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第5話 自分の居場所。

「……え?」

 理解が追いつかなかった。病気? 死ぬしかない? 意味が分からない。

「どういうこと、田島さん」

 中崎先輩が、重い口調で尋ねた。美咲は答えた。

「……あたしね、うつなの」

 うつ……うつ病という解釈でいいのだろうか。私はテーブルの上に置いた手を何度も組み直した。正直、戸惑っていた。健全でないこと、病んでいる、どちらも中崎先輩の予想通りだったということか。

「……何があったの?」

 私は先ほどと同じ質問を口にする。

「――言えない」

 美咲はうつむいた。

「じゃあ、死ぬしかないっていうのは、どういう意味か、ちゃんと教えてくれ」

 先輩が言った。

「生きていたくないんです。こんなに辛いのに、生きられないです。だから、死ぬしかない」

 美咲ははっきりと言った。彼女の涙はもう止まっていた。

「そんな……そんなこと言わないでよ。美咲にまで死なれたら、私、どうしたらいいの? お願い、死なないでよ」

 必死に思い留まるように説得する私。しかし美咲は首を振り、

「ごめんね、希里」

 と言った。

「美咲……」

「……病院は、ちゃんと行ってるか?」

「行っています。……でも」

 美咲は唇を噛んだ。

「よくならない、って言いたいのか?」

 中崎先輩の問いに頷く美咲。

「いつから?」

 私が尋ねた。いつから、彼女は苦しんでいたのだろう。

「学校辞めて、すぐ」

「え」

 と、思わず言葉を発した。それじゃあ、美咲は六年もの間、ずっと苦しんでいたというのか。私が友達とくだらないことで笑っていたときも、キャンパスライフを満喫していたときも。ドリンクバーを取りに行くのも忘れて、固まっていた。

「罰なのかな、これって」

 美咲は呟いた。

「どういうことだ?」

 先輩は美咲の目をじっと見つめる。でも、美咲は先輩の視線から必死に逃げているようだった。あらぬ方向に目をやり、

「高校から逃げ出したから。そして――あんな仕事に足を踏み入れたから」

 と言った。

「じゃあ、今の仕事辞めよう? そしたら、きっと……」

「無理」

 私の言葉は遮られた。

「あたしの居場所はあそこしかないの」

「そんな……どうして」

 私は戸惑うばかりだった。おもむろに、先輩が立ち上がった。

「ドリンクバー、取り行ってくる」

「あ、はい」

 先輩の背中を見送ると、美咲に視線を移し、彼女の言葉を待った。

「……」

 美咲は口を開こうとしない。私も、何を言ったらいいか分からずに、彼女の唇を見つめるだけだった。

 やがて、唇は動き出した。

「学校を辞めたからには、働かないといけない。そう思って、沢山、沢山ね、バイトの面接受けたんだけど、どこも駄目だった。学校を辞めた理由訊かれて正直に答えれば答えるほど、鼻で笑われたり、一番きつかったのが『そんな心の弱い人はいらないんですよね』って言われたこと。ああ、あたしは所詮底辺で、誰も必要としてないっていうことが分かった」

 そんなことないよ、なんて気軽に言えるはずもなかった。社会は、高校中退者を負け組とみなす。そんなの、私だって分かっていた。だからこそ、否定したりしたってそんなの気休めでしかないことは知っていた。

「でも、一ヶ所だけ、あたしみたいな底辺でも必要としてくれる場所があることを知った」

「……それが、あのお店?」

 私が訊くと、美咲は哀しそうに笑った。

「あたしね、恋をしたんだ。その人に、初めてをささげた。でもその人は、今のお店のボーイだった。ただのスカウトだった。もう、どうでもよくなっちゃったの。本当に、どうでも」

「どうでもよさそうな顔してないよ」

 私は美咲の手を取った。彼女は驚いた顔をして私を見た。やっと、私を見てくれた。彼女の目から涙が一滴零れた。

「今いるところが自分の居場所だと思っているなら、どうしてそんなに苦しそうな顔してるの? どうして、そんなにやつれっちゃったの? らしくないよ。こんなの、全然美咲らしくないよ!」

 声を荒げる私を、美咲は目を見開いて見つめていた。

「私は美咲が好き。そのままの、美咲が好き」

 美咲は唇を震わせたかと思うと、堰をきったように泣き出した。私の手に顔をすり寄せながら。

「コーヒーで大丈夫だったか?」

 先輩が二人分のコーヒーを運んできた。帰りがやけに遅かったな。きっと、こういう話になるのを予想して席を外していてくれたのだろう。――全く、先輩には敵わないな。

「俺が首を突っ込む話じゃないからな。二人で、ゆっくり話し合ってくれ。さきにおいとまさせてもらうよ」

「待って……下さい……」

 そう言ったのは美咲だった。

「あたしも、中崎くんに謝りたいです。そして、希里にも、謝りたい」

「え、私?」

 私は目を丸くした。

「希里……あたし、一度もちゃんと謝ってなかったよね。あたしは希里を裏切った。目を逸らして、『月岡さん』なんて呼んで、あげく、あたしが彼氏に振られたときに暴言を吐いた。希里はいつも、あたしのこと考えてくれてたのに」

「……それは、買い被りすぎだよ」

 私は俯いて、コーヒーカップを両手で包んだ。

「大学に入って、友達が亡くなるまで、美咲のこと、ほとんど頭になかったもの。勝手に思い出して勝手に会いたくなっただけ。裏切ったのだって、本当は私の方だった。自分勝手な人間なんだよ、私って」

「そんなことないよ」

 中崎先輩が言ったので、私は顔を上げた。

「月岡さんは、自分勝手な人間なんかじゃない。今は、田島さんのこと、すごく心配しているだろ? いつだって全力なんだよ。懐かしい人を思い出して、会いに行って、守ろうとして……。何にも責められるようなことはしてないよ」

「中崎先輩に賛成です」

 美咲は微笑しながら手を上げた。頬には涙の跡があった。

「希里は、目の前にあるものを大切にしようとする。次は、あたしを大切にしようとしてくれたんでしょ? 分かってるよ。親友だもん」

 親友、という言葉。私は聞き間違えたのかと思った。でも、確かに美咲は言った。目の前が歪む。しかし、

「――でも、あたしは死ぬしかない」

 という言葉で、涙は引っ込んだ。

「どうして。親友なんでしょ? そんなの、やめようよ。どうして、私を一人にしようとするの?」

「希里には、中崎先輩がいるじゃない」

 美咲は笑っていた。全てを諦めたかのような、乾いた笑みだった。

「……やめてくれよ」

 搾り出すかのような声でそう言ったのは、中崎先輩だった。

「これ以上、人を失うのは嫌なんだよ。あのときのような思いは、誰にもさせたくない。ましてや、月岡さんには、絶対してもらいたくない。田島さんだって、全てが終わっていいのか? 何もかも、失うんだぞ。月岡さんと、二度と会えなくなるんだぞ!」

「先輩……」

 先輩の目からは涙が零れていた。きっと、中崎くんの、弘樹くんのことを思い出しているのだろう。そうだ、私は中崎くんの残した想いを受け取って全て終わった気でいたけれど、何も終わっちゃいないんだ。先輩や先輩の両親は、今も忘れられない哀しみを抱えているんだ。どうして、こんな簡単なことに気付かなかったのだろう。私、馬鹿だ。

「お願いだから……死なないでくれよ……もう、誰もいなくなったり、哀しんだりしないでくれよ……」

 先輩は肩を震わせた。美咲が、バッグからポケットティッシュを取り出し、先輩に手渡す。

「……じゃあ、どうしたら終わらせられるの? あたしだって、自暴自棄になって、全てを諦めて、あんな店であんなことするの、嫌。ホントは、嫌なんだよ。でも、あたしが生きる道はそれしか……」

「私が、終わらせる」

 思わず口にしていた。後先も考えずに。

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