第11話 水族館とか小学校での遠足以来行ったことない
明けて、土曜の朝。
俺は眠い眼をこすりながら、水族園のゲート前にいた。
待ち合わせにちょうどいいモニュメント的なランドマークはない。だがその割には、ここで待ち合わせをしていると思われる学生らしき若者もちらほらいる。こいつら全員リア充なのだろうか。爆ぜればいいのに。
俺たちは昼手前くらいを集合時間にし、現地集合という形にした。電車で会うことがあれば、少しでも嘉地と水崎が二人っきりでいられる時間を延ばせるかもしれない、という作戦でもある。別に俺は一人で来ずとも、加藤とは家が近いから手前で待ち合わせても良かったのだが、面倒なのでそうはしない。
しかし、こうして待つというのはこんなにも退屈だとは思わなかった。
「帰ろうかな……」
「あんたバカなの?」
そうぼそりと呟いた瞬間、背後から声をかけられた。
「お。何だ、いたのか」
そこにいたのは、加藤茜で間違いなかった。
サンダルにショートパンツ、上はTシャツにカーディガンというラフなスタイルで、頭にはアクセントにNYキャップをかぶっている。それなりに統一感はあるカラーで、いつものイメージに即したボーイッシュなスタイルに見えた。
「集合時間同じなら、あんたと乗る電車だって一緒なんだから当たり前でしょ……」
何か癇に障るようなことを言ってしまったのか、加藤はあからさまに不機嫌になっていた。
「どうした? 死にかけのハムスターみたいな顔をして」
「どんな顔よ、それは……」
だから今のお前のような顔だ。眉をしかめて俺を睨めつけつつ、どこか頬を膨らませたように見えなくもないその顔だ。
「まぁ何か言いたいことがあるとするなら、女子の私服を見たら何か誉めなさいよね。そうやって少しずつ練習しとかないと、将来のあんたのお嫁さんが可哀そうだわ」
「別にお前で練習せんでも……。だいたい女子かどうかも怪しい――」
「殴るわよ」
既に加藤の拳は俺の鳩尾を抉っていた。
「お前、俺はまだ言いきってないのに……」
「やったらやり返されるって、すごいいい言葉だと思うわ」
その理論だったら明らかに加藤の方が超過してるんだよ……。
「――で、奏と陽斗はどうするの?」
「ん? 一応は俺たちも一緒にいるよ。この前のカラオケで二人っきりにするのはダメだって分かったから」
とは言えこの手のどつき合いに慣れている俺は、すぐに何事もなかったかのような声を出していた。
「なるほど。そういう情報収集も兼ねてたわけね」
会話終了。
元々俺は友だちが少ない上に、去年は加藤とはクラスが違うからまともに喋らず、最近になってもこの手の話題しか話していない俺に会話のネタなどありはしない。あれ? 何だか急に悲しくなってきたぞ?
「……ねぇ」
そんな卑屈なことを考えていると、加藤の方から口を開いた。
「何だ?」
「あんたさ、演技指導係、向いてるわよね」
いつも通りの変わらない口調だった。けれど、だからこそ作っているような気がした。
「……急にどうしたんだよ」
唐突に誉められたら何か裏があるのかと勘繰ってしまう。俺は素直に人から褒められるようなタイプじゃないのだ。なんて悲しい自信。映画化したら全米が泣くに違いない。
「別に。ただ単にそう思ったから言っただけよ」
だがそれは杞憂だったらしい。
加藤はあくまで純粋に俺の力を見定め、誉めてくれていた。
「……向いてるっちゃ、向いてるんだろうな。――俺は、傍観者だから」
特に意識すらせずに、俺は言葉に出していた。そうやって恥ずかしいことを言って家に帰ってからベッドの上で「うわー」ってなるのは目に見えているが、それでも口を衝いて出てしまった。
「……傍観者?」
このまま恥ずかしいセリフを並べるのも嫌だったが、ごまかす方が恥ずかしい。恥ずかしいセリフだと気付かないふりをして、カッコよく振る舞った方が無難だろう。
「あぁ。俺は本質的に主人公とか、そういう人間じゃないんだよ」
俺は一人でいるのが好きだから(あくまで好きで一人でいるところがポイント)、いつも何か益体もないことを考えている。昔の人はそれを哲学と言ったのだろうが、俺からすればそれほど殊勝なものでもない。
とにもかくにも、俺は主人公には向いてない。いや、なれないのだ。
主人公には、二つのタイプがいる。
一つは、何かが溢れている者。才能であったり優しさであったり強さであったり、人によって違う何かを誰かに与えることが出来る人間だ。
もう一つは、何かが渇いている者。恋に飢え、友情に飢え、勝利に飢え、それに手を伸ばし続ける人間。
世の中の少年漫画の主人公はだいたい前者だろうし、ライトノベルなら友達がいなければその飢えだけで主人公になれる場合もある。
「嘉地は優しさに溢れている人間だ。水崎は恋に飢えている人間だ。だから、あいつらは主人公とかヒロインに向いている。むしろそうあるべきだ。けど、俺は違う」
俺は、何かに溢れているわけではない。優しさなど打算の上でしか成り立たず、誰かを倒す力など一度も掴んだこともなく、スポーツが得意なわけでもなく頭脳も平凡。
そして、何にも飢えていない。勝利を渇望する気概も、恋に焦がれる綺麗な感情もない。友だちもいないなどとネタにしながら、実際には休日に遊びに行く三人もの友人に恵まれていて、俺はそれ以上を求めていない。
俺は、満たされている。
溢れることも、渇くこともなく。
「だから俺は主人公を外から見ている傍観者で、だから誰よりも客観的になれる。俺がそういうのに向いているとしたら、それは俺じゃなくても出来るからだろうさ」
何かを言いたげな加藤を横目で見ながら、俺は彼女が何を言おうとしているのかを何となくだが感じていた。
だからこそ、俺はそれをあえて訊かなかった。言うな、とさえ願っていた。
それは、俺の勘違いなのだから。
「さて。嘉地と水崎が来たみたいだぞ」
随分と恥ずかしいことを言った自覚のある俺は加藤から顔を背けた。それ以外の理由で視線を外した、という事実からすら目を逸らした。
正面にはジーンズと半袖のシャツというラフながらオシャレな格好をした嘉地、その横に、フリルという少し派手な装飾がありながらも清楚な、真っ白いワンピースに身を包んで小さくなっている水崎が歩いていた。
「行こうぜ。この中で演技指導できるのは俺だけなのは事実なんだし、それすら失敗に終わったら俺がいる意味なくなっちまうだろ」
変わらない調子で、出来る限り卑屈さすら排除して、俺は加藤に笑いかける。
「そうね」
そして加藤は諦めたように半笑いでため息をついて、そこで俺たち四人は合流した。
「おっす。早いな」
「そうでもねぇよ。地下鉄から乗り換えないと来られないお前らの方が遅いのは当然だろ」
そんなやり取りを交えながら、俺たちは入口をくぐり奥へと進む。
しかし、こうして私服姿で休日にこの四人と共にいる、というのは少し不思議な感じだ。なんだか無駄にそわそわしてしまう。
「先に飯を食べとこう。昼になって込むのも嫌だし、逆に昼時は観覧の人が減って見やすくなるんじゃないかな」
適当に言って、俺たちは一直線にレストランへと向かう。ここまで考えていたのはあくまで水崎と嘉地をスムーズにくっつけるためであり、決して友達と遊びに来るのが楽しみで計画を練っていたとかそういうわけではない。否。断じて否。
そしてレストラン。俺は水族館の中にある小さな食堂をイメージしていたが、思っていた以上に広いし清潔感溢れる空間だった。これなら気分良く食事できそうだ。
「さて。何食べるか」
俺は言いながらメニューを先に女子に渡す。さりげない優しさではなく、俺はもう昨日の段階でメニューまで決めてしまったからだ。――いやもうここまで来たら言い訳のしようもなく楽しみだったんだな、俺……。
「あ、茜ちゃん。カニとかウミガメとかの形をしたメロンパンがあるよ」
「そうね。食べづらそうだわ」
加藤は随分とリアリストな発言をしていた。全くもって同意見だが、女子がそんな発言するとは女子力なさすぎる気がする。彼女が結婚できなかったら、見合い写真くらいはいくつか用意してあげようと思った。
「でも可愛いよ、これ」
物欲しそうな目でメニューを見ている水崎に、嘉地がくすりと笑った。
「そういうのにまっ先に気付くって、やっぱ女の子なんだな。可愛くていいよな、そういうのってさ。なぁ、達也」
「ふぇ!? え、えぇ!? そ、そんなことないよ!」
「落ち着け、奏。あとその手の話題を俺に振るなよ。リアクションに困るだろ」
この状況でそんなことを平然と言えるほど俺はイケメンじゃない。何ならどこまでハードルを下げても俺はイケメンのカテゴリにいない。ナニそれ、悲しい。
そんな和気あいあいとした雰囲気で、徐々に嘉地と水崎の仲が近づいていくのを確信して、俺たちは朝昼兼用の食事を取った。