第五幕 集結するプレイヤー
前幕の答え…羽柴秀吉
理由
羽柴秀吉…子供がいなかった秀吉は信長の四男、於次丸を1579年に養子として迎えた。秀吉が毛利討伐に出兵の際は、羽柴家所領の長浜の統治を委任されていたとされる。戦場ではあまり活躍こそしていないものの、内政官、為政者としての才能には恵まれていたようである。その証拠に本能寺の変後は、明智光秀の旧領であり、京都に近い要衝、丹波亀山城を任され、秀吉出世の一端を担った。
その他の武将について
柴田勝家は、1582年の清洲会議以降に信長の妹、お市の方と婚姻したとされている。清州会議は本能寺の変後、なので×
武田勝頼は、1566年時に、織田信長の養女を1566年に迎えているが、難産の為に、1567年に亡くなったとされる。さらに1582年春頃には、武田家自体が滅亡し、勝頼も自刃した。よってこれも×
織田家家臣団の中で、信長の子を直接養子にしたのは、実は秀吉だけだったりする。信長の二男、信雄を迎えた北畠家と三男、信孝を迎えた神戸家も、養子縁組という名目の乗っ取りであり、実質は一門衆である。
しかし、秀吉の場合は四男、秀勝を養子にすることで自分自身は一門衆扱いされないが、自分の死後、織田家中において羽柴家が準一門格に引き上げられ、織田家において発言力を持とうと考えていたのかもしれない。
このほか、準一門扱いされていたと考えられる家臣は、信長の姪を母に持つ丹羽長重(丹羽長秀の子)、信長の乳母(後に織田信秀の側室)の子、池田恒興も同等の扱いだと思われる。
時は数日遡る
尾張国清洲城郊外
「織田家へよくぞ仕官したな。お主たちはあの藤吉郎が推薦した者たちじゃ。間違いなく将来有望な者たちばかりじゃろう。今宵はお主たちの歓迎と将来への出世を願い酒盛りを開かせてもらった。皆で今後も織田の天下を開こうぞ!!」
戦時中ではないがかなりの大人数が一斉に仕官したため、長屋内では宴ができないと思って藤吉郎が方々に手をまわしたおかげで特別に数千人は集結できると思われる屋外での宴会が開かれていた。その中には、織田家重臣たちを代表して、丹羽長秀と森可成も参加していた。
「拙者は此度の宴を盛り上げるように命ぜられた、『浅野長吉』と申す。まぁ難しい話はこれくらいで飲んで騒げ!!今宵は無礼講じゃ!!朝まで楽しもうぞ!!」
長吉の言葉と共に宴が始まる。
「…これでよろしかったでしょうか?丹羽様。」
長秀にそう言って長吉は確認を取る。
「良い。此度の宴はあくまでも織田家になじんでもらうための趣向にすぎん。まぁ、俺らが来ている以上、顔を覚えてもらうためにこちらに来る者もおろうがな…。」
案の定、早速重臣たちに顔を覚えてもらおうと積極的に長秀たちに近づく者たちもいた。
「お初に御目にかかりまする。拙者は富士吾作丞経成と申しまする。かの米五郎左と名高い丹羽様に拝謁でき恐悦至極云々…」
富士経成と言われるこの男はそう言って藤吉郎並とまではいかないが、お世辞を抗弁しながら重臣たちの酒席に割り込んできた。
本来ならば無礼極まりないが無礼講の宴席はこういった将校クラスの者以外の者が大身の部将たちに取り入れる数少ない場でもある。
長秀たちも、それを承知で参加していたためにこやかな表情で対応していった。
酒宴も進むといくつかのグループに分かれてくる。
酒が弱い為に早々と、酔い倒れてしまう者とそれを介抱しに行く者。
逆に酒の飲み比べに興じるもの。それを見ながら笑いこける者など。
その頃になると、長秀たちに一通り顔を覚えてもらおうとする者が来終えたのか、長秀、可成、長吉の前にはあまり人はいなくなっていた。
「さて、宴もたけなわになったようじゃて。儂らは帰るが、お主らは好きなだけ騒いでくれ。」
そう言って、三人は自分たちの家に戻って行った。
「…ようやく帰って行ったか。」
すでに酔い倒れていたはずの一人がそう言って起き上がった。
「あぁ、流石に歴史上有名な『織田四天王』の一人、米の五郎左こと、丹羽長秀の前では緊張したな。まぁ最もあの太閤さんの時に比べたら大して…だけどよ。」
ほかにも数人ほど起き上がった男の前に集まる。そのうちの一人がこう返事すると、口々に笑いが起きた。その頃には宴会に参加したほとんどが集まっていた。
「だが、あの長秀とも、もちろん秀吉とも下手したら信長とも戦わなきゃいけねぇんだよな。天下とって、エンディングのためにはよ。」
彼らは、信濃守と同様、ゲームプレイヤーたちである。彼らにとってはこの世界は架空でしかないのだ。
特に今回の参加者は平均年齢が20代後半であり、ほとんどの参加者は現実では社会人であり、その社会の中で日々のストレスを大いに溜めている者も多く、倫理や法といった概念が未熟であった戦国時代の日本はまさしくそう言った者たちのストレス発散にはうってつけとも言えるかもしれない。
しかし中には、理性的な判断力を維持できている者もいる。先ほど早速織田の重臣に取り入ろうとしていた『富士経成』もその一人だ。
枷が外れた人間ほど厄介な存在はない。
以前、「多くの人間は社会という常にストレスを抱え込んでいる世界に押し込められている。そう言った人間にとっての一番のストレス発散方法は、破壊と殺戮と言われている」と唱えた者もいた。この言葉を肯定的に考えると戦争や紛争は、人間が社会の中で生きるためには必要なガス抜き的なものなのかもしれない。
特に、狭い地域に容量以上の人口が詰め込まれた現代日本などはいろいろとストレスや破壊衝動を抱えやすい環境ともいえるのかもしれない。
そのため、プレイヤーたちの中には日ごろの鬱憤を晴らすかのごとく、現実では行える度胸すらない行為を平然と行っている者もいた。
「俺らはあくまでも自分たちで天下を取ることを目的に同盟を締結した。ということは今後、自分たちの天下のためにはまず、大名になる必要がある。」
「そのためにまず、この桶狭間で今川義元と松平元康、できれば信長も消しておきたい。桶狭間合戦の際、両家とも主力の武将は参戦していたはずだ。うまくいけば東海地方、特に尾張三河はしばらく無法地帯になる。」
「つまりは現在の愛知県となる地域は俺らで分け合うことにする。そして各々が専門に学んだ分野で特化し合えば…」
「この時代においては反則過ぎるほどの国力となる…か?」
「そう言うことだ。だが、その前にはまず、桶狭間だ。」
そこまで言うと男たちは、腕を天に伸ばした。
「全国統一するために生き残れるのはたった一人。だがまずは乱世を生き抜くため、下剋上だ。我らプレイヤー同士での潰し合いは後々だ!」
一番最初に起き上がったリーダー格の男が叫んだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
ほかの者たちも叫ぶ。酒の勢いもあってその雄叫びは、大地が震えるほどの者となった。
経成も、これが一番確実に天下を取る方法だと思うがゆえに参加した。
「…だが藤平君が、どうするかだね。」
ふと、冷静さを保っていた、経成が気になったことを口にする。
「あいつは、かわいそうだがここで消えてもらおう。」
リーダー格の男が間髪入れずに言う。
「そうだな。確かに彼は今大会最年少参加者でありながら、優勝候補の一人だ。今後我々が生き抜くうえでは一番の障害となろうな。」
口々にそう言った答えが出てくる。
「確かに若さゆえに血気盛んな正義漢、ある意味一番厄介だな。」
経成もそう思った。
若干、17歳でありながら、古武術を習っていた経歴を持ち、剣道、弓道などの腕前もなかなか。さらに歴史検定日本史一級を持っており、仕官後わずか数日で能力主義の織田家で足軽大将に登り詰めた藤平爆龍斎。たしかに危険な障害だろう。
「あの子も桶狭間の際に…」
「あぁ。」
そう言って男たちは解散したのか、ポツリポツリと城下に戻って行った。
最後に残ったリーダー格が帰ると、残ったのは経成だけであった。
「確かに参加者のほとんどは若者の勢いは脅威だろうな。現実でも有能な若手に追いやられて立場を失った者もいるようだしな。早めに消しておくべきだ。藤平君…かわいそうだが。」
経成は現実では家族もいた。家族仲良く暮らしていた頃の記憶を思い浮かべながら、ふと以前個人でプレイした際に出会った若者を思い出す。
「…そう言えばもう一人20歳で参加している者がいるはずだが、確か…山口信濃守…だめだ、名前が思い出せん。事前に調べたデータには今時の日本の大学生にしては色々とイカれてるとなっていたが、今日の宴にも来てなかったな。そうすると…今川に仕官するため駿河国に向かったのか。あるいは…」
そう言いながら夜更けの清州の街を歩いて行くのであった。
同時期 尾三国境 山口信濃守の小屋
…戦国時代の5月は四季的には[夏]に分類されるらしい。
実際、この世界のこの時期は現代とは違い、茹だるような暑さではないが降雨が豊富なためか、昼間は湿気による蒸し暑さを感じさせ、夜になれば心地いい涼風が感じられた。
しかし、いくら現代ほど暑くなかろうと、体重が140㎏前後ある信濃守にとっては、間違いなく厳しい季節だろう。
…要するにだ、一時期衰えてた贅肉が鬼コーチの蓮によって扱かれようとも数日程度で筋肉に代わるわけもなく…
「…あぢぃ…」
今にもくたばりかけているということだ。
信濃守の体型は体重から考えられるように現代でいう肥満体系それも超がつくほど。
しかし、ただの肥満ではない。その証拠に四肢の筋肉量に関しては一般人よりはるかに多く骨も太い。現実の世界ではこんだけ重いのに骨折やら関節痛などは一切なかった。いわゆる固太り体型というやつだ。
本人いわく、腹と顔の肉それと臓器が幾分人より多かったりデカかったのが原因なんだと自分で断定してしまっている。
ナビゲーターである蓮も、信濃守の思っていたよりも高い運動能力には予想外だったようで、思わず「殿は変わっている」と言ってしまったほどだった。
「…殿、それで実は…」
鍛錬中、涼をとるために上半身を肌蹴させ、地べたに寝転がる信濃守に、蓮は改まって話しかけてきた。
「どうした、蓮?」
蓮に俺が質何か話しかけることは多いが、蓮から話しかけてくるのは珍しい。というよりも初めてだ。…多分。
「はい、先日中村殿がいらしてより数日経ちました、そろそろどこへ向かわれるかお教えいただけませんか?」
なるほど、確かに俺は前に秀吉が訪問した時に「まだ早い」やら「時期」やらいっていた気がする。
俺の中では大した問題ではなかったが、きっと蓮の中では結構大きな疑問となっていたようだ。
「…わかった。」
「では…!」
「その前にいくつか知りたいことがある。」
信濃守はそう言うと、肌蹴させていた服を着直し、納屋に戻り始める。蓮はそれに追従していった。
納屋入口付近
信濃守は、この数日で色々と蓮に鍛錬してもらった際にできた丸太に腰掛け、向かいにいる蓮に話す。
「現状で織田及び今川に組している者の人数とその割合を教えてくれ。」
蓮は、常に信濃守が欲しいと思える情報を把握できるように自身に搭載されたAIを更新していたために、信濃守の質問に答える。
「はい。まず、全プレイヤー『1000』名中、現状織田家のプレイヤーは約870名、そのうち組頭級(小隊長クラス)のプレイヤー数は50名。さらにその中でも足軽大将級(中隊長クラス)はわずか2名です。」
信濃守は驚く。何にかと言えば、この大会、実は1000人も参加していることである。確かに会場もかなり大きかった、よくよく考えれば納得の数字だ。
「まぁ、得体も知れない輩ばかりのはずだが意外と多くのプレイヤーが下士官級か。それで今川は?」
「はい。今川家に仕官した者はわずか30人弱です。そのすべてが今川治部の小姓か、兵卒になっております。」
今川家に仕官するプレイヤーは少ないと踏んではいたが流石に予想外、少なすぎた。
「う~ん…史実改変を目論む連中もいると思ったんだがな。」
今回の大会では、特に制約などはなくそう言ったIFを考え付く者も多いはずだった。何か気になることはないかと熟考していた。しかし疑問はすぐに溶けることになる。
「殿が考えてることもあながち間違いではありません。実際、織田家に仕えている者のうち、約3割が今川家に仕官しようとした者です。」
蓮は続けて言う。
「今川家では、能力や器量も無論求められますが、それ以上に家格と容姿を求められる傾向にあります。」
信濃守は納得してしまった。
今川家現当主、今川義元はその能力を発揮し駿遠三の三ヵ国を手中におさめ、東海一の王国を築き上げた名君である。実際、家柄主義といったことはなく、人質であった者まで一将校として取り立てるほどの実力主義者ともいえる。
そのため、上洛を考えた道程で数万人の兵力を管理する中で、プレイヤーたちのような中間管理職程度ならできる者は確かに魅力的な人材ではあった。
しかしながら、上洛し天下に号令をかける。
あるいは将軍家を擁護する。
そういったことを考えると新たに召し抱えるにしてもある程度の名門の家柄だったり容姿端麗と言ったものが必要だと考えた。
何より、既にいる家臣自体、無能ではないため、人材はそろっていたともいえる。その為に家格などを求めたともいえる。
「なるほどな、自分の家の家格なんて、この時代の人間ならまだしも俺らの時代で知ってるやつはほとんどいないだろう。」
そうなると、必然的に今川に仕えるのはNGだろう。
「蓮、急ではあるがここを経とう。」
「えっ!?」
蓮は突然のことに思わず聞き返す。
「お前が気にしてた時期が来た。急だが旅の準備だ。」
信濃守はそう言うと納屋に入り、今来ていた衣類の上に、蓮が狩猟で狩った猪の皮で作ってくれた陣羽織を羽織る。
そこまでした時、蓮が入ってきた。
「準備と言っても、ここには戻らないのですから、いろいろしなければ。」
蓮は、呆れたようにこっちを見て言う。
「殿、準備は拙者がしておきますゆえに、あの子たちに会いに行かれては?」
「分かった。明日には戻るよ。」
そう言って、信濃守は、刀を腰に差して森に向かっていった。
ちょっとした豆知識
家格…家柄の格のこと。この頃の武士は、自分の名字を源平藤橘と呼ばれる、四家から流れをくむようにして作っていると言われている。
ちょっとしたクイズ
今回は家格についての問題です。
難易度★★★★☆
次にあげる5つの大名家の内、先ほどの源平藤橘に含まれていないのはどれでしょうか?
一,足利家(代表名:足利義輝)
二,長尾家(代表名:長尾景虎)
三,伊達家(代表名:伊達政宗)
四,長宗我部家(代表名:長宗我部元親)
五,真田家(代表名:真田幸村)