第二話
二階建ての小さなアパートの一階にユウキの部屋はあった。左右の家の小窓からは明かりがこぼれ、住民がいることを示していた。
同じ駅を使っているにも関わらず、今まで一度もユウキの家には行ったことがなかった。方向も反対側だし、こちら側は民家やアパートばかりで、足を踏み入れる事のない地区だからだ。
ユウキはポケットから取り出した鍵で、玄関の扉をガチャンと開けた。
そして、すぐに手元のスイッチで電気をつけた。
「どうぞー」
そう言われて、初めて入るユウキの部屋は、意外にもしっかりと整理整頓されていた。もっと、汚部屋というか、ゴミが散らかっている部屋を想像していたのだが、そんなことは無かった。
玄関を入って右側に風呂とトイレが、左側にキッチンと一人暮らし用の小さな冷蔵庫があり、そこを通り抜けた八畳くらいのフローリングの部屋は小ざっぱりとしている。
ユウキはすぐにエアコンのスイッチを入れるが、部屋が暖まるまで時間がかかりそうだ。オレはダウンを着たまま、なんとなく玄関に近いカーペットの敷かれた床に腰を下ろした。
部屋の真ん中にはこたつではなく、ローテーブルが置かれており、そこに買ってきた飲み物やらお菓子を並べた。ローテーブルの上もきれいで、リモコンがあるだけだ。ノートパソコンや図書館で借りたらしい本など雑多なものは、窓際の机の上に置かれている。
「パソコン持ってるのに、また買うんだ?」
素朴な疑問を口にすると、部屋着に着替えていたユウキは
「一度でいいから自分で組み立ててみたかったんだよ」
そう言って、パーカーを頭からかぶった。
オレたちはふたりとも文系の学部だったし、ユウキは講義の合間にも、よく単行本を読んでいたので、完全に文系の人間だと思っていた。だから、そんなことに興味があったなんて知らなくて驚いた。
というか、大学時代にあれだけ一緒にいて、社会人になってからも最寄りの駅が同じで、たまに会うこともあったのに、個人的な話をすることが殆ど無かったことに気がついた。
たまに会っても、話す内容といえば、会社の愚痴かネットのニュースの話ばかりだった気がする。
「で、何が聞きたい?」
すっかりくつろぐ格好になったユウキは、ベッドの上を歩いて窓側へ移動し、ベッドを背にローテーブルの前に座った。
「まずは、来年死ぬって話だよ」
「うん」
「なんでそんな話になったのか聞きたい」
「なんで?」
「え?」
「なんで俺が死ぬことに、リクが口を挟むのか教えてほしい」
エアコンが急いで室内を暖めようと、ゴオゴオと運転音を唸らせている。
ユウキの突き放すような言葉にグッと詰まった。だけど、ここで引き下がってはダメだ。
「今、ユウキは自殺するって宣言しているってことだろ? オレはユウキが死ぬの嫌だから」
「でも、俺が死んだところで、リクの人生に影響はないだろ? 直後は多少ショックを与えるかもしれないけどさ。別に生活を一緒にしているわけでもないし、定期的に会うような仲でもないし」
確かに、直近でユウキと会ったのは一年以上前だ。それも、駅前のコンビニで新作のスイーツを求めて、たまたま入店した時だった気がする。ユウキはすでに買い物を済ませた後で、自動ドアへ向かっているところで会ったはずだ。
「たとえ会わなくても、ユウキが死ぬのは嫌なんだよ」
「そうかな。それは今だけなんじゃないの?」
馬鹿にするわけでもなく、静かにユウキはそう言って、ローテーブルの上の炭酸水を取る。そして、プシュッと開けて一口飲んだ。
「きっと、ずっと嫌だ。たぶんオレが死ぬまで」
オレも自分で選んで買った清涼飲料水を開けて、一口飲む。
「一時的なものだと思うけどね」
ユウキはそう言うと、今度は買ってきた新作のスナック菓子を開けた。
中から香ばしいいい匂いがする。
それを一つ手に取ると、口の中へ放り込んだ。
「なあ、何か嫌なことがあったのなら話せよ。誰にも言わないし、もし力になれることがあれば力になるし……」
オレは真剣にユウキを見てそう言った。
ユウキは、もう一つスナック菓子を手に取って口に運ぶと、意外とうまいよと、オレのほうに袋の口を向けた。
仕方なく、オレも一つ口に入れて、くしゃっと咀嚼する。
こんな話題をしていなければうまいのかもしれないが、今は砂を噛んでいるようで、あまり味がよく分からない。
しばらく沈黙が続いた。
話そうか迷っている気配を感じて、オレはじっと待った。
「俺さ……、疲れたんだよね……」
長い、長い沈黙の後、ユウキはポツリとそう呟いた。
「みんなと同じようにしようと頑張ってみたけどさ、やっぱり無理だって分かってさ」
「そんなこと……」
なんでも、そつなくこなすユウキは、人当たりもよく、気が利いていて、友達の中でも一目置かれる存在だ。むしろオレのほうが世間とずれているというか、馴染めていないと思っているのに……。
ユウキが無理というなら、オレなんてもっと無理だろう。
そう反論しようとすると、ユウキは少し口の端を持ち上げて、静かに首を振った。
「今までずっと努力してきたんだ。むしろ、それだけにすべてを注いできた、と言ってもいい」
その言葉をきっかけに、ユウキは今まで考えてきたことを話してくれた。
小さい頃は、そんなことを思ったことも無かったが、成長するにつれ、少しずつ自分が皆と同じように出来ない違和感を感じはじめたのだという。
それは、皆が笑っているものに共感できなかったりと些細なものだが、あの狭いコミュニティの中では同調圧力が必ず働く。
なんとかその中で、浮かないよう、目立たないように必死だったという。
「誰かとぶつかることが嫌で、人の顔色を窺って当たり障りのないことを言って、面白くないことでも、みんなが笑うなら笑って、そうやって居場所をつくっていたんだよ」
家でも学校でも、とにかくあらゆる場所で、人の顔色を窺って過ごしていたのだという。周りからの評判は、優しいだの、気が利くだの、そんなんだったが、それは身を削り続けて居場所を求めた結果だった。
成長しても、やはり皆とズレないように、情報をあらゆるところから集め、「普通の人間」を徹底的に装ったのだという。
「もうその頃には、自分が何者なのかも分からなくなっていて……。何がしたいのかも、何になりたいのかも、この先どういう人生を歩みたいのかも分からなくなっていたんだ」
ユウキは肩をすくめた。
空っぽな自分に気づいた時、ただでさえ、先の見えない社会の中で、何のために生きているのか分からなくなったという。
そして、この先、どう生きればいいのか悩み、毎秒更新される、ネット上の様々な記事や書き込み、動画などを見ているうちに、なにが正しいのか分からなくなっていった。
それでも、なんとか必死に生きる模索をしてみたが、ある問題がユウキの前に立ちはだかった。