第8話 彼も根は庶民だった ~広い部屋は落ち着かない~
前回のお話……お嬢様のお悩み相談
(ミ ゜Д゜)たすけてー
(真 ゜Д゜)がんばるー
(兜 ゜Д゜)だいじょぶー
黒髪のメイドさんが楚々とした手付きで、ソーサーの上に乗せられたカップを俺の前に差し出してくれた。
カップの中身は紅茶。
音も無くテーブルに置いた瞬間、その透き通った琥珀色の湖面が揺れる……ことはなかった。
「どうぞ、お寛ぎ下さい」
「あ、はい、どうも」
静かにそう告げた後、メイドさんは殆ど足音を立てずに部屋の壁際まで移動した。
壁に背を向けて立つと、両手は臍よりも下の位置で揃え、背筋をピンと伸ばした姿勢をキープする。
どうやらこのまま室内で待機するらしい。
うーむ、なんと洗練された動作よ。
立ち姿も実に絵になる。
呼吸をしているのかどうかも疑わしくなるくらい微動だにせん。彼女はプロですな。
ちなみにさっきからメイドさんメイドさんと言っているが、決して某電気街に出没するようなメイドとは名ばかりの生き物のことではない。
年齢は二十歳そこそこだろうか。
長い黒髪を紐を使って纏め、後頭部で団子状にひっつめている。
丈の長いシンプルな濃紺のワンピースと控えめにフリルの付いた白いエプロン。
二つを組み合わせて出来たエプロンドレスにすらりとした肢体を包み、頭にはホワイトブリム―――レースの付いたカチューシャ―――が飾られている。
何処からどう見ても……。
「紛うことなきメイドさんだな」
「はい、メイドでございます」
「……声に出てました?」
「わたくしの聞き間違いでなければ」
「……聞かなかったことにして下さい」
「かしこまりました」
クッソ恥ずかしい!
「お客様、わたくしのことはお気になさらず。壁に掛けられた絵画の一部とでもお思い下さい」
なんてことを冷静な顔で仰るメイドさん。
いや、確かに絵になるとは思ったけど……。
「お嬢様方のお召し替えには、もう少々お時間が掛かります。それまではどうぞ、こちらでごゆるりとお寛ぎ下さいませ。何かご用がございましたら、遠慮なくわたくしめにお言い付け下さい」
「ぉぉぅ……はぃ」
蚊の鳴くような声で返事をするのがやっとだった。
寛げと簡単に言ってくれるが、そんなのは土台無理な話である。
壁際に控えたメイドさんのことを気にしつつ、俺は室内を見回してみた。
広々とした室内は、内装も調度も落ち着いた色合いのもので設えてある。
採光用の窓が多いおかげもあってか、室内は明るく、何よりも温かみがあった。
品の良い高級感とでも評するべきか、屋敷の主のセンスの良さが感じられた。
寛ぎ易そうな雰囲気に室内は満ちているのだが、生憎と今の俺はとても寛げるような心境ではなかった。
目の前に置かれたカップを手に取り、時間が立って少し温くなった紅茶を口に含む。
美味しい……と思う。
いや、きっと美味しいのだろう。
おそらくこれまで俺が飲んできた安物とは比べ物にならない程美味で、そして値も張るのだろうと容易に想像出来た。
心境的に寛げないのと同じように紅茶の味を楽しむだけの余裕も無い訳だが……。
ぶっちゃけ緊張し過ぎて味も香りもさっぱり分からない。
でも喉はカラッカラ。
「美味し~」
隣では、いつも通りのエイルがのほほんと紅茶を啜っている。
おのれ、人の気も知らずに……!
何故、俺がこのような状況―――メイドさんにそんな意図はないだろうけど―――に追い込まれているのか。
それはこんなやり取りがあったからだ。
―――
――――――
冒険者を続けたいと言うミシェルとローリエに協力すると約束した後、俺はエイルも含めた全員に対して告げた。
「よし、んじゃ一旦実家に帰るとするか」
『……は?』
ポカンとした表情を浮かべる女性陣。
どうやら俺が何を言ったのか理解出来なかったらしい。
「だから一旦帰るぞって、ミシェルの実家に」
「あ、いや、それはちゃんと聞こえていた」
そうか、ちゃんと聞こえていたのか。
てっきり俺が言い間違えたのかと思った。
「よかったよかった。だったら何の問題もないな」
「いやいや、問題はあるだろう。というか……何故だ?」
「何故とな?」
「いやだって、ついさっき言ったばかりじゃないか、帰りたくないって。マスミも協力すると約束してくれたじゃないか。なのになんで帰るだなんて……」
ミシェルの頭上で大量の疑問符が飛び交っているのがよく分かる。
ローリエやエイルも同様だろう。
「ふむ、本当に分からん?」
「分からない。だからこうして訊いている」
「そうか、んじゃお答え……する前にこっちからも質問。ミシェル、お前は家族のことが嫌いか?」
突然の質問に「な、何を……」と困惑の声を上げるミシェル。
「家族のことが嫌いか? 家族と一緒に居るのが嫌になったから家出したのか?」
「そ、そんな訳あるかぁ! 父様のことも、母様のことも尊敬しているし、兄弟姉妹のことも大事に想っている。私は家族を愛している!」
「それじゃ喧嘩したから家出したのか?」
「違うッ、喧嘩などしていない! 私は貴族としての生活が嫌で―――」
「それだよ」
ムキになって捲し立てようとするミシェルの鼻先にビシッと指を突き付け、強制的に黙らせる。
発言を遮られたミシェルが僅かに身を仰け反らせ、「んぎゅッ」と変な声を上げた。
「お前さぁ、家族が嫌いな訳でも、喧嘩した訳でもないのに実家を飛び出してきたんだろ? 当然何も言わずに」
「ぼ、冒険者として生きていくという書き置きは残したぞ」
「お前は本当に家出するつもりがあったのか?」
何故そんなところだけキッチリしているのか。
家出するのに態々情報残していくって、自ら探して下さいと言っているようなものだろうに。
「なんで家出したの?」
「それは何度も言っているだろう。貴族としての生活が―――」
「嫌だからって家出する必要あったんか? ハッキリ言うけど今のお前、自分の我が儘で勝手に実家を飛び出してきただけだからな。家族に無駄な心配と迷惑だけを掛けて」
俺から指摘を受けたミシェルが「ハゥッ!?」と胸を押さえ、先程よりも大きく身を仰け反らせた。
「お前はやりたいことやって満足かもしれないけど、残された家族はいったいどう思うよ。その足りない頭でちったぁ考えろ」
更に追撃を加えるとミシェルは胸を押さえたまま、今度は「ゴフッ!?」と詰まったような息を吐き出した。
「ガキじゃねぇんだ。自分の我が儘ほざく前に通すべき筋があるだろうが、この脳筋家出娘。剣ばっか振ってないで、少しは親父さん達の気持ちも考えろ馬鹿ちんが」
俺がトドメの台詞を吐き終えるのとミシェルが撃沈するのは、ほぼ同時だった。
無言でその場に蹲り、ピクリとも動かなくなるミシェル。
ツンツン……反応がない。ただの屍のようだ。
自業自得なので可哀想だとは微塵も思わんけど。
「ふむ、それにしてもミシェルの頭を中心に広がっていく、この水溜まりはいったいなんだろう?」
「本気で言ってるとしたらぁ、マスミくんド外道~」
「失礼な」
あとそんなことを嬉しそうに言うな。
相も変わらずエイルの琴線がさっぱり理解出来ない。
「お前がまずやらなきゃいけないのは、一度実家に帰って家族に謝ることだ。今後どうするのかはそれから話し合って決める。あっ、言っとくけど謝るのはローリエもだからな。二人揃ってごめんなさいだ」
――――――
―――
こんな感じで家出お嬢様の帰省が決まり、俺達はネーテへ戻らずにそのままミシェルの実家を目指すことにした。
駄々をこねるミシェルを無視して馬を走らせること数日。
俺達はミシェルの親父さんが領主を務める交易都市リンデルに到着した。
ネーテに負けず劣らず活気のある様に大変心惹かれつつも、今は我慢と寄り道せずにミシェルの実家へ向かった。
そうして辿り着いたミシェルの実家は…………うん、とんでもなく立派なお屋敷だった。
果たして敷地面積は何坪になるのだろう。
日本にも大富豪が暮らす豪邸は存在するけど、そんなものとは一線を画する歴史と重みを感じる。
成金とは違うのだよ。
「お前、マジでお嬢様だったんだな」
「だからずっとそう言っているではないか」
ちょっと舐めてたかもしれん。
正直、気後れというか気圧されている。
今すぐ回れ右して帰りたくなってきたが、何の為に此処まで来たんだと内心で己を叱咤し、屋敷の門を叩いた。
ミシェルが帰ってきたことを知った瞬間、屋敷内は騒然としたものの、それも僅かな間だけ。
大量のメイドさん達に取り囲まれたミシェルとローリエは屋敷の奥へと連行され、俺とエイルは応接室らしき部屋へ案内されたのだ。
「あぁ、胃が痛い……」
「今更ジタバタしたってぇ、しょうがないの~」
「ジタバタはしていない」
ドキドキはしているがな。
「なんでエイルは緊張してないんだよ」
「ミシェルちゃんの家族にぃ、ご挨拶するだけでしょ~」
なんで緊張するの~と逆に訊ねられてしまった。
きっと根が庶民だからだと思う。
紅茶の味だけではなく、今腰を下ろしているソファーのフカフカ具合まで楽しみ始めた彼女の胆の太さが羨ましい。
「魔物が相手の時はぁ、平気なのに~」
「それはそれ、これはこれだ」
社畜の……社会人の性とでも言うべきか。
偉い立場の人とお話しをする時は、いつだって緊張するものなのです。
あぁ、駄目だ。喉が渇いてしょうがない。
残っていた紅茶を飲み干し、カップの中を空にする。
メイドさんが何も言わずにお代わりを注いでくれた。
礼を告げる時間も惜しいとばかりに二杯目も一気に飲み干すが、やはり味は感じられなかった。
すかさず注がれるお代わり。
飲んではお代わり。飲んではお代わり。
喉の乾きと何よりも極度の緊張を誤魔化す為、俺はメイドさんと共に暫くの間、まるでわんこそばのようなやり取りを繰り返したのだ。
……トイレって何処かな?
お読みいただきありがとうございます。




