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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雨の最中の逃避行

作者: 七花まど

 ……ピチョン。


 狭い洞窟の中、頭を抱えた少女の手に一滴の雫が落ちた。外は大雨で、洞穴内は雨水が地を這うように水溜まりを作っていた。


 電池が切れかけの懐中電灯は、半分水に浸かりながら少女の顔を白く照らす。


 少女の綺麗に整った顔はすっかり泥にまみれ、髪にも泥がべったりと張り付いていた。真っ赤なワンピースは瘦せこけた肌が透けて見えるほどぴったり張り付き、寒さに身体を震わせていた。


 身体が水に浸かっているばかりでは、体温は奪われるばかりで、唇はどんどん青くなっていく。


「もう、疲れたね」


 少女は一心不乱にお腹を撫で、寒さで歯をカチカチと鳴らしながら呟いた。


ぽたぽたと水滴が垂れてくる土の天井を見上げる。


 髪に付着した土は乾いて取れず、虚ろな目は虚空を見ていた。


 この薄暗い洞穴に籠ること三日目。わずかに残った食料を齧りながら、台風が過ぎ去るのをジッとして待ち続けていた。


 偶然見つけた洞窟の入り口は、人ひとりが丸く屈んでやっと通れる程度に小さい。中も身体を伸ばせるほど広くはない。動物の巣穴だったのか、どうしてこんなところに洞穴あるのかは不明だが、少女たちにとっては都合がよかった。


 追手がどこにいるかは分からない。入り口の小さな洞穴は後から葉の付いた枝で入り口を隠しているため、そう簡単には見つからないが、ずっとこの場所に居れば確実に死ぬ。食料はついに底を尽き、水は洞穴内に溜まる泥水を啜っていた。


 土を固めて出来た段差に頭を乗せて、横になった少女は浅く呼吸をしながら楽しかった日々を思い出していた。


 少女の馳せる思い出にはいつも、とある少年の姿が思い浮かぶ。初恋の相手だった。


 二人の逢瀬は学園に通っていたわずかな時間だったが、年頃の少年少女が夢を見るには十分すぎる時間。それは全てを捨てて駆け落ちに至るほどだった。





 大企業の社長令嬢であった少女は、政略結婚を見据えた年の離れた青年とお見合いをした後、婚約を結んでいたが、同じ学園に通う少年と恋に落ちてしまった。


 少年は家柄が秀でたわけでもなく、心優しいだけの平々凡々な男児であったが、誰もいない空き教室で泣いていた少女の話を真剣に聞いてくれた。


 誰にも理解されない話をいつまでも親身になって聞いてくれる少年に情が移り始めるのは時間の問題だった。


 拒否の出来ない政略結婚か、身体の奥底から込み上げる熱い感情に身を委ねる恋愛結婚か、年頃の夢見る少女が望むは後者だった。


 少女は両親と婚約者はもちろん、教師やクラスメイトにも関係を秘匿し、学園内だけの恋愛を始めた。朝と放課後は送迎があるため、二人の逢瀬はお昼休みの約一時間、初めて会話した旧校舎の空き教室で二人の蜜月の時を過ごしていた。


 平日のみのわずかな時間の逢瀬は、隠れたことによる背徳な感情と共に二人の熱を加速させた。昼食を共にするだけの清い関係から、やがて唇を交わし、二年もすれば肌を重ねるに至った。二人だけの時間、二人だけの世界に、最大の幸福を求めたのだ。


 しかし、二人の卒業が間近となった冬の日。二人の逢瀬もやがて限界がやって来た。少女の悪阻により、妊娠が発覚したのだ。


 少女を孕ませたのが婚約者ではないことが明らかになると、激怒した婚約者の一喝ですぐに婚約は破棄となり、少女の家は莫大な違約金を支払った。さらに少女には堕胎命令が下され、少女は抵抗むなしく恋人との子を堕胎されてしまった。


 少年は少女への接近禁止を言い渡され、さらには退学に追い込まれた。


少女は山奥の屋敷に監視付きで軟禁された。誰も訪ねてこない山奥で、壊れたロボットのように、もうそこには誰もいないお腹を一日中撫で続けていた。


これで二人が出会うことは二度とないと思われたが、運命の歯車は大雨の日に再度回り出した……。


 大雨に伴う雷が少女を匿っていた木造の屋敷に直撃したのだ。


 周囲は木々に囲まれ、倒木が容赦なく屋敷を押しつぶした。屋敷の管理者や女人は避難を開始し、当然少女も連れ出すつもりでいたが、軟禁していた部屋はすでにもぬけの殻だった。


逃げられてしまったことが露呈すれば処分を受けることは分かっていたが、管理者は命を優先し、女人を安全な場所まで避難させた。


 大雨は丸々二日間続き、下山も出来ず、食料は底を尽きかけたほどだった。やっと救助隊がやって来た時、管理者の頭からはもう少女のことは忘れられていた。それよりも助かったことへの安堵と疲労で気絶するように眠った。


 しかし、それで解決するはずもなく、当然ながら少女の捜索が行われた。


 少女の目印は長い黒髪に白のワンピース。泥で汚れて黒く見えるかもしれない。それと、同い年の少年も捜索対象となった。


 あの大雨の日。少女を連れ出したのは少年だった。険しい山道を登り、カバンに逃亡用の食料などを詰め、大雨の混乱に合わせて少女を屋敷から連れ出したのだった。


 二人の捜索には難航を極めた。何せ整備などされていない山中での捜索に加え、大雨の影響による土砂崩れの可能性もある。多くの捜索ヘリと捜索隊による少年少女の捜索は、さらに三日かかっても続いていた。


 また雨が降り始めた日、ついに土砂崩れが起きた。


 捜索は中止。安全の確保を優先し、すべての捜索隊が下山を始めた。


「おい、待て!」


 土砂崩れの近くに居合わせていた捜索隊の一人が何かを発見した。


「特徴と一致しないか?」


 近くの仲間と状況を確認する。崩れてきた土砂の中に人影を見つけたのだ。


「なあ、俺の見間違いじゃなければなんだけどさ。あれ、――が無くないか?」


 次の瞬間、彼らの足元が崩れ出した。まるで禁忌に触れたように、唐突に。見てしまったばかりに、彼らは報告をする前に消されてしまった。





「私たちはずっと一緒だよ」


 少女は身体を引き摺るように場所を移動し、土の壁に背中を付ける。捜索隊の声が近くに聞こえていたが、ここから逃げようとは思っていなかった。少女にはもう逃げるだけの体力は残っていない。


 しばらくしてまた雨が降り始めると、天井からの雨漏りは深刻なほど酷くなっていった。このままでは溺れてしまうほどに勢いを増した浸水に、少女は瞼を伏せて脱力した。


 流れ込む水に崩れ始める天井、少女はそれらを受け入れ、頭を抱えた。


「愛してる」


 最後に二人がしたキスは、凍て刺すような冷たさだった。


 やがて天井が崩れると、二人の愛は永遠のものとなった。


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