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王宮前広場を埋め尽くすのは、冬の朝の凍てつく空気と、これから行われる残酷な見せ物への異常な熱気だった。
広場の中央に急造された黒塗りの断頭台。
その上に、白衣の死装束を纏わされたエルナが跪かされていた。
彼女の緑色の瞳は、恐怖を堪えるように固く閉じられ、細い首筋が陽光に白く浮かび上がっている。
「……汚らわしい泥棒猫。せめてその首が落ちる瞬間くらい、美しく鳴いて見せなさい」
特等席のバルコニーから見下ろすイザベラが、扇子を弄びながら嘲笑を浮かべる。
その隣では、クレイソン公爵が傲慢に胸を張り、周囲を固める自派の兵士たちに頷いて見せる。
「執行せよ!国家を欺き、侯爵をたぶらかした反逆者に、王国の鉄槌を下すのだ」
公爵の号令と共に、執行人が重い鉄の刃を吊り下げた鎖に手をかけた。
ガチリ、という不吉な金属音が広場に響き渡り、民衆が息を呑む。
――その、刹那だった。
「――私の許可なく、誰がその鎖を解くことを許した」
天を衝くような咆哮と共に、上空から巨大な氷の槍が降り注いだ。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が広場を揺らし、処刑台の機構を支えていた太い支柱が、一瞬にして凍土の彫刻へと変貌する。
落下し始めた断頭台の刃は、エルナの首筋まで数センチというところで氷の棘に貫かれ、粉々に砕け散った。
「な、……何事だ!?」
狼狽する公爵の視線の先。
白煙を上げる冷気の中から、一人の男が姿を現した。
銀色の髪を荒ぶらせ、怒りで瞳を氷晶のように輝かせた、アルフォンスだった。
彼は一足飛びに処刑台へと上がり、呆然とするエルナの前に立ちはだかった。
「アルフォンス……様……?」
震えるエルナの声に、アルフォンスは一度だけ肩越しに視線を向けた。
その瞳には、彼女を死の淵に追いやった者たちへの、底知れぬ殺意が宿っている。
「ベルンハルト侯爵!貴殿、正気か!?反逆者の女を庇うとは、貴殿も同罪だぞ!兵ども、侯爵を捕らえろ!」
公爵が叫ぶ。
公爵派の兵士たちが一斉に剣を抜き、処刑台を取り囲もうと踏み出す。
だが、その包囲が完成するよりも早く、広場の四方から地響きのような足音が響き渡った。
「――第二騎士団、展開!」
鋭い号令を下したのは、副団長のレイだった。
彼は風のような速さで民衆の波を割り、公爵派の兵士の背後を即座に制圧する。
そして反対側からは、重厚な鋼の鎧を鳴らし、もう一人の副団長・エドガーが歩み出た。
「我が団長、アルフォンス・マクシミリアン・ベルンハルト閣下の命は、王の意志にも等しい。……道を空けろ、雑兵ども」
エドガーの声は地を這うように低く、その手にした巨大な盾は、一切の反撃を許さぬ「鉄壁」を象徴していた。
レイが軽妙な剣技で敵の隙を突き、エドガーが重圧で敵の戦意を挫く。
第二騎士団の精鋭たちが一斉に抜刀し、公爵派を逆包囲した。
「馬鹿な……第二騎士団が、なぜこれほどまでに……」
クレイソン公爵が戦慄する。
アルフォンスは混乱を極める広場の中、処刑台の上で高く右手を掲げた。
その指先には、昨日公爵邸から奪取した「ルミナス家の偽造印章」が握られていた。
「反逆者はどちらだ、クレイソン。……この偽造印章と、貴殿の署名が入った横領の裏帳簿。これらが語る真実を、陛下にお届けする前に彼女を消そうとしたその浅知恵……。我が第二騎士団の誇りにかけて、断じて許しはしない」
アルフォンスの声は、広場の隅々にまで氷の礫のように突き刺さった。
民衆からどよめきが上がる。
真実の断片を突きつけられたクレイソンは、顔を土色に変えて絶句した。
アルフォンスは、ゆっくりと背後のエルナに向き直る。
彼はその場に跪き、彼女の細い手首を縛っていた縄を、指先の冷気で一瞬にして氷砕した。
「……怖かったな、エルナ」
その声は、先ほどまでの死神のような冷徹さが嘘のように、深く、柔らかな慈愛に満ちていた。
アルフォンスは震える彼女の白く冷えた手を取り、その甲に、熱く長い口づけを落とした。
「もう誰も、君に触れさせない。君を侮辱したすべての言葉を、私がその喉元へ突き返してやろう」
「アルフォンス様……、ああ……」
エルナの瞳から、堰を切ったように安堵の涙が溢れ出す。
アルフォンスは彼女を壊れ物を扱うように、しかし誰にも渡さないという強烈な独占欲を込めて、軽々と横抱きに抱き上げた。
「エドガー、レイ。この場を封鎖せよ。鼠一匹、この広場から逃がすな」
「了解です、閣下。……さて、お掃除の時間ですね」
「御意。不届き者共、一歩も動くことは許さん」
レイの冷ややかな笑みと、エドガーの揺るぎない威圧。
二人の副団長に守られ、アルフォンスはエルナを抱いたまま処刑台を降りた。
「さあ、クレイソン。……これより王宮へ向かう。地獄へ落ちる準備はできているか?」
凍てつく視線が公爵とイザベラを射抜く。
それは、誇り高き「氷の王」による、残酷で完璧な復讐劇の始まりだった。




