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第3話 七年ぶり。

「……え?」

 意味がすぐに呑み込めなかった。

「何ですか、健全じゃないことって」

「本当、ただの憶測だから断言は出来ないけど……、非行とか、その、風俗……とか」

 『非行』よりも『風俗』という言葉に衝撃を受けた。美咲がそんなことをするなんて……ない。絶対にない。

「美咲はそんなことしません」

「月岡さんは、田島さんと何年会ってない?」

「……六年ですけど」

「人が変わるには充分過ぎる期間だよ」

 携帯を持つ手が小刻みに震えている。まさか、美咲が。そんなこと考えたくなかった。

「憶測ではあるけど、もう一つ可能性がある」

「何ですか?」

 今度は、もう少しよい可能性を口にしてほしい。

「病んでる……とか」

 私は口をつぐんだ。それはそれで嫌だ。偏見とかじゃない、病んでいるということは、いつ彼女を失うのだろうかという不安にさいなまれるということだ。

「まあ、どっちにしても月岡さんは田島さんと会わなくちゃいけないということが分かるだろう?」

「……でも、向こうが拒否してるのに、会えないですよ」

「向こうは何で拒否している?」

「それは……変わった自分を見られるのが嫌だから……」

「何でだと思う?」

 私は黙って考えた。『思い出は綺麗なままがいい』。

「つまり、幻滅されるのが怖いということですか?」

「当たりだよ。だから、月岡さんが幻滅しなければ、解決する話だ」

「でも、メールで『幻滅しないよ』と送ったところで、素直に会ってくれますか?」

「無理だな」

「そんなあ」

 私は眉をひそめた。そんなとき、母の「希里、ご飯出来たわよ」という声が聞こえた。

「あ、すいません、夕ご飯食べるんで、またあとで電話してもいいですか?」

「ああ」

 私は電話を切って、部屋を出た。


「そういえば、今日美咲ちゃん見かけたわよ」

 母の言葉に、箸で掴んだコロッケを落としてしまった。

「え? どこで!?」

「駅前でティッシュ配りしてたわよ」

 美咲が……いた。七年間眠っていた思いが、溢れ出しそうになる。

「でも、随分変わっちゃったよ。ガリガリだし、金髪だし」

 本当に、中崎先輩の言うとおり、彼女は変わってしまったのだろうか。だとしても、あの優しい心は変わっていないと信じたい。美咲に、会いたい。

「美咲……」

 私は呟いた。『みさき』の三文字を噛みしめるかのように。

「美咲ちゃんに、会いに行ってみれば? 高校辞めてから会ってないんでしょ?」

「うん……でも、怖くて」

「怖い?」

 母には美咲とギクシャクしてしまった件を話していなかった。だから、今、一気に説明した。今まであったことのほとんどを。

「……ずっと黙ってたのね」

 聞き終わると、母は哀しそうな顔で呟いた。

「ごめん」

「そのことを気にしてるんじゃないよ。希里がそんな大変なことを背負っていたのに、お母さん、気付くことすら出来なかった。希里一人で苦しませてた。……ごめんね」

「ううん。それに、私は一人じゃなかったよ」

 微笑みながら、言った。私には先輩がいた。友達もいた。決して、一人じゃなかった。

「いつか、会いに行くよ。ちゃんと、仲直りしたい」

「うん。頑張ってね」

 母は笑った。羽毛布団にくるまったかのような安心感に包まれて、私はまだ頑張れると思った。




「……そうか」

 電話をして、母から聞いた情報を告げると、中崎先輩は重々しい口調でそう言った。「やっぱり、変わってしまったんですかね。金髪なんて」

「金髪=非行だなんて単純な考えは持ってないけど……何かあった可能性は高いな」

 うーんと、うなる二人。

「とりあえず、俺なりにどうすればいいのか考えてみるよ」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、また近いうち連絡取り合おう」

「はい」

 そこで会話は終わった。今は、先輩にかけるしかない。私の頭じゃ、どんな方法も思い付かないから。私は私で、大学の勉強を頑張らなければ。亡くなった友達のことや、美咲のことばかり考えていても、前には進めない。……でも、そういえば、美咲のことを中崎先輩に話してからは、亡くなった友達のことを考える時間が格段に減ったな。新しく、生きる目標を見つけたからだろうか。


 私は、美咲に会う。




 五日後の昼、先輩から電話がかかってきた。私はうどんをすするのを止め、電話に出た。

「もしもし」

「あ、突然ごめん。今、外出れるか?」

「え、どうしてですか」

「田島さんが、ティッシュ配りをしてるんだ」

 ドクン、と心臓が脈打った。

「今、ですか?」

「ああ」

「どんな感じですか?」

「ガリガリだよ。今にも折れそうだ」

 思わず顔をしかめた。元々痩せ型だった美咲がガリガリなんて、不健康極まりない。

「来れるか?」

「……でも、怖いです」

「逃げるのか?」

 それは七年前にも、先輩に言われた言葉だ。逃げていたら、前に進めない。私は半分以上残っているうどんを台所に持っていきながら、

「……行きます」

 と言った。


 外は暗くなり始めていた。雨雲が立ち込めていて、傘を持って行くことにした。空を見上げ、呟いた。

「お願いします」

 と。それは天国にいるであろう中崎くんに向けての、美咲とうまくいくようにという、祈りの言葉だった。

 歩いて駅まで行くと、駅前の信号のところで先輩が立っていた。

「……美咲は」

「あそこだ」

 指差す先には、金髪で気持ち悪いほどに手足の細い、女の子がティッシュを配っていた。顔は判別出来ない。

「あれが、美咲……」

「こういうティッシュを配っていたよ。『ご来店、お待ちしています』という言葉と共に、渡された」

 先輩はティッシュを見せてきた。そこには、明らかに風俗店と分かるお店の名前と、数行のアピール文が書いてあった。ティッシュに載っている写真には、濃い化粧と金髪の巻き髪――しかしかろうじて面影の残る、美咲の姿があった。いやらしい格好をした、彼女の姿が。

「……私、行ってきます」

 考えるより、身体が動いていた。


 横から、細い腕を掴んだ。彼女は、驚いた顔でこちらを見た。

「美咲」

「……希里?」

 変わり果てた美咲がそこにはいた。美咲は動転した様子で、

「え、何で……?」

 と言った。

「どうしたのよ。美咲……、どうしたのよ……」

 それしか言葉が出てこなかった。

「……」

 美咲はうつむいた。

「無茶だよ。やめようよ」

 涙が頬を伝っているのを感じた。

「……だから、会いたくなかったの」

 絞り出すかのような声で美咲は行った。

「失望されるの、分かってたから」

「失望じゃないんじゃないか」

 そう、後ろから声が聞こえた。振り向くと、中崎先輩が立っていた。

「田島さん、久しぶり。俺、中崎だよ。弘樹の兄、元卓球部の」

「……ああ……」

 美咲は消え入りそうな声を出した。

「月岡さんは、心配しているんだよ。幻滅しているような人間が、こんな風に、自分のことのように泣いたりするか?」

 私は鼻をすすった。そして、美咲の目をまっすぐ見つめた。しかし、彼女は視線をするりとかわし、

「……ごめん。仕事、ちゃんとしなくちゃいけないから」

 そう言って私たちから離れ、再びティッシュを配り始めた。偽りの笑顔が、そこにはあった。

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