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カレイのレバーソテー ~ 下 ~


「う、うぷっ」


「リリアーナ、あなた……」


 部屋中に蔓延した鮮血の臭いと、そして顔のあちこちに伊達傷を負い苦痛のうめきを上げる騎士たち、そして何より先ほどまで我が家の家令をしていたエンヴェーゼなる男性だったモノ(・・・・・・・)の変わり果てた姿に、お父様もお母様も吐き気をこらえきれない様子でした。

 まぁ、それも仕方ないことなのでしょう。

 貴族である各諸侯は領地を安堵され、騎士を雇って領を守ると共に侵略者には一致団結して戦い抜く……というお題目こそありますが、ここ数十年はナインテイル領への侵略はなく、父母も戦争からは遠ざかっております。

 こういう、人体が損壊し血と臓物が吹き出るような光景は見慣れていないに違いありません。


「クレア。

 私は自室にこもります。

 本日の晩餐は不要と致しますので、みなと協力してこの部屋の片づけをお願いできますか」


「……は、はい。

 かしこまりました、お嬢様」


 戦利品(・・・)を手にしてそう告げる私に、侍女であるクレアは震えを隠せない声で頭を下げました。

 彼女もまた騎士家の出……つまりがお嬢様であり、あまり血なまぐさいことには耐性がないようなので、仕方のないことでしょう。

 私は御付きの侍女を振り切る形で領内改革の第一弾を終えた食堂を背にしました。

 右手には、今回の戦利品……私は領内改革を志した理由でもあり、もう人生に何も期待していない私が今世で生きようと思ったその理由。

 つまりが、『前世で食べることのなかったモノ(・・)』が握られていたのです。





 そのまま我が部屋へとたどり着いた私は、部屋の片隅にある小さなキッチンへと向かいました。

 ここは転生した私が我儘を突き通して……具体的には花嫁修業の一巻という吐き気を催すような言い訳を口にして勝ち取った成果である、趣味の空間です。

 キッチンと言っても、竈と水甕、各種の香辛料入れにまな板・包丁などの料理器具が揃っただけの、前世のとは比べ物にならないほど不便なものでありますが。

 そのキッチンのまな板へと、今回の戦利品……先ほどの戦闘で勝ち取ってきた『食材』を載せます。

 具体的には、我が家の家令であるエンヴェーゼの肝臓(・・)ですけれども。


「……ふふっ、ふふふっ」


 そうです。

 私がこのリリアーナ=ファイサード=リ=メール=フォン=ナインテイルという少女へと転生を果たした時……終わった筈の人生の蛇足にして、何の意味もないこの無駄な余暇をどう過ごそうかと悩んだあの時。

 まず最初に考えたことは、前世では一度も口にしたことのなかった食材……即ち、あちこちに群れて鬱陶しい、だけど殺してはいけない権利とか法律とか色々と口煩い大型哺乳類を、切って刺して抉って腹腔を引き裂いて、臓腑を引きずり出し、焼いて蒸して煮て食らってやろうと考えたのです。

 その思考が、この悪役令嬢の身体に引っ張られた(・・・・・・)のか、それとも人生に疲れ切った私の鬱屈した感情が、前世で最も禁忌とされた人の道を大きく外れる側へと踏み出せと叫んだのか……その答えを私は持ち合わせてはおりません。

 ですが、やろうと思った以上、やってみようと考え、前世の価値観で無辜の民をただ食材のためだけに殺してしまうのは前世の価値観の所為か気が引けたものですから、殺しても心が痛まないような下衆外道の輩を見事に捌いてみた、という訳で御座います。

 そうして私はまな板の上に置かれた家令のレバーを眺めながら、顎に指を添えて小首を傾げておりました。


「さぁ、これをどうやって料理しましょう?」


 実のところ、私は部屋にミニキッチンを作りは致しましたが、だからと言って前世で料理が得意だったかというと全くそういう訳ではありませんでした。

 ただ、今世で使う食材が食材であるため、だれも協力してくれなさそうなことと……前世の料理知識を活用できそうな人間が私しかいなかったのです。

 そして当たり前のことですが、私自身もこの手のお肉(・・・・・・)などは料理した経験などありませんので、残念ながら料理は手探りで進めていく他ありません。


「肉質としては牛のレバー……いえ、フォアグラが近いでしょうか?」


 赤黒いぶよぶよしたその肉塊……肝臓を眺めた私は、そう小さく呟きを零します。

 実際のところ、人間も牛も大型哺乳類同士ですし、飽食と運動不足を極めていたあの家令エンヴェーゼの肝臓は製造過程を考えるとフォアグラとそう大差ないことでしょう。

 ならば料理もそのように扱うこととなります。


「私の料理技量から考えると、ソテー辺りが一番でしょうか」


 レバー料理と言えばレバニラ炒めという環境で育ってきた前世では庶民の私ではありますが、生憎とこの似非中世ヨーロッパ風のゲーム世界ではもやしもニラもなく、逆に香草とニンニク、オリーブオイルにバター、ごく微量の胡椒程度なら手に入ります。

 そういう環境を考えると、簡単な洋食を作るしか選択肢がありません。


「まずは火を起こして、と」


 私はドレス姿のまま……返り血でもう放棄するしかなくなったドレスのまま、レンガ積みの竈へと薪を放り込み、炎の魔法を放ちます。

 実のところ私ことリリアーナ=ファイサード=リ=メール=フォン=ナインテイルは、前世の記憶が足を引っ張る所為か身体強化以外はそこまで得意ではありませんが……加熱と冷却は料理に使う程度なら支障ありません。

 ものの3分も経たない内に薪に火が回り竈が熱を持ち始めましたので、フライパンを竈の上へと置いて熱します。

 1分も経たない内に熱せられたフライパンが白い湯気を上げ始めましたので、一塊のバターを放り込みます。

 熱せられた鉄に触れたバターはゆっくりと溶けていくのを眺めながら、私は次の手順……レバーへと包丁を入れます。


「3センチくらい、でしょうか。

 ……感覚的に」


 脂肪肝なれど幸いにして肝硬変は発症していない肝臓を眺めながら、私はどうこの臓器を切断しようか悩みます。

 実のところ医学的知識なんて欠片もない私ですが、前世で肝硬変の画像を見てあのぐちゃぐちゃした光景は憶えておりますので、眼前のコレがそう(・・)なってない(・・・・・)のは明白でした。

 

「っと、これは胆のうでしょうか。

 確か、苦いと評判の」


 そうして眺めていたのが良かったのでしょう。

 肝臓の下側にある小さな丸っこい部位を始めとして、小さな派生臓器らしきものがあるのを、私は丁寧に取り除きます。

 肝臓へと繋がっている太い管……総肝管も堅そうだったのでうまく切り分けますが、生憎と素人の包丁捌き、折角の食材を大きくえぐり取ってしまいました。

 

「まぁ、かまいませんか。

 ……どうせ食べきれませんし」


 成人男性の肝臓は約1キログラム。

 生前であっても焼肉食べ放題で1キロは酒の勢いをつけても無理なレベルの暴食でしたから、今世の小柄な少女(リリアーナ)の身体では到底不可能でしょう。

 しかも傷みやすい肝臓で、冷蔵庫もないこの時代……まぁ、凍らせることは私ならば可能ですが、それでも折角手に入れた希少な禁断の果実なのです。

 冷凍して味が落ちるのは避けたいと思うのは仕方のないことでしょう。

 そんなことを考えながら、脂の乗って白く染まった部位、なにやら固そうな膜の入った部位を取り除きつつ、3センチほどにスライスしていきます。

 そうすると可食部としては半分以下になってしまいましたが、まだ食べきれない可能性の方が高いので何の問題もありません。

 次に行うのはソースの作成……いや、正直なところフライパンを用意するのが早すぎましたので、ちょいと竈の脇へと置き直します。


「えっと、塩とニンニクのみじん切りと香草と胡椒を、適当に混ぜて。

 どの味が合うか分からないから割合は適当に5種類作ってと。

 それからレバーに小麦粉をまぶせます」


 この辺りは料理素人の適当な考えで行っておりますが、所詮は独身貴族の適当料理に毛が生えた代物……趣味の域を超えておりませんね。

 取り合えず5切れ用意したレバーに、5種類の味付けをそれぞれ添加していきます。

 あとは焼くだけなので、もう一度フライパンを竈へとセットし……幸いにして溶けたバターがある程度蒸発してしまったのか、鉄表面にうっすらと残る程度となっておりましたので、これで十分だと思うことにします。


「レバーはあまり火を通すと臭みが出る、だったのでしょうか?」


 どこかの番組で見た覚えがあるのですが、果たしてそれがいつだったのか……そんなことを考えながら、焼き目をつけていきます。


「……あっ、あら、らっ」


 とはいえ、一度目はひっくり返す段階でぼろっと崩れてしまい、うまく焼きあがりませんでした。

 火を通し過ぎたことと、焼き加減に自信がない所為か何度も裏返してしまったのが失敗の要因でしょう。

 ……素人丸出しで情けない話ですが。


「次は、うまくやりますよ、あ、あれ?

 おかしいです、ね?」


 もう一度失敗を挟みましたが、それでコツを掴んだのか3枚のレバーを上手く焼き上げることに成功しました。

 私の小さなこの身体にはちょうど食べ過ぎ程度の量、でしょうか?

 私はそう考えながら、表面から湯気を上げる焼き上げたレバーソテーを皿へと盛り合わせ、ベッドの横に置いてある小さく驕奢な少女趣味丸出しの机の上へと皿を置きます。

 あとは台所の水甕で手を洗うと、ワイングラスに魔法で創り出した水を入れて椅子へと座り、ようやく食事の時間と相成りました。


「では、いただきます」


 部屋に備え付けてあったナイフとフォークを手にしつつも、前世の風習から抜けきれない私は小さくそう呟くと……手元のレバーソテーへとナイフを落とします。

 表面の焼き目だけに微かな抵抗を残した後、するりと柔くなったバターを切るかのようにナイフが肉を切り分けていきます。

 切り目は鮮やかな赤色を残しつつ、熱はしっかりと通っているミディアムレアの、最高に好みの焼き加減に仕上がっていると言えるでしょう。

 そうして切り分けた一切れを、私は口へとゆっくり運び、歯を突き立てます。


「……っ」


 一瞬の歯ごたえの直後、焦げたバターと小麦の香りの後に続く、突き刺すような塩の味の合間に見え隠れする濃厚な血と脂の味わいと……そして香草と胡椒で隠し切れない、嗅いだことのない独特の臭みが鼻の奥を微かにくすぐります。

 牛肉は牛の、豚肉は豚の、羊肉は羊の香りがあるものですが、これは明らかにそれらと違います。

 それは、私の記憶の中にもある、家令であるエンヴェーゼの……タバコや酒や香水、油脂などとは違う、すれ違った時に不意に気付く人そのものの匂いを、濃厚にしたかのような、酷く不快なようで嫌いにはなれない、馴染み深いようで斬新な、椒味わい深い匂いそのものでした。


「これが、人の肉。

 人の、味……」


 生まれて初めての味わいに、そして口の中から薫る濃厚な味わいが、先ほど断罪しこの手で切り裂いた人間そのものを食らったという実感を身体の奥底から湧き上がらせ……私は少しばかり行儀作法も忘れ、唇に乗った脂を舌先で舐めとりました。

 グラスで口の中を洗い流し、次の肉片へと手を伸ばし……やはりその独特の臭みを持つ柔らかな肉に魅了されてしまい、残り2切れしかなかったレバーソテーは瞬く間にお腹の中へと消え去っていまいます。

 そして、満腹感に口の中の脂を洗い流した直後……この禁断の果実の味に魅了された私は、湧き上がった衝動を口ずさまずにはいられませんでした。


「肝臓でこの味わい。

 なら……他の部位はどんなものでしょう?」


 脳みそは、筋肉は、皮膚は、血は、心臓は、小腸は、大腸は……そして、女性は、老人は、少年は、少女は、幼児は、乳児は、まだ胎児になったばかりの肉は……

 

「ええ、食べましょう。

 味わいましょう。

 まだまだ人は、たくさんたくさんたくさんたくさん、溢れているのですから」


 ……そう。

 この私……リリアーナ=ファイサード=リ=メール=フォン=ナインテイルがゲームと同じように18歳で断頭台の露と消えるまで、まだ3年間も。

 まだ千日を超えるほどの時間が残されているのですから。



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[一言] カレイ。なるほど、確かにカレイ!
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