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泥だらけのラットキング  作者: ヨンソン
1章 ドブネズミ
5/5

【4】

 星も月もない夜。

 瓦礫の上で、ウィルは黙って空を見ていた。

「鉄は熱いうちに打てってツキハが言っていたが、本当にそうだな」

 後は行動だけだ。

「プランは考えてる?」

声が、影から聞こえた。

 ユピテルが瓦礫に腰掛けるようにして姿を現す。

 影から浮かび上がるようにして現れた彼女は、炎のように冷たい視線をウィルに向けた。

「細かいところはぼんやりとだけ。でも大筋は決めてる」

ユピテル「順番は?」と訊き返してきた。

この悪魔には全てを見透かされている。

「まずは麻薬だな。そこの流通経路を上っていって潰す。そしたら次は特権階級だな」

「上手くいきそう?」

「出たとこ勝負って感じだな。いつも通りさ」

ここで、ウィルはシンプルな疑問をぶつけてみた。

「どうして俺と契約したんだ?スラムには不平不満を抱えてる奴なんて無数にいるだろ」

ユピテルは「巡り合わせ」と言った後にこう続ける。

「悪魔は魂を喰らい、その対価に願いを叶える。人間は自分の魂に対して到底見合わない願いを抱く。割に合わないのさ。腹を満たさないにも関わらず、力を貸すなんて」

「俺だって同じだろ。スラムのドブネズミが『この世全てに怒りをぶつけたい』なんて」

ユピテルはまっすぐウィルの目を見て言った。

「違う。あなたの魂は怒りで構成されていた。金持ちになりたいとか、淫蕩な生活を送りたいとか、そんな砂のような願望ではない。この世全てへの怒り。そしてこれはこれからも育っていく。全てが終わったときに、これを喰らう」

ウィルは覗き込まれているのよな感覚から逃れるように目を逸らした。

「なら喰われたらどうなる?」

「死ぬ。痛みもなく。眠るように。そして……おそらくこの魂だけで数百年は飢えなくて済む」

ウィルは「そうか」としか答えられなかった。

「他に悪魔ってどれくらいいるんだ?」

「さあ、人間のように群れないから。でも……」

ユピテルは何かを言いかけてやめたように見えた。

「でも、何だ?」

「魅力的な魂は、()()()()()()()()

「ユピテルがもう持ってるのに、か?」

「食べないうちはどんなに隠しても、他の悪魔にも魂が見えてしまうし、本能が嗅ぎつけてしまうから」

ウィルは自分の魂が、そんな害虫トラップみたいになっていることに少し笑った。

「せいぜい盗られないようにな」

「あなたも、他の悪魔に浮気しないように」

「とタイプだったら他の悪魔とも契約するかもな」

するとユピテルは気味の悪い笑顔でこう言った。

「キモいね」

悪魔とは思えないあまりにも稚拙な悪口にウィルは大笑いした。

するとユピテルも笑いながら影の中へと戻っていった。


 朝の工房は、まだ熱い。

 陽は昇りかけているが、鉄と油と汗の匂いが天井にこびりついて、夜明けという現実から遮断しているかのようだった。

 その鉄の砦にウィルは足を踏み入れた。ツキハは、そこにいた。

前掛けは汗と油に塗れ、髪はぐしゃぐしゃに乱れている。額の隅には火傷の跡が一筋。けれども、そんなことはまるで気にしていない様子だった。

 ウィルの姿を認めた瞬間、彼女は振り向くでも声を出すでもなく――ただ、手をクイクイと動かした。

来いという合図。それは喧嘩仲間にしか通じない、乱暴で、愛のある動きだった。

 ウィルは、無言で歩を進める。

ツキハは黙って先導し、工房の奥――鍛冶場の片隅、長机の前に立ち止まる。

そこには、三つの答えが並んでいた。

 まず一つ目は、漆黒の刃。スピアブレードバタフライナイフ。美しくも無骨なその形状は、刃としての完成度を語るより先に、『殺すことだけに設計された工芸品』と称すべきものだった。

「全長二十四センチ。刃の長さは九センチちょい。アタシが旧鉱層まで掘って取り寄せた鋼蝕石を混ぜた。強度、耐錆性、斬れ味、どれも抜群だ」

ツキハの口調は、いつになく抑制が利いていた。それは誇りの裏返しであり、ウィルという存在に対する敬意でもあった。

 二つ目は、二段に積まれた金属製のケース。その中には、トリガーグレネードが隙間なく詰め込まれている。

「ぶっちゃけ、合法にしてる国の方が少ねえ。でもな……これから必要になるだろ。貼り付き式、通過型レーザー起爆。一秒で地獄に帰せる威力だ。相手に対して使えや」

 三つ目は、ガンメタリックに塗装された重厚な構造体。グラップルガン。

通常は軍用の格納式アンカー装置であり、民間流通などあり得ない代物だ。

「射出リール、巻取り補助機構、補強ワイヤーは七十メートル。ここの防壁にも突き刺さる威力で射出し、天井からでも砦の壁からでも引き上げられる。……墜ちることだけはさせたくねぇと思って作った」

 ウィルは、すべての説明を黙って聞いていた。

一言も発さず、ただ、視線と姿勢だけで全部受け止めていると伝えていた。

言葉なんてものは、ここには不要だった。そして、彼は動いた。

 影が揺れる。ウィルの足元に落ちていたはずの淡い影が、液体のように深く広がっていった。

 彼は、二段の箱――グレネードと、グラップルガンをその影の中に、そっと置いた。

それらは水に沈むように影の中へと沈んでいく。ツキハは目を何度もパチクリさせ、擦った後に自分の頬をつねっている。

「どうなってんだあ?え、なにそれ……マジで影?アタシ疲れてんのか?いや待て、寝てねぇけどな??」

ウィルはようやく口を開く。

「……ありがと。ちゃんと、受け取ったよ」

それだけ言うと、彼は踵を返し、工房の扉へ向かう。ツキハは、言葉を探して、それでも追いつけずに、ついに吐き出した。

「……サヨナラは、言ってくれねーのか?」

 ウィルは立ち止まり、肩越しに微笑した。それは、これまで一度も見せたことのなかった緩やかな微笑だった。

「グレが足りなくなったら、また来る」

 そう言って、ウィルは去っていった。

ドアが閉まり、工房の空気が一瞬だけ静まり返る。

 ツキハは、ふっと鼻で笑い、机の上に置かれた注文書を見つめた。

「……アタシの作品、壊すんじゃねぇぞ」

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