【1】記憶の無い僕と人ならぬ君
なんだこれは
そう疑問を抱きながら僕は血で染まった部屋に立つ。
現状を把握出来ず固まる僕に言の葉が被さる。
「イノリ?何を惚けているの……殺すんでしょう?だって---?」
後ろから透き通った声が響く。
なにか最後に言っていた気がする。しかし僕の脳にその言の葉が届くことはない。
しかし、ただ薄れゆく意識の中で思うのだ。
『嗚呼、これは僕の罪なのだ』と。
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僕は自己犠牲が好きだった。
変に思うかもしれないけどそうとしか言う他なかった。
他人が傷付くのを見過ごせない。そう言えば聞こえは良いが実際はただ自身が何かできた事が嬉しかったんだろう。
だから最初は"それ"が原因だと思った。
「起きて、イノリ」
妙に聞き慣れたこの言葉で僕は目を覚ました。
障子の間隙から溢れ出た寒風が僕の肌を伝う。
障子越しの月明かりに照らされながら起き上がると、傍らからまた声が聞こえる。
「イノリ!」
僕は自身の傍らに立ち、不安げに僕の顔を覗き込んでいる少女…とは言っても18歳程にも見える女の子を見る。
「……誰?」
そこに居たのは知らない者だった。
綺麗に後ろで結ばれた銀髪と一本だけ赤色のメッシュ、深紅の瞳。服装は時代に見合わぬ和装で刀も身に付けていたが、どこか軽装にも見え、動きやすそうである。
更に頭には左右に横に伸びた角が見える。
その見知らぬ女の子は僕の言葉にショックを受けたのか、硬直したまま僕を見る。
「イノリ……?まさかとは思うけど、本当に覚えていないの…?」
先程よりも更に細く不安げな顔で僕に問い詰める。
「ごめん……本当に分からなくて…あれ? 」
そこで気付いた。
「あれ、僕は…誰だ?」
「あ…………」
自分の事が何も思い出せない。
出自も名前も何もかもだ。
女の子はハッとした様な顔で黙っていたが少し納得したように呟く。
「記憶喪失……なの。そうだよね……」
1人で思案を巡らせている彼女に、僕は当然の疑問を投げる。
「えっと、まず君はだれ?」
僕の言葉に女の子はハッとした。
「あ…そうだよね…私の事も忘れてるよね……」
どこか悲しそうであった。しかし少し切り替えたかのように一呼吸おいて続ける。
「私はヤトという名前。その…本当に覚えていないの…?」
「うん。ごめん」
「いや、いい…イノリに非はない」
「ところで…聞きたい事がいくつかあるんだけど、まず僕はイノリって名前なの?」
少し間を置いてから僕はそう切り出す。
「そうだね。貴方はイノリ」
「君と僕はどんな関係?」
すると少し歯切れの悪いようにヤトは言った。
「………わ、私はとある縁でここで貴方と2人で暮らしている。いわば同居人」
……2人?
唐突にドクン、と心臓が大きく鼓動を打つ。鼓動はどんどんと早くなり体が痛みと苦痛を以て異常を伝える。
一瞬。ほんの一瞬だが何かが見える。
人、人、人の山。死屍累々という表現が最も合うであろう光景が脳裏によぎった。
「がッ…………」
「イノリ?」
知らない風景のはずなのに何故か自身の身体はその認識を否定する。
同じように不安げに僕の顔を覗き込むヤトは、僕の様子を見てすぐに異常を察知する。
「イノリ!?大丈夫!?」
「わから…な。ちょっと……横に」
原因不明の症状に僕もヤトも困惑する。
言った通りに横になり深く呼吸をする。すると少しは痛みが和らぎ話せるようになった。
「はぁ……はぁ……もう大丈夫」
「本当に?」
今にも泣き出しそうな表情から、心からの心配がヤトに表れていた。
「本当に大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「そう……」
症状が収まってからもヤトは少し不安げだった。そんなこんなで数分が経過した頃、僕は思った。
気まず。
いや本当に気まずい。
恐らく何かしらの関係はあったはずなのだが記憶が無い以上どう接していいのか分からない。
どうにか場を繋げる会話の内容を探す内に、気になっていたことを思い出す。
「ねぇヤト」
「な、なに?」
「君って人間?」
人の身には存在せぬ2つ横に伸びた角は、僕により一層の確信を持たせる。
「……イノリにはいいか。違うよ、私は人間じゃない。イノリ達に分かりやすく言うならば妖の類かな」
人外娘ということなのか。
中々衝撃のカミングアウトではあるが、さほどの驚きは無い。
それが予期していたからなのか、知っていたからなのかは分からないが。
「2回目だね…」
ぼそっと、そんな声が聞こえた。
「何か言った?」
「いいや、何も。それよりもイノリ、やらなくちゃいけないことがあるの」
「え、なに…」
ォオオォオオオオオオオオオ!!!!!!!!
言い終わるよりも前に、部屋の中に地鳴りと共に咆哮が響いた。
「来たね」
「え……何が?」
驚きを隠せない僕とは反対に、ヤトは余裕を見せる。
「外、見て」
言われるがままに外の方面を見ると、障子越しにではあるが、僕の何倍もある様な手が覆いかぶさっていた。
その指は手のひらの何倍も長く、ミイラ、いや骨だけの様な手だった。
「何これ!?」
「妖。それも人を喰うタイプの。時間が無い。イノリ、選んで。また私と戦うか。それともここで死ぬか」
「それって2つにひとつじゃない?」
「……ふふっ、2つにひとつ、ね」
急にヤトは少し嬉しそうな顔をする。
「な、何?なにか変なこと言っちゃった?」
「ううん、いいの。こっちの話。それじゃ、私を見ててね」
「分かった」
「かなり痛いけど、我慢して。私もついてるから」
そういうと正面にヤトが立つ形となった。
するとヤトは唐突に僕に抱きついて首を噛む。
「えっ」
そうして間を空けずに持っていた刀で僕の心臓を貫く。
「がっ……!?」
「静かに」
首から口を離しヤトは穏やかにそう囁く。
噛まれた影響で首からも血が流れ、唾液と混ざりヤトの口へと糸を引く。
そうして自身の身体を貫通する刀の感触、自身から失われていく血液の流れが感じられる。
あまりの痛みで叫びそうにもなったが、歯を食いしばり堪える。手は力の限り握られ血が滲む。
「我、八百万の神々に畏み畏み申す。今、光輝有る生を賜りしものここにあり。さらば還られよ。人の身なれど"資格"持つ者也。今此処に在りし日の再生を。深く畏み畏み申す」
ヤトがそう祝詞のようなものを奏上すると、流れていた血が少しづつ逆流し身体へと戻っていく。
まるで時間そのものが巻き戻っているかのようなその不思議な光景を見ていると、血液と共に綺麗な青い光が身体へと吸い込まれていることに気付いた。既に痛みも無くなっている。
「本当はね。どっちでもよかったの」
少し暗い顔で唐突にそうヤトは言う。だが記憶のない僕にはその言葉の意図は汲み取れない。
「今の貴方には私の言う事は分からないんだろうけど、これだけ言わせて。私を選んでくれてありがとう」
「えっと…」
戸惑う僕の正面で、ヤトは涙を浮かべる。
「いい。気にしないで。ほら、さっさと外の化け物倒すよ」
涙を拭いそう言ってヤトは手を差し伸べる。
「僕は戦ったことないよ?」
自慢では無いが僕は剣や弓など、武術に1つも触れてこなかった……筈だ。不安に駆られる僕を他所に、ヤトは微笑む。
「大丈夫。きっと身体が覚えてる」
「身体が?」
「うん。まずは目を閉じて。大きく息を吸って。いい?身体に入った空気が全身を巡る感覚を思い浮かべて。そしてそれと一緒に流れる全てを感じて」
言われた通りに目を閉じ流れをイメージする。すると不思議とスッキリとした感覚に包まれると同時に自身に流れる"なにか"を知覚する。
「ふふっ流石だね。上出来」
ヤトはどこか嬉しそうに微笑む。
「そろそろかな」
「何が…」
言い終わるよりも前に、脳内で言葉が響く。
年齢的にもまだ若い女の子の声だった。
《妖力を受託。お帰りなさいませ、イノリ様。周囲に敵を感知しました。与えられた権限にてこれより"自衛"を行います》
は?と疑問を口に出すよりも前に、身体が己に突き刺さっていた刀を持ち、勝手に抜刀の構えをとる。構えたと同時に、身体から青い光が溢れ出し煙のように流れ消えていく。
「痛った!!?ちょっと何これ!?」
僕の心からの疑問など聞こえないのだと言わんばかりのヤトは言葉を続ける。
「次は、考えて。貴方は今、星の上に立っている。風、水、大地、流転するあらゆるもの上に立っているの」
「ちょっとこれ止めて」
言い終わると同時に身体が勝手に構えをとったまま跳ぶ。自身でも信じられないほど速く邪魔な屋根を両断する。
そうして向こう側にいる巨大な髑髏と目が合った。
アアアァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
探していたものが見つかった子供の様に髑髏は不気味に叫び無邪気な笑顔を見せる。
そしてまた脳内に知らない声が響く。
《対象を発見。迎撃します。なお与えられた権限レベルにより壱の型に限定。速やかに対象を排除します》
そう声が響くと同時に僕の身体は空気を蹴り化け物へと単身で突っ込む。
僕は最早なるようになれと諦め目を瞑る。
勝手に化け物を断ち切らんとする自分の後ろで、ヤトは誰にも聞こえぬように呟く。
「最後に、自覚して。貴方は独りじゃない。もう二度と、1人にはしないから」
《権能起動。壱の型:時雨》
瞬間、僕は奇妙な体験をした。
何も無い空間を蹴り化け物に向かっていた僕の身体はいつの間にか化け物を通り過ぎている。
そしてその事に疑問を抱くよりも前に化け物が左右に"ズレた"。そう、切ったのだ。僕が、この手で。数十倍の大きさの化け物を両断したのだ。
予想外の状況に呆気に取られる僕に、また脳内で声が響く。
《対象の排除を確認。周囲に敵対存在無し。権限を返還します。イノリ様、お疲れ様でした》
「あっはい」
流れで反応してしまった……。
そんなことを考えていると自身の身体は遂に重力を思い出す。
「あれーーーーー!?」
思ったよりも高く飛んだのか、ものすごいスピードで落ちていく。
轟々と響く風の音と共に本日2度目の死を覚悟した時、下から声がする。
「うん。任せて」
気付けばいつの間にか横にいたヤトが手を広げ僕を空中で受け止めている。
重力など知らぬといった感じで浮かぶヤトは少しづつ地上へと僕を抱えたまま降りていく。
「大丈夫?怪我は?」
「う、うん。大丈夫、何ともない」
「そう。良かった」
まさか18歳にもなって女の子に抱えられる日が来るとは……。ちょっと恥ずかしいな。
僕は抱えられたままヤトを見る。
月明かりを背後に僕を一途に見る彼女は……とても…。
「さてと」
そうヤトが僕の思考を遮るように切りだす。
「聞きたいことは沢山あるんだろうけど、今日はもう寝ようか」
「…そうだね」
「ごめんね。また明日から忙しくなるだろうけど、私もいるから。改めてこれからよろしくイノリ」
そう言いながら僕達は地上へと降りていった。
そこからは特段何も事件は無く部屋へと行き布団を敷いて寝る事にした。
ただヤトも同じ部屋で横に布団を敷いて寝るとは思わなかったが……。
彼女曰く『なんでって…日課』なのだそうだ
そんなこんなでその夜のことだった。
自身の記憶は?自分は誰なのか?何故記憶が無いのか?ヤトとの関係は?あの化け物は?自分の不思議な力は?
どれだけ思考を巡らせようと、その答えに辿り着くことは無い。
……まぁいいや。若干のオーバーヒートを感じつつ僕は諦めて眠ろうとする。
多分、なんとかなるかな。
自身を勇気づける意味でも、そんなことを考えながら僕は意識を落とした。
何だか面白い日々が始まる気がした。