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令嬢から成り下がったメイドの分際で、侯爵様と目が合ってしまって  作者: 月兎


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 処刑場からの強行突破という前代未聞の事態に、王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎに陥っていた。


 アルフォンスは、傷つき震えるエルナをその腕に抱いたまま、第二騎士団の拠点である王宮西翼「獅子の塔」へと足を踏み入れた。


「……ここから先は、ベルンハルト侯爵領と同じだと思え。誰にも、指一本触れさせはしない」


 アルフォンスの低い、しかし有無を言わせぬ響きを持った声が石造りの壁に反響する。


 彼はエルナを塔の最上階にある自身の私室へと運び込み、羽毛のように柔らかなベッドへと横たえた。


「閣下、追手が参りました。クレイソンが動かした近衛兵の一団です。……かなり殺気立っていますね」


 扉の影から音もなく現れたのは、副団長のレイだった。

 その少年のような美貌には、緊迫した状況をどこか楽しむような、不敵な笑みが浮かんでいる。


「エドガーはどうした」


「既に正面入り口に」


 アルフォンスは短く頷くと、レイに一通の書状を手渡した。


「レイ、お前は裏から出ろ。昨晩特定した彫金師の身柄を、何としても公爵の手より先に確保しろ。証言さえあれば、明日の夜ですべてが終わる」


「了解です、団長」


 レイは深々と一礼すると、次の瞬間には風のように窓から姿を消した。




 一方、獅子の塔の正面大扉の前では、もう一人の副団長、エドガーが立ちはだかっていた。


 重厚な鋼の鎧に身を包み、大人が二人隠れるほど巨大なタワーシールドを地面に突き立てている。


 その姿は、まさに動かざる山のごとき威圧感を放っていた。


「どけ、第二騎士団!我々は国王陛下の名の下に、大逆罪の容疑者エルナ・ルミナスの身柄を引き渡しに来たのだ!」


 公爵派の近衛兵長が剣を突きつけ、大声で怒鳴る。


 だが、エドガーは兜の奥から鋭い眼光を向けるだけで、微動だにしない。


「国王陛下の名、か。……ならば、陛下からの直接の『勅命書』を持参したか?それがなければ、ここは第二騎士団の管轄区域、聖域だ。ベルンハルト団長の許可なく通すわけにはいかん」


「貴様、反逆を企てるつもりか!」


「反逆、だと?」


 エドガーは、地を這うような低い声で笑った。


 彼は突き立てた大盾を僅かに持ち上げ、一歩だけ前に踏み出す。

 その一歩だけで、石畳がミシリと悲鳴を上げた。


「我が団長、アルフォンス・マクシミリアン・ベルンハルト閣下こそが、この国の盾だ。その閣下が守ると決めた御方を奪いたいのであれば、……まずは、私のこの盾と、第二騎士団全員の首を撥ねてからにせよ」


 エドガーの背後で、整然と並んだ重装歩兵たちが一斉に槍を構える。


 その練り上げられた殺気に、近衛兵たちは気圧され、一歩、また一歩と後退りした。




 塔の外で火花散る睨み合いが続く中、静寂に包まれた私室で、エルナはアルフォンスの服の袖を必死に掴んでいた。


「アルフォンス様……、私などのために、これ以上は……。私が、私が死刑を受け入れれば、貴方は反逆者にならずに済むはずです……」


 涙ながらに訴える彼女の顎を、アルフォンスは優しく、しかし強引に指先で掬い上げた。


「エルナ、よく聞け。……君は今、何を着ている?」


「え……?」


 エルナは、自分の体を見下ろした。泥と涙に汚れ、あちこちが裂けた無惨な死装束。


「公爵家は、君をその姿で殺そうとした。薄汚いスパイ、たぶらかしの魔女、没落した罪人の娘……。そんな偽りのレッテルを君に貼り付け、君の尊厳ごと踏みにじって葬ろうとしたんだ」


 アルフォンスの瞳に、昏い炎が宿る。


「もし君がその汚れた服のまま裁判に立てば、人々は公爵の嘘を信じ続けるだろう。……だから、明日の建国記念舞踏会に、君を連れて行く」


「舞踏会に……?そんな、罪人の私が……」


「いいえ。君はルミナス家の正当な血を引く令嬢であり、私の婚約者としてそこに立つ。……君が誰よりも眩しく、気高く、美しい姿で現れた時、人々は気づくはずだ。公爵が語った『薄汚い女』という言葉がいかに醜い嘘であったかをな」


 アルフォンスは立ち上がり、控えさせていた王都一のドレスメーカーと美容師たちを部屋に招き入れた。


「これは戦いだ、エルナ。……失われた君の誇り、君の父君の誉れ。それらすべてを力ずくで奪い返すための、美しい武装だ」


 戸惑うエルナの前に、最高級のシルクやレース、そして燃えるような輝きを放つエメラルドの宝飾品が並べられていく。


 アルフォンスは彼女の耳元で、誓うように囁いた。


「君を辱めた者たちすべてが、そのあまりの眩しさに目を逸らし、自らの卑劣さを呪うまで……。私が君を、この世で最も美しい淑女に仕立て上げてみせる」


 アルフォンスの瞳に宿る、圧倒的なまでの自信と深い情愛。


 エルナは初めて、自分を縛っていた「罪」という名の鎖が、彼の言葉によって溶けていくのを感じた。


 翌晩。


 全貴族が集う華やかな舞踏会の会場に、誰もが予想だにしなかった「真実」が、最高の輝きを纏って現れることになる。

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