第2章 第10話 ☆南野これしき☆彡
きらりは、ふ~と息を抜きながら天井を見上げた。
結構すっきりとした。
「あ……すみませんでした」
きらりは、カップの中のミルクティーをゆっくりとかき回しながら言った。
「すっきりした顔してるから、大丈夫よ」
美音は珈琲ゼリーをひとすくいして、目を細めた。しっかりと味を楽しんでいる。
「この店の珈琲ゼリー、ほんとに……あっ食べない?」
美音はスプーンを口に運びながら、ふうと目を細めた。
「……ん、香りが立ってる。苦みとコク、ちゃんとあるのに、くどくないのがいけてるよね」
ねぇ、わかる?という風に美音は首を傾げた。
「食レポ……ですか?」
「違う違う、表現の自由よ。ほら、きらりさんも何か食べて」
スプーンをくるくると回しながら、いたずらっぽく笑う。
「……なんか、気が抜けますね。こんな話してるのに」
「だからこそよ。味も会話も、苦いだけじゃ飲み込めないでしょう?」
「名言っぽいですね」
きらりは少しだけ肩を落とした緊張を解いて、笑った。
「(やっと…か…)で、どうなの? その偽刑事の件」
「どうにかできるんですかね?」
「どうかな。専門家じゃないし、専門家気取っている連中でも詐欺まがいなことをするのもいるしね」
美音は、背もたれに体を預けながら呟くように言う。答えを出し切ることはできない。
それはいつでも同じだった。最良のつもりでも、後から紛れ込む情報でおかしなことになる。
どちらにせよ、嘘つきが混ざれば、辻褄の合わないことなどいくらでも起きるものだ。
特に詐欺のような事件であれば、限られた人数でやっているのだろう。
年寄りを騙すのが年寄りというのも世知辛いとは思うが…そういう世の中なのかもしれない。
だから餌をまく。
その餌が南野極というのだから、これはこれで縁深いのかもしれない。
もっとも関係のない事件…ということになるんだろうけど。
「証拠もないし……でも、少しずつ、何かが浮いてきてる気がするんです」
「それでいいと思う。急いで手を打つと、逆に泳がせられなくなるしね…被害拡大しなければ」
「でも、噓をつく人ってどこまで行っても嘘をつくんですよね」
「詐欺って、『相手を信じさせるための芸術』といわれているけど…今回はどうかな?」
「……食レポみたいなリズムになっていませんか?」
「うふふ、そんなつもりはなかったけど」
美音は苦笑した。
「でも…どう思います?」
「ん?」
「詐欺は立証しにくいんです。詐欺をする企てる人ほど口だけでごまかすそうですよ」
きらりは、不意に視線を美音に合わせた。合わせて言ったのか、合ったから言ったのか、その言葉には力が込められているようにも感じられた。人は自分が発する言葉で生きている。そういう人がいる。その真意は別として、その考え方には同意する。
使った言葉の通りに人は時を刻む。
嘘つくものの顔は醜悪になり、真実に生きるものの顔は温和になる。
それは意外なまでに実感している。
だから険しい顔も、醜悪な顔も、その人の生きてきた年輪のようなものなのだろう。
「まっすぐな言葉。澱まない瞳…そこにある真実は一つとは限らないけど」
「えっ?」
「語弊があるかな? 少年になってしまった名探偵に怒られるかもね」
美音はクスリと笑った。
彼女が事件に混ざるのは当事者のひとりとして当然なのかもしれない。
君には関係がないんだよ。そう誰かに説明されたところで、それを納得はできないだろう。
それもまた真実だ。
物事は、様々な真実が重なり合って現実をゆがめる。
都合の良い言葉で、現実を別のものにするものも少なくない。
少なくとも、今回は、その口八丁の人物が誰なのかをつかんでおく必要があるのかもしれない。
「人の数だけ正義が存在するように、人の数だけ真実も、現実も存在する。その違いをうまく利用するのが詐欺師なのかもね。気を付けてね。過去の栄光にしがみつくタイプは特に」
美音は、最後のひとかけらを口に入れて満足そうに笑った。
◇◇◇◆◇◇◇
病室のドアを静かに閉めると、福禄寿は小さくため息をついた。
見舞いに来た旧友は、思ったより弱っていた。無理もない。
孫の代まで安心だと言われて進められた家の改築が、いまや人災になろうとしているのだから。
「……まったく、呆れるばかりだ」
壁にトンともたれかかりながら妙に綺麗な病棟を眺めた。
建築された時期からすれば綺麗すぎることが気にかかる。と思ったところで頭を振った。
イラつきが、見える全てに疑いを持たせるようだ。見えるものを疑って生きていくほど愚かしい時間の過ごし方はない。永劫という牢獄に捕らえられている身からすれば切実な信念だった。
だが、それにしても……この病棟、今日は妙に「静か」すぎる。
何かが起きる前の、嵐の手前の無風のような……嫌な沈黙だった。
すらりとした長身に、仕立てのよい薄墨色の和装…いわゆる隠居着が妙にマッチしている。
年齢を感じさせる白髪まじりの髪は艶やかに整えられ、靴先まで神経が行き届いている。
よく通る声も相まって、通りすがりのスタッフが思わず振り返るほどの存在感だ。
ただ顔が悪い。悪人顔をしているのが残念ポイントになっている。
黙っていれば、その道の怖い隠居人に見えそうなのだが、笑うと人当たりのよいギャップ、何よりも話せばわかる人の良さに…まぁプレイボーイとして名を馳せた過去は頷ける。きっと、宝船に乗った男の中で唯一無二の節操のない恋をしてきた男だ。
(ここで思案したところで…何も解決しないか)
福原禄は、エレベーターホールにむけて廊下を歩き出した。
そのとき、病棟の奥でなにやら騒がしい声が上がった。
極は、ベッドの上で腕組みをして無表情のまま固まっている。
直立不動?マネキン?といってもいいほどにガチっと固まっている。
心電図モニターのコードは、自らの胸から…ではなく、布団に隠した枕に刺さっている。
ぴーっ。
「……え?」
まなみが表示を見て絶句し、次の瞬間、機械が鳴り響く。
「モ、モニター反応なし! 心停止です! だれか――!」
きらりが駆け込んでくると、そこには、口を半開きにして事切れたような極が…硬直気味の様子からすると死後数時間…まって…アラームはさっきなりだした。死後硬直するような時間はたっていない。いや、そもそも病院で死後硬直後に見つかるなんてあってはならない。
何よりも…その目尻には、笑いを堪えるようなシワが。
「……あんた、何してんのよ!」
ばさっ。毛布をめくると、枕がベッドから零れ落ちた。
あっ…と誰もが硬直し手枕の動きを見守ってしまう。
「ふふ、ちょっと悪戯心が過ぎたかな」
「悪趣味すぎんのよ!!」
その瞬間、ナースコールで駆けつけた看護師が一斉に極を取り囲む。
「南野さん、またですか!?」
「お静かにしてください!」
その他大勢の騒ぎはともかくとして、きらりの瞳には殺意が集い始めているようにも見える。
正直、身の危険を感じてしまう。
死なないという事は、苦しみということだ。
それでなくても永劫の時間を生きている身としては…痛いのは遠慮したい。
「わーった、わーった! すまん」
極は何事もなかったようにベッドから降り、そそくさと個室を後にしようとした。
「そんなに簡単にゆるされるとも?」
看護師長の目は鬼の目になっていた。
「あ~そうだ、これを」
極は壁際まで後退し、サイドテーブルの上に置かれていた飴の袋を手にして看護師長にトスするように放り投げた。「おやつタイムだ」と冗談をかましながら――すりむけるようにして病室をとびだした。
できることはひたすら走る。
病棟は回遊導線でできている。となれば、適度な速度であれば捕まることなく逃げられる。ただ病棟から出るには、ナースステーションでカギを開けてもらう必要がある。この状況では、きっと…
だから、ただひたすら、走る!
スリッパのままツルツル滑る床をつるんと横滑りを挟み、配食カートを交わし、病院の廊下を、入院服をひるがえして全力で逃走!
「止まりなさーい!」
「足腰の衰えナシかよ!」
後ろから追いかけてくる看護師の声を背に、極はひとことだけ振り返ってウィンクした。
「男の老いは足腰より、遊び心から来るもんでねぇ!」
「ムカつく!」
元気に回遊する高齢者。それを追いかける看護師。
なぜか逆回りをしないのだろうか…ふとそんな疑問が禄の頭には浮かんだ。
1周、2周と通り抜けていく集団をみて、禄はハタと思う。
いや、見間違いか?
ナースステーションの前で、看護師が「ちょっと! ダメですって!」と叫んでいる。
「……まさか、極?」
禄は立ち止まり、思わず目を細めた。
その瞬間、笑顔で失踪する男が振り返り、禄と視線を交わす。
少し驚いた表情をしたのを見逃さなかった。
基本的に 水曜日更新の のんびり進んでいきます。
1週飛んでしまいましたが…新章構想で止まっちゃいました。
いつも読んでくださりありがとうございます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
※誤字脱字の報告・?の連絡ありがとうございます。
慌て者につきご容赦いただけるとゆっくりですが成長していきます。