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令嬢から成り下がったメイドの分際で、侯爵様と目が合ってしまって  作者: 真好


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「その通りです。エルナは、かわいい」


 きっぱりとした断言。

 そして彼は、腕の中の私にちらりと目配せをした。


 その刹那、彼が浮かべた無邪気なほど鮮やかな笑顔に、私の心臓が跳ね上がる。


 氷魔法の影響で冷え切っていたはずの体が、一瞬で熱を帯びるのを感じた。


 彼は再び、母に向かって凛と胸を張る。


「顔が愛らしかったから。瞳が美しく、目が合ってしまったから。理屈で説明のつくものは、恋とは呼べない。本能が、直感が、魂が、理性の介在する余地もなく彼女を求めた。それを野蛮とおっしゃるなら、私は喜んで野蛮人になります」


「……っ!」


 グレース様の血圧が急上昇する音が、ここまで聞こえてきそうなほどだった。


 再び火炎が巻き起こるのではないかと身を砕く思いで案じたが、幸い、そんな気配はなくて。

 ただ、彼女は屈辱に震えるようにして、きつく唇を噛みしめておられた。


 一方のアルフォンス様は、どこか楽しげな色さえ瞳に浮かべ始めていた。


 彼は母上だけでなく、瓦礫の山を囲んでこの親子喧嘩を固唾を呑んで見守っている観客たち――メイドや騎士たち全員に披露するかのように、その明瞭な声を高らかに響かせた。


「理由などない。理由などないからこそ、私はエルナに一目惚れしたのだ。これまで出会った女性たちは、皆、愛おしいと感じる前に理性が先んじていた。なぜこの子を美しいと思うのか、その根拠を探る分析が先に立った。そしてその客観的な分析は、いつも私の恋心に冷や水を浴びせてきた。だが母上、エルナだけは違ったのです」


 彼は大きく息を吸い込み、言葉を継ぐ。


「彼女と目が合った瞬間、分析したいのではなく、ただ『知りたい』という情動が突き上げてきた。そんな経験は初めてだった。なぜ可愛いのか、ではない。可愛いから、もっと知りたい。その抗いがたい奔流に飲み込まれ、気づけば私は彼女の手を取り、踊っていた。これが、今回の衝突事故の顛末です。ですから、母上……。いえ、お母様」


 ここで、彼の口調から公的な響きが消えた。

 まるで幼い少年が、母に向かって本当に欲しいものをねだる時のように、切迫した真心を込めた声で彼は乞うた。


「……私のこの恋を、認めてはくれませんか?」


 彼が言い終えると、広間に長い沈黙が降りる。


 私、アルフォンス様、そして固唾を呑む観客たち。

 全員が息を止め、グレース様の次の一声を待つ。


 やがて、グレース様は諦観に近い苦笑を漏らし、独り言のように呟いた。


「あんなに無口だった子が……いつの間に、これほど弁が立つようになったのかしらね」


 だが、彼女はすぐに表情を引き締めた。

 そこにはもう憤怒の色はなく、広間が崩壊する前、メイドたちの前で見せていた事務的で峻烈な女主人としての顔に戻っていた。


「閣下の心中は、よく理解いたしました。認めましょう。……ですが、その娘だけは認められません。昨夜の不始末は不問に付します。ただし、その娘は今すぐ、直ちにこの屋敷から追い出しなさい」


「なぜですか!」

 アルフォンス様が即座に反論する。

「理解してくださったのなら、なぜ……!」


「私が認めたのは、」


 グレース様が、息子の言葉を断ち切るように割って入る。


「閣下のお気持ちであって、その娘ではありません。ここだけはこの母も譲れません。閣下が恋を知る年齢になったことは喜ばしく、今後訪れるであろう出会いも応援しましょう。ですが、その娘だけは、断じてなりません。他の相手をお探しなさい」


「……」


 再び激しい言い争いに戻るのかと、場に緊張が走る。

 だが、アルフォンス様は母に倣うかのように落ち着きを払い、静かに問いかけた。


「……理由を、お聞かせください」


 それは、かつて母から教わったであろう、峻厳な貴族の作法に基づいた問いだった。

 グレース様も、それには真正面から真剣に答えた。


「その娘は、王立第二騎士団団長、アルフォンス・マクシミリアン・ベルンハルトの伴侶としては、到底、釣り合いが取れないからです」


 一分の隙もない、判決を下すような断定。


 アルフォンス様はしばらく地面を見つめて思案していたが、やがて鋭い眼差しを母へと向けた。


「……そんなに、身分というものが重要なのですか?」


「重要です。それが世界のことわりですから」


 彼女はそれだけを言い捨てる。

 その鉄壁の論理には、抗いがたい強力な説得力が宿っていて。


(……やはり、そうなのね)


 私は、どこかで深く諦めていた。

 これ以上彼に迷惑をかける前に、一刻も早く立ち去るべきなのだと。


 だが、アルフォンス様は退かなかった。

 一瞬、迷うような素振りを見せたものの、やがて彼は腹を括ったような顔で、一撃を放つ。


「……母上に、それを言う資格があるのですか?」


 事務的に落ち着いていたグレース様の表情に、亀裂が走る。

 今度は憤怒ではなく、恐怖に近い何かがその顔を支配していく。


「……何と言いました?」


 グレース様が聞き返すと、アルフォンス様は、深淵を覗き込むような静寂の間を置いてから、告げた。


「父上と結ばれた時、母上もまた――平民だったではないですか」

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