第9話 元気があれば覚悟も決まる
ダァー!
ゆらゆらと炎が揺れている。
柵の周辺に立てられた複数の篝火が暗闇の中、自らの存在を主張していた。
日没から既に一時間は経過しており、辺りはすっかり真っ暗になっている。
静かな夜だ。
時折、パチパチと音を立てて火の粉が舞う以外に物音らしい物音はしない。
周囲には俺以外にも何人かいるのだが、誰一人言葉を発しようとはしなかった。
皆口を噤んでいるのだ。
空気が重い。
緊張感ばかりが伝わってくる嫌な静けさだ。
これでは気が滅入ってしまう。
ふむ、ここは一つ……。
「景気付けに一芸でも披露―――」
「止めんか馬鹿者」
怒られちゃった。
どもども、異世界に来てから悩み事が一つ解消された深見真澄です。
現在、俺達は襲撃を受けたという村の牧場近くに集まっている。
離れた所には森への入口があり、どうやらゴブリン共は森の方から攻め入ってきたらしい。
村の大事な家畜を守る為、今夜はこの場でゴブリン共を迎え撃つ。
話は変わるが、シリアス続きというのはどうにもいかんね。
シリアスと呼べる程深刻ではなかったかもしれないけど、村長さんと話をしてからこっち、どうにも似たような雰囲気が続いていたように思えてならない。
生憎ながら俺はそんなキャラでも性格でもないので、長時間のシリアス維持など不可能。
もっと緩く、のんびり生きていきたいのだ。
おまけに周りに居る村の男衆から漂ってくる悲壮感が半端ない。
これから待ち受ける自分達の未来でも想像しているのか、皆揃って顔を青ざめさせていた。
一目瞭然。
きっと彼らの脳裏には不幸な未来しか浮かんでいないのだろう。
もっと明るい未来を想像したまえよ。
皆さん不安なのは分かるけど、始まる前からそんな調子では本番まで保たんぞ?
負けると決まった訳でもあるまいに、そんなこの世の終わりみたいな顔をするなよ。
こっちまで不安になってくるわ。
これはよろしくない。
非常によろしくない。
戦意の低下なんてものではない。
負ける気満々というか、最初っから勝てるとすら思っていないのだ。
そんな不安と絶望に押し潰されそうになっている皆さんを、不肖この深見真澄が勇気付けようとしただけなのに……。
「何故止める?」
「なんだか知らんが止めろ」
ミシェルに止められた。
「なんだか知らんのに止めろと言うのか?」
「どうせ碌なことではあるまい」
決め付けるのは良くないと思う。
「言ってくれるじゃないか、お嬢さんよ。よく知りもしないで何故碌でもないと決め付ける?」
「前例があるからな」
フンッと鼻で笑うミシェル。
なんて失礼な態度だ。
まるで俺がいつも悪ふざけをしているみたいじゃないか。
「失敬な。俺はただ村の皆さんを励まそうしていただけだ。それすらもお前は碌でもない行為だと言うのか?」
「ほぅ、それはまた殊勝なことだな。事実だとしたら悪いことをした。ちなみにどのようにして励ますつもりだったのだ?」
「どのようにってそれは―――」
まず「元気ですかぁ!?」と声を張り上げて注目を集める。
次に元気があれば人間なんでも出来るのだということを懇切丁寧に説く。
そして最後に「馬鹿野郎!」と一人一人にビンタをかまして気合を注入するつもりだった。
「それだけだが?」
「絶対にやるなよ?」
またも止められた。
何故だ。
「俺の世界では、これをやれば大概みんな元気になるんだが……」
「なんだその狂った風習は……。励ますだけなら他にも方法があるだろう。なんだ最後の馬鹿野郎って。何故罵倒された上に殴られなければならんのだ」
「そこはもうお決まりみたいなもんでしょ?」
「意味が分からん」
どうやら異世界に闘魂スピリッツは根付いていなかったようだ。
残念。
「でも実際のところ、この空気は如何なものかと思うんだけど」
「それは……」
戦場において、戦意の低下は死活問題となる。
どれだけ優れた兵士であろうとも、戦意が低ければ簡単に弱兵に成り下がる。
ましてこの場に集まった彼らは兵士ですらないのだ。
せめて気持ちだけでも前を向いていなければ、勝てるものも勝てなくなってしまう。
「仕方あるまい。戦いを生業とする者達ではないのだ。逃げずにこうして協力まで申し出てくれたのだから、充分大したものだと思うぞ」
「うん、それは分かってる。みんな村を守る為に立ち上がった訳だから素直に凄いと思うよ。だからこそ俺が一発気合を入れて勝利の後押しをしようとだな」
「だからそれを止めろと言うに」
「それともあれか? 戦う前から負けること考える馬鹿がいるかよ……の方がよろしいかな?」
「……なぁマスミ。お願いだ。お願いだから私にも理解出来る言葉で話してくれないか?」
止めろ。
泣きたくなってくるから、そんな憐れみを込めた目で見ないでくれ。
ちょっと悪ふざけしただけじゃないか。
「あのぉ、お二人とも。仲がよろしいのは大変結構なんですけど、もう少し周りを気にして下さいね?」
俺とミシェルのやり取りを見守っていたローリエが遠慮がちに声を掛けてくる。
彼女の言葉に従って周りに目を向ければ、こいつらは一体何をしているのだろうと皆さん奇異の目でこちらを注目していた。
照れるからそんなに見ないで。
呆れている人。苦笑いしている人。ポカンとしている人。
皆様々な表情を浮かべている。
これからゴブリン共と一戦やらかそうとしている前に不謹慎かもしれないが、さっきみたいに暗い顔をしているよりはずっとマシだろう。
勿論、まだまだ不安そうにしている人は沢山いる。
それでもこの場を支配していた筈の悲壮感は確実に薄まっていた。
「うむ、予定通りだな」
「平然と嘘を吐くな」
相変わらずツッコミが厳しいミシェルさん。
結果オーライで良いだろうに。
また言い返されても困るので黙っておくけど。
さて、お仕事をしようかなぁと思い、外に出てからずっとに手に保持していた物―――双眼鏡のレンズを覗き込む。
そのまま周辺をぐるりと見回し、何か異常がないかを確認する。
ちなみにこの双眼鏡は、単に高倍率なだけではなく、防水・防塵・暗視機能まで付いた優れ物だ。
暗くなっても視界良好。
大枚はたいて購入した甲斐があったというもの。
「でもマスミさんって何気に凄いですよね」
「急にどうしたい?」
双眼鏡での周辺確認を続けながら返事をする。
褒めたって何も出ませんよ?
「戦いを生業にしていないのはマスミさんも同じじゃないですか。だけどマスミさんからは全然不安や恐怖といったものが感じられません。今だってとても落ち着いているように見えます」
「いやぁ、別に何も感じてないって訳じゃないのよ?」
ローリエが言う程何も感じていない訳ではない。
不安も恐怖も大いにある。
元の世界では空想の産物に過ぎなかった怪物―――魔物がこちらの世界では当たり前のように存在し、実際に人々の驚異となっている。
そんな奴らとこれから一戦交えようというのだから怖いに決まっている。
ただ俺の場合、かつての経験や警備という仕事を通じて、自分の感情が顔や態度に出ないようコントロールする術を身に付けているというだけのこと。
一応、人様を守る仕事に就いていた人間が、いざという時にビビッて顔が引き攣っていたり、膝が震えていたりしては格好が付かない。
「正直怖い。もの凄く怖い。死ぬかもしれないって思うと足が竦みそうになる。でも……」
―――怖いからって縮こまっていても何にもならない。
―――逃げ出したところで何の解決にもならない。
「だったら怖さを受け入れるしかないだろ。全部認めて開き直っちまえ。はいはい怖いですよ。ビビッてますけどそれが何かってな。そうすりゃ……」
この場に居る全員が周辺を警戒しつつも、俺の話に聞き耳を立てているのが分かった。
だから俺も、意識してみんなに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「案外、腹も括りやすくなる」
別に俺の言葉一つで何かが変わるとも思えないけど、なんとなく、本当に少しだけだが、みんなの緊張が解れたように思えた。
なんだか似合わないことを言ってしまった気がする。
重苦しかった空気が少しでも軽くなったのは結構だが、俺の中にある羞恥心も大いに刺激されてしまった。
だからガラじゃないんだってばこういうの。
顔が熱い。夜中で助かった。
感情のコントロールは得意だろって?
顔面温度まで自由にコントロール出来るかっての。
そうして表情を隠す意味でも双眼鏡が手放せなくなっていた矢先……。
「来た」
その一言に、静まっていた筈の緊張感が再び高まった。
森の中で何かが動いている。
今更それが何なのかは言うまでもない。
思っていた以上に数が多いな。
十を下回ることはなさそうだ。
だが予想を大幅に越える程でもなく、誤差の範囲内だ。
「予定に変更はなし。合図をしたら一斉にお願いします」
俺からの指示に全員が無言で頷く。
双眼鏡を使って敵の動きを追いながら、左手を腰に伸ばし、ある物を掴む。
準備は出来た。
団体さんも間もなく到着する。
「いきますよ。三……二……」
バサバサと不自然なまでに大きな葉鳴りが聞こえてくる。
「一……」
森の中から子供のような集団―――ゴブリン共が飛び出してきた次の瞬間―――。
「今だッ!」
―――闇夜に光が生まれた。




