってうるせぇんだよボンボンが! ボキャブラリー皆無かテメェは!」
端から見れば完全に口喧嘩。
凡そ決闘の最中にするべきではない低次元な争いだが、俺とディオンにとっては単なる口喧嘩ではなく、互いの意地のぶつかり合いだった。
顔面に唾を飛ばし合いながらも、手にした得物からは力を抜かない。
ナイフと剣、金属同士が擦れ合う不快な音が生じた。
「ぐぅ、クソッ、なんでこんなナイフが……ッッ」
「へし折れるとでも思ったか? 甘ぇんだよ」
普通のナイフだったら、とっくに折れていたかもしれない。
だが俺が今手にしているナイフは、精霊であるニースの加護によって強化された代物だ。
そう簡単に折れると思ったら大間違いだ。
「自慢の宝剣も大したことねぇな。ナイフ一本叩き折れねぇんだからよ!」
「だッ、まれぇぇッッ!」
激昂したディオンが力尽くで俺を押し退けようと、両腕に更なる力を籠めるて剣を押し込んできた。
俺は敢えてその力に逆らわず、押されるがままに脚を後ろに引いた。
途端につんのめるようにディオンは体勢を崩し、俺は強く握った左の拳をその頬に叩き込んだ。
「ラァッ!」
「ブグッ!?」
片手を剣の柄から離し、頬を押さえるディオン。
腰の入っていない不充分な一撃の為、仕留めるには至らない。
しかしこの局面において、ディオンが晒した隙は余りにも大き過ぎた。
当然このチャンスを逃すつもりはない。
「終わりだぁ!」
右手のナイフを振り被って斬り掛かる。
―――俺の勝利。
俺自身も含め、この場に立ち会った誰もがそう思ったことだろう。
だから、これは本当にただの偶然。
あるいは俺が運に見放されただけなのかもしれない。
「うわぁあああッ!?」
ディオンが錯乱したかのように絶叫を上げ、〈曠薙〉の剣を出鱈目に振り回した。
元々バランスを崩していた状態でそんなことをした所為だろう。
何かに蹴躓いたようにディオンの身体がよろけた。
その結果、俺のナイフは狙いが逸れ、ディオンの衣服を掠めることしか出来なかった。
そして振り回されていた〈曠薙〉の剣は……。
―――ザクリと俺の左脚を傷付けた。
左の太腿を斬り裂く冷たい刃。
斬られたと認識した直後、その傷口から鮮血が溢れ出した。
「ぎぃっ、がッ!?」
咄嗟に股関節付近の血管を圧迫し、出血量を少しでも抑えた。
思った程に痛みは感じないものの、傷口周辺が異常なまでに熱い。
歯を食い縛り、膝を突きそうになるのを必死に堪える。
傷を負った俺の姿に修練場内が騒然とし『マスミッ!?』というニースの切羽詰まった声が胸元からも聞こえてきた。
生憎、周囲に注意を払っているような余裕など無かった。
シェリル夫人は眉間に皺を寄せ、決闘を止めるべきか否か思い悩んでいる。
ディオンに至っては剣を片手にぶら下げたまま、まるで呆けたように俺のことを眺めており、やがて動けないことに気付いた奴の表情が喜悦で歪んだ。
……あぁ、本当に不愉快な面だ。
「ふふふ、ははははっ、さっさと這いつくばって負けを認めれば楽になるものを」
「……ヤなこった」
「ふん、まあいい。多少は手間取ったが、結局最後には貴族であるこの僕が勝つようになっているんだ。それが世の摂理というものさ」
「アホくさ、何が摂理だ。テメェの実力じゃねぇだろうがよ」
「黙れ! そもそも貴様のような下民が僕と立ち会っていること自体が間違いなんだ。僕は誇り高きメザール子爵家の人間だぞ」
「……お前はよ、いちいち家の名前を笠に着ねぇと物を語れねぇのか?」
左手で血管を圧迫したまま、残る右手一本でナイフを構える。
「虎の威を借る狐って知ってるか? 俺の故郷で、お前みたいに他人の力を当てにして威張るだけの小者を意味する言葉だよ」
口の端を歪め、嘲るようにそう告げてやれば、先程まで余裕の笑みを湛えていたディオンの表情が見る間に怒気を帯びていった。
額には青筋まで浮かべている。
本当に煽りやすい奴だ。
「貴様、生きて帰れると思うなよ……!」
「デカい口叩いとらんでさっさと来いや」
こっちも長くは保ちそうにないんでね。
「マスミさんッ、もう止めて下さい!」
「それ以上は危険なの!」
ローリエとエイルの声が背中に届く。
二人とも俺の身を本気で案じてくれているのが伝わってくる。
申し訳ないと思う反面、心配されていることを嬉しくも感じてしまう。
「こんな状況だってのに俺も大概だよなぁ」
二人には悪いが、ここで引く訳にはいかない。
約束したんだ。ミシェルの力になってやるって。
俺には大した力なんてないけど、約束を違えるような男にだけはなりたくない。
「これで終わりだ、下民め!」
ディオンが〈曠薙〉の剣を高く掲げる。
俺は言葉を返すことなく、右手のナイフへ意識を集中した。
心臓とナイフを一本の線―――血管で繋ぐようにイメージし、繋いだ血管を通して魔力を流し込む。
数秒の後、ナイフの刃から鋼色の光が溢れ出した。
「消えろぉ!」
直後にディオンが〈曠薙〉を振り下ろし、風の鉄槌を放つ。
迫り来る不可視の脅威に対し、俺はナイフを振るおうと……した瞬間、視界が急速に暗くなっていった。
マズいと思った時には、身体が傾き始めていた。
既に体力も魔力も限界が近く、更には深手を負った状態での無茶な魔力操作。
そのツケが今このタイミングで、こんな大事な局面で回ってきた。
チクショウ、なんで今なんだよ。
なんでもう少しだけ保ってくれなかったんだ。
俺は約束一つまともに守れないのかよ……!
「ごめん、ミシェル……」
自分自身への不甲斐なさと無力感に苛まれ、諦め掛けた時……。
「―――頑張れ」
―――声が聞こえた。
何度も身近で耳にしてきた声。
俺を何度も助け、励ましてくれた彼女の声。
「頑張れ、マスミィ!」
―――ミシェルの声が聞こえた。
「ッッ……頑張る!」
時間を巻き戻すように視界が回復し、自由の利かなかった身体に活力が戻る。
右脚を大きく前に踏み出す。
ズンッと震脚の如く床を踏み締め、眼前に迫る風の鉄槌へ右手のナイフを一閃した。
「―――ァァアアアアッッ!!」
光輝くナイフ―――かつて骸骨騎士との戦いでも使用した〈魔力付与〉の刃は、確かな手応えを残し、真っ向から〈曠薙〉の風を断ち切った。
そこから先は、半ば自動的に身体が動いていた。
血管を圧迫する手を離し、出血が増すのも構わずに前へと進む。
何が起きたのか理解出来ずに硬直しているディオンに接近し、ナイフの刃をそっと添わせるように首筋へ当てれば、薄皮が裂け、ツーッと一筋の血が流れ落ちた。
『……』
修練場内が静寂で満たされる。
一拍の間を置き―――。
「そこまでッ!」
―――勝敗は決した。
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