第11話 ミッション達成。
「それって……どういう意味ですか」
そういった私の声は震えていた。先輩の目をじっと見つめて、その奥にある真意を確かめようとする。先輩の瞳は心配そうで、どことなく不安げでもあった。先輩は前髪をかき上げ、
「単刀直入に訊いていいか? ……俺のこと、どう思ってる?」
どう思ってるって、と私は狼狽した。そんなの決まっている、好きでたまらない。でも、それを素直に今、伝えるべきなのだろうか。先輩のスーツの襟元に視線を落とした。Yシャツの襟がぴんと立っていて、どことなく神妙さを思わせる。中崎先輩は、もう制服を着るのではなくスーツを着る。社会で働いて色々な世界を見ている。私が想像出来ないほどの苦労もあっただろう。私なんて卒業したら小さな会社の事務でも出来ればいいや、というような程度の未来しか描いていない。どうにかなると思っていた。しかし、世の中には美咲みたいに生きることすらも苦労し、自殺を図ろうとした人もいる。私の友達のように、生きられなかった人もいる。
そんな美咲が、中崎先輩に告白したら仕事を辞めると言ってくれた。どうしてそんな交換条件なのか未だによく分からないが、ただ一つ言えるのは、私の行動で人一人の人生を変えられるってこと。それだけ重要な選択だということは分かっている。その選択をする自由が私にはある。
「……先輩。このことは、私から言いたかったんです。ううん、言わないといけないんです。私、先輩のことが――」
言っていいのか、と一瞬迷ったが、もうここまで言って言わないという選択肢はなかった。まっすぐ目を見つめて、唇を開いた。
「先輩のことが、好きです。中崎くんへの裏切りだっていうのも、私にこんなこと言う資格がないのも分かっています。でも、高校生のときからずっと好きでした」
息が詰まるような感覚だった。溢れる想いが喉に詰まり、呼吸が浅く速くなる。中崎くん、と心の中で呟いた。ごめんね、と謝った。
中崎先輩は、目を見開いて驚いた表情になり、唇をゆっくりと開いた。
「それは……本当か?」
「はい」
「そうだったんだ……ありがとう。俺、月岡さんに心の底でずっと恨まれてると思ってた。高一のとき、あんな風に言ってしまって本当に申し訳ないと思ってた」
先輩は目を伏せた。私は、そんなことないです、と言おうとしたが、それよりも待っている言葉があったので言葉を飲み込んだ。時計の針の音だけが、部屋に響き渡っている。
「俺――俺も、月岡さんのことが好きだった。弘樹に悪いから、とも思ったけど、弱っている月岡さんを見て、俺が弘樹の分まで大切にしなくちゃいけないと思った。その気持ちは、今も変わらないよ。……俺も、月岡さんのことが好きだよ」
私は口と鼻を両手で覆い、吸気音を発した。嘘でしょ、と思わず言いそうになった。もし、先輩が私のことを好きだったらという想像を働かせたことはある。でも、実際に言われるなんて思ってもいなかった。目に、熱いものがこみ上げてくる。
「本当ですか」
「本当だよ。実は、月岡さんと久しぶりに再会したとき、言わなくちゃいけないことがあるって言っただろ? それ、このことなんだ。弘樹のことじゃない。会っていなかったときも、気持ちが膨らんで忘れられなかった。でも、連絡を取ったら迷惑かもしれないって思って怖くて出来なかった。でも、こうして月岡さんの気持ちが聞けて、俺も言えたから、今、幸せだよ」
先輩は、顔を赤くしながら、優しく微笑んだ。先輩に抱きしめてもらいたい、と思った。でも、今私は両想いになれた事実を手放しに喜べない状況にいる。美咲だ。
「先輩。私、美咲と話してきます。そうしないと、今の状態を素直に喜べない。ちゃんと、話してきます」
そう言って私は、先輩の手を一度だけぎゅっと握った。先輩は、力強く握り返してくれた。
美咲に連絡を取ると、仕事は今日は休みだから家にいると言った。前、中崎先輩と美咲と私、三人で話したサイゼリヤで待ち合わせる。向こうから歩いてくる美咲の姿を見て驚いた。髪の毛を真っ黒にし、ショートカットにしている。思わず、「美咲、どうしたの髪」と言ってしまった。彼女は照れ臭そうに髪の毛を撫でながら、
「準備。仕事、辞めるための。似合うかな?」
と言ったので、私は必死に目を潤ませないように顔に力を入れながら、「うん、すごく似合ってる」と言った。
「いきなり呼び出しどうしたの? ミッション達成?」
「達成」
私は笑顔で言った。すると、何故か美咲はみるみるうちに目を潤ませた。
「どうしたの、美咲」
「ううん、その笑顔ってことは両想いだったんだねやっぱり。嬉しいなって」
「嘘」
「えっ」
私が言うと、彼女は目を大きくさせ、コーヒーをかき混ぜる手が止まる。
「その顔、喜んでないよ。ねえ、もしかして美咲も」
「言わないで。あたしはあたしで決着をつけるの。大丈夫、一人でやれる。中崎くんにご挨拶だって希里なしでも出来るし」
「美咲……」
美咲が遠くに行ってしまう、と思った。気丈に振る舞う彼女の姿を見るのは何だか怖かった。私はテーブルに乗せられた彼女の手を握った。冷たい。きっと、心が温かいからだ。
「薬、沢山飲んだとき怖くなかった?」
そう言うと、美咲ははっとした表情になった。そのあと、「参ったな」と苦笑いを浮かべ、
「怖くなかった。これで楽になれるなら、って思った。眠りにつく瞬間、とても気持ちがよかった」
そう言う美咲は、遠くをぼんやり見つめるような表情をしていた。もっと美咲が遠くに行ってしまう、と思った。私は美咲の手を引っ張った。
「美咲、行かないで」
「えっ?」
「私はすごく怖かった。それを聞いたとき、美咲のことを失っていたかもしれないって思うと、気付いたら気を失ってた。美咲が死んだら私も死ぬなんてかっこいいことは言えない。私は死ぬのが怖いから。でも、それと同じくらい美咲を失うのも怖いの。行かないで、お願いだから行かないで。自分勝手かもしれないけど、私のために生きて。苦しいこと、辛いこと、沢山あるとは思うけど、絶対に死なないでほしい。お願い」
涙が頬を伝った。美咲は戸惑った様子で、視線を漂わせていた。
「何で、希里はそこまであたしのことを想ってくれるの? あたし、そんなに想われる資格ないよ」
「資格とか関係ない。私が、美咲のこと大好きだから。親友って言ってくれたじゃない。その言葉で、私は辛いことがあっても生きようって思えた。美咲はね、私のこと救ってくれたんだよ」
「あたしが……」
そう呟いて、美咲は顔を歪ませて鼻をすすった。目からは涙が零れている。握ったままの美咲の手が、ぎゅっと力を入れてくれている。
「ありがとう。あたしが誰かを救うなんて想像もしてなかった。あたし、『絶対に生きる』なんて断言する自信はない。でも今、希里のために生きたいって思ってるし、その覚悟が変わらない自信もある。こんなに自分の考えに自信を持てたの、初めてだな。大好きだよ」
「私も」
私たちは目を合わせて笑った。




