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暗く、凍てつくような冷気が肌を刺す。
視界の端に映るのは、湿り気を帯びた石造りの壁――エトワール伯爵家の地下室。
それは奉公人の寝所というより、生きたまま葬られる墓穴のようだった。
没落の際、私たちが負わされたのは家名の剥奪や財産の没収だけではなかった。
天文学的な額の「罰金」という名の賠償金。
それを返済するために、私は逃げ場を失った羊のように、王都随一の富豪として知られるエトワール家に売り飛ばされるように雇われた。
地下室に押し込められた同僚たちは、皆、過酷な運命に翻弄された哀れな魂ばかりだった。
莫大な借金に首が回らなくなった者、親を亡くした孤児、そして私と同じように没落した名家の娘。
伯爵は、慈悲を装ってはそのような弱者たちを買い叩き、飢えと重労働という鎖で繋ぎ止めていた。
そんな生き地獄の中で、私は一人の少女の「玩具」になった。
伯爵令嬢、レノア・エトワール。
私より一歳年下で、父親譲りの傲慢さと底知れない物欲を小さな体に詰め込んだような娘。
彼女は、かつて自分より遥か高みにいた「公爵令嬢」が自分の靴を磨き、罵倒に怯える姿に、歪んだ陶酔を感じていた。
記憶の中の彼女が、扇を広げて嘲笑う。
「あら、ごめんなさい。あまりに惨めな姿だから、人間ではなく汚れた雑巾かと思ってしまったわ」
「掃除すら満足にできないの? さすが、甘やかされて育った無能な売国奴の娘ね」
「そんな濁った目で私を見ないでちょうだい。不快だわ。今すぐその額を床に擦り付けなさい」
繰り返される言葉の暴力。
それさえも、あの夜の序曲に過ぎなかった。
ヴォルティエ侯爵邸で開かれた、華やかな舞踏会。
「人手が足りないから」という見え透いた口実で、レノアは私をその場へ連れ出した。
着古したメイド服を着せ、かつての知己たちが集う社交の場に、私を「展示品」として放り込んだのだ。
そして、彼女が現れる。
イザベラ。
クレイソン公爵家の令嬢。
かつての私が、最も親しい友人だと信じていた少女。
「……身の程を、わきまえなさい」
鋭い衝撃が頬を弾く。
冷え切った広間で、乾いた音が響き渡る。
一度、二度。執拗に繰り返される掌打。
周囲にいた令嬢や貴族たちの、さざ波のような笑い声。
「汚らわしい」
「よくもまあ、その面下げてこの場に現れたものだわ」
視界が歪む。
火照る頬の痛みよりも、魂を削り取られるような屈辱。
イザベラは、若き貴婦人たちの頂点に君臨する「社交界の女王」だった。
レノアが単独で、私をここまで追い詰めるような真似ができるはずがない。
これはすべて、イザベラの――いや、私の家を没落へと追い込んだ張本人である彼女の父、クレイソン公爵の差し金だったに違いない。
かつての友情を無残に踏みにじり、底辺へと叩き落とされた私を笑いものにする。
赤いドレスを翻し、勝ち誇ったように見下ろすイザベラの瞳が、鏡のように砕け散り――。
「……っ、はあ、はあ……っ!」
激しい動悸とともに、私は跳ねるように目を覚ました。
背中に冷たい汗が伝う。視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井。
夢か。
あれは、もう過ぎ去ったはずの……。
しかし、震える指先で触れた頬には、今もあの夜の熱い痛みがこびりついているようだった。
「……様」
微かな、けれど聞き慣れた声が耳元に届く。
瞼を閉じたまま、私はまだ夢の残滓と現実の狭間を彷徨っていた。
「エルナ様!」
弾かれたように飛び起きる。
喉の奥から短い悲鳴が漏れたかもしれない。
荒い呼吸を整えながら隣を見れば、そこにはひどく心配そうな顔をしたクロエが私を覗き込んでいた。
「また、悪夢ですか?」
彼女の問いに、私は乱れた息を吐き出しながら、ゆっくりと頷いた。
「ごめんなさい、クロエ。また驚かせてしまったわね」
「いいえ、構いません。ちょうど起きる時間でしたから」
時計に目をやると、時刻は早朝の四時。
私たちは身なりを整え、新しい一日の始まりを告げる朝礼へと向かうべく、部屋を出た。
ベルンハルト侯爵邸に来て、一週間が経とうとしていた。
当初の混乱を思えば、我ながら驚くほどこの環境に適応しつつある。
廊下を歩けば、別の部屋から出てきたメイドたちと自然に合流し、和やかな挨拶が交わされる。
「あら、エルナ。おはよう」
「エルナちゃん、お早よう。今日も顔色が良くて安心したわ」
「無理しすぎちゃダメよ?」
彼女たちの態度は、驚くほど好意的である。
けれど、これは私がひたむきに努力した成果でも、彼女たちが特別にお人好しだからでもない。
私に向けられる好意のすべては、ある「絶大な外的要因」によるものだった。
すれ違いざま、一人のメイドが声を潜めて私に寄り添ってくる。
「ねえエルナ、今晩も閣下はいらっしゃるの?」
「私も、後でお部屋にお邪魔してもいいかしら。一目だけでも拝めたら、明日も頑張れる気がするのよ」
つまり、そう。
みんなが私に良くしてくれている理由。
それはこの一週間、アルフォンス様が一日たりとも欠かさず、私とクロエの部屋を訪れているからだった。




