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君のオレンジなんか救けなきゃ良かった  作者: 綾沢 深乃
「第5章 未練作りの一環として」

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34/55

「第5章 未練作りの一環として」(7-1)

(7-1)


「いらっしゃい。今日も二人で来てくれたんだ」


 グリーンドアに入ってすぐ目が合った香夏子は、二人を笑顔で出迎えた。店内は今までで一番混雑しており、自然とザワザワとした雰囲気となっていた。


「さぁ、どうでしょう? もしかしたら店の前で会っただけかも知れないよ?」


 香夏子の言葉にしれっと返した彩乃はスタスタとカウンターの一番奥へと向かう。以前に座ったソファ席には残念ながら先客がいたので座れなかった。澄人も彼女の隣に座る。その際、持って来たボストンバッグを足元に置いた。


「ん? 何そのボストンバッグ? 旅行?」


「ああ。これは、家にあったボストンバッグで和倉さんにあげるって話だったんだけど、思ったよりも古くて持って帰ろうと……」


「確かにちょっと古い感じがするね」


「そ、これはボロボロのボストンバッグ。耐熱性」 


 彩乃が前を向いたまま簡潔に答える。


「耐熱性?」


 彩乃の言った特徴に香夏子の声が少し低くなった。今まで聞いた事のない低さで、澄人は数時間前の事がバレてしまったのではないかと瞬間的に心臓が熱くなった。


 香夏子の低い声にも彩乃はいつもの感じを崩さず平然と続ける。


「便利でしょ? でも、やっぱり古いから三嶋君は捨てるんだって。香夏子さん、悪いんだけどお店のゴミと一緒に捨ててくれないかな?」


「……いいよ」


 二人の視線が数秒交差したのち香夏子が了承する。彼女はスッと澄人の足元に置かれたボストンバックを手に取ると、そのままカウンター奥のドアを開けて中に入った。


「ラッキー、これで捨てる手間が省けた」


「いやいや。大丈夫? バレて怒られない?」


 香夏子が持って行った事を喜ぶ彩乃に澄人は確認する。彼の問いかけに「ま、何かあったとしても香夏子さんなら大丈夫だよ。本当に怒るんだったら、今じゃなくて後で怒られると思うけど」と、どこか人ごと感を出して口にした。


「ったく、解決した途端に上機嫌だ」


「まあね。これも三嶋くんのおかげ。ありがとう」


 澄人が軽口を言っても彩乃には響かない。それどころか笑顔で礼を言ってくる。それだけ彩乃の中で正弘が大きな障害だったという事だ。


「じゃあ、今日は奢ってもらっちゃおうかなー。なんて」


「勿論。今日は私が全部、奢る。何でも好きな物を食べてよ」


「あ、いや……、冗談のつもりだったんだけど」


 本気で受け取られるとは思っていなかったので、素直に了解されると、言った澄人の方が焦ってしまう。


「なになに〜? 今日は彩乃ちゃんが奢ってくれるの? やった、じゃあ私はビールと〜」


 いつの間にかカウンターに戻って来た香夏子が夜用メニューを持って商品を選んでいる。


「こらこら。香夏子さんは店員でしょうが」


 メニューを取り上げる彩乃。それに香夏子は口を尖らせた。メニューを返した彩乃は「まあ、パフェぐらいなら……」と申し訳なさそうに答えた。


 それが届いた香夏子は笑顔を見せる。


「ふふっ、ありがとう。また今度ね、お客として来たら奢ってもらおうかな」


「うん。楽しみにしてる」


 香夏子に彩乃は笑顔で答えた。それからしばらくすると、彼女はドアから鳴ったカウベルの音に反応して、二人から離れて行った。


「香夏子さんとご飯の約束しちゃった」


 働く香夏子の後ろ姿を見ながら、彩乃が嬉しそうに呟く。彼女の頭に挟まっている栞は昨日より更に白くなっている。


「未練作りが勝手に一つ出来てるし」


「あっ、本当だ。ゴメンゴメン。いやー、三嶋君とのご飯も楽しみだなー」


「なんか微妙に感情がこもっていない気がする」


「三嶋君、意外と細かいなぁ」


 澄人の発言に眉を潜めて文句を言う彩乃。先程の軽口は届かなかったが、これは届いたようだ。しばらく唸っていた彼女だったが、「あっ、」と何かを思い出して口を開く。


「そうだ。今週末はさ、どこに行くとか考えてる?」


「ごめん。何も考えてなかった」


 先週末は土曜、日曜の両方を正弘に使っていたのだ。来週を考える余裕なんてなかった。だがそのお陰で今があると思うと、別に悪くはないのでは? っと反射的に謝った事について、疑問が浮かぶ。


「決まってないなら、また飛行機で遠くに遊びに行こうよ。東京とかさ、前に行った時はあっという間だったじゃん」


「ああ、確かに。飛行機だと新幹線より随分早かった」


 最初にした未練作りは初回ということもあって、飛行機を使ったのを思い出す。あの頃は彩乃に凄い警戒をされていた。必要以上の雑談なんてないし。周囲から見れば、ただのガイドに見えたに違いない。


 それが今では綾乃自ら提案するくらいになった。これは、未練作りに終わりが見えてきたと言っても良いのではないか。彩乃の変化をそう捉えた。


「あのさ」


「うん? 行く所、思い付いた?」


「そうじゃなくて、未練作りっていつぐらいまでやる?」


 何気なく。本当に何気なく聞いた。グリーンドアに入ってからの会話の温度や彩乃との空気感。それらを感じ取った上で、サラッと口から出た。


 これが、彩乃にとっては予想外の質問だったようで。




 彩乃の笑顔がピタッと、止まった。




 周囲の空気には微かに穏やかだった時の残滓が残っていたが、みるみる内に霧散していく。彩乃は何かを伝えようと、口を動かすが声は聞こえてこなかった。

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