第四幕 刻々と動く時間
前回の答え
その前に、信長の父、信秀の没年は1551年とされている。
尾張勝幡城…信長の生誕地。ということで×
尾張清洲城…1555年に信長が奪取した。よって○
尾張那古野城…信長が5歳時に初めて城主となった城。よって×
三河安祥城…1540年時、信秀の庶子が城代として置かれている。よって×
尾張犬山城…ここの落城により信長は尾張を統一したと言われている。よって○
織田信秀は『尾張の虎』と恐れられていたが、勢力内での身内の反乱を危惧し尾張国内の統一よりも美濃国や三河国など他国への領域拡大に固執していた。
それは、信秀があくまでも自身は分家の生まれであるということで形式上は主筋家である清州織田家や岩倉織田家に攻めるのは後ろめたいと思っていたからだと言われている。
ちなみに美濃国で信秀の拠点となったのは大垣城、三河国での拠点は安祥城である。
舞台は一時先へ行く
1560年 5月10日(ゲーム開始からおおよそ一ヶ月)
尾張国 清洲城本丸御殿
そこでは、城主であり新たな尾張国の覇者となった、『織田信長』が上座に座している中、対今川戦線に関する軍議を行っていた。
その中には、佐久間、柴田、林、丹羽などの重臣のほかに新参者でありながら、僅かひと月で多くの有能な人材を織田家に斡旋し、織田家の強化に貢献したとして特別に軍議に出ることが許された、藤吉郎の姿もあった。
「昨今の今川に集う、兵士たちは間違いなく上洛に向かう為の軍勢!!そうなると近く、この尾張も進行してくる!!こうなれば、定石通り籠城策を取るべきだろう。」
筆頭格の『佐久間信盛』がそう発し、ほかの家臣に意見を求める。
「みじめに城に立て籠もり、今川が過ぎるまで指を銜えて見てろとでもいうのか!?俺は反対だぞ!!」
しかし織田軍きっての猛将『柴田勝家』が反対した。
それに頷き、野戦派と籠城派に分かれてあぁだこぉだ、言い始めていた。
籠城派は、佐久間信盛、林秀貞と言った、家老の中でも上席側の者。
野戦派は、柴田勝家、滝川一益、池田恒興と言った武闘派が中心。
丹羽長秀、森可成などは、信長の意見を聞いてから判断するという。
「…よい。」
いままで一通り議論してきた中、だんまりを決めていた信長は、騒がしくなった場を一言で制した。
「本日の軍議はこれまで。…猿、遠乗りだ。」
「はっ。」
その場にいた藤吉郎を呼び、自身は藤吉郎を連れ立ち、さっさと出て行ってしまった。
この後、重臣たちは頭を抱えたのは想像に難くないだろう。
しばらく、沈黙は続いたが、筆頭家老の佐久間が退室すると、それに続いて、一人また一人と広間を出て行った。
清洲城二の丸
ここは重臣や一門衆の屋敷が立ち並ぶ場所だ。しかし大手門に続く道は比較的広く、また大手門付近に並ぶ屋敷が武闘派の将たちの屋敷が多かったせいか、新規雇用された兵卒たちの練兵場も兼ねていた。
「…長柄隊!!最前列槍衾ぁ!前進~ん!」
ちょうど訓練中と見受けられる一隊が見える。そこには明らかに雑兵用と分かるほどにボロの胴具足をまとい、三間以上はある細い竹槍を持ちながら如何にもひょろっちぃ奴らが動き回っていた。
「貴様ら!何を遊んでんだ!自ら仕官してきた連中ならばも少しぐらい根性出しやがれぇ!」
先ほどから怒声まじりの激励で新兵たちを扱いているのは、織田家長柄槍衆侍大将『佐々成政』である。
彼は後に織田軍二大親衛隊の一つ、黒母衣衆筆頭となり信長の天下統一事業躍進の一端を担うことになる。
「長柄隊!!槍を振り上げぇ!」
成政の言葉に従いフラフラと竹が地面と垂直に立った。
「今日此れまでぇ!ご苦労だった。本日の集団練兵はこれにて終わりだ。各自、体を休めよ。」
成政の言葉を聞き、安堵の表情を見せる新兵たち。
「解散ぁん!」
…各自訓練用の竹槍を柵に立て掛け、方々に散っていく。中には体力にまだ余裕のあった者などが走って、二の丸を出て行ったが、ほとんどが互いに肩を担ぎながら歩いて行った。
成政は自身も鍛錬時に来ていた甲冑を脱ぎ、全身から湧き出た汗を手ぬぐいで拭う。
「鍛錬、ご苦労であるな。内蔵助。」
ふいに成政を呼ぶ声がする。振り返り、相手に気付くとすぐさま、片膝をつく。
「ありがたきお言葉です。柴田様。」
柴田勝家である。彼は軍議が終わり、本丸から出てきてちょうど訓練を終えたあたりに成政に話しかけたのだ。
「あの猿めが連れてきた者で兵卒となった者はお主やあの又左ほどではないが武勇に優れておるものが多い。特に爆龍斎と言った奇妙な名の者は武勇だけならばお主らと同等だ。人を率いる力も少しはある。悔しいがあ奴の人を見る目は認めざる得ないな。些か見縊ってたよ。」
史実において、勝家と秀吉の嫌悪な関係であったと言われることが多い。しかし、それはあくまでも織田家の勢力が強くなって以降であり、少なくとも桶狭間までにそう言った仲違いをしていたとはいえず、むしろ秀吉は勝家の勇猛さや、親分肌な部分にあこがれていたし、勝家も秀吉の主君信長への愚直なまでの忠誠心や非凡さは認めていたと言われている。
秀吉が後に『羽柴』という姓を名字とした際もそれを認めていることから、当初からの険悪な仲というわけではない。
「はっ。あの藤吉郎の手腕は見事です。あれくらいの能力ならばこの訓練も大したものではありませんが…。今、拙者が調練していた者らは自ら仕官したと聞いて楽しみにしていたのですが…。」
そう言って成政はいったん黙る。
それを見た勝家は、やはりか、とため息をついたが、
「…正直言って、雑兵以下です。まともに槍すら持てない者もいます。」
勝家の予想異常の回答をし、さらにため息をつく。
「…そこまでなのか?信長様の発想で作られたあの竹槍は従来よりも細く軽いのだぞ!?」
勝家が困惑するのも無理はない。新兵たちの調練に使っていた槍は信長が長い槍を徴兵した半民兵も使えるようにとついでに開発した竹槍である。
穂先を竹を鋭くしただけで刃も付けてないため非常に軽いうえに飢餓などで力もないものでも杖代わりに使えるようにとあえて細い竹で作られている。
「おそらく貧農や落ち延びた町民ですらないですね、はっきり言って腕力だけならあの猿以下でしょうな。」
二人はそう言って、お互いにため息をつく。そして、西日が差しかかる中、勝家の屋敷で成政に昼からの酒をすすめている勝家がいたのはしょうがないと言えばしょうがないのだろう。
尾張国 小牧山
最近、そこに瓢箪を抱えた小男と腰にいくつもの麻袋を結わいている若者の姿が頻繁にみられる。
「…して猿。あの者は如何に?」
信長は唯の草履取りであった男がよく浪人を連れてくることを決して悪くは思ってなかった。むしろ好ましく思っている。
たしかに言動や態度こそ多少気に食わない者が多かったがこのひと月で新たに召し抱えた者たちは大体が今のところ無能ではなかったからだ。
特に、文官的役割の人材が不足している織田家において、浪人とはいえ簡単な計算や読み書きができるというのは、役に立つ程度の評価は与えられる。
ほかにも、武術は総じて及第点程度の者が多いが、先日足軽大将にした、藤平は戦場でも働いてくれると思っている。
その男が、今なお懸命に当家に斡旋しているというそのものの動向を聞くのは最近の日課であった。
「…はっ。先日まで尾三国境付近で確認できたとのことですが、一昨日再び見に行った際は既にもぬけの殻となっており…」
「たわけぇ!!」
信長の逆鱗に触れた藤吉郎の頭に拳骨が降る。
「も、申し訳ありません‼」
秀吉は拳骨を受けた頭をさすりながら、その頭を地面に擦り付けている。
「…よい。して、他に目ぼしい者等はいたか?お前の報告では彼の者以外はあらかた収穫できたと聞いたが?」
信長は、藤吉郎に拳骨をして少し落ち着いたのか、藤吉郎に話の続きを示唆する。
「…はっ。少なくとも昨日の時点で尾張国内、他、美濃、伊勢、三河国内にいた連中はあの者以外、間違いなくすべて当家に仕えてくれました。」
…新たに召し抱えた者は、文武官合わせてざっと350人。それも万能ではなくも無能に非ずの者ばかりだ。
「その中に、お主ぐらいの器量の者は?」
今後ますます激化していくと思われる当家の采配において、万能な将を欲するべきなのは当然だろう。こ奴ほど使い勝手のいい者がいれば幸いだが…。
「…残念ながら。やはり謀ができぬものがほとんどで。その気がありそうな者もいましたが、やはり下手者です。」
…信長は黙り込む。そして、改めて命を下した。
「猿、御苦労である。俺は城に戻る。お前は戻り次第、奴の消息を追え。おそらく国内の城下いずれかにはいる筈だ。」
「はっ!」
そう言って主従は小牧山を下山し、信長は清州に、藤吉郎は消息を絶った目的の人物の捜索を始めひとまず城下の長屋に向った。
翌5月11日
藤吉郎は、知り合いの馬借に馬を借り一晩中かけ、あの一帯付近をくまなく調べてみたが、夜間なうえに灯りすらない中だったので、徒労に終わってしまった。
そして現在、そういった噂は無いか等、ひとまず清洲の城下町に戻って情報収集を始めたのだった。
清洲城下
清洲城は150年ほど前からここ尾張国の守護館だったうえに、五条川を運河上に張り巡らして天然の水堀で開拓された城下町、街道筋に挟まれた立地、そうした条件に加え、信長支配下になってからは楽市楽座を奨励した影響で尾張国最大の城下町を形成していた。
また街道沿いに北へ行けば美濃国、東ならば三河国、西なら伊勢国、さらに城下を南へ進めば尾張国屈指の港湾街、津島より船に乗れるという交通の要衝であり、身分問わず多くの人々が往来する場所である。
こういった交通の要所は一種の人材バンクともいえる場所があり、探し人を探すにはうってつけの場所だったのだ。
藤吉郎は早速、清洲の街の情報屋的存在の者に話を聞いた。以前より見慣れぬ武士の情報を知ったら教えてほしいと金を積んでたからなのはご承知の通りであろう。
「ふむ、そうなるとここ5日前に清洲の東の入り口で見かけてより姿を眩ませておると…?」
藤吉郎は尾張の行商人たちの元締であり、津島・清洲の有力者、『堀田太夫』の下に来ていた。
「その通りです。藤吉郎殿が探しておられる方は少なくともまだ国内のいずれかにはおられると思います。町を出られてたならば、我が手の者がどこかしらの道で会っている筈です。」
堀田はそう言って丁稚小僧が持ってきた茶を啜る。
「…やはり、あの人は清洲で会うつもりか…。」
藤吉郎が捜してる人物には、最後に会ってから20日以上会っていない。それはその人物に仕官を求めるのと並行して、他にも多くの人材を確保することに奔走していたからである。
ほかにももう一つ理由があり、最後の対面の際に相手と喧嘩越しの取引を行ったからというのもある。
[来たるべき、皐月の半ばに参る、五条川の見ゆる町で会おう。]
そう言った文が書かれた、紙きれをその人物から別れ際に受け取ったからだ。
それを藤吉郎なりに解釈し、自ら赴くのをやめたのだ。
「しかし、藤吉郎殿がそこまで探しているお方はいったいどれほどの御方なんでしょうな。」
堀田も藤吉郎が捜してる人物について興味はあった。外見や素振りなどを聞いてるといかにも猪武者と言えるような感じだが、それだけで藤吉郎が仕官を求める筈はない。
「そうですな…何と言いますか。拙者もようわからん、というのが本音でしょうな。」
「ほほぉ。まぁそう言う方もいますわな。さて、では私もそろそろ人と会う用事がありますので。」
堀田は、さりげなく藤吉郎に御暇してくれるように頼む。
「おぉ。気付かぬ間に随分と日が暮れてしまった。申し訳ない。」
そう言って藤吉郎は堀田の店先から出ていこうとする。
「あぁ藤吉郎殿。」
そう言って、堀田は藤吉郎を呼び止める。
「先ほどの話ですが、探していらっしゃる御仁は一緒に御若い御武家様の供が御一人と非常に大きな巨馬をお連れでした。馬借の生駒さんが住んでいる外れに非常に大きな馬を見たと報告が来ています、生駒さんの所をあたっては如何でしょう。」
堀田曰く、北の郊外でその人物を見たとのことである。
「…感謝いたす。此れはほんの礼金じゃ。」
そう言って藤吉郎は、永楽銭を渡す。
「ではこれにて。」
そう言って、藤吉郎は来た道を戻り、『生駒家長』が運営する馬屋に向かったのだった。
探し人、山口信濃守に会うために。
ちょっとした豆知識
清洲城下はこののち17世紀初頭までは尾張国の中心地であった。
しかし、17世紀に徳川幕府が誕生すると、それよりも少し南にある那古野こと名古屋城が作られ、清洲城域も吸収される。
ちょっとしたクイズ
今回は引き続き織田家の問題です。
次の3人の中で、本能寺の変以前に織田家一門の扱いとされているのはだれ?
(…以降はその理由)
①柴田勝家…信長妹、お市の方の再嫁先
②羽柴秀吉…信長四男、秀勝を養子にした。
③武田勝頼…信長養女、雪姫の嫁ぎ先。
答は次回までお楽しみに。
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