第2話 彼女からのメール。
美咲の家の場所は知っている。自転車に乗って、先輩と一緒に彼女の家に向かおうとする。しかし、私はペダルに足をかけたまま静止していた。ハンドルを持つ手が震えている。会いに行くと決めたのに、いざとなると勇気が出ずにいた。
「怖いの?」
隣で自転車に跨る中崎先輩が訊いてきた。
「……はい」
気が付けば、足も震えている。
「やっぱり、私、無理です……」
今の私は泣きそうな顔をしているに違いない。
「どうしても?」
「はい……」
「じゃあ、作戦を変えよう」
私は「えっ?」と言った。
「田島さんと親しかった人って思い付く?」
「いや……中学時代は山田さんと親しかったですけど、あの子はもう高校で友達やめちゃったみたいだし……高校では、クラスで独りぼっちだったらしいし……」
困惑しながら言った。
「部活の友達は?」
「表面上だけで、本当の友達と呼べる人はいなかったと思います……」
美咲と仲のよかった部員が次々と頭に浮かぶが、彼女たちは美咲を心から好いていなかっただろう。
「うーん、じゃあ打つ手なしか……」
先輩は、額に指を二本当てた。
「それ、田村正和ですよ」
「あ、分かった?」
無邪気な笑顔が可愛らしいと思った。大分大人びたけど、やっぱり中崎先輩は中崎先輩だ。
「田島さんと、今でも連絡を取ってそうな人がいたら、そこから情報を引き出せるかなと思ったんだけど」
「あっ」
小さく叫んだ。ふと、ある女の子の姿が頭に浮かんだのだ。この四年間、ほとんど思い出すことのなかった彼女。
「あっちゃんなら、もしかしたら……」
仲がいい、とまでは言えなかったかもしれない。けれど、少なくとも悪くはなかった。あっちゃんは友達を大切にするタイプだ。有り得ないと言い切れないと思う。
「あっちゃんって?」
「卓球部の子です。長瀬温美」
「ああ、あの太……ころっとした子ね」
先輩の表現に苦笑する。
「でも、あっちゃんとも、卒業以来連絡を取っていないんですよね」
彼女は、高三のときに万引きをした。学校にもばれ、停学処分となったが、「もう、絶対にあんなことはしない」と私に言っていた。彼女は進学することなく、ケーキ屋のバイトを続けることにしたみたいだ。
「その、長瀬さんのことは好きなの?」
「あ、好きです。でも、やっぱり進む道が違うとどうしても疎遠になっちゃって……」
高一のときに友達だった彼女たちとも、学年が上がったら交流はほとんどなくなった。ナツエとは、今でもたまにメールをすることがあるが、会おうという話にはならない。人生は出会いと別れの繰り返しなのだと、大学四年になった今、思う。
「でも、俺とは疎遠にならなかったね」
先輩は笑顔で言った。歯並びのよい歯が、歯ブラシのCMに出てもおかしくないくらいに綺麗だと、いつも思う。
「先輩とは、友達ですから」
自分で言った癖に、『友達』という言葉が胸に刺さった。
「……ありがとう」
先輩は優しい声で言った。
「長瀬さんとも、関わりを復活させるチャンスだ。田島さんちに行くよりは、ハードル低いだろ?」
私は頷いた。
このまま外にいるのも寒いということで、とりあえずイオンに入ることにした。あの頃はジャスコという名称だったな……懐かしいな……と感傷的になりながら。フードコートの席に腰を下ろし、ドキドキしながらあっちゃんの携帯番号に電話をかける。
「――もしもし」
懐かしい、彼女の声。
「あ、あっちゃん?」
私の声はうわずっていた。
「希里? うわー、久しぶり!」
あっちゃんは嬉しそうに言った。思わず私も笑みを浮かべながら、
「久しぶりー! 元気だった?」
と訊いた。
「元気元気ー。希里は?」
「……あ、うん、ちょっと色々あって、疲れてたところ」
正直に言えた。向かい側に座る先輩が、心配そうな瞳で私を見つめている。
「何かあったの?」
「いやー、実は友達が亡くなっちゃってねえ」
苦笑しながら言った。なるべく、暗い声を出さないようにする。
「そうなの? ……そっか、大変だったね」
「うん。でね、ちょっと、昔の友達が恋しくなって」
ストレートに美咲の連絡先を知りたいとは言いづらかった。それじゃあ、まるでその為だけであっちゃんに連絡を取ったようで。
「また、あっちゃんと会ったりしたいな」
「いいよぉ、勿論。何なら、美咲ちゃんとかにも声かけてみよっか?」
私は目を丸くした。訊きたかったことを言われてしまった。そして、美咲と交流があることを知って、喜びがせり上がってくる。
「美咲と、会ったりしてるの?」
「うーん、高校卒業してからは会ってないなあ。でも、アドレス変更メールはこの前来てたしね」
ということは、それほど交流があるという訳でもないのか。だけど、美咲に繋がる糸が見つかった。それに、あっちゃんとこうして久しぶりに話すことが楽しかった。
「美咲、今何してるか知ってる?」
「ごめん、高校卒業してからは全く分からないんだ。でも、中退してしばらくして、アルバイトしてるみたいなことは言ってたよ」
あまり情報は引き出せない、か。美咲が今、元気なのか知りたい。
「そっか……でも、また会いたいな。あっちゃんとも、美咲とも」
「希里は、美咲ちゃんのこと好きだったからね」
「勿論、あっちゃんのことも好きだよ!」
慌てて言った。するとあっちゃんの笑い声が聞こえた。
「そんな気使わなくて大丈夫だよ。分かってるから。そういえば、この前山田さんがうちの店来たよ」
山田さん――懐かしい響きだ。
「山田さんって、あの山田さんだよね?」
「うん。高校時代孤立しちゃってた、可哀想な子」
可哀想な子、か。確かにそうかもしれない。
「でも、山田さん男の子と一緒にケーキ買いに来たよ。ありゃ、彼氏だな」
思わず微笑んだ。彼女も、幸せを手に入れられたんだ。全く恨んでいないと言ったら嘘になるけれど、不幸になれとか、そんなこと思っていない。むしろ、今度こそ皆に好かれるような人間になって欲しい。
「で、美咲ちゃんに連絡取ってみようか?」
「うん、お願い」
「あ、でも最初会うときは、希里と美咲ちゃんの二人きりだからね」
「えっ?」
大きな声を出してしまった。空気のような存在になりかかっていた先輩が、よりいっそう心配そうに私を見つめている。
「仲直り。ちゃんと、しようよ。親友に戻れるよう、頑張ってみようよ」
あっちゃんは切願してきた。私は戸惑って、言葉が出てこなくて。でも、困惑しているのが分かったのか、先輩が、そっと私の手を握った。その温もりから、恥ずかしさと、多大なエネルギーをもらえた。
「……うん。美咲に伝えて。会いたいって。私のメアドも教えといてくれる?」
「勿論」
正直、不安だった。私なんかと会ってくれるのか。でも、もう後には退けない。そのあと雑談を少し交わし、電話を切った。
「お疲れ様」
先輩が言った。
「中崎先輩のおかげです。ありがとうございます」
「まだお礼を言うのは早いさ。田島さんと会えたら、にしよう」
「……はい」
「ちょっと勇気を出すだけで、世界は変わるだろ?」
「はいっ」
明るい返事が出来た。でも、世界を変えられそうになっているのは私の勇気の力だとしても、その背中を押してくれたのは中崎先輩だ。全く、この人にはどれくらい感謝すれば足りるのだろうか。
「もう時間も時間だし、帰ろうか」
「あ、そうですね」
ちょっとしょんぼりする。
「また、連絡くれよ。そんで、こうやってお話しよう。俺、月岡さんと一緒にいると癒されるんだ」
心臓の鼓動が急激に速くなる。
「こんな暗い話しても、ですか?」
「ああ」
「……ありがとうございます」
私は席を立って、ぺこりとお辞儀をした。先輩はふわっと頭を撫でてくれた。何だか恋人同士みたいだ。先輩は、意識なんてしていないだろうけど。
先輩は「家まで送って行こうか?」と訊いてきたが、「ああ、でも男性に家の場所知られるのは怖いよな」と自己完結させてしまい、送ってもらえなかったことが少し残念だった。でも、また会える。中崎先輩とも、あっちゃんとも、もしかしたら美咲とも。友達を亡くした悲しみを、今日は少し忘れられた。
次の日、部屋でCDを聴いていると、あっちゃんから電話が来た。
「美咲ちゃんと連絡取れたよ」
「本当?」
「うん。でも、希里にメールは送れないって」
先輩と一緒にいたときとは違う意味で、鼓動が速くなる。
「……やっぱり、私と会うのが嫌だから?」
「それ、訊いたんだけど、違うみたいだよ。『私なんかが送れない』って、そうメールに書いてあった」
それは、どういう意味なのだろう。
「ちなみに、私とも会えないって」
「何で? 仲、よかったのに」
あっちゃんと会えない理由など、思い付かない。
「私も分からないんだよ。嫌われちゃったのかなあ……。でも、何か含みのある言い方だよなあ……『私とは会わない方がいい』って」
謎は深まるばかりだ。こういうときこそ、あの人の出番だろう。電話を切ると、中崎先輩に電話をした。
「もしもし」
「あ、こんにちは。実は……」
あっちゃんから聞いたことを伝える。先輩は言葉を発しなかった。
「……先輩?」
「……ごめん、俺、すごく嫌な想像しちゃった」
「何ですか、それ」
先輩はうなった。話していいのか考えあぐねているようだ。
「いや、憶測だけで月岡さんを心配させたら悪いから、今は言えない。ごめんな、気になるよな。でも、許してくれっ」
先輩が本気で申し訳なさそうに謝るので、「分かりました」というほかなかった。
その晩、知らないメアドからメールが来た。まさか、という思いでメールを開く。
『お久しぶりです。美咲です。
多分、希里のことだから、自分が嫌われたんじゃないかとかって不安がってるだろうと思ったから、メールしました。
多分、これが最初で最後のメールになると思う。
私、別に希里が嫌いだから会いたくないとか、そういう訳じゃないよ。
ただ、今の私とは会わない方がいい。
思い出は綺麗なままがいい。
私も、それを望んでるの。
身勝手なの、分かってる。でも、分かってほしい。
ごめんね』
待ちに待った美咲からの、一切絵文字も顔文字も使われていないメール。内容が頭に入って来ない。私はベッドの上で、携帯を持ったまましばらく固まっていた。これは、どういう意味? 私の小さな脳みそじゃ理解出来ない。何て返信したらいいかも分からない。だから、またまた先輩に頼ることにした。美咲からのメールをコピーして、送る。
すぐに電話がかかってきた。
「……やっぱり俺の予感、当たっているかもしれない」
「何なんですか? 予感って? 美咲は何を言いたいんですか?」
たたみかけるように質問する私。先輩は一拍置いたあと、重々しい口調で言った。
「健全じゃないことを、しているのかもしれない」