【5】妖とは?
弥生が帰ったその日の夜。
就寝していた僕は気づくと暗闇の中に立っていた。
ああ、言われずとも分かる。これは夢だ。
しかし、進む以外の道はない。警戒しつつゆっくりと歩を進めると、不意に自身の通った道に何百もの彼岸花が咲いていくのを目にした。
「……なんだこれ」
夢にしては異様にはっきりとした意識と、自身の後ろに咲く夥しい数の彼岸花に僕は確かな嫌悪感を抱いた。
その時僕は気づいた。気づいてしまったのだ。
「……あぁ、これがきっと、僕自身なのだ」
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ハッとして布団から起きた。
見るまでもなく僕の額には汗が滲んでいた。
「…はぁ、なんだよあの夢」
そんな事を呟いたあと、僕はもうあの夢を見ないように願いながら寝た。
そうして特段これ以降は何も無いまま朝を迎えた。
布団から起き、横にヤトが寝ていないことを確認すると、障子の隙間から庭を見る。
ヤトは庭にいた。それも刀を持って。どうやら稽古をしているようだった。
華奢な体躯に見合わず片手で刀を振り回すヤト、それに伴い空を斬る綺麗な音が響いた。
そしてそれは恐ろしく速かった。動体視力には自信のある方なのだが、それでもギリギリ目で終えるかどうかというレベルであった。
「はっや…」
そう呟くと、ヤトは聞こえたのかこちらを見る。
「……ん?あっ、おはようイノリ」
「おはようヤト。凄く速いね」
「ん?あぁ刀のこと?まぁね、慣れてるし時間だけは私達にあるから」
そう言ってヤトは微笑む。
「それじゃ、行こうか」
ヤトがそう言うと僕は言いたいことを思い出す。
「あー待ってヤト」
「どうしたの?」
「その…角、どうするの?」
ヤトの最大の特徴とも言える両サイドに綺麗に伸びた角。ハロウィンなら兎も角、寒風吹き荒れるこの時期には通用せぬ言い訳しかできないだろう。
少し悩んだ後、ヤトは答える。
「じゃあ消しとく」
そう言って手をかざすと、スゥ……と角が霧散した。その代わりにか、赤い組み紐と鈴の付いた髪飾りが姿を現した。
「え!?消せるのそれ!?」
驚きが隠せない僕とは裏腹に、ヤトは当たり前というような表情を見せる。
「まぁ長年妖やってるしね。この位は出来るよ。お好みなら身長や年齢も変えられるけど?」
「いやいや!大丈夫!そのままでいいから!」
「ふーん…そう」
少し残念そうにヤトは言う。消えた角を考えていると、ある1つの疑問が出る。
「ねぇヤト」
「何?」
「ヤトは鬼なの?」
頭に生える角の妖ならこれが第一に浮かぶだろう。自身の中ではかなりの有力説だったのだが、ヤトは予想外の仕草を見せる。
「さぁ?知らない」
「え?」
「そもそも私は自分のルーツを知らない。妖はね、生まれた瞬間は人型の靄みたいな形をしているの。そこから、"何に"成ってもいい」
「何に?」
「そう。皆が知っている化け物の妖でも、人型の妖でも、無生物でもね。私はそこで人を選んだだけ」
「へぇ〜、どうして人を選んだの?」
そう聞くと、ヤトはムッとした顔をする。
「……イノリが…」
「へ?」
よく耳をすませたが、ヤトの呟きは聞こえなかった。はぁ…とため息をつきながら、ヤトは門の方を向く。
「まぁいいや、後で話す。角は消したし、行こうか」
「う、うん、分かった」
そう相槌を打って僕らは屋敷を出た。
依然としてヤトは和装ではあるが、日本風の屋敷から出てきた手前そこまで不審には見られないだろうと思った。
しかし、僕は周りの目もちょっと怖いので家の箪笥に置いてあった黒いパーカーを着ることにした。
外に出ると、冬らしい寒さを含んだ風が顔に当たる。
僕らは歩きながら目的を確認する。
「はぁーさむ。それで、どこに向かえばいいのかな?」
「神社だね」
「神社?」
「うん。しかも廃神社」
そう言ってヤトは微笑む。
恐らくだが、記憶を失う前の僕ならば知っていた場所なのだろう。しかし、今の僕にはその神社に関する記憶はなかった。
ヤトは少し気難しそうな顔をする。
「…あー待って、かなり面倒かも」
「ん?面倒?」
「うん、一歩間違ったら私達死ぬから。気をつけてね」
「…はい?」
唐突に死ぬなど言われたのだ。こんな返答になるのも仕方の無いことだと言えるだろう。
しかし、心当たりが無い訳でもない。
「えっと、それはもしかして廃神社だから怨霊がいるって感じ?」
「ん、正解。それとね、その怨霊は私とイノリにちょっと因縁があってね。イノリは覚えてないだろうけど」
「僕に?」
「うん。だから注意。安心して、私が護るから」
「ありがとう。でも自分の身は自分で護れるようにするよ」
「そう」
そんなやり取りをしながら僕らは歩く。
景色は次第に閑散としていき、人通りも少なくなった。
40分程経った頃、ヤトが急に歩みを止めた。
「よし。着いたよ」
そう言われてすぐ左を見ると、そこには"いかにも"といった雰囲気の廃神社が佇んでいた。
鳥居は半分崩れて傾き、ツタが生い茂っていた。
「うわ、結構雰囲気あるね」
「あー瘴気って意味なら凄く匂うね」
ヤトはそう言うと、何かを感じたようにピクっとして奥を見る。
「…イノリ、刀をいつでも抜けるようにしておいて」
「ん?」
「……まずいのがいる。さっき言ってたのよりも」
そう言われて自身も奥を見るが、言われた様な怪異は見当たらない。
どうにか探し当てようと目を凝らすと、そこには怪異ではなく1つ参道の奥に置かれた社が見えた。
「…行くよ」
そう言ってヤトはゆっくりと歩いて進んでいく。
僕は嫌な予感を感じながらも、言われた通りに刀を抜ける状態にしたままヤトについて行った。