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6.彩を失ったその後

 意識があるのかないのか分からない状態で閉会式に出席した。優勝は秋田で北海道は二十六位、個人では七五三掛が優勝し、次に優南が呼ばれた。しばらくしてみのり、純礼の名前が呼ばれた。もちろん、虹介の名は呼ばれない。


 閉会式が終わり、谷坂のもとに集まる。そして三人は訃報を聞いた。言葉を失った人たちの顔は魂が抜けたに等しい。

 さっきまで優南は、自信の成績が良かったことからいつにも増して笑顔がはじけていたが、まるで最下位になったような顔になっていた。


 その後、担当生徒と先生たちによる会議や後片付けがあるため、一時間ほどの空き時間ができた。その間、他の生徒は他行との交流をしたり内輪で集まって話している様子が見られた。

 虹介はこの空間にいることが嫌になり、カバンを背負って足早に会場を立ち去った。


 そのままホテルを出て、エントランスにある柱に頭を押し付けた。柱を見つめると、思いきり頭をぶつけて血を流して死んでしまいたいと思った。だがそんな勇気はなかったが、何かを壊せば許してくれると思った虹介は、カバンから電卓を取り出した。


 僕はもう、電卓部で活動する資格はない。


 虹介は電卓を両手で持って、液晶画面をぶっ壊す勢いで柱にぶつけて電卓に強い衝撃を与えた。いとも簡単に電卓は電卓としての機能を終えたが、まだまだ柱にぶつけ続けた。次第に電卓は真っ二つに割れ、ただのゴミとなった。

 周りにいる通行人やホテルマンなどに怪訝な目で見られるも、気にしない。


 まだまだ壊したりない虹介は、それを自分の醜い部分だと思い込んでもう一度柱にぶつけようと振りかぶる——だが、誰かに覆われるように抱きつかれた。どこか身に覚えのある感触だった。


「離してください、みのりさん」

「そんなことをしても何も変わらないよ。戻ろう」


 息切れをしているのか、背中に密着しているみのりから何度も息を漏らす声が聞こえる。


「これさえなければ、誰も辛い思いをしなかった。僕がこの部活に入らなければ円滑に物事が進んで、優勝できて、みんなが望む結果を生み出すことができた、だからこそ僕は疫病神なんです。僕が、殺したようなもんなんです。……みのりさん、ごめんなさい」

「違う、絶対に違う。虹介くんは陽彩に必要な存在だった、それだけは間違ってないから。そんなことは止めて、戻ろうよ」


 涙ぐんだ声で訴えかけるみのりは、女の子とは思えない力とも言えるほど縛られるように身動きが出来なかった。虹介はそのまま膝から崩れて、柱に頭をくっつけ、もたれかかる。

 しばらくは動けなかったが、みのりの優しさは背骨を通じて沁みわたり、荒げた心は落ち着きを取り戻した。

 

 ボロボロになった電卓は、近くにあった燃えないゴミに入れた。ゴミとゴミがぶつかる音を聞いて、これからの学校生活どうしよう、なんて考えた。





 飛行機のチケットが明日となっているが機会費用を考えると即日帰ることはできなかったため、予定通り翌日は東京観光をすることになった。それに今すぐ帰ったところで何もできないことを誰よりも知っていた。


 もちろん皆の顔は土砂降りの雲のように淀み、晩ご飯を完食した人はいなかった。


 七五三掛は優勝したにもかかわらず、クールを保っていた。だから虹介が落ち込んだ様子を見ても、成績が悪かったことが影響しているのだと勘違いをして、そっとしておいてくれた。


 翌日、東京観光をすることとなり、虹介は七五三掛と行動するため先輩女子三人と別行動をする。

 あらかじめ行くと決めていたカフェに足を運び、有名なスイーツがテーブルに置かれる。


「うわぁ、これすげえな」


 七五三掛は目の前のモカシフォンケーキを見てそう言った。虹介は先に置かれていたホットコーヒーを飲んだ。コーヒーの苦みは錆びた体には甘く感じた。


「どうした、そんなに落ち込まないでこれ食って元気出せ」


 七五三掛は勘違いをしているし、嘘をつかれている。コーヒーが毒を抜くように罪悪感を押し出して、徐々に虹介の口が開く。


「僕、七五三掛さんに嘘つきました」


 七五三掛はとくに言い返すことなく、無言でシフォンケーキを食べている。そしてコーヒーを啜ると、「続きは?」と言った。


「陽彩さんのこと、僕も好きです。そして彼女が脳腫瘍を患って、余命宣告を受けて、昨日この世から去ったことも知ってます」


 虹介の言葉に七五三掛は持っていたフォークから手が離れた。食器にあたり、そのまま床に着地した。しばらくは頭の整理ができなかったのか、落としたときの手は静止したままだった。

 しばらく経ち、店員が「新しいフォークお持ちしますね」と言いに来た。七五三掛はぶっきらぼうな返事をして、虹介の目を見た。


「そこに嘘はないな?」

「……ないです」


 七五三掛は「そうか」と言ってホットコーヒーを啜り、お冷を一口飲んだ。


「その報告は驚いたよ。十八年生きてきて一番。君は俺はあいつのことが好きだから、自分の気持ちを奥の奥にしまってたんだな。そしてあいつが余命僅かだっていうのを知ってたにもかかわらず、俺の気持ちを揺るがすわけにはいかない、そんなところか?」

「……ほぼ、その通りです」

「ふざけんな!」


 七五三掛は森の奥のように静かなカフェで怒号を響かせた。周囲の客、フォークを持ってきてくれた店員、奥の方でこちらにスマートフォンを向ける若い女性客、この空間全員の視線を集めた。

 虹介は七五三掛の目を見ることができず、波紋を起こしているコーヒーを見ていた。


「初対面のやつになんで気を遣う必要があるんだよ。昔からの親友でもないんだぞ俺たちは。それが俺のためと思ったか知らないけどな、嘘をつかれたことが何より腹が立つ。嘘をつかれたところで君を殴るとでも思ったか? 殺すとでも思ったか? んなことするわけねえだろ、一緒に悲しんだよ。遠距離に恋してるやつより憧れの先輩に恋してる方がよっぽどつらいだろ」


 七五三掛の言葉を聞いていると、だんだん視界が震えはじめる。力強く目を瞑ると大粒の涙が頬を伝い、こぼれ落ちた。


「だけどな、ずっと嘘をつかれてたのなら、俺はいつまでこの世にいない人を想い続けるバカ野郎をやってたんだろうな。だから正直に言ってくれただけまだいい。だけどなこれだけ覚えとけ」


 七五三掛は席を立ち、虹介の隣に近づいて強く肩を叩いた。威圧するように顔を近づけるが、七五三掛の顔は優しさが溢れている。

 虹介は涙を流しながら七五三掛の顔を見た。


「神経質が人のためを想っての嘘をつくことは、いずれ自分を殺す。たらればの後悔に悩まされて精神を狂わせる」

「……分かり、ました」


 七五三掛は再び顔を伏せる虹介の背中を、さっきの怒号並みに響かせるくらい強く叩いた。じんじんと痛む背中から情けが染みわたり、徐々に重圧が薄れて呼吸もしやすくなった。


「すみませんでした」

「いいんだよ、分かれば。スイーツ食って頭切り替えろ」


 虹介は鼻水を啜りながら「はい」と答えた。モカシフォンケーキは大人の味がしていたが、今の自分はそれを欲していた。


「墓参り、俺行こうかな」と七五三掛が呟くように言った。

「そうしましょう」と虹介は言った。



     *



 計画していた観光施設に訪れたものの心の底から楽しめるわけもなく、予定時刻より早くそこから出て、みのりたちは計画にもないサウナに足を運んだ。


「……どうしてサウナ?」と優南は訊いた。

「なにも考えなくていいから」とみのりが答えた。


 他の観光施設で使う予定のお金を使って、若干ラグジュアリーなサウナに入った。


 個室サウナに入り、穴という穴から汗を出す。目を瞑って蒸し暑い空間でじっと耐えることで全て忘れることができる気がした。この汗が陽彩との思い出だとしたら、あとどれくらいの汗を流せばいいのだろう。おそらく、思い出が消えるころにはみのりはのぼせて病院行きになるだろう。


 途中で耐え切れずサウナの外に出る。水風呂に入るが急に訪れる冷たさは現実に戻されたような気がした。

 その後、三人はサンラウンジャーに横になって外気浴をする。何もかも忘れると思ったが、結局は思い出してしまう。


「信じられる?」とみのりが二人に問いかける。

「陽彩さんのことですか?」と優南が言う。

「そう。私はまだ信じられないんだ。実感が全くない。まだ北海道で私たちのこと待ってるんじゃないかなって思うんだ」


「私もそう思ってますけど」と純礼が言った。「現実を受け止めるしかないです。嘘を告げられる意味がないですから」

「だよねぇ……。私はこれからどうなるのかな、陽彩なしの人生なんて考えられないや」

「みんなそうですよ」と二人が声を揃えていった。


 もう一回一連の流れを繰り返してサウナを後にして集合場所である東京駅に行った。そこには虹介と谷坂が先に待っていた。


 谷坂が人数を確認すると行動を始めた。北海道にいない間に死んでほしくなかったと思って後悔の悲しみがこみ上げる。

 電車はすいていたため、横に広がる席に皆で座る。


 移動しているとき、みのりは陽彩との日々を思い出し、抱きついてくれたときの感触が鮮明によみがえる。あの柔らかい肌にはもう二度と触れることができないと思うと今すぐに会いに行きたかった。

 隣にいる虹介の目は赤く腫れていて、うなされているような表情でうたた寝をしていた。人の温もりをこれから味わえないのだとしたら、みのりもまたつらくなった。


 その心の意思が脳に伝えたのか分からないが、みのりは虹介の唇にキスをした。とても乾いていて感触は良いとは言えないが、初めてのキスとして深く思い出に残るだろう。

 自分でも何でしたのか分からないが、キスをしてから心が温かくなって空っぽになった穴が少しだけ狭まった気がしたみのりは、追想をかき消すようにうたた寝を始めた。


 空港に着いて、搭乗手続きまでおよそ一時間の自由時間を与えられた。大きな荷物を先に送り、ばらばらに行動する。


 みのりは人通りの少ない場所に行き、この世にいない相手に電話を掛けた。どうせつながらないだろう、なんて考えながら呼び出し音を聴く。

 一定の音を奏でていた呼び出し音が消え、「もしもし」と疲れた女の声が聞こえた。


 みのりは予期せぬことに慌てて「もしもし」と返した。


「みのりちゃんかい?」

「はい、お母さんですか?」

「そうだよ。電話ありがとうね。谷坂先生から聞いた?」

「はい、聞きました……」

「ほんとあっという間だったよ。昨日の朝会ったときは元気だったんだけどね」

「お悔やみを申し上げます」

「いいのよ。それより陽彩が遺したものがあるから、それを受け取ってもらえないかな」

「はい、もちろんです」

「みのりちゃんのはもちろんあるし部活の子たちに向けたものもあるんだけどね、もう一人誰か分からないの。任せても大丈夫かな」


 陽彩の母は困惑したように話すが、みのりは全てを察して「大丈夫ですよ」と笑顔で答えた。


「そう。大会ご苦労さんね。後でみのりちゃんにうちの住所送るから、時間あるときにおいで」

「はい、ありがとうございます。では後日」


 みのりはスマートフォンをしまい、陽彩が好きそうなものを幾つかお土産として買った。この世にいない人のために買うことは初めてだが、感覚としては友達を思い浮かべて買うのと同じだった。


 時間が埋まらず、みのりは一人で真っ白なソフトクリームを買い、忙しない人々の動きを見ていた。白いものを取り込んだら、記憶も真っ白になったら面白いな、なんて考えていた。


 搭乗時刻が近づいたため、急いで集合場所へ向かう。人混みをかき分けて進むと、みのり以外全員揃っていた。

 息切れしながら合流して、谷坂がみのりの姿を確認し、「じゃあ帰るか」と言って皆にチケットを配った。


 慣れた手続きを終え、機内に乗り込む。座席番号とチケットに印字されている番号を照らし合わせ、自分の席を見つける。


 席に座ると、隣が虹介だということに驚いた。勝手に心臓を震わせているだけかもしれないが、みのりはそれがバレないよう澄ました顔でパンフレットを眺める。


 みのりはカバンから小説を取り出し、栞を外して読み始める。しばらくして飛行機が動き始める。飛行機も上空を安定して飛んでいるとき、虹介に肩をトントンとされた。

 ふと見ると、サービスの飲み物はいるかどうかを訊きたいみたいだ。容姿端麗なキャビンアテンダント相手に若干緊張しているのか、虹介は顔を引きつらせている。

 みのりはメニューを見て、「オニオンスープで」と注文をした。虹介は「僕もそれで」と乗っかった。


 二人にオニオンスープが配られ、一口飲むと、「あの」と虹介がこちらを見て言った。みのりは首を傾げて次の言葉を待つ。


「電車乗ってるとき、僕、誰かにキスされました?」


 みのりは動揺を顔に出すことなく、若干の間を開けて「知らないよ、それ怖いね」と返した。


「そうなんですよ。今まで感じたことないものが唇に来て、なんか変だったんですよ」


 なんだ、陽彩とキスしたわけじゃないのか。それより、変ってなによ。私の唇がおかしいわけ?

 みのりは自分の唇を触って変かどうか確かめたが、よく分からない。


「私もキスなんてしたこともされたこともないからよく分かんないや」とみのりは言った。


「そうでしたか、すみません。変な時間取らせちゃって」

「いいのよ」


 みのりは再び小説に目を通した。ヒロインが死んだ文章を読んで、また心の穴が広がりそうだったが、なぜかスラスラと読めた。陽彩との記憶を消したわけでもないし前を向いて頑張れているなんて気もしない。

 ふと隣を見て、まさかね、なんて思い再び小説を読み始める。


 地元に戻ってきたときには、外は真っ暗で雨が降っていた。さすがにこれから陽彩の家に訪れるのは迷惑だと思い、そのまま家に帰ることにした。

 車で迎えに来ていた母親に陽彩が亡くなったことを告げると、暫く言葉を失っていたが、「悲しいね」という一言を貰った。「そうだね」とだけ返した。

 車中のラジオは、二人の心情にそぐわない笑い声が絶え間なく響いた。




 翌日、みのりは午前十一時に目が覚めた。疲れが取れすぎて体が気怠くなり、重く感じる。みのりは朝ご飯兼昼ご飯を食べ、パジャマから着替える。

 服をどれにしようか悩んでいたが、ある日の出来事を思い出してから一瞬で決まった。陽彩が好きな生脚がよく見える格好でみのりは家を飛び出した。


 昨日の午後九時頃に送られてきた住所をスマートフォンのアプリで検索しながら案内をしてもらう。

 途中、四人組の男子中学生とすれ違い、胸やら脚やらあらゆる部位を見られているという視線を感じ、ドスケベ野郎! なんて彼らの背中に言いたかった。


 道案内機能が役割を終えると、着いた場所は平均的な大きさの一軒家だった。表札には『橋本』と書かれているためここで間違いない。

 みのりは気持ちを切り替えるように息を吐き、人差し指で深めにボタンを押す。数秒経つと、ドアが開いて陽彩の母が出迎えた。


「あぁ、みのりちゃん。早かったね。ささ、入って」


 みのりは会釈をして「お邪魔します」と言って家に入った。


「ちょっと手続きとか色々あってごちゃごちゃしてるし、まだ仏壇がないからあれだけど、もしよかったら陽彩の部屋に入ってくれないかな。そこにみのりちゃんに渡すものも置いてあるから」

「分かりました。えっと、どこですか?」

「あぁ、ごめんね。案内するね」


 階段を上り、ある部屋のドアを開けて部屋に入る。その部屋は殺風景なもので机とその上に置いてある遺したもの以外、ほとんど無くありのままの姿を見せていた。


「さっぱりしてますね」

「陽彩が何もかも全部片付けてって聞かなくてね。『片付けないと私は自分の部屋に戻らないし家にも帰らない』っていうから急いで片付けたの。机を片付けようかどうか迷ってたら訃報が飛んできたの。だからこれは残しとこうって」

「机は躊躇ったんですか?」

「そうねぇ。この机は、初めて陽彩が選んで買ったものだから。上にお兄ちゃんがいるからおさがりが多かったからね。あ、とりあえずあれが言ってたものよ」


 陽彩の母は机の上にある素朴なピンク色の袋を指さし、みのりに微笑みかけた。みのりも仄かの笑みを浮かべてその袋のもとに向かった。

 みのりに向けたものと電卓部に向けたものが二つあり、もう一つは予想していた通り、虹介に向けたものだった。


「全部預かってもいいですか?」

「うん、いいよ。その虹の子も知り合い?」

「はい。大切な人です」


 袋を受け取った後、陽彩の写真が飾られる予定のところに深々と頭を下げた。


「またきちんとした仏壇が出来たら訪れます」

「うん、そのときは連絡するよ。ありがとうね」




 その袋を全て持ち帰り、みのりは自分に向けられた袋を開けた。中には二人で初めて旅行に行ったときに買ったお揃いのご当地キーホルダーに貸していた小説と欲しいと言っていたハードカバーの小説、それらの下に桜模様の封筒があり、中には一通の手紙が入っていた。


 みのりは恐る恐る手紙を開いて、目を通した。




 親愛なるみのりへ


この手紙は学校に行った次の日に看護師さんに書いてもらってるんだ。私が言った言葉そのまま書いてってお願いしてるの。


それでね、いつまで生きるのかよく分かんないから、とりあえずみのりには助けられたなって思うよ。


だって病室に来ていいって許したのってみのりだけなんだよ。みのりなら私の弱った姿を見られても大丈夫かなって。


でも昨日のあれは最初、仕組まれた! って思ったけど違ったみたいだもんね、そこは疑ってごめんね。


でも最期に良い経験ができたよ。初めて人を好きだって思ったし、ドラマのような恋をしたなって。


だから忘れたかったんだ。未練がたっぷりになっちゃうから。死ぬときは空っぽにして、三途の川の向こうで手招いてたらためらいなく飛びわたるくらいが良かったけど、あんな経験したらつらいよ。


忘れられなかったよ。死にたくないなんて考えなかったのに、初めて死にたくないって思った。すごいつらかった。でも私の直感ではね、そろそろ死ぬと思うんだ。分かんないけど、そんな感じがするの。


だからみのりにはね、私の分も幸せになってほしい。すぐにネガティブになっちゃうのがみのりの悪いところ。でも私がふざけると一緒になってふざけてくれるのがみのりの良いところ。そんなみのりが大好き。前向きに生きることができるっていうのは美しいもの。素直になれば、みのりの心配事は消えてくよ。多分だけど。


たぶん、夏休み終わるまでにはあっちの世界に行ってるよ。自分の体のことは自分がよく分かる、これって本当だよ。


ほんじゃ、そろそろ終わるね。私がいなくても、みのりは大丈夫。まずは部長として頑張れば、色んなことが付いてくるよ。楽しい高校生活をありがとう。39!


追伸 もしよかったら、私の想いも受け継いじゃう? なんてね


橋本陽彩より(代筆・仲良しの看護師)





 手紙を読み終えたとき、大きな虚しさに襲われた。

 もう陽彩はこの世界にはいない。いざいなくなると、後を追いたくなる気持ちしか芽生えなかった。だがこの手紙を読んで、まだやるべきことがあるのだと陽彩が教えてくれた。


 追伸は陽彩なりの冗談なのかもしれないが、みのりはそのことについて本気で考えた。詳細は書いてないが、何のことかなんて考えなくても分かる。むしろその選択を選んだ場合、陽彩は怒らないかどうか心配だった。


 ひとまず、この袋は次の部活のときに渡すことにしよう。あ、でも私は引退だ。どうしようかな……。


 みのりはベッドに横たわり、考えることを止めてすっと目を閉じた。閉じた目からツーッと一筋の涙がこぼれた。


 火曜サスペンスのような断崖に立たされたら、間違いなく飛び降りていただろう。でもそれはあの手紙を読む前の話で、今は飛び降りる理由が消えた。潰してくれた。必死に抗って這いつくばってでも今世を生きようと思えた。

 それが涙となって出てきたのかな、なんて思いながら夢の世界に足を踏み入れる。



         *



 全国大会が終わって、陽彩がこの世を去ってから初めての部活を迎える。虹介は数日振りに綾仁と志乃を顔を合わせた。二人は陽彩が死んだことをまだ知らない。

 とくに頻繁に連絡を取るわけでもないから言うきっかけを掴むことができず今日を迎えてしまった。


「大会どうだった?」と綾仁が訊いた。

「団体はダメだったけど先輩たちがいい成績だったよ」

「ほぉー、慰めてやった方がいいのか? おいおい」

「いらないよ、大丈夫だから。それなりに元気だから」

「ふーん、そうかい」


 そんな会話をしていると、優南と純礼が同時に入り、遅れてみのりがやってきた。なにやら大きな荷物を持っているが、それは部員や先生に対するお土産だと気づいた。そして谷坂が大きな荷物を抱えて、「おはよー」と言ってやってきた。

 部員は一斉に挨拶を返した。


「全国大会お疲れさまでした。松村と深川も応援してくれたよな?」と谷坂は笑いながら言った。


「もちろんですよ!」と固い拳を掲げて綾仁が答えた。


「ありがとうな。まぁ結果はそれなりに良かったと思います。みんなが全力を出して臨んでくれたことがなによりです。……それで松村と深川は聞いてるか?」


 綾仁と志乃は顔を見合わせて首を傾げ、「何のことですか?」と綾仁が訊いた。谷坂はその反応を見て、「分かった」とだけ言って、後ろで手を組んだ。


「実はな、陽彩はもう帰ってこないんだ」


 谷坂のその言葉を聞いた綾仁は落ち着いた面持ちで「分かりました」と言った。志乃は信じられないのか、しくしくと泣き始めた。

 もし自分が綾仁の立場だったら、谷坂の言葉を頭の中で咀嚼させても腹に落ちないような気がする。綾仁の取り乱さない様子は、とても大人びていた。

 そして沈黙が訪れて無音が圧迫してくる空間と変貌する。


「もともと全国大会を終えたころには三年生は引退だからどっちにしろ部室にはいない。まぁ今日はみのりが来てるが、先生が呼んだ。陽彩が亡くなったことは本当に残念だが、それはいずれ訪れることだ。ちょっと早かっただけだ。だからみんなで陽彩と最後の別れをして背中を押してもらおう。いつまでも偲ぶことを先生はよく思わない。だからきっぱり気持ちを切り替えること、それくらいしか先生は言えない、かな。ごめんな、あまりいいこと言えなくて」


 谷坂は言葉に詰まりながら言い終えた。その言葉を、部員は脳の奥に響かせるように聞いていた。


「みのり、あれいいか?」

「はい、分かりました」


 みのりはそう言われると、大きな紙袋から小さな袋を取り出し、四つ折りになっている小さな紙を取り出した。


「優南」とみのりが言うと、それを渡した。どうやら手紙のようなものだのだろう。続けて純礼、虹介、綾仁、志乃と名前を呼ばれ、その小さな手紙を受け取った。


 四つ折りにされている紙を開くと、陽彩からの応援メッセージが書かれていた。


『たくさん教えたけど、覚えてる? 覚えてないって言ったら膝カックンに針千本に電卓でビンタね。とにかくこれからの電卓部は君たちに任せたぞ。未来は君たちの手の中だ!』


 代筆だと思うが、陽彩らしいメッセージに自然と笑みがこぼれた。周囲を見回すと、虹介と同様笑みをこぼしていた。ここに居なくても人を明るくさせるのは彼女の秀でた才能だ。


「最期のメッセージを読んで、陽彩の想いを受け継ぐつもりでこれからも盛り上げて頑張りましょう!」

「はい!」


 練習が始まる前、電卓を壊したことで電卓を持っていない虹介は谷坂から借りようと思って席を立とうとしだが、みのりが無言で電卓を置いたため、ありがたくそれを使った。


 その日はいつにも増してやる気に満ち溢れて練習を行った。部室の隅でみのりは谷坂と対談をしていた。時折聞こえてくる内容からして、進路相談だと思われる。


 点数は全国大会より良いもので、これが当日だったらなぁ、なんて意味の無いことを考える。

 一セット終えただけだが、谷坂は「今日は休み明け一発目だからそろそろ終わろうか」と言った。優南は「終わりまーす!」と弾ける声で答えた。


「じゃあ片付けを終わった人から帰っていいですよ。お疲れさまでした」


 谷坂はそう言うと、急いで部室を去った。もしかしたら仕事が山のようにあるのかもしれない。


「お疲れさまでしたー」と優南が先に去り、ほとんど間を空けずに純礼が去り、その数分後に綾仁と志乃が部室を去った。


 虹介はプリント整理を終えてみのりに「電卓ありがとうございました」と言って渡すと、みのりが受け取った電卓を見つめて「話あるんだけど、時間大丈夫?」と言った。虹介はちょっとまごついたが、「大丈夫ですよ」と答えた。


 プリント整理を終えると、「ここじゃあ先生に見られたら面倒くさいから屋上行こっか」とみのりが言った。何か不適切な行為が行われるのか、と色々考えて答えに戸惑っていると、「そんな変なことはしないから」とみのりが言ったため、「了解です」と答えた。


 屋上に向かう途中、室内で腹筋をする吹奏楽部や体育館からバレーボール部やバスケットボール部の魂溢れる声が聞こえた。時折、顔見知りと会って軽く会釈をして通り過ぎる。


「あれから落ち着いた?」とみのりが訊いた。

「だいぶ落ち着いた方だとは思います」と虹介は正直に答えた。

「良かったよ。このまま塵となって消えちゃうんじゃないかって、結構心配してた」

「みのりさんと七五三掛さんがいなかったら、そうなってたかもしれないですね」

「あ、七五三掛のこと知ってんだ」とみのりが驚いた口調で言った。


「はい、同部屋だったので」

「あいつは陽彩と仲良かったからね。陽彩のことは言ったの?」

「言いました。でも、その前に僕が嘘をついていたのでそのことを凄い剣幕で怒られました」

「ふふっ、あいつらしい」


 そんな会話をしているうちに、あっという間に屋上に着いた。今思えば、屋上に足を運ぶことは厳禁だったような気がしたが、みのりは特別な許可を得ているのか、疑念を抱いた。


 初めて屋上に来た感想として、若干足が震える、ということだ。台風のような強風が吹いたら十数メートルの高さのある空中に葬られそうだ。

 だが今の屋上は肌を撫でるような風が吹いていて、その恐怖心は少なくとも八割減くらいとなった。

 屋上に来てからみのりは遠くを見つめている。髪や制服は呼吸するように小さく動いている。


「あの、それで話とは何でしょうか」


 みのりは振り返り、持っていた紙袋から一つの袋を取り出した。それを数秒見つめてからその袋を虹介に差し出した。


「僕に……ですか?」

「そう、開けてみて」


 虹介はその袋はどんな意図があって渡されたものなのか熟考をしたが、答えが出るわけもないのですんなりとその袋を受け取った。

 袋には虹介の名前が書かれた札がついていた。縛られた紐をほどき、袋の中身を見ると、シャープペンに電卓、手紙らしき紙が入っていた。虹介は一度みのりを見つめると、みのりは言葉を発さずにただ頷いた。


 震えはじめる手で手紙を拾い、裏面には『橋本陽彩』と書かれていた。虹介は慌てて手紙を開いた。そこには綺麗な字で一面に文字がびっしりと埋められていた。

 虹介は一度、天を仰いで深呼吸をする。これをすることによって心臓が落ち着くことをこの送り主は教えてくれた。


 そして、虹介に向けられた手紙を精読せいどくする。




 畠中虹介くんへ


手紙を書くつもりはなかったんだ。でも書かなきゃいけなくなった。それはあの日、偶然か分からないけど学校でばったり会ってしまったことが、手紙を書かなければいけない理由。


本当に短い間だったけど、虹介くんが後輩で良かったよ。異性の後輩ができたの初めてだったら、ちょっと嬉しかったんだ。それで、虹介くんがいつ私のことを好きになったのか分からないけど、私は一目見たときから好きかなって思った。


でもそれが恋愛の好きだって気づいたのはだいぶ後だったと思う。たぶん、親睦会で優しくしてくれたから、かな。初めて男の人に、しかも年下に優しくされた。嬉しかった。あぁ、これが本当の恋ってやつなんだなって思った。


だから病気で弱った姿を見せたくなかった。だから親とみのり以外、病室に入れたことは無かった。


それで、あの日に会ってしまったときのことを話すね。正直さ、みのりが仕組んだものだって思ったけど、これは偶然だったんだね。


私が抱いてる気持ちを捨てれば、この世に未練なんてなくなると思って、っていうのは話したっけ。


でもあの日、虹介くんは抱きしめてくれた。不器用な虹介くんをかわいいと思ってしまった、悔しい。本当は、私もしっかり手を回して抱きしめたかった。


そのおかげで、私が病気を患ったことを初めて強く恨んだ。死ぬなら全ての記憶を忘れるくらい真っ白にして死にたかった。でももうこの想いは消せないって知った。


だからこの手紙に私の想いを全て置いていくつもりで書いてもらってる。


他にも言わなきゃいけないことがあるんだ。


親睦会の前くらいだと思うんだけど、私が虹介くんのシャープペンをふっ飛ばしちゃったこと、覚えてる? そのときにさ、私は右手に違和感を感じたんだ。だって今までこんなことなかったもん、でもただ疲れてるだけだと思ってそのままにした。


とまぁ、あんなことがあってからずっと気にかけてたんだ。だから傷つけたシャープペンの新品を渡すね。たぶん同じなはず!


あと今思い返すと、一番最初の頃に電卓の打ち方を教えたでしょ。そのときに間違って、「あ、この先輩バカなんだな」って思われたかもしれないって不安がっていたんだけど、あのときからもう症状が出ていたのかな。


風邪とかも滅多にひかない女だったからさ、私の体の変化を甘く見てた。


言い残したこと、虹介くんのことは好き。初めて愛したいって思った。あわよくば結婚したかったな、なんて。


これで気持ちがスッキリした。もうこの世に未練はない、と思う。


あのときも言ったけど、私のことは忘れてほしい。いない人を好きになっても意味の無いことなんだから。……って思ってるのが私だけだったらちょっと恥ずいな。


それと一つ提案だけど、どうしても忘れられないなら、同じく私のことが大好きな女の子がいるんだけどその人のことを……っていうところで手紙は終わるね。


死ぬまでに私を女にさせてくれてありがとう。六十年後くらいに会いましょう。


追伸:私の電卓を授けます。こんなことしたら忘れろなんて無責任じゃないかって思われそうだけど、誰かに渡したかった、それだけ。


橋本陽彩(代筆・仲良しの看護師)




 虹介は読み終えたとき、希望にあふれた涙を一滴流した。自分が思っていたより清々しい心で今を生きている。

 袋の中に入っているシャープペンを取り出し、それは以前使っていたものと全く同じタイプのものだった。


 あのときから違和感があったのだと知ると、どれだけつらい日々を過ごしていたのだろうと心が苦しくなったが、この気持ちは陽彩に悪いと思ってすぐに切り替えた。


 続けて袋から電卓を取り出して起動する。すると電卓に記憶機能を使って何かが残っている。MRを押してそれを起こすと、『39.8181』という数字が残されていた。きっと何かを意味する数字なのだろうと思ったが、虹介には何がなんだか見当のつかないものだった。


 虹介が首を傾げると、「どうした?」とみのりが訊いた。

 虹介は電卓の画面をみのりに見せ、「たぶん何か意味があると思うんですよ、何だと思いますか?」と訊いた。

 するとみのりはすぐに分かったような表情を見せ、「教えてあげようか」と言った。若干の挑発気味を感じ、「いや、自分で解きます」と言って電卓を凝視した。


 だが結局分からなかったため電卓を袋に戻した。


「分かった?」とみのりが訊いた。

「いつかきっと分かる予定です」

「分かんなかったらいつでもいいから教えてあげるよ」

「じゃあそのときはお願いします。……あと、手紙のメッセージで気になったことがあったんですけど、聞いてもいいですか?」

「いいけど、私がその内容知ってもいいの?」

「陽彩さんがどう思うか分からないですけど、僕だけじゃよく分からない文章があったのでみのりさんの手を借りたいです」

「まぁ、いいのなら見るけど」


 みのりが虹介の隣に立ち、若干強くなった風に操られて髪の毛が虹介の顔の前をひらひらと舞う。


「この文章です」と言って虹介は指をさした。「『同じく私のことが大好きな女の子がいるんだけど』っていうのは誰でしょうか。七五三掛さんのことですか?」

「んー、たぶん陽彩は七五三掛が好きだっていうのは知らないんじゃないかな。っていうかあいつは男でしょ。それ以外で陽彩を好きな人…………あ」


 気の抜けたような声を出したみのりはきっと何かに気づいたのだ。そう思って虹介は「分かったんですか?」と前のめりになって質問をした。


「いや、んー。もうちょっと考えさせて」


 そう言ってみのりはまた遠くの景色を眺めた。十二時のサイレンが鳴ると小さく見える建物から人が溢れるように出てきた。

 髪の毛がなびく後ろ姿から普段のみのりを連想させるのは至極難しいことだろう。


 虹介は日晒しの屋上で、みのりの答えを待っていた。



         *



 ん? 陽彩はなにを企んでる?

 今思えば、私に向けた手紙の追伸ってどういう意味なんだろう? 


 みのりは陽彩の思惑を紐解こうと思考をくまなく巡らせる。


 まず、陽彩のことが大好きな女の子、それは間違いなくみのりを指している。そして追伸の内容、陽彩の想いとは何か。虹介に関することなのか、電卓に関することなのか。だが思考は必然と前者にフォーカスされる。


 みのり自身、虹介のことは好きだが、恋愛に関する好きではないと思っている。だが一度キスをしてしまった過ちを思い出すと、体の中心から熱がじわじわと広がる感覚が伝わる。


 今思えば、なぜキスをした……。


 論理的な説明ができないことにみのりは焦っていた。


「あーー! もう!」


 遠くにそびえ立つ山に向かってみのりは心の中に溜まっている歯痒さを全て吐き出すように叫んだ。

 下の方で、「誰か屋上にいるのか?」という教頭の声が聞こえるが、もちろん無視をした。


「あの、どうしました?」


 後方から虹介が風にかき消されそうな声で訊いた。みのりはそれに耳を傾け、彼の声を脳内に沁みわたらせる。

 確実に言えることは、どこにも消えない寂しさを共有できる唯一の人だ。そう考えると、抱いている気持ちの方向性がどんどん変わっていく。


 陽彩が好きになった人を好きになってしまうことは、良いことなのだろうか。陽彩が望んでいるのだとしても、踏ん切りがつかない。

 ……そもそも望んでいるとは言っていない。それは私の推測だ。でもそう考えてしまっているのは、陽彩の策略……なのかもしれない。


「虹介くん」とみのりは顔を見ずに言った。

「……はい」と警戒するような声で返事をした。


「その文章の女、私のことだわ」


 みのりは正直に言った。振り返ると、虹介は手紙の文章に目を向けていた。さすがの虹介も何かを勘づいたのか、困惑した顔でみのりを見た。


「陽彩の言葉を勝手に解釈するね」とみのりは言った。「陽彩は私のことが好きな二人を一緒にさせて、良好な仲を築かせようとしているのか、……恋人同士にさせたいのか。どっちだろうね」


 みのりは熱く照らし続ける太陽に顔を向ける。今の解釈は合っているのかい、と太陽に問いかけた。


「僕には分からないですよ。いきなりそんなこと言われても何が正しいかなんて分からないですし」


 ある言葉を言ったとき、みのりの中で引っ掛かりを感じて虹介を見たが、虹介も心当たりがあるのか、困惑した顔を晴らして見てきた。


「答えが無いなら答えを作ればいいんだよ」と二人を声を揃えていった。


 二人は照らされる太陽の下、その明るさにそぐう笑みをこぼした。


「とりあえず、友達からよろしく」とみのりは照れながら右手を差し伸ばした。

「お手柔らかにお願いします」と虹介はその右手を掴んだ。


「別に対戦するわけじゃないからね」


 みのりがそう言い、二人は腹の底に抱えている誰にも言えない感情を共有するように笑い合った。


 これからどんな未来が待っているのか分からない。太陽の明かりで色褪せて見えた世界に彩が戻ってきた。じりじりと照らす太陽が陽彩だと思って、みのりは感謝の意を込めて静かに虹介を抱きしめた。



         *


 夏休みが終わる三日前、七五三掛がこっちにやってきた。


「思ったより緑ばっかりだな、北海道は」と言いながら目を輝かせていた。そのころには陽彩の墓は建てられ、二人で挨拶をしに行った。


 その道中では、全国大会終わった後どんなことをしていたか、北海道大学を目指して勉強中とか、コンビニで珍しいスイーツが発売されるだとか、あの日の調子と変わりなく、どうやら体調は崩すことなく元気にしているようだった。


 墓の前に立つと、七五三掛が量産型の黒のバッグから取り出したシュークリームを見せびらかすように手を動かした。


「これ覚えてるか? 合宿最終日の前にコンビニ行ったとき、『一緒のスイーツ買おう』って言ってこれ買ったんだ。このシュークリームが俺は忘れられなくてな、結構な頻度でこれ食ってんだ」


 そう言ってシュークリームを食べ始めた。虹介は「それお供え物じゃないんですね」と言うと、「だって腐るだろ」と笑って言った。


 墓参りを終えると、七五三掛は「やっぱりソフトクリーム食わないと帰れねえな」と言った。あらかじめ調べていたのか、「行くぞ」と言われ、虹介は身を委ねるようについて行った。



     *



 夏休みが終わり、蒸し暑さに負けて気怠そうな顔をした生徒たちが集まる中、気持ちを切り替えるような全校集会が行われる。もちろんそこでは陽彩が亡くなったことを谷坂が知らせる。

 数秒間はその事実を受け止めることができなかったのか一部の生徒がざわめきだした。だが谷坂が静かにするよう言うと、誰かのすすり泣く音だけが体育館を響かせた。そして約三十秒ほどの黙祷が行われた。


 その日の部活では、新たに優南が部長になることが発表された。皆、温かい拍手を送って新たな門出を祝った。

 これから電卓部は十一月にある新人戦に向け、練習に励み続けた。切磋琢磨して成長できる環境に出会うことができて、色んな偶然に感謝をした。


 そして部活終わり、虹介は図書室に向かってある人を迎えに行った。


 そこには範囲の狭い照明が当たる中、ひたむきに勉強をしているみのりの姿があった。


「みのりさん、迎えに来ました」

「お疲れさま。じゃあ帰ろっか」


 友達から始まったこの関係。はたから見れば恋人に見られそうだが恋人とは言えない。だが抱えている悩みをなんでも話すことができるのは、今の虹介にとってみのりしかいなかった。知らぬ間に虹介の心の支えとなっているが両者気づくことは無い。


 お互い、恋人同士になることを躊躇っているのは、どこかで陽彩に申し訳なさを感じているからだ。


「そう言えばさ、あのときの電卓のメッセージ、分かったの?」

「あー、そう言えば。全然分からないですね」

「勉強はできるけど、なぞなぞ系はできないんだね」

「意地悪なことを言いますねぇ」

「ったく、あれはそのままよ。39.8181(サンキューバイバイ)ってことよ。感謝してるみたいよ、陽彩は」


「へぇー。よく電卓でメッセージ作れますね、さすが陽彩さん」

「いや、あんたの頭が固すぎるだけだからね。たぶん松村くんとか志乃ちゃんはすぐにわかると思うわよ」

「んー、そこもまた勉強ですね。みのりさんも勉強頑張ってくださいね」

「それと一緒にしないでよ」



      *



 週末、虹介とみのりは陽彩の家に向かった。みのりが以前来たときは、まだ仏壇等の準備が出来ていなかったらしく、数日前に準備が出来たとの連絡が来たみたいだ。みのりはすぐに伺うことをせず、虹介と訪れると決めていたみたいだ。


 陽彩の母に初めて挨拶をし、「君が虹の子ね」と言われたが、何のことかさっぱりわからなかった。

 そのまま案内をされ、仏壇の前に並んで正座をした。


 飾られている写真はいつ撮られたものなのか分からないが、無邪気な笑みが美術館に飾られてもおかしくないくらい美しいという印象を抱いた。

 先にみのりがお参りを始める。あらかじめ火がつけられたろうそくに線香をかざして火を灯し、香炉に線香を立てる。リンを鳴らし、体の芯に温かみのある風が吹き込んだような気がした。


 みのりが一礼をして、虹介と交代をする。虹介は昨日必死に覚えたマナーを忘れ、さっきのみのりの行動を思い出し、おぼつかない手つきで一連の動作をする。

 リンを鳴らして感謝の念を込めた合掌を五十秒ほど行う。


 手紙を遺してくれたこと、虹介のことを好きでいてくれたこと、気を遣ってシャープペンと電卓を渡してくれたこと、それに加えて生前の陽彩に助けられたことを、数えきれない感謝を伝えた。


——これからの人生、何が正しいか全く分からないですが、正解を探して頑張りたいと思います。電卓部に所属してくれて、ありがとうございました。


 虹介は念を込めた一礼を終え、退くと、「帰ろうか」とみのりが言った。虹介は返事をしようとしたとき、忘れてはいけないことを思い出した。それはお供え物を供えることだった。

 虹介は慌ててカバンの中からお供え物を取り出し、仏壇には乗らなそうだったため横に添えるように置いた。


「それは陽彩が好きなやつなの?」

「いえ、これは全道大会のときのホテルで陽彩さんが僕に買ってくれたお菓子です。御守りのような役割を果たしていましたから」


 そして再び仏壇に目を向け、淡色だった虹に彩が加わったような笑顔を見せた。


「これからは心配されなくても大丈夫なよう、成長しますんで」

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