☆大黒…恋に悩む
原案・テーマ:Arisa
storyteller:Hikari
まだ人の気配もまばらな早朝。
ジョギングに勤しむ人たちを眺めながら一人の男が坂を上がっていく。
時折,足を止め,先にある石の大鳥居を見てため息をこぼしては歩き出す。
バレー選手?バスケット選手?と聞いてみたくなる身長に服の上からもわかる筋肉質な体躯。
革製のボクサーバッグを担ぐようにして持っているのが妙に絵にならないのは整った顔立ちのせいだろうか。
すれ違う人が振り返るのは,彼の存在感というよりもやっぱり顔立ちのような気がする。
国道17号線から鳥居をくぐり……思い出したように反転する。
ため息をひとつ溢してから、一度、国道の方へと戻り鳥居を見上げた。
朝日に照らされた朱の輪郭が、淡く境内の静けさに溶け込んでいた。
少し考えるように鳥居を見つめて、神田明神の方へと視線を下ろしていく。
手で口元を撫でながら、ため息を、またひとつこぼし、鳥居の手前で小さく拝礼してみる。
道路のど真ん中で一人立ち尽くし、神田明神を見つめたまま、パンパン!と頬を力強く叩いた。
その衝撃にくらっとしながら……頭を振って坂を上がっていく。
あっ…帰りに稲荷を食べていこう…好きだったら、お土産に買って帰るのも悪くない…
そんなことを考えながら、上がっていく…
神田明神。東京・千代田区に鎮座し、江戸の総鎮守として崇敬を集めてきた古社。
縁結び・商売繁盛・除災招福ーー
特に大己貴命、少彦名命、そして平将門公という、異色ともいえる三柱を祭る神社として知られている。
中でも拝殿右手の社に祀られるのは、縁結びと福徳円満の神として知られる大黒天。
その姿は、商売繁盛の笑顔をたたえた「大黒様」として親しまれている。
神社は神域としての印が結ばれている。
とはいえ、人にはあまり縁がないものだ。
別に害があるわけではない。ただ人ならざるものが見えないだけ。
その神域に足を踏み込んでいく。身体を何かが撫でるような感覚。それを祓いとする人もいるようだ。
大黒南斗は、隋神門をくぐった左側にある大黒天を見て苦笑をする。
随分と自分とは違う姿だと思いながら、本殿へと足を向けていく。
「ん? 珍しいな」
拝殿の裏手で酒盛りの準備をはじめている大己貴尊が手を止めて南斗の方を見た。
ふくよかな体躯…というより不摂生なでっぷり系。入り口にある大黒天像ほどではないか…と苦笑が漏れる。
米俵を切り株に被せ、椅子にするように転がせて、その上に腰を下ろしながら大己貴尊がため息を吐く。
どこでどう間違えればこういう事になるのだろうか。
インドから渡り、戯れに乗った宝船。福を授ける七福神の一柱となったのは、大黒南斗と名乗るこの男だ。
正直、有名な大黒天とは似ても似つかない。そもそも南斗は荒ぶる神だ。
体格的に言えば、南斗、大国、大己貴になるのだが…大黒天のイメージは大己貴に近い。
神仏習合と別離…時代の中で色々な都合が入り混じった結果。幸せなみかけが採用されたという事だろうか。
ちょろちょろと身体にはガタがきているのだが…
「で…?」
「ちょっと顔を見にきた」
「………で?」
「相談で来た」
南斗は、ボクサーバッグから日本酒のボトルを取り出した。
「まったく、人との恋に首を突っ込むなんて、神様のやることじゃないって、分かっちゃいるんですかね…」
大己貴は、呆れながら言う。どうにか南斗を立てているが間違いなく酔っている。
誰に語るでもないその声は、拝殿の奥へとゆるやかに吸い込まれていく。
このタイミングで恋の悩み相談にきている人がいて、神々の声が聞こえたら大問題だろう。
神様に恋をする人もいる。
おおむねそのタイプは神職として神子として巫女になるのだが…神は人になることはない。
…絶対ないわけでもないが…とふと思い出す。
神々が肉体を休める時に人に転生するのは普通のことだが、その時点で恋は成り立たない。
人として生を受け、人として終焉に向かう。神の記憶は封印を受けているのだから当然と言えば当然だ。
「やっぱりそう思うか」
「辨財天に恋をすればいいのに」
「…本当にできる?」
「………」
「その沈黙は何かな? 大己貴」
「いや、流石に、私は…市杵島姫ならどうにかですが…」
威風堂々とした佇まいが、静かにたたえた眼差しが、少し動揺しながら言う。
「美音さんに言ってやろうっと」
「ま、待って、待て待て…それはずるいでしょう」
「だったら少し力を貸してくれ」
「と言っても、ね」
「智慧でいい、ただ…考えるだけで頭が破裂しそうなのが問題だ」
南斗はカップに日本酒を注ぎながら空を仰ぎ見た。
何ら答えが見つからない。見つけられる兆しもない。
この胸の苦しさが恋と言うものなら早々にお帰り頂きたいものだ。
南斗の言葉に大己貴は苦笑いするしかなかった。
ギリシアの神が神々のように、気軽に人の世界に来て、気持ちの赴くままに恋をすればいいと言うものでもない。
その先の結果を慮る必要がある。深く考えるほどに沼に沈んでいく。
そして、南斗は恋をしていないつもりだ。
真摯に怒り、静かに闘志を滾らせている。
だからこそ、その想いの根源が恋だと気付いていない。
南斗が恋に敗れるのは構わないが、想いを馳せている相手が恋をしたら…その方が大変だ。
でも…応援したいと思ってしまう。
夫婦和合。縁結びの神としては…。
「何というか…健気なんだよな」
「健気…でいいのか? いまの話を聞いている限り、取り戻したいのだろう?」
大己貴は、蓄えた髭を撫でながら訊ねた。
何とも不思議な男だ。この男は、自分と同一視されているとはいえ、別の神だ。
遠くインドの地から旅をしてきた。シルクロードを辿りながらこの地へとついた。
語られることは少なめだが、短気短慮な性格は、破壊神とも呼ばれるほどの暴れん坊だ。
実際、この地にたどり着いたころは好戦的でいろいろな神と揉めている。
神という存在自体が意外にわがままなのだが。それを押し通す力を持っている神が多い。
この男もそうだ。ついでに言えば宝船に乗っているものは、例外なく『鬼』と呼ばれる修験者だ。
それがときの移り変わりというのは面白いものを見せてくれている。
ハンマーを振り回し、武により周りを押さえつけていた男が、腫物に触るように丁寧に人の心に触れようとしている。相手を思いやりながら、その願いに寄り添おうとしている。
「…そうだ…な…できれば…騙されて傷付いた心も…」
南斗は照れ臭そうにポツリと言葉をこぼした。
「できれば…だまされた現金も」
「お前が何かを願うなど、珍しいな。……それは、誰のための願いだ?」
大己貴は少し困らせるように尋ねた。
正直、喧嘩をしたら勝つ自信はない。いい勝負にはなるとは思うが…。
「俺のためだ…うん…俺が必要としている」
「唯我独尊だな」
「問題が…?」
「……ないな」
大己貴は、一升瓶を差し出しながら、ガハガハと笑った。
ふくよかでいて、豪快な様子は大黒天そのものだった。
彼もまた、その昔は、武神として戦ってきた歴史を持つ。
まつられ与えられた五穀豊穣のもののおかげで前後左右に育ってしまった一柱だ。
「ふむ。人の恋路に神が関われば、導かれる道は果たして本来のものか…どう思う?」
一応、再考してもらうように大己貴は言ってみる。
「叶えるべきは……願いか、それとも試練として受け止めさせるべきか……とか言うなよ」
南斗は、盃になみなみと注がれていく酒を眺めながらつぶやいた。
「…それにしても、変わったな」
「ん?」
「力尽くが身上じゃなかったのか?」
「…お前、俺の代わりに宝船に乗るか?」
「なんだ急に?」
「昔の活気と体格をすぐに取り戻せるぞ」
「…体格がすぐというのが気になるな…それよりも、だ」
「わかっている。でもな大己貴。恋に臆する背中ってのは…」
南斗は、じっと杯の水面を眺め言葉を区切った。
「いつだって誰かにちょんと押してほしいもんだ。たとえ神さまの指先でも」
ぷっ。
大己貴は肩をすくめて、破顔した。
袋の中には、人々のささやかな願いがつまっている。
その中に――たったひとつ、まだ言葉になっていない願いを、そっと加えてやることにした。
「それでもなお、その願いを背負うのか?」
「何を悩んでいるんだろうな。背負うのが、俺の仕事だな」
基本的に 火曜日更新の、のんびり進んでいきます。
今回は…遅れちゃいました。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
※誤字脱字の報告・?の連絡ありがとうございます。
慌て者につきご容赦いただけるとゆっくりですが成長していきます。