最終話 淡い、あわの色
結論を言えば、舞台は大成功だった。
送られた拍手はひいき目なしにしても、どこのクラスよりも大きなものだった自信がある。ここに来るまでの間でもかなり噂になっているのを耳に挟んだりもした。
いまクラスメートは大道具などの解体、教室の清掃などの細かい作業に戻っている。
俺はといえばあまりのプレッシャーから解放されたせいで、しばらくろくに動けなかったので、堂々と休んでいる。他のクラスメートたちからも少し休むように言われたので、決してサボりではない。
そんなわけで、雨も上がったし、俺はまたもや喧騒からほど遠い駐車場でぼーっとしていた。
「お疲れ様」
そんな俺に、缶のジュースを持って加藤が声をかけてきたのだった。
「……またお前か。何、お前俺のこと好きなの? ストーカーなの?」
「あほなこといってると人体急所がどうして急所って言うのかその身体に教え込むわよ」
さりげなく恐ろしいことを言うので俺はホールドアップして降参の意を示す。――このやりとりも、随分懐かしい気がした。
「ジュース、飲む?」
「お金はないぞ?」
なんなら他にも色々と欠落している自信がある。
「要らないわよ、たかだか百円そこそこだし」
そういって投げられたオレンジジュースの缶を開けて、口を付ける。舞台に立っていて疲れ火照った体に沁みるようだった。
「それで、どう? 私の言ってた意味は理解できた?」
「まぁ、たぶんな」
まったく、これだから加藤には敵わない。
いつだってこいつは俺の気付かないところに気付き、俺の出来ない部分を簡単に補填してしまう。
古い付き合いというのはこういうところが面倒で、すごく、ありがたい。
「それでも、やっぱりちょっと罪悪感は残ってるけどな。さっきだって、不謹慎だけど嘉地の怪我のおかげで色々気付けたし。あいつの怪我を、俺は素直に心配できないんだよ」
「世の中そんなモンよ。自分だけが汚いわけでもないし、誰かしらは他人の不幸に対してそんな感情を抱くのよ。たまたま、今回はその役をあんたが多く引き受けたってだけよ」
さらりと、用意していたわけでもないのに加藤はそんな風に慰めてくれた。そんな価値観は俺になかったが、それでもそれは否定できない正論のような気がした。だからこいつには、本当に敵わないんだ。
「……お前、哲学者になれよ」
「ヤよ、あんな石膏像にされて美術部員に晒される仕事なんて」
どういう認識なのかは知らないが、まぁ、言ってみて加藤にそういうインテリジェンスな仕事は向いていないなとも思った。
「失礼なこと考えてると、極めた黒龍波を見せてやるわよ」
ぐっ、と加藤は拳を握って不敵な笑みを浮かべていた。
――ってちょっと待て。邪眼は俺の専売特許だろうが。いや、今となってはあのあだ名とか恥ずかしいから嫌だけどね? 炎殺とかもう卒業したけどね?
「……ま、お前のおかげでちょっとは気が楽になったな」
それはこの瞬間という意味でもあり――そして、さっきの舞台のことでもある。
「まったくね。ほっといたらあんたはすぐに卑屈になって自虐的になって、そのうち自殺するんじゃないかって気が気じゃないのよ」
「そこまでじゃねぇ……と思うけどなぁ」
若干自信がなかった。
「まぁ、アレだ」
「どれよ」
うぅ……。一応言うべきだとは分かっているのだが、分かっているのだが、こんなことこんだけ付き合いが長いやつに言うのは何とも難しい……。
母の日とか父の日とかって、そのきっかけ作るんだな。ないと絶対に言えないと思う。ソースは俺。なんならそういう感謝日に何かした覚えもないくらい。――あってもなくても結果は同じだった。
それはともかく。
「――あ、ありがとな……」
「え? 何だって?」
ぶっ殺そうかと思うくらいイラっとした。世の中のラノベの主人公はこんなセリフばっかり言ってたらナイフで刺されても文句言えないと思うんだが……。
「というのは、冗談で。まぁ、どういたしまして」
「ったく、素直にそう言えっつの……」
まったく無駄に恥をかいたような気分だった。
「で、礼を催促しに来たわけじゃないんだろ? 何の用だ」
「あら。用がないと会いに来ちゃダメなの?」
……、
「……なぁ、十年近い付き合いの友だちにそんなこと言われて動揺すると思うか?」
「うっさいわね。もうちょっと乗っかってきなさいよ。――じゃないと私がイタイ子みたいでしょうが……」
アホなボケをしたことを恥じているのか少し顔を赤くして咳払いしていた。
「んん。奏があんたを探してるわよ。行ってあげたら?」
「そうか。じゃ、そうするよ」
素直にそう頷いて、俺は歩きだそうとした。
が、ぴたりと止まる。
「――で、どこにいんの?」
それを聞き忘れていたので、振り返りざまに問いかける。
「自分の王子さまくらい自分で探せば?」
くそ、殴りたいくらいイラっとしたがさっき礼を言ったばかりで何も言えない……っ。
「ってのは、冗談。私がここに呼んどくわよ。あんたはお姫さまらしく偉そうにふんぞり返ってなさい」
「うむ、苦しゅうないぞ」
「死ねばいいのに」
今度のボケには乗ってあげたというのに酷い扱いだった。
「――ってことでメールはしたし、私は退散するとしますか」
「何だそのお見合いの仲人のオバチャンみたいなセリフは」
「同い年の女子にオバチャンとか言うなっつの」
去り際に俺の後頭部を軽くはたいいたところで、
「あ、ここにいたんだ」
水崎奏が、やってきた。
「メール見てから来たにしては早いわね」
「メール? あ、ほんとだ着てるね。でも、達也くんならここかなって思ってきたんだよ」
「何だ、俺は駐車場以外に来るところがないぼっちみたいだな……」
みたいじゃなくて事実だったか。いや、そうでなくて。
「私は片づけに戻るわね。主役二人やもっと休憩してなさいよ」
ひらひらと手を振って、加藤は校舎に戻っていった。
何だかその動きから中年オバチャンのようなお節介な心が見て取れたが、黙っておくことにしよう。
「ふぅ。お疲れ様だね、達也くん」
「おう、お疲れ」
適当に水崎に挨拶を返して、俺はジュースを飲む。
「どうかな。ちゃんと、見てくれた?」
「悪いな。さすがにこっちもいっぱいいっぱいだった」
「えぇ!?」
「ってのは冗談だ。ちゃんと見てたし、思い知らされたよ」
まったくいちいちリアクションが素直で面白いなぁ。
「むぅ……。達也くん、わたしで遊んでない?」
「人聞きの悪いことを言うなよ」
まったく、加藤といい水崎といいどうして俺の心を読むのだろう。あれか、女の勘の正体はエスパーだったのか。
「……実はね、達也くんに話があるの」
「うん?」
さすがにここまで来て馬鹿みたいな勘違いはしない。――いや、勘違いしないと言えるということは勘違いするような場面であると理解しているということで、でもしかしてと一瞬思った自分がいるのでは? とかいう矛盾はあるけれど。
そんなアホの極みのようなことを考えながらも、水崎の放つ雰囲気が真面目であることに気付いた。
「もうね、達也くんに頼るのはやめるよ」
見捨てられた、などとは思わなかった。
彼女が言おうとしていることを、俺はもう察していたから。
「これからは、一人で頑張ろうと思うの。今のまま陽斗くんと仲良くなっても、陽斗くんはきっとわたしには、振り向いてくれないから」
「……そうか」
どう声をかけたらいいのか、俺には分からない。励ませばいいのか、アドバイスすればいいのか。
まったく、こういうときに限って何も出来ないから、俺は駄目なんだろうな。
そんな事を思っている俺に、水崎は続けた。
「でもね、絶対に諦めないよ」
なんとまっすぐな瞳だろう。
美しくて、綺麗で、眩しくて、とても見ていられなかった。
「いつか、好きな人に好きですって言えるように、わたしはまだまだがんばるから。――そうやって、わたしたちは前に進んでいくんだよ」
水崎は、確かに前に進んでいる。
たった数週間前の彼女では、きっとこんな言葉すらまともに言えなかったかもしれない。
だから、俺もそうやって歩んでいけば、いつかは辿り着けるのだろう。
俺の憧れる、明るく鮮やかな世界に。
「さぁ行こう、達也くん。みんな待ってると思うよ?」
奏は俺の前を少し駆けていき、振り向いて手を差し伸べてくれた。
「あぁ、そうだな」
思わず笑みがこぼれ、俺は一歩だけ水崎に近づく。
世界にほんの少し、虹のような色が付いたような気がした。
*
たとえこの想いが勘違いでも。
たとえそれがどんな醜く思えたって。
それでもその想いは、今この瞬間、確かにここにある。
――儚く消える泡のように、けれど、何よりも輝いて。
あわいろ、完結いたしました。
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