18
扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたアルフォンス様は、心なしか息を切らしていた。
乱れた前髪が額に張り付き、端正な顔立ちにわずかな朱が差している。
その姿は、まるで戦場から駆け戻った騎士のような荒々しさと、目を焼くような気品を同時に放っていた。
彼の登場によって、極北の地のように冷え切っていた講堂の空気は一変した。
先ほどまで規律正しい騎士団のようだったメイドたちが、一瞬にして年相応の少女へと立ち返る。
殺伐とした緊張感はどこへやら、あちこちから吐息のような感嘆や、抑えきれない嬌声が漏れ聞こえてきた。
氷山をも一息に溶かしてしまいそうな、暴力的とも言える彼の美貌を前にしては、それも仕方のないことなのかもしれない。
私自身、ついさっきまで自分が処刑台に立たされていたかのような心境の中にいたことを、一瞬忘れて見惚れてしまったのだから。
「アルフォンス……」
グレース様の瞳から、燃え盛るような怒りの炎が目に見えて引いていくのが分かった。
あんな息子を向けられては、毒気を抜かれるなという方が無理な相談だろう。
「……一体どういうことなのですか。説明なさい、閣下」
グレース様は、辛うじて女主人の威厳を取り戻そうと表情を引き締める。
さきほどの半分程度だけど、とりあえず険しさを保ちつつ、愛息子を射抜くような視線で見据える。
アルフォンス様は、自分に向けられる熱烈な視線の渦を悠然と横切り、私とグレース様の間へと歩み寄った。
「申し訳ありません、母上」
彼は母に向かって短く目礼し、私とグレース様を交互に見つめてから、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「昨夜のうちに、きちんとご説明に伺うつもりだったのです。ですが、まずは身を清めてからと考え、湯船に浸かりましてね。……けれど母上もご存知の通り、私、ここのところ公務が立て込んでいたでしょう? 昨夜の舞踏会も、母上のたっての願いでなければ欠席していたほどの強行軍でした。……結局、あまりの疲労に、湯船の中でそのまま『気絶』するように眠ってしまいまして。母上へのご報告が今朝にずれ込んでしまったこと、深くお詫びいたします」
(……気絶?)
その言葉を発した瞬間、アルフォンス様の視線が、ほんの一瞬だけ私に注がれた。
私は気づく。
これは嘘だ、と。
昨夜、湯船で気を失ったのは私だ。
彼はそれを知っていて、あえて自分の失態としてなぞってみせたのだ。
でも、なぜ?
疑問が貼れないうちに、親子のやり取りは続く。
「前置きが長すぎますよ、閣下。言い訳は不要だと、あれほど教えたはずですが」
グレース様が不満げに眉を寄せながら言う。
するとアルフォンス様は、申し訳なさと余裕が同居したような不思議な色気を持って肩をすくめ、再び短く謝罪した。
「恐縮です、母上」
「……いいわ。さっさと本題に入りなさい。一体、この子は何者なのですか?」
グレース様の問いに、アルフォンス様はもう一度私へと視線を向けた。
そして、これ以上ないほど淡々と、告げた。
「昨夜の舞踏会で出会い、共に踊った娘です」
「おっ……」
グレース様が何かを言おうとして、そのまま「お」の形のまま口を固まらせてしまう。
絶句した母を待つように間を置いてから、アルフォンス様は説明を続ける。
「名はエルナ。会場でメイドとして働いていましたが、諸事情で職を失う寸前だったため、私がここで雇うことに決めました」
淡白に、事実だけが、講堂に響き渡る。
朝の陽光が差し込み始めた室内は、しかし、アルフォンス様が現れる前よりも深く、重く、凍りついた。
窓の外は明るさを増していくというのに、この広間だけが真冬の真夜中に取り残されたような、逃げ場のない沈黙に支配されていく。
「ロゼッタ」
グレース様が、背後に控えるロゼッタへと声を絞り出した。
「は、はい……大奥様」
「今……」
グレース様の声は途切れ途切れで、辛うじて形を保っているという有り様だった。
彼女は縋るような、あるいは確認を求めるような眼差しをロゼッタに向ける。
「今、閣下は……『踊った』と言ったの?」
「……左様にございます」
「それは、私の知るあの『踊る』という意味で間違いないのね? 男女が手を取り合い、音楽に合わせて体を動かす、あの行為のことに」
ロゼッタの首が、さらに深く垂れ下がった。
「さ、左様にございます……」
「……どうして?」
グレース様は、未だに息子の顔を見ようとはしない。
白目の面積が異様に広くなった、狂気すら孕んだ眼差しでロゼッタを見つめ、声だけはいたって沈着冷静に、問いを重ねる。
「どうして、この娘と踊らなければならなかったの? 理由があるはずよ。理由がなくては困るわ。平民の、それもただの下働きのメイドと、王立第二騎士団団長たる侯爵が手を取るなど、この世の道理が許すはずがないじゃない」
「……」
ロゼッタさんはこれ以上は不可能だと悟ったのか、顔を上げ、救いを求めるようにアルフォンス様へと視線を送る。「これ以上は無理です、ご自身で説明なさってください」という、明確な意志表示だった。
それを受け止め、アルフォンス様は再び優雅に肩をすくめてみせた。
「目が合ってしまったからですよ、母上」
その答えには、一体何度同じことを言わせるのかという、僅かな呆れが含まれているようで。
あまりにも淡白で、突き放すようなその物言いは、グレース様にとっては挑発にすら聞こえたことだろう。
嵐の再来を予感し、アルフォンス様の登場で緩みかけていたメイドたちの表情が、再び一気に引き締まる。
「目が、合った……?」
グレース様が、鸚鵡返しに呟く。
込み上げる憤怒を極限まで抑え込み、崩れそうな無表情を必死に繋ぎ止めたままで。
「それは……何かの隠語か、機密事項なのですか? ああ、そうなのね。これは公務のお話なのね。どのような経緯かは存じませんが、仕事上の必要に駆られて彼女と踊ったという、いわば偽装のような……」
自分でも支離滅裂だと分かっている様子で、それでも彼女は必死に言葉を繋ぐ。
「王命か何かのせいで、そうせざるを得ない事情があった……。そういうことなのでしょう? そうに決まっているわ」
「違います」
アルフォンス様が、あっさりと一蹴する。
「では、一体どのような事情だというのです!」
ついに、グレース様の顔に引き攣ったような笑みが浮かび始めた。
「どんな理由があったのか、言ってみなさい。私、怒りませんから。大丈夫、きちんと話せば全部理解してあげられますから。さあ、正直に仰いなさい」
「……そうですね」
アルフォンス様は顎に手を当て、少しだけ首を傾げて考え込む仕草を見せた。
やがて彼は真剣な面持ちで顔を上げ、色とりどりのステンドグラスから差し込む朝日にふさわしい、明瞭な声を響かせた。
講堂の隅々まで響き渡るような、澄んだ声で。
「いわゆる、恋事情ですよ」
そして、アルフォンス様は私へと視線を向けた。
あの舞踏会の夜、私と踊りながらずっと向けてくれた、情熱と優しさの混じり合った深い青い瞳。
彼はその瞳で私を真っ直ぐに見つめ、言い放った。
「僕、この子に一目惚れしたんです」




