第8話 真面目で不器用・後編 ~ギルド職員Dさんの話~
前回のお話……逃げる真澄、追うディーナ
(真 ゜Д゜)キャァアア
(デ ゜Д゜)待てぇい!
―――side:ディーナ―――
「おはようございます」
「おはようって、あれ? ディーナ、今日って貴方非番の筈じゃ……」
「まだ昨日の書類が残っていますから」
既に出勤していた同僚の女性に挨拶をしてから自分の席へ座ります。
昨日同様、机の上には大量の書類が積まれたままの状態ですが、これでも大分少なくなりました。
残りは三分の一弱といったところでしょう。
「急ぎの仕事じゃないんだから、何もお休みの日まで出てこなくてもいいじゃない。紅茶飲む?」
「ありがとう、お願いします。性分なんですよ。終わったら休みます」
同僚が淹れてくれた紅茶を飲みつつ、書類の一枚を手に取ります。
マスミ=フカミに対する不満を口には出さず、胸中で吐き出しながら業務に取り組むと意外に捗るという新たな発見をした私ですが、結局昨夜の内に書類を全て片付けることは出来ませんでした。
途中までは順調に処理出来ていたのですが、書類が残り半分を割った頃から足の痛みが酷くなり、徐々に集中力が落ちていきました。
鈍い痛みと煩わしさに苛まれながらも、我慢して仕事を続けていると、業務を終えたメリーが事務室に入ってきました。
「お疲れ様です。ディーナさん、今お時間大丈夫ですか?」
「構いませんが、どうかしましたか?」
「そのぉ、フカミさんのことなんですけど」
「……また何か仕出かしたのですか?」
「いえいえっ、違うんです。実は―――」
メリーが話してくれた内容は、私が逃げるマスミ=フカミを追い掛ける前、ロビーでいったい何が起きたのかについてでした。
受付前で素行の悪い二人組の冒険者がメリーに絡み、無理矢理外に連れ出そうとした。
隣に居た同僚がそれを未然に防ぎ、二人組を叩きのめしたそうなのですが……。
「実はこの時、フカミさんが逃げようした冒険者さんを足止めして下さったんです」
そのおかげで二人を取り押さえることが出来たとメリーは言います。
つまり彼は善意の協力者。
ロビーが騒がしかったのは、女性職員の大立ち回りを間近で見た者達が興奮していただけ。
もしもそれが事実だとしたら、私は騒ぎの原因はマスミ=フカミにあると早とちりで決め付けた挙句、何の罪もない彼を無意味に追い掛け回したということになります。
「それは事実ですか?」
「紛れもない事実です」
「私が一人で空回りをしていたと……そういうことですか?」
「そう、なりますね」
沈痛な面持ちをするメリーにそうですかと返し、静かに息を吐きます。
事実を知った私は……。
「穴があったら入りたい……!」
情けなさと申し訳なさと羞恥心で頭を抱える羽目になりました。
それ以上は仕事も手につかなくなったため、私は未処理の書類を残したまま、泣く泣く帰宅することにしたのです。
帰宅後は汗を流してすぐ横になりました。
こういう時はさっさと眠るに限ります。
充分な睡眠によって気持ちを切り替えた私は、非番の日であるにも関わらず、残りの書類を片付けるために出勤したという訳です。
「貴方も難儀な性格してるわよね」
「放っておいて下さい」
確かに彼女の言う通り、決して急ぎの仕事ではありません。
ですが私の場合、中途半端なまま残しておくと却って落ち着かないのですよ。
「早いところ終わらせてしまいましょう」
紅茶を半分程飲んでから、私は仕事に取り掛かりました。
昨日の続きに過ぎませんので、特に頭を悩ませることもありません。
流れ作業のように黙々と処理していった結果、お昼前には全ての書類を片付けることが出来ました。
「んーっ」
座ったまま軽く伸びをすると、肩や背中からパキパキと骨の鳴る音が聞こえてきました。
どうにも最近、肩凝りが酷くて困ります。
事務作業が多い所為でしょうか?
「年齢が原因とは……思いたくありませんね」
まだ二十七歳なんですけど。
まあ、世間では行き遅れと言われても仕方のない年齢ですけどね。
なんだか気が滅入ってきました。
残っていた紅茶を一息で飲み干します。
仕事は終わり。余計なことばかり考えていないで、早く帰るとしましょう。
「それでは私はこれで失礼します」
「お疲れ様。ちゃんと休みなさいよ」
ただでさえ働き過ぎなんだからと言う同僚に私は使ったカップを洗いながら、分かっていると返事を返します。
洗い終わったカップの水気を拭き取って棚に戻した後、お先に失礼しますと同僚達に告げ、事務室を後にしました。
丁度良い時間なので、何処かでお昼でも食べてから帰りましょう。
でもその前に……。
「ロビーの様子でも見ておきましょうか」
昨日の件もありますから、もしもマスミ=フカミが居れば一言謝っておきたいです。
思うところはありますけど、今回ばかりは完全に私の落ち度ですから。
などと考えながらロビーに向かうと―――。
「「……あ」」
―――本当に居ました。
メリーと会話でもしていたのか、昨日と同じように受付の前に立っています。
「ディーナさん、お疲れ様です」
「お疲れ、様です」
メリーに挨拶を返しますが、正直それどころではありません。
会ったら謝るつもりではいましたけど、まさか本当に居るとは思っていなかったもので……。
どうしましょう。
全然頭が回りません。
こんなことは初めてかもしれません。
何故か彼まで私と同じように硬直しています。
棒立ちのまま、お互いを見詰め合う―――目を逸らしたら負けのような気がします―――私とマスミ=フカミ。
「あの、お二人とも何をされてるんですか?」
本当に何をしているのでしょうね。
―――とある酒場―――
「「……」」
無言のまま、テーブルを挟んで向かい合う私とマスミ=フカミ。
場所はギルドに程近い酒場の店内。
適当に入ったので、店名までは見ていません。
何故私達がこのように向かい合っているのか。
別段深い意味はありません。
受付の前で暫く棒立ちになっていた私達に……。
「折角ですし、お二人とも何処かで一緒にお食事をされては如何ですか?」
という提案をメリーがしてきたからです。
彼女の言葉に従ってギルドを後にした私達は、何も考えずに昼から営業していたこの酒場に入りました。
満腹感はあるので食事はしたようですが、自分が何を頼み、何を口にしたのかすらも記憶にありません。
「「……」」
どうしましょう。
何を話したらいいのか分かりません。
まずは昨日の件について謝罪するべきなのでしょうけども、いざ本人を目の前にすると言葉が出てきません。
彼の方も居心地悪そうにしています。
「……何か呑まれますか?」
気付けば、そのように提案していました。
非番とはいえ、真っ昼間から飲酒をするのもどうかとは思いましたが、酒精が入れば少しは口も回り易くなるかもしれません。
マスミ=フカミも応じてくれたので、さっそく注文をします。
彼はエールを、私は薄めた果実酒をそれぞれ頼み、どちらからともなく呑み始めました。
私はそれ程お酒を嗜みませんし、大して強くもありませんから、飲酒をする際は気を付けなければいけません。
気を付けていた筈なのですが……。
「私だってねぇ、悪いとは思ってるんですよぉ。何も聞かずにいきなり追い掛けたりしてぇ」
「ああうん、そうだね」
「でもねぇ、貴方だって悪いんですよぉ。逃げずにちゃんと説明すればいいじゃないですかぁ。そもそもなんで逃げるんですかぁ!?」
「ああうん、それは申し訳ない」
「大体ッ、貴方は普段からですねぇ―――」
出来上がっていました。
なんだか妙に頭がフワフワして、全身がポカポカしています。
これがお酒に酔うということなのでしょうか?
悪い気分ではありません。
むしろ気持ちが良いくらいです。
今ならなんでも遠慮なく言えそうな気がします。
ふふっ、ふふふふっ、覚悟しなさいマスミ=フカミ。今日こそは逃がしません。
とことんまで付き合ってもらいますからね!
その後、数時間に渡ってお酒を呑み続けた結果……。
「ぅ、ぅ……ぅぅぅッ、気持ち悪い……ッ」
「だから止めとけって言ったのに」
悪酔いしていました。
最初に感じていた気持ち良さは何処にいったのか、今はひたすら気持ち悪いだけです。
おまけに頭は痛いし、喉は渇くし、世界は歪んで見えるしでもう最悪です。
「あんたも相当ストレスが溜まってるんだなぁ」
「ぅぇ? 何か……言いましたか?」
「うんにゃ何も」
「そうで……うぷッ!?」
「頼むからこの状態で吐くなよ?」
私は今マスミ=フカミに背負われています。
自力で歩くことすら出来なくなった私を見兼ねたのでしょう。
彼は呆れながらも文句を言わずに背負ってくれました。
……意外に優しいところもあるのですね。
ただ、出来ることならあまり揺らさないで下さい。
「何処に……行くんですか?」
「ギルド。俺、あんたん家知らないから」
ギルドですか。
同僚達にこんなだらしない姿を見られたくないんですけど……なんだかどうでもよくなってきました。
「記憶が曖昧なのですが……酔ってる時の私、どんなことを話してました?」
「んー、ほとんどが俺に対する文句というか愚痴というか」
「それは、失礼しました」
「まぁ俺の場合、言われても仕方のないことを散々やってるからなぁ。自覚はあるよ。だからといって後悔はしとらんけど」
「ふふっ、なんですかそれ」
全然反省してないじゃないですか。
首を曲げ、横から彼の顔を覗き込むと、無駄にキリッとした顔付きを決めています。
その似合わない仕草に小さく吹き出してしまいました。
「あとは確か人手不足がどうたらとか、部下が中々育たないとか言ってたかね」
「そんなことまで……」
外部の者に職場の愚痴を漏らしてしまうなんて職員失格です。
普段あれだけ部下に偉そうなことを言っておきながら、この体たらくとは……。
「情けない」
思わず、彼の首筋に顔を伏せてしまいました。
両腕を彼の首に回したままなので、半ば後ろから抱き付くような状態になっています。
ちょっと恥ずかしいです。
「あんたは真面目だなぁ」
「……そのあんたと言うのは止めて下さい。私にはディーナ=クリミエという名前があります」
「こりゃ失礼、ディーナさんは真面目だなぁ」
「……だって、仕方ないじゃありませんか」
冒険者ギルドは人手不足です。
今居る職員が頑張るしかありません。
量が足りないなら質で補う。
職員一人一人の能力が向上すれば仕事の処理速度も上がり、人員不足もカバー出来る。
だから早く若手の職員に育ってほしいのです。
「それってそんなにおかしいことですか?」
「何もおかしくはないさ。考え方は間違っちゃいないと思うよ」
勿論、私だって仕事を人任せにするつもりはありません。
これでもそれなりに責任のある立場です。
責任のある者こそ、率先して仕事をし、部下や後輩の見本とならなければいけません。
そうでなければ誰も付いてきてくれないから。
「本当に真面目だなぁ」
「……他にやり方が分からないだけです」
「んなこたぁねぇでしょ」
「貴方も私のことをお堅い女だと思っているのでしょうね。同僚にも言われましたよ。少しは肩の力を抜けと」
どうせ私は仕事をするしか能のない女です。
殿方とお付き合いもしたことのない干物女ですよ。
「誰もそこまで言っとらんがな」
「言われなくても分かります」
「なんという被害妄想」
そこら辺は脇に置いておくとしてと話題を変えるマスミ=フカミ。
「どうせディーナさんのことだから、肩の力を抜けって言われても上手く出来ないんだろ?」
「うっ」
図星です。
「だから考え方を変えてみてはどうだろうか」
「考え方を変える?」
「育てるのも大事だけど、今の時点で何が出来るのかってのを知るのも大切だと思うよ」
曰く、人はそう簡単に成長するものではないし、成長する速度にも個人差がある。
ならば皆に同じ仕事を同じだけ割り振るのではなく、得意分野に応じて、効率良く割り振ってはどうかと彼は言いました。
「計算が得意だったり、書類整理が得意だったり、得意分野は人それぞれだろ? それに合わせた仕事を中心に割り振れば、もっと効率良く仕事をこなせるようになると思う訳よ。勿論、最終的には一人で何でも出来るようになるのが理想的だけどね」
「……考えたこともありもせんでした」
確かにその方法なら、今よりもずっと効率的に仕事を処理することが出来るかもしれません。
私はただ均等に割り振り、早く仕事を覚えさせようとしていただけです。
効率も何もあったものではありません。
「さっきも言ったけど、別に間違っちゃいないさ。そもそも人員に余裕があるなら、こんなことを考える必要なんざないしな。効率を優先するならこういう方法もあるってだけの話」
あまり難しく考えなさんなと、まるで子供に言い聞かせるような柔らかい口調でマスミ=フカミは告げます。
不思議ですね。
少し前まで私達の関係は決して良好とは言えませんでした。
いえ、むしろ険悪と評するべきかもしれません。
そんな私達がこうして普通に会話をしているなんて、これもお酒の力でしょうか。
……よく、分かりません。
「まあ、ディーナさんはストレスを溜め込み易そうだから、たまにゃこうしてガス抜きをだな……って、あれ? おーい」
……すぐ傍に居る筈なのに、彼の声が、遠く聞こえる。
なんだか……眠い。
「フカミさ、もっと、お話し……」
「また今度な。おやすみ、ディーナさん」
その言葉を最後に、私の意識は闇に落ちました。
――――――
―――
目を覚ますと、知らないベッドで横になっていました。
「此処は……何処ですか?」
身体を起こして周りを見ると、同じようなベッドが幾つか並べられている以外には、水差しの置かれた丸テーブルが一台あるだけ。
どうやらギルド内にある職員用の仮眠室のようですが、何故こんな所に?
「確か昨夜は……あぅ、頭痛い」
頭痛と若干の吐き気。これが二日酔いというものですか。
二日酔い……思い出しました。
そういえば私の自宅を知らないからギルドまで送るとか言っていました。
「そのまま仮眠室に寝かせられたという訳ですか」
また迷惑を掛けてしまったと自己嫌悪に悶えていると、枕の脇に何かが置かれているのに気付きました。
小さな白い錠剤と書き置きらしき一枚の紙片。
―――酔い止め薬です。起きたら呑んで下さい。
―――酒も仕事も程々に。
紙片にはそう書かれていました。
「まったくあの人は……」
酔っ払って喚いたり、背負う為とはいえ身体を触られたり、挙げ句には寝顔を見られたり……。
色々と恥ずかしい姿を見られているのに、これでは何も言えないではありませんか。
私は錠剤を口に含むと、水差しの中身をグラスに注ぎ、そのまま水で流すように呑み込みました。
「取り敢えず着替えですね」
服装が昨日のままです。
流石にこんな皺だらけの格好で仕事をする訳にはいきません。
仮眠室を後にした私は、更衣室に向かって歩きながら、昨夜彼が―――フカミさんが話してくれた仕事の分担について考えました。
まずは各自の得意分野を把握し、それに合わせて仕事を割り振り、業務の効率化を図る。
空いた時間を利用しての教育。
「ああ、やることが沢山あって困ります」
言葉とは裏腹に、私は自分の口元が綻んでいくのを止められませんでした。
なんとなくですけど、今日は気分良く仕事が出来そうです。
「おはようございます」
更衣室で先に着替え終えていた同僚達に挨拶をしてから、私は制服へと着替え始めました。
さあ、今日も頑張りましょう。
お読みいただきありがとうございます。




