第2話 選手が全員美少女なんて聞いてない
プロゲーマーは圧倒的に男性社会だ。
格ゲーのようなソロゲーであれば女性プロゲーマーも少なからず存在するが、MOBAやFPSといったチームを組むのが前提のジャンルに女性プロゲーマーはほとんどいない。
そもそも女性の競技人口が少ないというのも理由の一因だが、最大の理由はゲーミングハウスで共同生活を送るため、男女混合チームを作るのは現実的ではない、という事情があるからだ。
チームだって好き好んで、余計なリスクやコストをかけるような真似はしない。
だからシオンは『アテナ・ゲーミング』の選手も当然男性だと思い込んでいたのだが、蓋を開けてみればこのザマである。
「やっほ。さっきぶり」
「君は確か──」
親し気な口調で声をかけてきたのは、先ほど玄関口で出会った少女だった。
どうやら彼女も選手だったらしい。
今思い返せばシオンは、あの時に気づくか──警戒すべきだったのだ。
「私は三澤葵……あれ? こういう時って本名? IGNでソラって呼んでもらった方がいい?」
「どっちでも、好きな方で」
「じゃあ、あおいって──呼んでよ」
「あおい……ね。分かった」
口の中で名前を反芻して、記憶のフォルダにしまいこむ。
語呂がいいのか、すんなり記憶することができた。
「ごめんね。なぎささん、ああ見えて結構天然だから」
「それはまぁ、身を持って知ったよ……たった今ね」
天然というかわいらしい言葉で済ませてはいけないような気もする──とは、本人がいる手前、口にすることはなかった。
「コーチの話、受けてくれたんだ」
「確かにコーチになるって契約はしたな」
契約はした、したのだが──
「選手の皆はそれでいいのか? ここは女子プロゲーミングチームのゲーミングハウス──男子禁制の聖域だろ? このままだと異物が紛れ込むことになるんだが……」
「ああ、気にしてるんだ」
「そりゃな」
気にならない方がおかしいのではないだろうか。
それとも自分が童貞を拗らせているだけなのだろうか──シオンの自信は揺らぎはじめていた。
「シオンさん。『アテナ・ゲーミング』は選手こそ全員女性だけど、裏方はその限りじゃないの。結構な頻度でウチの会社の男性社員も来たりしてるし──」
「来るのと住むのでは全くもって別問題な気が……」
「言われてみれば……そうかもしれないわね。だけど、気にしなくても大丈夫! 他でもない選手の皆が大丈夫だって言ってるんだから、ね?」
なぎさが同意を求めると、選手たちは大なり小なり差はあったが、全員が頷いていた。
どうやら本当に自分が童貞を拗らせていただけだったらしい──シオンは己の常識と言う名の偏見を上書きする。
現代の若者の間では、男女がひとつ屋根の下で暮らすことなど大した問題にもならないようだ──
「不本意ですが……試合に勝つためです、仕方ありません」
選手のひとりがシオンの間違えた認識のアップデートに待ったをかけた。
艶黒な長髪に怜悧な顔立ちが印象的な、大人びた少女だった。
「私も探しはしたんだけど……優秀なコーチで、かつ女性となるとアテはなくて……」
「──でしょうね」
コーチになるためには、大前提として深いゲーム理解度が求められる。
それほどのゲーム理解度を有している人物を探すと、必然的に一線を退いたプロ選手やそれに準ずる立場の人間がコーチとして選ばれることになりがちだ。
アルスナの女性プロがいなかった国内では、なぎさの挙げた条件に合うコーチが見つからないのは当然だと言えた。
「そうだよな、その感覚が正常だよな。えーと……?」
「リリーです」
「リリー、おかげで変な認識を持たずに済んだよ。ありがとう」
「あなたの馬鹿な勘違いを未然に防ぐことができたようで、何よりです」
態度こそトゲトゲしいが、リリーは理性的な話合いが出来る相手の様だった。
チームにひとりくらい、リリーのように感情よりも理性を優先できる人間がいるというのはとても大きい。
だが、皆が皆リリーと同じように割り切れるものでもないはずだ、とシオンは考えていた。
4人の選手の中にも心のどこかで割り切れていない人がいる可能性もある。
余計なストレスをため込ませないためにも、話を聞く必要があるだろうとシオンが考えを巡らせていると──
「ねぇねぇ、コーチ! 料理とか片付けってできる〜?」
「ん……ああ? 割と好きだぞ」
どうやって話を切り出そうかと迷っているうちに、シオンは先を越されてしまった。
「ほんと!? だったらアタシは大歓迎! 最高のコーチが来てくれた~」
「……!?」
正面からのオールイン。
まさかの抱きつき攻撃である。
それも軽いハグではなく、人懐っこい大型犬がじゃれつく時のように、全力のだった。
「ちょ……ちょ……ちょっとロッキー!! な、な、何してるの!?」
「何って……挨拶のハグだけど~? いつもマロンにしてるのと同じだよ~?」
「お、男の人にしちゃダメだよ! ここは日本なんだから! 今すぐ離れて!」
「は~い」
──何がダメなのか分からない。
離れていく少女の顔には、そう書いてあった。
プラチナブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳──全体的に色素の薄いこの少女は、ロッキーという名前の選手らしい。
わずかにたどたどしい日本語の発音から察するに、海外出身の選手なのだろうとシオンは推察した。
アルスナの日本リーグでは、出場選手4人のうち1人までは外国籍の選手を登録しても良い、というルールがある。
アルスナ弱小国の日本では多くのチームがこの制度を利用して、強豪国で燻っている選手などをスカウトしてチームに組み込んでいるが、『アテナ・ゲーミング』もそれに倣ってロッキーをスカウトしたのだろうと、シオンは推測した。
──まあ、倣ったにしては少し大物過ぎる気もするが。
そしてロッキーを制止したのがマロンという名前の選手らしい。
決して身長は低くないはずなのだが、服装に加えて童顔であるのと隣に長身のロッキーがいることもあってか、シオンの目には見た目以上に幼く映っていた。
他の選手はラフな格好をしているが、この選手はフリルやリボンが印象的な──世間ではいわゆる地雷系とか量産型と呼ばれている服を身に着けていた。
地雷系と量産型──厳密に言えば両者の間には違いがあるのだろうが、ゲームばかりしていて世情に疎いシオンには判別をつけることはできなかった。
「なぁ、ロッキー。料理とか片付けについて気にしてるみたいだったが……苦手なのか?」
「苦手というか、まっったくできませ~ん!」
「なるほどな……」
「アタシのお仕事はゲームすることでしょ〜? で、コーチのお仕事はアタシたちをサポートすること──だから料理も片付けもコーチのお仕事、違う?」
「残念ながら不正解……コーチの仕事は『ゲームの』サポートだ。私生活のサポートもある程度はする気ではいるけど、期待はしないでくれ」
「そうだよ……! 自分のことは自分でやらないと……!」
コーチと選手は基本的には対等な関係だ。
共同生活の中では、一般的に選手もコーチも等しく家事を分担して行う。
手を貸すこともあるが、それはあくまで善意から来るものであって義務によるものではない。
「なんだ~、ちょっと残念かも~」
「だがな、食べたい物をリクエストしてくれたら……大抵の料理は作ってやれると思うぞ? 俺が当番の時限定だけどな」
「「……!」」
シオンがニヤリと偽悪的な表情を作れば……その瞬間、ロッキーが目の色を変えた。
ロッキーだけじゃない、他の選手も今までよりも明らかに眼光が鋭い。
シオンはこれまで経験したことのない種類の重圧を感じていた。
「ねぇ、コーチ……ミートローフって作れたりする~?」
「任せろ、うずらの卵入りで作ってやる」
「いぃやった~! コーチ大好きっ!」
満面に笑みを浮かべて飛び掛かってくるロッキーを、シオンはすんでの所で回避する。
さっきは不意をつかれたが、二度も同じ手をくらうシオンではなかった。
避けられて尚食い下がってくるロッキーを片手で押さえつつ、シオンは遠巻きに様子を窺っているマロンに声をかけた。
「マロンはどうだ?」
「え、えっと。私は、別に……」
「いいか? 選手にストレスが溜まらない環境作りを手伝うのもコーチの仕事なんだよ。だから俺に遠慮は無しだ、オーケー?」
「じゃ、じゃあ……ハンバーグ、とか……」
「大当たり、俺の十八番だ」
今まで小さく縮こまっていたマロンがこの日初めて、蕾が花開くような笑顔を見せた。
「私はなんだろ──焼肉?」
「ソラ、それは料理じゃなくない?」
「じゃ、リリーは何がいいの?」
「……肉じゃが」
「いいじゃん、和食。なぎささんは?」
「私は選手じゃないけど……いいのかしら?」
「いいんじゃない? なぎささんも一緒に住んでるんだし」
「それなら……お昼にパンケーキ──っていうのはダメ、かな?」
「もちろん、大丈夫ですよ」
いつの間にか、話題はなぎさの所まで広がり、楽し気な声が部屋にこだまするようになっていた。
(これなら何とかやっていけそうかな……)
おかげでシオンは少し自信を深めることができたのだが……
それから数秒後、『アテナ・ゲーミング』アルスナ部門の選手たち、プラスなぎさの想像を絶する不健康な食生活事情を耳にして、あっという間にその自信は打ち砕かれることになるのだった──