3. 水色のパラソル
笑わない、甘えない、優しくしない、泣かない、頼らないーー
私が安全に生活するため、男性と接する時に気をつけている5箇条だ。
気を抜くと奴らはすぐつけ上がる。
そして自分に都合の良いように解釈するのだ。
その結果、被害に遭うのはこちらのほう。
先日のパーティーは散々だった。
元婚約者には無理矢理キスをされ、女友達にはビンタをされた。
思い出しただけで凹んでしまう。
クロエは最近親しくなった女友達だった。
公園で落とし物をして困っていた彼女を助けたことがきっかけで仲良くなった。
今度二人でドレスを見に街へ行こうと約束していたのに。
ニック、あのゲス男め。
思い出しただけで虫唾が走る。
数日前、街で買い物中に声をかけられ、しつこく絡まれたのだ。
自分の屋敷でワインでも飲まないかと誘われたけど、もちろん即断った。
ベタベタ肩などを触ってきて、卑猥な言葉を投げかけられた。
下品な男だと思ったけど。
まさかクロエの婚約者だとは思いもよらなかった。
あの場でゲス男が私に言ったことをぶちまけてやろうと思ったんだけど。
クロエの顔を見て気が変わった。
クロエは彼のことが好きなのね。
このままクロエがあんな男と結婚してしまって良いのかどうかちょっと考えちゃったけど。
でも政略結婚はこの程度のことでは覆らない。
だったら、私一人が悪者になるのが一番いいと思ったの。
お友達がいなくなってしまうのは寂しいけど。
また一人ぼっちになっちゃった。
みんなの非難の視線が痛かったけど。
いいの慣れてるから。
どっちみち私の評判は変わらないから。
落ち込んでいる場合じゃないわよね。
私にはやるべきことがあるのだから。
なんとかして領地の農作物の収穫量を増やさないと。
そのためにはやっぱり肥料を投入することが必要なのだろうか。
だとするとそのお金を工面するのが先決?
「ディアンドラ!」
考え事をしながら図書館に向かって歩いていたら不意に名前を呼ばれた。
振り返ると青白くひょろりとした男性が立っていた。
ナイジェル・レヴィ、財務長官のレヴィ侯爵の長男だ。
「奇遇だな。一緒に飲まないか?」
私はこの男の陰鬱とした卑屈そうな表情が苦手だ。
いつも舐め回すように見てくるから気持ち悪い。
運悪く、結構な頻度で遭遇してしまうのよねこの男。
「私、お酒は飲まない主義なの。まして昼間からなんて」
そう言って通り過ぎようとしたのだけど。
「そう連れなくするなよ。領地、赤字続きなんだろう?」
少し酔っているのか呂律が回らない様子だ。
「なあ、俺の女になれよ。そうすれば金貸してやってもいいぜ?」
「結構よ。私急いでいるので失礼するわ」
肩に置かれた手をピシャリと跳ね除け立ち去ろうとしたのだが、逆上したナイジェルに裏路地に引きずり込まれてしまった。
「話くらいしてくれたっていいだろ」
腕力では男性には敵わない。
「援助してやるって言ってるんだぞ。そんなに俺が嫌いかよ!」
壁に押し付けられて身動き取れない。
全力で抵抗するけど、振りほどけない。
助けて!
「おい! 何をしている!」
背の高い男性が割って入ってくれ、細身なナイジェルはあっさり投げ飛ばされた。
「大丈夫か? ……ってディアンドラ!?」
「え?」
ーーロバート・カルマンだった。
ナイジェルは悔しそうにロバートを睨み付けると去って行った。
私はホッとため息をついた。
「君も色々大変そうだね〜。怪我はないかい?」
「ありがとう。大丈夫よ」
「その格好じゃ帰れないよね。うち、すぐ近くなんだけど寄って行かない?」
ナイジェルと揉み合っているうちにドレスの肩の所が破れてしまっていた。
「結構よ。男性の家なんかに上がったらそれこそ何されるかわからないもの」
男性とは二人きりにならないよう常に心がけているのよ。
ロバートは爽やかに笑った。
「違うよ。自宅じゃなくて店。うちの百貨店すぐ隣」
と言って隣の建物を親指で指さした。
「あ……」カルマン百貨店だ。
店なら従業員もお客さんもいるから大丈夫だろう。
正直助かった。
針と糸でも貸してもらおう。
カルマン百貨店は王都一の大型商店だ。
これまで靴は靴屋、宝石は宝石店といった具合に小型の専門店しかなかったこの街に、この大型店が出来た時はちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
一つの店で全身トータルコーディネートが可能と言うことで、お洒落好きな令嬢たちがこぞって押し寄せた。
最近では紳士用品部門に続いて、インテリア部門もオープンし、その勢いは留まるところを知らない。
私たちが店に足を踏み入れると、気づいた従業員たちがにこやかに挨拶をした。活気があって気持ちがいい。
「坊っちゃん、今日はまたたいそう美しいお客様をお連れで」
番頭らしき初老の紳士が声をかけてきた。
「だろ? でも客じゃないけどね」ロバートが肩に手を回してきた。
「いえ、客です!」速攻で否定し、その手を叩き落とす。
油断も隙もあったもんじゃないわ。
でも番頭さんの口ぶりから、頻繁に女性を連れて来ていることが伺える。
ロバート・カルマン……女たらしだ。
針と糸を貸してもらって、破れた所をとりあえず簡単に留めてから帰ろうと思っていたら、
「レースの部分は素人では直せないよ。うちで預かって修繕するから、違うドレスを着て帰りなよ」と言われた。
もう着られなくなってしまうのも勿体無いので、修繕してもらうことにする。
「好きなドレスを選ぶといい。プレゼントするよ」
「結構よ! 自分で買います。男性にプレゼントをもらうと見返りが怖いもの」
そう。男性からのプレゼントは極力受け取らないようにしている。
家に送られて来ちゃった物は仕方ないけど。
タダより高いものはないとは良く言ったもので、大抵の場合見返りを求められるのだ。
ロバートは同情するような目で私を見てため息をつく。
「美人も色々と大変なんだねぇ」
色とりどりのドレスを眺めながら、少しワクワクした。
さすがはカルマン百貨店だ。品揃えが充実している。
でもうちは経済的に苦しいから、なるべく安いものにしよう。
ふと、パステルカラーのフリルが沢山付いたドレスが目に留まった。
(可愛い……!)
ああ、なんて可愛いんだろう。
胸元いっぱいのフリル。
おへその位置で結んだ大きなリボン。
ピンクの砂糖菓子のような愛らしいドレスだ。
私の憧れそのものだ。
見惚れていたらロバートに気付かれてしまった。
「試着してみたら?」
「いいえ結構よ」
「試着するだけならタダなんだから、楽しんで行って!」
そう言うと、さっとドレスを手に取り、着替えを手伝ってくれる女性店員と共に試着室に押し込められてしまった。
この可愛いドレスを着てみたくなかったと言えば嘘になる。
私はちょっとドキドキしながら袖を通した。
愛らしい妖精のようなベビーピンクのドレス。
そのふわふわした可憐なドレスは、
ーー恐ろしく私に似合っていなかった。
分かってはいたけど、鏡に映る自分の姿を見て心底悲しくなった。
色も形も何もかもが合っていない。
体型のせいで、下にしなやかに下がるはずのフリルが横に突き出している。
私は別に太っているわけではないのに、フリルや首元の詰まった服を着るとなぜか着膨れする。
先程のウキウキした気持ちはすっかり萎んでしまった。
私はため息をつき、着たばかりのドレスを脱いだ。
「あれ? あのドレスもう脱いじゃったんだ。残念、見たかったのに」
試着室から出て来た私をみてロバートが笑顔で言った。
「だって。似合わないんだもの」
ロバートはちょっと考えてから別の一着のドレスを持って来た。
「これ着てみて。雰囲気的にはこう言うほうが似合いそうだから」
ロイヤルブルーのシンプルなドレスだった。
着てみたら怖いくらいにサイズがピッタリだった。
この人、なんで私のサイズ分かったのかしら。
「うわぁ! 美しい。惚れてしまいそうだよ!」
ロバートが手を叩いて大はしゃぎしている。
「ちょっと胸元が開きすぎじゃないかしら」
「でも上品なデザインだからいいんじゃないかな。せっかくデコルテが綺麗なのに、隠すのもったいないよ」
そのドレスは確かに私によく似合ってはいた。
デザインも洗練されていて素敵だった。
でもーー
「こんなドレスを着ていたらまた『男を誘ってる』って言われるわ」
女性らしさを強調するようなデザインを着てはいけないのだ。
自分で言いながら悲しくなってしまう。
「そんなひどいこと言う奴がいるのか……」ロバートが驚く。
「……。こういう格好をする女性は襲われても本人が悪いんですって」
ロバートは顔を顰めて黙ってしまった。
やがて、どこからか薄い黒のレースで出来たショールを持って来て、ささっと素早く折り畳み私の肩にかけた。
そして器用にリボン結びにし、全体を整えて胸元に綺麗なドレープを作った。
「あ…………」
驚いた。
まるで最初からデザインの一部のように馴染んでいる黒のショールは開き過ぎの胸元もさりげなく隠してくれている。
「どうだい?」
ロバートは得意げに言うとニヤッと笑って続けた。
「でもこれで終わりじゃないんだな〜。はい」
そう言うと一本のパラソルを差し出した。
黒いレースと水色の光沢のある生地を交互にあしらったパラソルだ。
そして縁にはオーガンジのフリルがこれでもかと言うほどついてる。
(可愛い……)
ショールの黒と似たようなレースが使われているため、上手くリンクして違和感がない。
動く度に縁の水色のオーガンジーがふわふわ揺れて可愛らしい。
「うん。すごく可愛い。似合ってる」ロバートがにっこり笑った。
「フリルって小物で取り入れることも出来るんだよ」
私が先程ドレスのフリルに見惚れていたのに気付いていたのだろう。
「あ、ありがとう……」
フリルは似合わないと諦めていたけど……パラソルならおかしくない。
嬉しくて胸がドキドキする。
だってずっとこう言う可愛いものに憧れていたんだもの。
「すごいわ。さすがはカルマン商会さんね」
「だろ? いつもこうやってショール一枚買いに来ただけの客についでにドレスやパラソルも買わせてるんだ。ははっ」茶目っ気たっぷりにロバートが笑った。
「せめてパラソルくらいはプレゼントさせてくれよ」
「でも……」
「大丈夫、見返りなんて要求しないよ。無理矢理って言うのは好きじゃない」
この人……案外いい人なんじゃないかしら。
「女性を感動させて、僕に惚れさせてから『頂く』主義なんだ」
そう言って肩に手を回して来た。
「どう? そろそろ僕に抱かれたくなって来たんじゃない?」
「なりません!」
前言撤回しよう、うん。
店員の一人がロバートを呼びに来たので、私はしばらく一人で店内を見ていた。
するとーー。
一人の小柄な少女が私の目の前に立ちはだかった。
縦ロールのツインテールにリボンを結んでいる。
可愛い。いいな。
こう言う子ならあのフリフリドレスも似合いそうだ。
「ちょっとこの女狐!」
……ん?
「なんでロバートに服を選んでもらって、肩なんか抱かれてるのよ!」
ええー! まさかの恋人登場!?
「ロバートに手を出したら承知しないんだから!」
またこの展開。もう嫌だ。
はぁ、仕方がない。心の中でため息をつく。
げんなりしつつも背筋を頑張って伸ばす。
そしてわざと意地の悪い表情を作って慣れたセリフを放った。
「ちょっと退屈だったから誘惑してみただけよ。でもつまらない男ね。
恋人であるあなたのことを愛しているんですって。この私の誘いを断るなんて。しらけちゃった」
片手は腰に。もう片方の手でバサッと髪をかきあげる。
幾度となく演じている悪女のセリフ。
バッチリ決まったはずなのに。
ツインテールの女の子はなんとも言えない表情でこちらを見ている。
……………………あれ?
備考: ディアンドラ
ブルベ、ウィンター
骨格ストレート
バストサイズE〜F
ウエスト57cm, ヒップ88cm
身長161cm