第12話 思ったより水族館は楽しい
「そんなわけで、さっさと見て回りますか」
食事を終えた俺たちは、目的通り水族館を見て回ることにした。さすがにここで飽きるほど頭の悪い人間はこの面子にはいなかった。
「でも、水族館なんて随分と来てない気がするわね」
「だから新鮮なんだろ」
加藤と俺はそんなことを言って、みんなして一歩館内へ踏み込む。
そこは魚の水槽ばかりが立ち並ぶ空間だった。
確かに遠足などで来たことはある。が、大抵はその場にいる友達と遊ぶことや遠足自体の雰囲気に流されて、水族館自体を楽しんだような覚えはない。まして行きたくもなく退屈なところに連れて来られたという意識があるせいか、そもそも大した記憶に残っていない。
だが、こうして自ら足を踏み入れるとなると何倍にも感覚が違う。
まだメインである大水槽には到達していない。美術館チックに壁に埋め込まれた小さな水槽があるだけだ。
だというのに、何かを言わずにはいられない。何か、そんな力を感じた。
「圧巻だな」
「あぁ」
泳いでいく魚たちをその眼に収めながらも、当初の目的通り、俺はさりげなく歩幅を狂わせて水崎と嘉地を先頭に、俺と加藤が後ろに回るように調整する。
「……凄いわね」
「あぁ凄ぇ。けど大水槽はもっと凄い、ってふれこみだぞ」
加藤とそんな会話をしながら、俺は水崎と嘉地の背中を見た。
自然と嘉地と水崎の距離は縮まっている。水崎の小さな体を、嘉地の大きな背が包み込むようにして見える。
似合っている。
互いに互いが純粋だからこそ、きっと、二人は並び立つことが出来るのだ。
――胸に、チクリと棘が刺さった気がした。
「似合ってるわね。あの二人」
「……だな」
そう返事をする間にも、もう完全に水崎と嘉地の二人っきりと言っていいほどの空間が俺たちの間に生じていた。もちろんバレないように自然な足運びで、という注釈つきだったおかげでかなりの時間がかかってしまってはいた。
だがそれでも、嘉地と水崎の二人きりでメインの大水槽を見ることさえ出来るのなら、上等だろう。
「凄い、ねぇ……」
水崎がそんな感嘆の声を上げて、件の大水槽を見上げていた。
薄暗い照明の中、ちょうど昼時に入ったということもあって人は少ない。そんな中で見上げるたった一つの巨大な水の塊だ。もはや自分たちだけがそこに包まれているかのような、奇妙ながら心地良い感覚になる。
壁一面の巨大な水槽。その中を踊るように泳ぐアジの群れや、ゆったりと優雅に舞うエイ、そしてのそりと動くシロワニなど、さまざまな迫力ある水族がいる。それ一つ一つを目で追っていれば、気が付けば意識はその中へ引きずり込まれている。
きらきらと輝く水面、揺れる海藻、ただそこにあり続ける岩場、どれもが自分の知らない世界で、それがこの目の前に広がり、俺を包んでいるような感覚にさえなる。
何という圧力だろうか。
ただいるだけで圧倒される。見てしまえば、惹き込まれる。
これが、海の底を再現した世界なのだろうか。
小学生の頃に何も感じなかった理由が、まったく分からない。このたったひとつの展示が見せる迫力は、自分が今まで見て感じてきたものを余りに逸脱している。
その清く美しい世界に、俺は、手を伸ばしたくなった。
この澄んだ水の中に身を沈め、ただ無為に漂えたなら。
それはどれほど素晴らしいひと時なのだろう。
「――これは、来て正解だよ。これを知ってるのと知らないのとじゃ動きも台詞も、全然違うと思う」
そして嘉地はそんな風に俺に笑いかけた。俺の意識が海の中から現実へと引き戻される。
「……演技の方向性の修正頼むぞ、陽斗。主役なんだから、失敗は出来ないんだ」
「プレッシャーかけるなよ」
苦笑いで答える嘉地を見つつ、俺は含みを持たせた笑みで水崎を見た。
「陽斗なら出来るって裏返しだよ、なぁ、奏?」
「ふぇ!? う、うん! は、陽斗くんなら出来るよ!」
「そんなに期待されるとホントにプレッシャーだって……」
そんな感じで、そろそろあとはただのデートのような雰囲気に変えようかという頃だった。
「あっれー? 陽斗じゃん」
いやに甘い、作りこんだ声がした。
吐き気がするほどに。
「どったのー? 水族館で会うとかチョー偶然じゃん」
嘘臭いセリフを並べて、嘉地に抱きつくのではないかというくらいに近寄る、一人の女子の姿があった。
村阪弥希だった。
化粧も濃い上にファッションも露出が激しく、正直なところ傍から見る分には綺麗なのかもしれないが、なまじ性格を知っていると目の毒にしか思えない。
見れば、後ろにもぞろぞろと男女混じって連れ立って歩いている。
俺の苦手ないわゆるところの“イケてる”集団だ。例にも漏れず取り巻きの女子三人も忘れていない。
そして、村阪は嫌な笑みを俺たち三人に向けた。
「ナニ、ダブルデート? ヤだ、陽斗たちってそーいう関係だったのー?」
「違うって。これは文化祭の演技の研究の一環というかでだな――」
そんな風に会話をする間すら、村阪は俺たちをちらちらと見ては嫌な笑みを浮かべる。
その瞳はまるで「陽斗はアタシのモンだ」とでも言っているかのようで、傍観者気取りの俺ですら実に腹の立つ顔だった。
「……何が偶然よ」
俺の思いに近いものを感じたのか、吐き捨てるように加藤は言った。その言いようは表向きには注意すべきなのかもしれないが、俺も心では賛同しているので何も言えない。
昨日の放課後、俺たちは教室で水族館へ行く話をしていたのだ。それで偶然も何もないだろう。そもそもこんな“イケてる”連中が水族館になど用もなく足を運ぶわけがない。
――もちろん朧月祭の演劇のクオリティを高める為、という可能性もなくはないが、失礼ながら彼らの発想力でここに訪れるという意見が出るとは、俺には到底思えない。
「村阪さん……っ」
きゅっと裾を掴んで、水崎はそそくさと俺と加藤の後ろに退避していた。
そんなことにも気付かないのか、それとも気付いていながら八方美人な態度を崩さない為か、嘉地は村阪と楽しそうに話している。
そして村阪は俺たちを無視したまま、随分と楽しそうに嘉地を独占してお喋りに夢中だ。
「――こりゃ、駄目だな」
失敗した。
俺はまず、この可能性を考慮すべきだったのだ。
こんな事態にならずとも、村阪が嘉地に明らかな好意を寄せているのは分かっていたことのはずだ。そして、挙句に帰り際のあの言葉だ。
この展開を俺はどうして考えなかった。
集合時間を明確にしなかったからどうせ追いつかれない、村阪のそんな下心を知らなければあのイケてる集団の誰も水族館には興味を持たない、そんな高をくくっていたのだろうか。
「悪いな、奏。俺のミスだ」
「へ? 達也くんは別に何も悪くないよ」
「せっかく陽斗と二人っきりにしてやろうと思ったのにな」
「……へ? ふぇええ!? そ、そんな目的があったの!?」
水崎は目を丸くして驚いていた。
本気で今の今まで気付いていなかったらしい。もはや純粋とかではなく、ただのアホの子なのではないだろうか。
「仕方ない。退却するか」
俺はスマホを取り出しメールを打つ。
これ以上待っていても仕方ない。加藤は怒りが我慢しきれずに怒気が漏れ始めているし、水崎はさっきの俺の言葉でテンパりながらも、どこか村阪に怯えてしまっている。
「ほら。もうゲートの外に行こう」
それに、村阪と一緒にいるのが俺はどうしても嫌だった。
去り際の水崎を刺すような村阪の視線をかばうようにして、俺は水崎の後ろを歩いて水族館を後にした。