【6】宴への招待
僕はヤトについて行き鳥居をくぐる。
すると、視界が水面のように揺らいだ。正常な視界に戻った時には、いつの間にか夜になっており、先程まで見ていた簡素な造りの神社ではなく、深い森の奥にある荘厳な参道が現れた。横には何百もの灯籠が並んでおり、その中で煌々と火が灯されていた。
「え?何これ…」
「……まずい」
2人して周りを警戒していると、何処からか声が聞こえた。綺麗で深みのある低い女性の声が、異様な程透き通って境内に響く。
『人の子。去れ。ここは人が踏み入れて良い場所じゃ………』
不意に声が止まる。それと同時に、多方面から視線を感じる。
『……おお!!なんと!イノリではないか。嗚呼、なんとも"忌々しい"姿だ』
名前も知らぬ者に忌々しいなどと言われるとは思わなかったが、旧知の仲だろうと大方予想はつく。
「えっと…誰ですか?」
その言葉に声の主は面白がっている様だった。高らかに声が響く。
『あっはっはっは!よもや、誠にそのような事があるとはな。人間とは実に面白い…!しかも、その様子だと横の妖に何も聞かされておらぬ様だな?のう妖よ、"それ"はどんな気分じゃ?』
「何?嫌味?」
ヤトは少し苛立ちながら応える。
そういえば何も聞いていない。横には全て知っているであろう者がいるのにも関わらずだ。違和感は感じていたが、理由があるのだと自分を納得させ聞かないようにしていた。
『嗚呼、イノリ。そこの妖を責めるでないぞ?その妖はちと面倒な呪詛にかかっているようじゃからなぁ』
「呪詛?」
そう言って僕はヤトを見る。ヤトは少しバツが悪そうにしていた。
「…ごめん。そういうこと」
ヤトは俯いたまま静かにそう弁明すると、また声が響く。
『恐ろしい程の呪詛じゃのう…神格者でなければ話すだけでもその身に影響を及ぼすとは、人の術とはなんとも歪じゃな…愉快愉快』
楽しそうに、歪んだ微笑を含んだ声だった。そしてこの言葉の意味するところは、声の主は神格者だということだ。
するとヤトは話題を変えたいのか、別の質問をする。
「それよりも、ここにいた怨霊は?」
『む?ここに潜んでいたあの小物か?食ったぞ』
「は?」
キョトンとした様な声で返答をする声の主に対して、ヤトは驚きを隠せないようだった。
苦笑いを浮かべながら反応を待つ。
「…一応そいつ神格者だった筈なんだけど」
『アレがか?妾の妖力の圧にすら耐えられず動けなくなった程度の者がか?なんとも、神格者の程度もここ数千年で落ちたものだな』
記憶を失いほぼ妖力初心者の僕でも分かる。
神様に属するレベルの怨霊を"小物"と吐き捨てるこの声の主はまさに"規格外"なのだと。
『…まぁよい。折角の旧知の"再訪"、ならばもてなすのが道理。社まで来るがいい。嗚呼無論、来るまで逃がすつもりなどない。ではな』
そう言って声は深い森の奥に沈んで消えていった。
「どうする?」
僕がそう聞くと、ヤトは少し悩んでからため息混じりに応える。
「はぁ、不本意だけど、行くしかないね。安心してイノリ。私が絶対に護るから」
「あまり護られるだけなのも恥ずかしいけどね。自分でも護れるように頑張ってみるよ」
「そう。でも何かあったら勝手に護るから」
「…それも約束?」
僕がそう聞くと、ヤトは少しハッとする。そうして今度は真っ直ぐ僕を見て応える。
「…うん」
それはある意味覚悟が見えた瞬間だった。
そうして進もうとした時に、急にシオリが起動した。
《報告:イノリ様、声の主についてですが、遺憾ながらこの境内の異常の影響もあり解析が出来ません。よって警戒して進むことを強く推奨します》
「あっシオリ。心配してくれてるの?ありがとうね」
《…いえ、責務ですので》
機械のような音声のシオリであったが、少し照れてるように感じた。
そのやり取りを見ていたヤトが、ジトーっと僕を見る。
「…ふーん。仲の良いことで」
「あはは、ヤトも頼りになるよ。ありがとう」
「ん、まぁいいけど…。それじゃ、行くよ」
「うん」
そう言って僕らは境内の奥深くへと進んで行った。
その途中では様々な遺物があり、ここが現実では無いことがありありと示されていた。
樹齢何千年かも分からない大樹が屹立し並ぶ森、所々に翔ぶ蒼いオーラで象られた蝶、歩き出すとすぐに立ち込んだ深い霧、静かに命を燃やしながら舞う何百もの蛍。
神秘的な幻想空間は道行く2人の旅人を魅力していく。
「凄い綺麗だねここ」
「そうだね。ここは…多分、何千年も前の日の本。当時の何処かを切り取って自身の結界にしている感じかな。それが出来る程に力の強い妖ってことだね」
「それは…凄いね。スケールも何もかも僕には考えられないや」
そう言うと、ヤトは微笑む。
「……そうだね」
そんな他愛もない会話をしながら、僕らは霧の奥へと消えていった。
確証はない。僕はおかしいのかもしれない。ただ、面白いことが始まりそうだと思った。
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秘境の境内の奥。深い森に囲まれた厳かな神社、そこの屋根で声の主は静かに佇み、とぽとぽと酒を盃に注ぐ。
そして盃を天に掲げ、月の光を注ぐ。
『捧げ、雪げや怨恨の縁。含め、孕めや杯の酒。……今か今かと開闢を待つ無貌の輩は、鬼哭を以て重畳たる偉業を成すのだ。それは最早、何人にも咎められぬ』
静かに発した言の葉は、口から溶けて夜へと沈んでいった。
人はいつか、その意を知ることになる。