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第02話 ストレンジャー・イン・タウン

 ――中は薄暗かった。

 まだ昼間だというのに窓の殆どが木戸に閉ざされていたからだろう。灯りも点いておらず、闇が立ち籠めて良く解らない。小さなテーブルが幾つかと、粗末な椅子が机の数に合わせて用意されてるところから見るに、やはり酒場かそれに類する場所であるらしい。


『……誰だ?』


 奥のほうから、誰何する声が聞こえてくる。聞いたことのない言葉だった。奇妙なのは、知らないはずの言葉を自分が理解していることである。私はお世辞にも学のあるほうでは無く、英語以外で話せる言葉など、メキシコで片手間に覚えたスペイン語程度であり、それすらも今となってはやや危うい。そして奥の男が発した言葉は、どう聞いてもスペイン語ではない。


『誰だって聞いてるんだ』


 仄暗い闇を抜けて、開いた窓から指す光の中へと声の主は姿を表した。

 低く聞こえたその声色に似合わぬ、まだ若く見える優しげな容貌の男である。

 やや浅黒い肌に、黒い瞳。そういった特徴の数々は、先住民たちのそれを連想させるが、目の前の青年とインジャンの連中とは明確に違う点がひとつある。

 耳だ。耳が長く、先が尖っているのだ。こんな変わった耳にはついぞお目にかかったことはない。まるでウィロー(柳)の葉を思わせる奇怪な形状であった。


『口が利けねぇのか人間』


 面食らって口をぽかんと開けていた私に向かって、その長耳は吐き捨てるように言った。口調には隠しもしない侮蔑のようなものが見えるが、しかし依然驚いてる私はそれに対して怒りを覚えることすら出来ていなかった。


「ん……ああ。いやぁ問題ない。問題ないよ」


 言いつつ、無理やりにでも平静を取り戻すべく先ずは表情から取り繕う。努めていつも通りの表情を作るのだ。どんな時も冷静に、それが出来ない時は上っ面だけでも。ガンマンとして生きる者の心得である。


「食料と水が欲しいんだ。できればここで食事もしたい」


 両の掌を軽く掲げ、ひらひらと見せるようにしながら長耳へと歩み寄る。一見して、武器を持っていない相手だ。ならばこちらも武器は手にしてないことを示す方が、話がスムーズに進む。銃をチラつかせるのは、飽くまで必要な場合のみだ。むやみに見せびらかせば、予期せぬトラブルを招きかねない。


『よそもんの、ましてや人間に食わせる飯なんてねぇよ』


 予想通り、長耳の答えは拒絶である。これに関しては特に問題はない。田舎の村など、どこも余所者には厳しいという点では同じなのだ。


「まぁそう言うなよ」


 手近な丸テーブルの傍らに立ち、懐から財布を取り出して見せる。ちょいと掲げて、テーブルの上に落とす。中身が詰まった財布は、どしゃりと重そうな音を立てた。その音に、ちょっと目を大きくした長耳の前で、財布の紐をゆるめて何枚かの銀貨を出し、テーブルに並べてみせる。そして並べた内の一枚、特に綺麗で傷がないやつを一枚手に取り、長耳へとポンと投げた。


「ご覧の通り金はあるんだ。固いこと言うのは止しにしよう」

『金の問題じゃぁ……』


 銀貨を手にしておきながら苦い顔したままの長耳は、そこまで言ったところで動きが止まった。見れば両目が皿のように見開いて、銀貨を何度もひっくり返しつぶさに観察している。――田舎者め。やっこさん、どこの何人か知らないが1ドル銀貨に一度もお目にかかったことが無いらしい。


『……こんな精巧な刻印……この厚さ……綺麗な円形……』


 よく聞こえない小さな声で何やらぶつぶつ呟いている。ともかく、我が愛しのシルバーダラーの女神に長耳は虜になったようである。これは良い流れだ。


「ほれ」

『オ、オイ!?』


 もう一枚、長耳の方へと1ドル銀貨を指弾で飛ばす。長耳は一転、妙に慌てた様子でそれをキャッチする。


「2ドルもあれば腹一杯の飯に酒がついてもまだお釣りが充分来るだろう。何でもいいから直ぐに作れるやつを頼む」

『よ…よしきた!』


 長耳の態度はコロリと変わった。銀貨を握りしめて奥へとすっ飛んでいく。

 その背中が薄暗がりに消えるのを認めると、銀貨を並べたテーブルの傍らにある椅子にドカッと座った。素早く銀貨を財布に戻し、その口を革紐できつ目に締めると懐へと戻す。

 暗がりに目が慣れてきたため、改めて酒場の中を見渡してみる。暗く、そして埃っぽいせいもあるだろうが、それにしても酷く粗末な印象を受ける酒場であった。どう見ても安普請であるし、柱はボロボロでやや傾いている。今しがた座ったばかりの椅子もギシギシ鳴るし、テーブルもまた同様だった。


(飯にも大して期待は出来んな)


 まぁこんな寂れた村、ましてや賊に目をつけられているかもしれない村だ。最初から期待などしていない。何より今は腹が減っている。腹が減っていれば何であれ美味く食えるものなのだ。

 ――しかしこうして待っている間は暇である。他に客でもいればその会話に耳を傾けたり、酔っぱらいをつかまえてビール一杯と引き換えに辺りの噂話を聞いても良い。だが今ここにいるのは自分一人だ。


「お」


 などと考えているうちに、蝿が一匹自分の方へと寄ってきた。いや、蝿ではない。蝿に似てるが違う虫だ。蝿に似た見知らぬ虫なのだ。

 そいつが、テーブルの上に止まった。


「……」


 私は腰のコルト・ネービーの内の一丁を静かに、静かに抜いた。そしてそのまま、静かに音を立てぬようにと、コルトをテーブルの上まで持ってくる。左手のコルトの銃身を右手で握る。左手を離せば、右手で銃身を握り、銃把が上へとくる形になる。ちょうど弾が切れた後にコルトを棍棒として使う時と同じような格好だ。つまり銃口は下を向いている。


「……」


 蝿もどきは相変わらず、テーブルの上を蠢いている。私は睨み、狙いを定める。羽虫というやつは飛んでいない時も素早く動き、そしてその反応もまた俊敏だ。だから、この様なときの暇つぶしの相手としては最適だ。


「――ハッ!」


 気合の一声と共に、銃口が振り下ろす!相手が蝿であれば確実に、銃身で蓋をして捕らえらえるタイミング!だがしかしである。


「ぬ!?」


 蝿もどきは蝿もどきの分際で、ひょいと小さく跳んで避けたのだ。銃口はむなしくテーブルを叩く。


「……蝿もどきの分際で」


 虫ごときにコケにされて黙っている私ではない。今度は外さない。


「――ハッ!タッ!ヘアッ!」


 だが外す。しかも今度は三たび連続で、である。


「こ……こんチクショウ」


 怒りの余り思わず撃鉄の方に手が伸びそうになるが、思いとどまる。深呼吸をひとつして気持ちを落ち着けると、コルトをホルスターへと戻した。すこし体をずらし、今度は腰よりももっと下の方へとグッと手をのばす。ズボンの裾をまくり上げ、足首の辺りに触れる。そこには革のベルトで結んだナイフが一本ある。コルトを使えない状況のために用意してある隠し武器で、コイツを含めて三本のナイフを私は隠し持っていた。


「……」


 引き抜いて、かざしてみる。薄暗い中でその刃は鈍く光っていた。刃渡り4インチ(約10センチ)の小ぶりなやつである。

 そいつを手の中で回し、逆手に持ちかえる。


「……」


 そして見つめる。蝿もどきはまだテーブルの上をウロウロと歩きまわっている。

 だが、いつまでもそうしてはいまい。いつかは飛び立つ。そして虫であろうと獣であろうと、そして人であろうと、何か一つの動作に集中した時は、他の行動へまでは意識が及ばないのは変わらぬ道理だ。そこが狙い目になる。


「……」


 私は待つ。目を見開き、500ヤード先のバッファローを狙い撃つような気持ちで、蝿もどきを睨みつける。

 私は待つ。睨みつけ、見つめ、そして待つ。待つ。待つ。待つ。待つ――……。

 翅が動いた!今だ!


「死ねッ!」


 刀身が煌めき、一撃が突き立った。こういう場合はやはりナイフの方が遥かに素早い。我ながら見事に、ナイフの切っ先によって蝿もどきはテーブルに縫い止められていた。しばしブブブともがいていたが、それもすぐに止まる。

 ――仕留めたのだ!


「いよぉし!」


 私は思わず快哉の声を挙げ、小さくガッツポーズをとっていた。思わぬ強敵であったが、やはり私の相手では無かっ――。


『……』

「……」


 私は気づいていなかった。何やら湯気の立つ鍋を抱えた長耳が、半ば呆れた顔で私のことを見つめていたのを。 暫時見つめ合った後、私は咄嗟にナイフをテーブルから引き抜いて、再び切っ先を叩きつける。

 しかる後に、顎をしゃくって「持ってこい」と長耳を促す。

 やっこさん、慌てた様子で鍋を持ってくる。私はナイフを仕舞うと、帽子をやや目深にかぶり直した。ガンマンたるもの、常に平静を保たねばならない。赤面など、人に見られてはならないのだ。


 ――出てきた料理は、何の事はない、良くある豆料理である。

 ただし使われている豆にどうも見覚えがないという点を除けば、だが。


「何だこりゃ」

『何だ、て、ただのミヨルク豆の煮付けだが』

「ミヨルク豆?」


 聞いたことの無い豆だ。改めて目の前にデンと置かれた鍋の中身を委細に観察する。

 一見、ベイクドビーンズに似ているが、あれは普通エンドウ豆を使う。だが鍋の中身は、エンドウに比べるとずっと大きな豆なのだ。二倍…いや三倍はあるだろう。何を使って煮たのかは解らないが、あまり嗅いだ覚えのないにおいを放っている。だが、悪い感じはしない。むしろ食欲をそそる良いにおいだ。

 木で出来たスプーンに、木で出来たコップが添えられているのに気づく。長耳が中身が酒だと思しき素焼きの水差しを持ってきた所で、鍋の中身を掬い、改めてにおいを嗅ぎなおす。


「……牛乳?」


 強いて言えば煮込んだミルクでのにおいに近いが、なんとなく違う気もする。

 食べてみる。


「……牛乳?」


 オートミールのミルク粥を思い出した。あれを燕麦の代わりに『豆』に使えって作ればこんな感じになるのか。しかしいわゆる『乳臭さ』をまるで感じないのは気にかかる……。


「いずれにせよ…美味いなこれは」


 一口食い始めたら、これが止まらない。元々腹が減っていたのもあって、貪るように掻きこむ。柔らかくも、麦とは違う独特の弾力があって、食いごたえは中々だ。まろやかな甘味はさらなる食欲を催す。


「……ん」


 ここで、そう言えば素焼きの水差しあったな、ということを思い出す。手にとって嗅いでみれば、やはり酒で間違いないだろう。かなり強めのアルコールの香りが漂ってくるのだ。木杯に少しだけ注いで、舐めるように飲んでみる。


「ぬぐ」


 これはかなりキツい酒だ。味はテキーラに近いが、それそのものではない。


「いずれにせよ、こりゃ飲めんな」


 悪い酒ではない。むしろ、一口飲んだだけでも素朴ながら良い酒であると解る。だが強い酒は駄目だ。強い酒はガンマンには禁物である。注意力は散漫になり、体の動きは鈍る。せいぜいビールが飲んで良い限度なのだ。長生きしたいのならば、このルールだけは必ず守らねばならない。


「おい」


 少し離れた場所からこちらの食いっぷりを窺っていた長耳へと、手招きを一つする。寄ってきた所で追加の注文だ。


「生憎だが、ここまで強い酒は好きじゃない。ビールで良いから持ってきてくれ」

『……ビール?』


 長耳は怪訝そうな顔をした。ビールで通じないとはどんな田舎だと思いつつ、試しに言い方を変えてみる。


「じゃあセルベッサをくれ、で解るか?」


 スペイン語で言ってみても、首を横に振られるだけであった。


「あー……あれだ。色が茶色で、泡が出て、麦から作る……」

『ひょっとしてオルーのことか?』

「オ、オルー?」


 何やら話が無駄にこじれてきた気がする。面倒なので、酒の入った水差しを長耳に押し付け、掌の動きであっち行けと伝え、鍋の中身の方へ再び取り掛かった。まぁ酒が飲めないのは残念だが、仕方がない。飯にありつけただけでも良しとしよう。

 暫し黙々と食い続けると、鍋はすぐに空になった。食い終わるまで待っていたのか、長耳が水を持ってきてくれた。一息に飲み干し、ゲップを一つする。 


「いやぁ美味かった。良い牛の乳を使ったんだな、これは」


 私のこの呟きに、長耳は何かギョッとしたような顔をした。何であろう?別に妙なことを言ったつもりはないが。


『牛の……乳……?』

「うん。くさみの無い、良いミルクじゃないか。まさかこんな所でお目にかかるとはな」


 長耳は突如嫌悪感を顔に露わにすると、吐き捨てるように言った。


『冗談じゃない!牛の乳だって!?そんなもの誰が食うか!あんなぁ獣臭いものを!』


 それも物凄い剣幕である。むしろコッチが驚いて目を白黒させていると、『これだから人間は云々』とブツブツ呟きながら奥へと引っ込んでしまった。


「……え?」


 何が何だか。これだから田舎者は始末におえない。


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