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あわいろ  作者: 九条智樹
3/27

第3話 どうせならもっと大人しい感じの幼なじみがよかった


 そんなわけで放課後。


 たまたま教室掃除だった俺は素直にせっせとごみを集めてごみ箱にイン。ちなみに男子の他の奴らは全員サボりやがって、全然話さない女子三人と合わせて四人だけのかなり気まずい空間だった。

 そんな高ハードルな時間を乗り越えて、俺は自分の席でくるくるとシャーペンを回しながら考えを巡らせて、水崎が戻ってくるまでの時間を潰していた。


 ちなみになぜそんな時間があるのかと言うと、他のクラスメートに勘繰られない為に一度外を出て掃除が終わって教室から誰もいなくなったころを見計らおう、となったからだ。

 そんな空き時間に考える議題は嘉地と水崎をくっつける方法。フェルマーの最終定理並みの難問の気がしてきた。


「お? なんか珍しいヤツが残ってるなーとか思ったら滝川じゃん」


 すっごい損した、みたいなニュアンスの声が教室の入口あたりからした。聞き覚えがある声だ。そしてその声を聞いて俺も損した気分になる。


「何してんの?」


 そこにいたのは、加藤茜(かとうあかね)。短い髪のスポーツ系の女子だ。背も女子の中では高くスレンダーで、体型に似合わずスポーツをしているだけあって筋力は馬鹿にならない。俺なんか腕相撲でたぶん負ける。


「お前こそ何してんだ。ソフトボール部はどうした?」


「あー、今日は休み。野球部が全体練習で使うから。筋トレはあるけどそれはサボった」


 そんなことを言いながら、加藤は俺に近寄ってきた。水崎待ちの状況で誰かとくっちゃべってたら意味がないので、かなり迷惑なんだが。


「ふーん。じゃ、帰れよ」


「あんたさ、もうちょっと言葉に気を遣いなさいよ」


 やれやれと哀れな者を見るような感じで肩を竦められた。どうして俺が哀れまれているんだろう。バカなんだろうか。


「ちょっと、なんでそんなに眉間にしわ寄せてるわけ? 邪眼と合わさって恐いってば」


「うるせーよ。あと邪眼とか言うな」


 邪眼の名称を付けた親は、彼女の母親だ。あの人の世代ドストライクなとある漫画のキャラに似ていたからなのかもしれない。当時は俺も背が低かったせいという説もある。

 でも昔は何故か俺も気に入っていて、なんなら右手に包帯とか巻いて邪王がどうした炎殺がどうしたと毎日公園で騒いでいたから文句は言えない気もしてきた。


 ――俺もあんな風に可愛い妹が欲しかった。あとあんな風に格好よくなりたかった。俺は何を間違えたんだろうか……。


 それはさておき。

 たしか加藤とは小学二年生くらいからの付き合いで、傍から見ると幼なじみらしい。だがそもそも幼なじみの定義が分からないから、そんな人間は一人もいない。なんなら加藤の存在も幽霊化してしまおうか。


「で、何してんだよ。帰れよ。てか帰れよ。なんなら帰ったっていい」


「あんた、どんだけ私に帰ってほしいのよ……。ひょっとして私が傷つかない人間だとでも思ってる?」


「傷つけばいいのにとは思ってる」


 俺がそう言った直後のことだ。

 ボディブローが俺のみぞおちを鋭角に抉り、俺の身体が綺麗なくの字に折れ曲がる。

 全く反応できないままに、俺がその場に崩れ落ちる。


「何か言った?」


「な、何も言ってないです……」


 恐怖政治だった。暴君すぎて平伏してしまいそうだ。


「……いま残っているっていうことは、やっぱりそういうこと?」


「は? どういうことだよ」


 いきなり何を言い出しているのだろうか、と俺はあからさまに怪訝な表情になっていたことだろう。

 俺が残っているのはただ水崎を待っているだけだが……。


 ……おいまさか。


「あ、茜ちゃんもいたんだ」


 そんなところで水崎奏が登場した。今から恋愛相談をしようというのに加藤がいることに困った様子はまるでなく、何も驚かず、さも当然であるかのように。


「奏、ちゃんと滝川に相談できたんだ」


「うん! 茜ちゃんのアドバイス通り、滝川くん引き受けてくれたよ」


 喜んで水崎は加藤に報告していた。


「そういうことか……」


 あの純真無垢で奥手極まりない水崎が、俺を呼び出して嘉地の話を聞こう、という時点で少しおかしかった。あれは自発的な行為とはとても思えない。まるで誰かに命令ないしアドバイスされて勇気を振り絞ったように見える。


 そして、そこで俺をチョイスするような人間で、かつ水崎と親しい者となるとそれはこの加藤茜以外にいない。なんなら俺と話をするのは加藤と嘉地以外にいないので消去法でも可。


「言った通りでしょ? 滝川は優しいから絶対に断らないって」


 優しさからでなくて八方塞がりだったからなのだが、たぶん加藤はそういうことも分かってやったのだろう。こいつは俺と似ていてそういう頭の回転が早い。


「……あれは、俺を試してたわけか。どんな策士だ、お前」


 俺の腐った性格を加藤は知っている。となると、あの状況に置かれて俺が真っ先に断ろうと考えることもバレていただろう。それでも俺が後の状況を考えてどっちに進んでも詰みだと気付き、一番自分が傷つかない道を即座に選択できるかという具合に、俺の思考の瞬発力その他を試していたのだ。


 ちなみに選択できなければ自動的に俺は断って退場させられる仕組み。なんて作りこまれているんだろう。無駄な努力も甚だしい。


「ちょっと待って。なんで私が登場しただけでそこまで見抜けるのよ……。奏に相談されてから三か月くらいかけて考えたのに」


 加藤が全く可愛げなく頬を膨らませている。その様子に水崎はクスクスと笑っているが、そんな彼女の労力など俺にとってはどうでもいい。俺を巻き込む方向に時間を割くくらいなら自分で考えればいいのに。


「……いや、無理か。お前の筋肉に浸食された脳みそじゃそこが限界――」


 小さな拳が正確に俺の腎臓を抉った。軽く意識が飛ぶかと思ったほどだ。教師が見ていたら暴行事件で停学になっているレベル。


「あ、茜ちゃん……っ。さすがにそれはだめだよ……」


「ゴメン奏。でも、私にはやらなきゃいけないことがあるの」


 どうしてかっこいい風に言って最低なことをしようとしているんだ。


「……で、結局のとこ加藤は水崎の手伝いをしてるってことだな?」


 ちなみに小学校の頃からどつきあっている俺にはこの程度の打撃は効かない。ちなみに効かないっていうのは我慢できるという意味だと暗殺者一家のサラブレットも言っている。要はリアルに俺だって痛いことは痛い。


「そ。去年同じクラスだったから、仲いいの。ついでにそんときに奏は嘉地を好きになったんだって」


「あああ茜ちゃん!?」


 水崎はものすごい慌てふためきようだ。まったく、いちいち反応が面白い。何でこんなに顔を真っ赤にして両手をバタバタさせて驚いていられるんだろう。俺なら「おぅふ」とかしか言えてないと思う。

 隣の暴力の化身、戦神の写し身のような加藤にその可愛らしさを分けてあげてください。じゃないと嫁の貰い手とか今から心配になる。


「本当は私一人で何とかしようと思ったんだけど、奏がなかなか動かなくって。なら周りに動いてもらおうって考えたときに、誰が一番周りを動かせそうかなと思って、あんたにした」


「そんなに影響力ありそうに見える?」


 いやぁ照れるなぁ。


「違うわよ。その腐った性根があれば策略とか立てられそうと思って」


 もう死ねばいいのに。


「で、何か考えてきた?」


「お前、昼休みに手伝うと決めてその日の放課後までに何かアイディア考えてたら、むしろそいつバカだろ。成績的な意味で」


「成績的な意味で、あんたバカでしょ」


 ぐぅの音も出なかった。


 いや、違うんだ。ちゃんと平均点よりは上なんだ。ただちょっと十段階評価が一切7を超えなくて、ついでに脳筋のはずの加藤にも勝てないだけなんだ。下には下がいっぱいいる。悪いのはゆとり教育。なんもかんも政治が悪い。


「……アレだ。考えるにしても俺は水崎さんのこと何にも知らないから、考えようがない」


「め、面と向かってクラスメートに知らないって言われちゃったよ……」


「大丈夫よ、奏。こいつが知っている他人は私と嘉地と家族だけだから」


 他人じゃないのが混じっているけど、それを除いたら一気に数が減るので勘定に入れたままにしておこう。


「とりあえず、茜ちゃんを呼ぶみたいにわたしも呼び捨てでいいよ。滝川くんとも仲良くならないとだし」


「必要に迫られないと仲良くなりたくないのか、俺は……」


 軽く凹んだ。


「は! ち、違うよ!? そういう意味じゃないよ!?」


「奏、真実って時に人を傷つけるのよ」


「だから違うって言ってるのに!」


 水崎が慌てて弁明しようとするが、特に言い訳らしいものはなかった。――あれ、本当にそれって違うって言えるのだろうか。なんなら本音が漏れたかと思った。


「まぁいい。とりあえず、今後の連絡手段はメールがいいと思うんだけど」


「あ、そうだね。毎回こうやって放課後に教室に残ってたら怪しいもんね」


 そういって水崎は最近の主流のスマートフォンを取り出す。


「……そういや、赤外線ってどうやるんだっけ」


 久しく使ってない機能すぎて完全に忘れてしまった。

 たぶん四月の頭に嘉地にアドレス教えたのが直近。そのときはたしか嘉地にケータイを預けたので俺は触ってない。その前は……はて、いったいいつだったかな。


「あ、じゃあわたしがやってあげるね。あと、滝川くんのはたぶん赤外線ないヤツだよ」


 水崎が俺のスマホを取って操作し始める。あぁそうか。スマホって赤外線ないヤツもあったな。使わなさすぎて眼中にすらなかった。

 水崎が加藤と一緒になって俺のスマホをいじって、どうやら登録は終わったらしい。


「はい、わたしのも入れといたから」


「――あと、あんたはアドレス帳を嘘でももうちょっと増やした方がいいわよ?」


 本当にほっといてくれ。眼から汗とかもろもろ出ちゃうから。


「お、おぉ」


 アドレス帳を開いて、俺は驚いた。

 俺のアドレス帳に家族以外の人間のアドレスが新たに刻まれていた。それも女子。

 水崎が嘉地に片思いをしているのは知っているし、別に俺に惚れてもらおうとか思っちゃいないが、何故だか胸が高鳴る。

 なんか一日リア充体験しているみたいだ。一日なのか。


「俺のスマホに女子のアドレスが入ってる……っ」


「……ちょっとまって。その前から私のアドレス入ってたわよね?」


 すごく不服そうに加藤は言ったのだが、俺にはさっぱり意味が分からない。


「え? 女子? 誰が?」


「もう死になさいよ」


 加藤の肘鉄が俺の水月を突き刺した。軽く意識が昏倒した。


「だ、大丈夫?」


 大丈夫。慣れているから。ところで花畑と川が見えるのは何なんだろう。とりあえず渡ればいいのだろうか。


「まぁ連絡交換はここまでにして、会議っていうか話し合い始めましょ。今日のところは滝川に自己紹介しといたら?」


 殴った本人は何事もなかったかのように会話を進行させる。その空気を読まないスキルは感嘆に値するんだが、そろそろ暴行罪で捕まるんじゃないだろうか。


「別にいいんだけど……。どんなことを話せばいいかな?」


 水崎が困ったように首を傾げるので、俺は思いつくままに必須情報を並べる。


「部活と好きなスポーツ、あとやっていた習い事と一週間のうちで暇な曜日」


「なんでそんなにさらさら必要な要素を並べれるのよ。逆にキモイ」


「お前は黙ってろ。夜中にベッドの中で涙が出たらどうしてくれるんだ」


 既に今の時点で俺の心のダムは決壊寸前だ。何なら肉体から壊れかけている。

 そんな俺と加藤のハブとマングースのような睨みあい(『ハブが一方的に負ける』の意)を止めるように、水崎が答えてくれた。


「え、えっと。中学の時と去年までは吹奏楽部だったよ。今は辞めたけど……。あ、楽器はトランペットね。スポーツはルールが分からないけど、最近はサッカーを観てるよ」


 なるほどサッカーってことは嘉地がやってるからか。分かりやすすぎるだろ。


「やってた習い事は、水泳とピアノとフルートかな。でも今は塾に行ってるだけ。だから塾のある火曜と金曜以外は暇かな」


「分かった。まぁフルートとか嘉地の前で吹くチャンスがあるといいな。そういうのって意外と男子にとってポイント高い。――あと、質問」


「なに?」


「自分の長所と短所をどうぞ」


「なんか面接っぽいんだけど……」


 加藤が呆れたように言うが、意外と大事なんだよ、この情報。だから企業も学校もみんな面接のときは訊くんだろう。


 どうせ嘘ついているから意味ないと思うかもしれないが、嘘でも何でもそう言って合格したからにはそう振る舞わないといけなくなる。だから結果として長所と短所は言った通りになるシステムだ。まぁ、いまここで嘘をつかれると困るが。


「えっと、短所はドジとか……。あとは鈍いとか……」


 なんとなく知ってた。


「長所は?」


「……茜ちゃん」


 思いつかなかったらしく涙目で加藤に視線を送る。なんだろう、この小動物は。


「可愛いところ」


「なるほど分かった」


 今のような動作が素で出来る人間はそうはいない。これは嘉地と仲良くなる過程でかなりのメリットになる。他と違うというのはそれだけでアドバンテージなのに、さらに好感度アップが図れるなら一石二鳥だ。


「まぁ、おいおい計画は考えていく。それでさっそく報告があるんだが……」


「なに!?」


 食い気味で水崎が身を乗り出して俺に詰め寄る。だから近いんだって。そのダンスの授業後でも香る柑橘系の甘い匂いはマジで反則なんだってば。


「まずは、俺が水崎に呼び出されていたのが嘉地に見られてた」


 照れをごまかすように視線を逸らして答えるが、水崎の反応は俺の予想とはまるで違うものだった。


「……? それが何か関係あるの?」


 そこに気付いてもらえないとは思わなかった。脳みそまで小動物なのだろうか。


「ばか奏。男女が校舎裏で密会してたら普通はどう思う?」


「何か大事な話があるのかなぁって思うよ」


 ここまで言われて気付かないのは純粋とか鈍感ではなく、ただのバカなのではないだろうか。アホの子、とはきっとこういう子を言うんだろう。


「その大事な話の大半が、普通は告白だって思われるのよ」


「……えぇ!? じゃあわたしは滝川くんに告白したと思われちゃったの!? ど、どうしよう! ピンチだよ滝川くん!! わたしが滝川くんを好きだって思われちゃったの!?」


「落ち着け、水崎」


 悪意もなければ俺への好意がないことも分かっているが、そうやって純真な眼で正面から言われると俺の心のHPがどんどん削れてしまう。


「とりあえず週末に繁華街で俺に似た人が不良に絡まれてたから、心配して声をかけてきたっていうことにしたから。嘉地も納得してた。今度それを聞かれたときは口裏を合わせれるようにしといてくれ」


 と言っても人違いという設定にした時点で、俺と水崎の話に齟齬が生じる心配はない。我ながら考え尽された嘘だ。


「良かったぁ……」


「奏、嘉地が好きなのは分かってるけどさ。本人を前にそのリアクションは、さすがに私でも可哀そうだと思うわよ」


 おいやめろよ。その気遣いにむしろ涙が出るだろ。


「それより。まずは、ってことはもう一個くらいはあるの?」


「おう。嘉地の好みのタイプを訊いた」


 俺が言った瞬間、二人がそれぞれ別の意味合いで固まっていた。


「……あんたさ、さっき自分が言ったこと覚えてる?」


「忘れたな」


 昼休みに手伝うと決めて放課後までに何かしてたらバカだとか、そんなことを言った覚えは微塵もない。


「ま、さっきの告白じゃないのか、っていう流れで訊いたから怪しまれてはないだろ」


「それより! 嘉地くんの好みって――」


 水崎は餌を前にした飼い犬みたいに目をキラキラと輝かせている。――なんか、すごく言いづらいんだが。何で俺が罪悪感を覚えないといけないんだろうか。


「……えっと、尊敬できる女性だそうだ」


「具体的には?」


 何でお前が追い打ちかけるんだよ、加藤。俺が必死にごまかそうとしてるというのに。


「嘉地の言葉をそのまま使うと、『子供みたいにまっすぐで、何かに一生懸命に熱くなれたりする人』だそうだ」


 言った瞬間に水崎はまたしても固まり(ただし今度は表情ごとだ)、加藤は頭を抱えてしまった。なに、俺が悪いの?


「熱くなれる……。あ、熱くなれるかなぁ……。どうしたらいいんだろう……」


 もう水崎は目から生気が消えてるんだけど、俺の方こそどうしたらいいんだろう。


「ま、まぁあれだ。子供みたいって部分がかぶってるからラッキー……的、な……」


 言っている間に加藤にすごく睨まれて俺は縮み上がっていた。あの視線だけで草食動物なら死ねる。たぶん俺も死ねる。


 うーんと水崎は考え込んでしまっているのを見て、加藤は呆れたように、そしてわざとらしい三文芝居がかったセリフを吐いた。


「ま、しょうがないわね。諦める?」


「それは嫌なの!」


 叫ぶように、水崎は言った。

 大人しそうな彼女から出たとは思えない大きな声に、俺は驚いてしまった。


「……なぁ、どうして嘉地なんだ?」


 確かに嘉地はいい奴だ。俺なんかと違って女子にもさぞモテるだろう。

 だが、それは見た目云々の外面の話だ。こんなにも純粋で奥手な彼女が、俺みたいな部外者に嘉地への想いを話すとか、そんな恥ずかしい思いをしてまで頑張る理由にはならない。


「何か特別なこととか、あったのか?」


 訊いて、自分はバカかと思った。

 そんなことを訊いて、どうするのだ。そもそも俺はこの件に乗り気じゃないはずだ。

 ただ自分が罪悪感を抱くのが嫌だから、その為に水崎に成功してもらう。そんな自己中心的な考えてやっている腐ったボランティアだ。


 俺は何を期待しているのだろうか。


「……わたしね。去年、すっごく嫌なことがあったの」


 そう話す彼女の顔は俯いていて、よく見えない。だが、まっすぐな彼女がこんな風に俯いてしまうというだけで、大して彼女のことを知りもしないくせに、それでもそれがとても辛いことであったことは想像に難くなかった。


「好きだったトランペットとか音楽もやめて、一人きりのときは家で泣いたりしてた。茜ちゃんとかの前では必死に笑って、頑張って表だけではいつもの自分でいないと本当に全部崩れちゃいそうなくらいに、辛かった」


 どんなことがあったのか、俺は知らない。たぶんそんなことを訊いてはいけない。

 水崎が自ら相談したなら別だが、それは今回の件とは関係ない。それに彼女がいま笑っているならそれは乗り越えたか、折り合いは付けたということだ。今日知り合ったばかりの俺が今さら口を挟むことでは絶対にないだろう。


「そのときにね。嘉地くんが話しかけてくれたの。『辛いことがあるなら誰かに相談しなよ。俺なら力を貸すし、水崎さんの友だちなら、きっとなおさらだから』って。わたし、それが凄く嬉しかった。わたしなんか誰も見ていないって思ってたのに、嘉地くんはわたしを見ててくれたから」


 そういって、彼女ははにかんだ。

 綺麗に澄んだ水のように、明るく、そして透明な笑みだった。


「……そうか。なら、もっと嘉地に見てもらわないとな」


 そんな嘉地の優しさに魅かれたというのなら、少なくとも水崎の想いだけは本物だ。

 他に嘉地に想いを寄せている全員が軽い気持ちだというわけではないが、少なくない数いるミーハーな安い気持ちと並べていいものじゃない。


 気を引き締めよう、と思った。

 俺の性根は腐っているが、だからといって他人を腐らせる気はない。

 彼女の綺麗な想いが実るなら、それはきっと素晴らしいことだ。


「俺は、手伝うよ」


 自然と、俺はもう一度宣言していた。

 自分が汚れきっているのを知っているから、俺は、こんなにも綺麗な水崎の想いに触れていたいと思ったのかもしれない。


 彼女の綺麗な心の傍にいられることを、俺は期待していたのだ。


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