19
一目惚れ。
その言葉が導火線となり、室内は瞬時に爆発的な騒がしさに包まれた。
先ほどまで息を潜めて高貴な親子の対決を観戦していたメイドたちが、もはやグレース様の存在すら忘れたかのように、手放しで歓声や驚愕の声を上げる。
衝撃を共有しようと三々五々、顔を見合わせ、広間は一気に喧騒の渦へと叩き落とされる。
一方の私は、もはや苦笑を浮かべることしかできなかった。
これはもう、自暴自棄の域を超えている。
(いっそ殺してください、侯爵様……)
心の中でそう呟くのが精一杯で。
「み、皆、静かに……!」
ロゼッタさんが必死に場を収めようとするが、膨れ上がった好奇心と興奮の波は、一向に収まる気配を見せない。
雑音はさらに大きくなり、収拾のつかない事態になるかと思われた、その時だった。
――ク、ウ、ゥ、ゥ、ン……!
突如として、講堂の床下から地響きのような震動が鳴り響いた。
足元を突き上げるような激震に、広間のあちこちで短い悲鳴が上がった。
そして、その直後に訪れる、心臓が止まるような静寂。
私とアルフォンス様、そしてメイドたちの視線は、吸い寄せられるように一点へと集まる。
そこには、深く俯いたままのグレース様が立っていた。
彼女の表情を読み取ることはできない。
しかし、その体からは目に見えない異様なエネルギーが渦を巻いて溢れ出し、大気を震わせていた。
「……っ!」
私は自分の目を疑った。
グレース様の髪が、まるで意思を持つ蛇のようにうねりながら、ゆっくりと逆立ち始めたのだ。
一本一本が生き物のように蠢き、周囲の空間を侵食していく。
「母上……!」
アルフォンス様が、異変を察して母へと駆け寄ろうとした。
だが、彼がその体に手を伸ばした瞬間、「バチッ!」という激しい放電音と共に、見えない障壁に弾き飛ばされる。
「……不味いな」
アルフォンス様が苦々しく毒づく。
彼はすぐさま振り返り、広間にいる全員に向かって叫んだ。
「皆、ここから出ろ! 早く! 今すぐにだ!」
あまりに唐突な命令に、メイドたちは戸惑い、うろたえるばかりだった。
だが、彼女たちの迷いを断ち切るように、二度目の地鳴りが襲う。
先ほどとは比較にならない衝撃。
立っていることすらままならず、床が波打つ。
「早く外へ出ろと言っているんだ!」
アルフォンス様の再度の警告。
その切迫した声に、ようやくメイドたちが雪崩を打って出口へと走り出す。
「エルナ様!」
混乱の中で立ち尽くしていた私の手を、誰かが力強く掴む。
クロエだった。
「早く外へ!」
避難するメイドたちの列に加わろうとした、その時だった。
真横で倒れた椅子に足を取られ、私は無様に床へと転倒してしまった。
その衝撃で、繋いでいたクロエの手が離れてしまう。
「エルナ様!」
戻ってこようとするクロエに、しんがりを務めていたロゼッタが割って入る。
彼女はクロエの腕を強引に掴み、「死にたいのか!」と一喝して外へと連れ出していく。
私は安心しながらも、必死に立ち上がろうとしたが、三度目の激震が建物の限界を告げた。
大理石の床は無残に割れて隆起し、壁には巨大な亀裂が走り、窓ガラスが無数の破片となって降り注ぐ。
(……ああ、私、ここで死ぬのかしら)
殺される覚悟はしていたけれど、まさか建物の下敷きになって圧死するなんて。
そんな場違いな自嘲が脳裏をよぎるが、死への恐怖は容赦なく全身を支配していた。
「エルナ!」
突然アルフォンス様の叫びが聞こえた。
その声に弾かれたように顔を上げると、視界に入ったのは――天井から引き剥がされ、私の真上から自由落下を始めた巨大なシャンデリアだった。
これが、走馬灯というものなのだろうか。
現実なら一瞬のはずの光景が、まるでスローモーションのように眼前に広がる。
これまでの人生の断片がパノラマのように駆け巡り、そして最後に――アルフォンス様の顔が浮かんだ。
(死ぬ間際に見るのが、あの人の顔だなんて。……不幸中の幸い、かもしれないわね)
そう思って目を閉じようとした、その時。
それが幻影ではなく、本物のアルフォンス様であることに気づく。
いつの間にか私のすぐ隣まで到達していた彼が、そのまま私を包み込むように強く抱き寄せたのだった。




