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君のオレンジなんか救けなきゃ良かった  作者: 綾沢 深乃
「第8章 もう大丈夫」

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「第8章 もう大丈夫」(3)

(3)


 あの夜からの十年は、決して悪いものではなかった。


 お金だって、昭彦の助けを得て、全て戻ってきた。


 今の彩乃に自殺したくなる動機はなんてないはずだ。


 不思議と栞の話は出なくなり、お互いに普通の友人関係を続けていた。


「どしたの? 急に黙っちゃって」


「あっ、いや……」


 彩乃に言われて、澄人は慌てて顔を上げる。考え込んでしまいグリーンドアのガヤガヤとした喧騒まで聞こえなかった。戻ってくるとまるで、夢から覚めた直後のようだった。


「澄人ってたまーに、黙っちゃう時があるよね? 自分の世界に入ってるって言うか、もしかして会社でもそれしてるの?」


「まさか。……って言いたいところだけど、無意識だからなぁ」


「気を付けた方がいいよ」


「分かってる。ありがとう」


 栞の事で悩んでいるとは言えず、彼女の忠告に素直に礼を言う。


 澄人の心境に彩乃は、気付いていたのだろうか。紙飛行機が飛んでいる間だけのような僅かな沈黙の中、彼女が口を開いた。


「それで? 本当は、何が聞きたいの?」


「分かるの……?」


 心の奥底を真っ直ぐに見つめられた。


 思わず澄人は彩乃に聞き返す。聞いてしまった時点で彼女の質問を肯定しているという事に気付く。


 澄人の質問に彩乃は笑って返す。


「分かるよ。こう見えて、付き合い長いんだから。あぁー、私に何か聞きたい事があるんだろうな。一体、何だろうなって思ってた」


「そう……、か。凄いな」


「凄いでしょ。だからもう、澄人が私に隠し事をするのは、諦めなさい」


「そうか。隠してもすぐにバレるんじゃ意味がないか」


「そうそう。意味がない」


 二人で会っている時も心の隅にあった栞について、悩んでいる自分を彩乃本人は気付いていたのかも知れない。気付いていて、無視をしていてくれていたのだろう。

 どうして今日、聞いてきたのかは分からない。


 グリーンドアの空気がそうさせたのかも知れないし、久しぶりに座ったソファ席の柔らかさに負けたのかも知れないし、赤い窓枠から見える外の景色が高校生の頃を思い出させたのかも知れない。


 そう考えた澄人は、観念したように小さく息を漏らす。


「答えたくなかったら、答えなくてもいい」


「うん」


「栞がさ、俺はもう見えないんだ。だから、今の彩乃の状態が分からない」


「うん」


「実は……、昨日今日の話じゃなくて、ずっと前から見えなくて、もっと早く話すべきだったんだけど、言えなかった」


「うん」


「だから今、彩乃がどういう状態か分からない」


「うん」


「だけど、あの屋上の夜から今日まで、彩乃は俺の目には元気そうに見えた。少なくともいきなり、自殺をする人には見えなかった。だからこそ、ずっと不安なんだ」


「うん」


 彩乃は澄人の話を相槌を打ちながら聞いてくれる。

 その動作はとても丁寧で、あの夜の屋上を思い出す。


 澄人が話し終えると、彩乃は彼から目線を外して、顔を下に向ける。


「そっか、見えなくなっちゃったのか」


「ごめん」


 澄人が頭を下げる。すると、彩乃は小さく笑った。


「別に謝る事ないよ。見えなくなっちゃったのなら、しょうがないんじゃない?」


「いや……、でも」


 謝る事ない、しょうがないと言われても、それを素直に受け入れられる程、澄人は人間として出来ていない。


 歳を重ねて、お金を稼いで、自分では成長したと思っていても、本質は何も変わっていない。そう、高校生の頃からずっと。


 彩乃は澄人に苦笑して、ポケットからiPhoneを取り出す。手慣れた様子で操作を始めて、彼から視界から外した。やはり大切な用事だったのかも知れない。


 そう考えてしまった澄人は何も言えず自分もiPhoneを開いて、適当にネットを漁る。数年前から入ったグリーンドアのフリーWi-Fiを使う。高校生の頃の小さく通信速度の遅い携帯電話ではなくiPhone。


 もう、未練作りの時みたいに香夏子にノートパソコンを借りる必要はない。


 澄人は、適当にニュースを見ていた。一つのニュースを読んで、普段自分が読まない関連ニュースを片っ端から読み潰していく。


 目線を上に上げて、彩乃の様子を窺う。いつの間にか彼女はiPhoneをテーブルに置いて、澄人が来るまで読んでいた文庫本を再び読んでいた。


 澄人はiPhoneを彩乃と同じようにテーブルに置く。彼女と違って本を持っていない彼は、やる事がなくなりぼんやりと窓枠に顔を向けた。顔を向けているだけで、実際に景色は見ていない。


 不安から始まった沈黙だったのに知らない間に時間の流れが緩やかになり、心が落ち着いていく。

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