4. 猫の皮を被った虎
カルマン子爵夫人は百貨店の執務室で頭を抱えていた。
3ヶ月後に立ち上げるはずの新規事業が壁にぶつかっているのだ。
もう既に告知もしてしまった。
こんなところで頓挫するわけには行かない。
カルマン夫人はカルマン商会の会頭の妻である。
3人の子供は皆成人し、それぞれの立場からカルマン商会を支えている。
カルマン商会はもともとは小さな洋品店から始まった。
夫は商才があったらしく、商売はどんどん拡大し、百貨店やレストランを経営するようになった。
近年参入した鉄道事業も好調だ。
夫人は洋品店だった頃の名残か、今でもアパレル分野が一番好きだ。
そして子育ても終了した今、長年温めてきたアイディアを自ら実行に移すことにしたのだった。
20年以上前からドレスを購入するお客様からの要望の声が高かった、
「ニコラ様のようなドレスが欲しい」
……を新しいビジネスにしたいと考えた。
ニコラ様ーー嫁いでからはニコラ・バーンホフ侯爵夫人、は王都では有名なファッショニスタだ。
いつも素敵な格好をしていて、王都の令嬢たちの憧れの的だ。
貴族はドレスはオーダーメイドで仕立てるのが一般的だが、この夫人は注文がとてもうるさい。
通常のオーダードレスは、決まったモチーフやデザインを自分の好きな布で作らせ、仮縫いでサイズを合わせて終わりだ。
ところがニコラ夫人は既存のモチーフやデザインではなく、自分で考えたデザインを作らせるのだ。
仮縫いの時に
「そこもう少しタイトにして!」
「裾、心持ち短く!」
「この部分だけ、あの布で切り返しにして、上に透ける同型色を重ねて」
延々と細かい指示が飛ぶ。
お針子泣かせなのだが、出来上がったものは毎回素晴らしい。
お針子はあくまで「縫う人」だ。
縫い目の綺麗さや、速さ、刺繍の技術などでその価値が決まる。
デザインを考える人ではないのだ。
カルマン夫人はニコラのセンスを販売したいと思った。
布地の値段やお針子の手数料とは別に、「ニコラ様の考えたドレス」と言う付加価値をつけ、高値で販売しようと考えたのである。
この国にはまだ存在していない「ブランド」ビジネスをカルマン夫人は思いついたのだった。
看板に「ニコラ・バーンホフ」の名前をそのまま掲げ、カルマン百貨店内にコーナーを作る。
サンプルをいくつも展示し、それを個人のサイズに合わせてオーダーメイドする。
ドレスだけでなく、靴やアクセサリーもニコラテイストのものを取り揃え、誰でも憧れのニコラ様っぽくなれる店として宣伝する。
これは当たる。自信があった。
ところが……だ。
ニコラ様とバーンホフ侯爵の了承も得て、いざドレスを作る段階になると予想外の問題が生じた。
ニコラ夫人の説明を元にお針子がサンプルを作っても、ニコラ夫人が思い描いていた通りの物が出来ないのだ。
ニコラ夫人の説明が抽象的すぎるのが原因だった。
「妖精の羽のようにふわっと」とか
「悪戯な天使が飛び跳ねたようなふっくらした袖」のような表現ではお針子には通じない。
彼女たちは職人であって詩人ではないのだから。
かと言って実際に夫人のドレスを作る時のように全てを仮縫いしながら調整していたのでは時間がかかりすぎて、種類が少ししか作れない。
ワンシーズン最低でも20種類のドレスがなくては商売として成り立たない。
行き詰まって途方に暮れていたところにユーニスが訪ねて来た。
ユーニスは一年前からカルマン百貨店でお針子をしていたが、最近独立した。カルマン百貨店は外注という形で仕事を依頼している。
「カルマン夫人、こんにちは。ニコラ様のドレスの件でご相談があるのです」
「あらユーニス。でもあなた前回チャレンジしたドレスはボツだったわよね」
そう、ユーニスも他の大勢のお針子とともに、ニコラ夫人の説明を聞いてドレスを作った一人であった。
しかし出来上がったドレスを見たニコラ夫人に
「違うわ。私が言いたかったのはこういうことじゃないの」
と却下されてしまったのだった。
「ニコラ夫人のデザインを具現化する方法を見つけました」
ユーニスが自信たっぷりに言う。
「それを確認するため、ニコラ夫人に面会したいのですがアポをお願いできますか」
カルマン夫人は半信半疑ではあったが、今は藁にでも縋りたい状況なので了承した。
するとユーニスはとんでもない要求をしてきた。
「ニコラ様の問題が解決した暁には、縫製はうちと独占契約を結んでいただきたいのです。そしてニコラ様商品の売り上げの4割を要求します」
カルマン夫人はびっくりした。
「な、何を言い出すの。そんなこと出来るわけないでしょう?」
ユーニスは食い下がる。
「お針子としてではなく、ビジネス・パートナーとしてお願いしております」
「まあ、とりあえずニコラ様の望むドレスが出来るのかどうかの確認が先決ね。他のことはそれからよ」
カルマン夫人はユーニスを全く相手にしていなかった。
ユーニスは夫人にとって沢山いるお針子の一人に過ぎなかったのだ。
数日後、カルマン夫人とユーニスはバーンホフ侯爵の屋敷に向かう。
ユーニスは婚約者だと言う男性を伴って現れた。
バーンホフ家の客間でニコラ夫人と向かい合ったユーニスは持参したドレスを取り出した。
「先日おっしゃっていた『レドの詩に出ててくる白百合の乙女が着ていそうな、裾にレースがついたドレス』をお持ちしました」
カルマン夫人は目を見張った。
見たこともないようなデザインだったからだ。
斬新なデザインのドレスだった。
袖に部分的にスリットが入っていて、デコルテは隠れているのに、肩の先だけチラリと見えるようになっている。
スカートは百合の花びらのように、複数の細長い布が重なり合うようについていて、下には細かいプリーツが入ったオレンジ色の生地が覗いている。
「そう! これよこれ!これが白百合の乙女のドレスなの」
ニコラ夫人が嬉しそうに手を叩いた。
カルマン夫人は動揺した。
「どうして、あの説明でこのデザインを思い付いたの? この肩のデザインは一体」
「詩の中で、乙女は肩に傷を負い、そこに朝露がこぼれるんだそうです」
ユーニスは肩をすくめる。
そして一枚の絵を取り出し、カルマン夫人に見せた。
「これは……!」
このドレスのデザイン画だった。
「彼が描きましたの」
ユーニスは得意げにナイジェルに視線を向けた。
「あら!? ナイジェル? あなたナイジェルよね、レヴィ侯爵の」
ニコラがナイジェルに気が付いた。
ナイジェルの父、レヴィ元侯爵はその昔バーンホフ侯爵とライバル関係にあった。
パーティーなどで顔を合わせる機会も多かったのである。
「ニコラ様ご無沙汰しております」
ナイジェルが改めて優雅に挨拶をする。
身なりは平民なのに、所作は貴族らしく美しかった。
「あなた絵がお上手なのね。私のイメージ通りのドレスだわ」
ニコラ夫人が感心する。
「勇者が白百合の乙女の肩に口づけする場面をイメージされたのですね」ナイジェルが楽しそうに言う。
貴族の間で昔大人気だった詩があった。
その中で白百合の乙女が愛する勇者を庇って肩に傷を負い、そこに勇者が口づけをし、永遠の愛を捧げるという一節があるのだ。
貴族の若い男性が勇者の真似事をして恋人の肩に傷に見立てたキスマークをつける。
そんな悪戯が流行ったことをニコラ夫人とナイジェルは知っていた。
「勇者ごっこ、未だに夜会でやってる人たち沢山いるのよ」とニコラ。
「この肩のデザインいいですね。口づけをするのも、その跡を隠すのにも便利だ」
このドレスは肩のスリットをちょっと開いてキスマークをつけることが出来る上、
つけられたキスマークを隠すのにもちょうど良いデザインになっているのだ。
粋でちょっぴり色っぽい、ウィットに富んだデザインだ。
ニコラとナイジェルは楽しく会話が弾んでいるようだが、カルマン夫人とユーニスにはさっぱりわからない。
「ユーニスの彼は貴族なの?」カルマン夫人が尋ねる。
「いえ今は平民です」
貴族と商人では受ける教育が違う。
商人は実学が中心なのに対し、貴族は文化芸術など多方面の教養を求められる。
お針子はそもそも教育を受けていない人が大半だ。
ニコラの抽象的な説明を理解出来るのは同じ常識を共有している人。
つまり教育レベルが同じ貴族でないと無理なのだ。
さらに理解したそれを図に表せなければ商品を作ることは出来ない。
カルマン夫人だって一応は貴族だ。
ただし大人になってから手に入れた爵位だった。
生まれた時から貴族界の頂点にいたようなニコラやナイジェルとは文化レベルにだいぶ差がある。
ナイジェルは詩や文学にも精通している。
由緒正しい侯爵家の生まれで、幼い頃から一流品に囲まれて育って来た。
平民は覗き見ることも叶わない貴族の舞踏会や夜会の様子にも詳しい。
おまけにデザイン画が描けるのだ。
ナイジェルはニコラの思い描くドレスの説明を聞きながら、その場でささっと
5着分のデザイン画を描いた。
ニコラはデザイン画を確認し、何箇所か訂正させたが概ねイメージ通りだったようだ。
(5着も! デザイン画さえ出来あがっていればあとは単純に縫うだけ)
カルマン夫人は興奮のあまりごくりと喉を鳴らした。
その様子見たユーニスはすかさず畳みかける。
「で。独占契約と4割でお願いします、カルマン夫人」
ナイジェルの代わりを探すことは難しい。
貴族である上に絵が描けて、この仕事を引き受ける人なんてそうそういない。
だからユーニスは強気だ。
(ビジネスの素人のくせに肝が座っているわね)
カルマン夫人は内心舌を巻いた。
しかし4割はあまりに多い。
交渉はまとまらず、保留となった。
カルマン夫人はその後も頭の中でそろばんを弾きながら悩み抜いた。
しかしどんなに考えても、ナイジェルにデザイン画を依頼する以外にこのプロジェクトを実現させる方法はないと悟った。
売るドレスの数を大幅に増やせば4割持っていかれても大丈夫だろう。
もうユーニスの言う通りにするしかないかな、と諦めかけていた時にユーニスがやってきた。
「別のお願いを聞いて頂ければ3割にまけても構いません」
なんと、ユーニスの方からの譲歩だ。
『別のお願い』とやらの内容を聞いた夫人は絶句した。
カルマン百貨店の宝石売り場にある巨大なダイヤの指輪をくれと言うのだ。
「冗談じゃないわ! あのダイヤは天文学的な値段なのよ」
その指輪は8年くらい前に胡散臭い男が売りに来た。
男の身なりとダイヤの大きさがあまりにちぐはぐで盗品じゃないかと疑ったくらいだ。
その後きちんと鑑定し、本物であると確認され売り場に並んだはいいが、高すぎて買い手がつかないまま8年が過ぎた。
「あれはよほどのバカか金持ちでなけりゃ買わない高い指輪なのよ」
「知ってます。よほどのバカに聞いたので」
「?」
「あの指輪の販売価格は今売り場に出ている通りだとしてーー」
ユーニスはちょっとずるい顔をして交渉してきた。
「あの指輪を買い取った時の金額はどうでした? 相手が無知なので安く買い叩いたのではありませんか?」
夫人は買取価格は把握していなかった。
そこで帳簿を確認してギョッとした。
適正価格の100分の1と言う安さで買い取っていたからだ。
やはり盗品だったのかも知れない……と夫人は思った。
少なくとも売った人間はその価値を分かっていなかったようだ。
ユーニスはその指輪を売ったクソ野郎を知っていた。
8歳まで散々こき使われ、いびられていたのだ。
そして、その男に指輪の正しい価値なぞわかるはずもない事も理解していた。
カルマン夫人の心は決まった。
8年間売れなかった指輪だ。
今後も売れない可能性が高い。
売れない高級品より、未来ある事業に賭けてみたい。
そして交渉は成立した。
ユーニス一人でやっていた工房は新たに大量のお針子を雇い入れた。
ナイジェルはワンシーズン2回ニコラ夫人と会ってデザイン画を描く以外はのんびり過ごしていた。
ユーニスのアイディアで、『ニコラ・バーンホフ』のドレスを着たユーニスがカルマン百貨店の売り場に立ったら売り上げが倍増した。
実際に人が着た方がイメージが掴みやすいからだ。
今で言うところの「モデル」役を買って出たのである。
ユーニスの商才をカルマン夫人は絶賛した。
そして「もっと早くユーニスと知り合っていたら、息子の嫁に欲しかった」と言ったのでナイジェルは数日間「カルマンに恋人を寝取られる」悪夢にうなされた。
「うふふ」
ユーニスは大きなダイヤをはめた指を眺めて笑った。
「私の指輪が返ってきたわ」
「だいたい俺はカルマン家とは二度と関わりたく無いんだよ」
ナイジェルはブツブツ言う。
「カルマン百貨店の仕事をするより、道端で似顔絵描きやる方がいい」
ナイジェルはカルマン家に苦い思い出があるのだ。
トラウマになるくらいの。
「ダメ!」ユーニスはピシャリと言った。
「私の顔以外描いちゃダメだから」
「ユーニス!」
ユーニスの可愛いやきもちにハートを鷲掴みにされたナイジェルはあっさりカルマン家に対するわだかまりを捨てた。
「だいたいナイジェル様は金銭感覚が甘いんです」
ユーニスは言う。
「この指輪だって丸ごとあの宿屋の主人に渡さず、先に売って換金してからそのお金の一部で私を貰い受ければ良かったのに」
「いいんだよ。あの時は一刻も早く君をあそこから連れ出したかったんだよ」
それを聞いたユーニスは嬉しそうにナイジェルに抱きついてきた。
「うふふ。まあ…確かに…あの時のナイジェル様カッコ良くて胸がキュンとしました」
可愛い……とナイジェルは思った。
自分が救って、自分が育てて、自分のことをずっと想っていてくれて、自分のために他の誰にも体を触らせないでいてくれて、自分のことを英雄だと言ってくれるちょっぴり我儘な子猫みたいな女の子。
9年前人生の全てを失ったと思っていたけど。
結局自分は一番欲しいものを手に入れたのだ。
もしディアンドラに振られていなかったら、自分は川に入らず、ディーにも出会わなかっただろう。
もしディーがいなかったらあの宿屋に立ち寄らなかっただろう。
もしポケットにあの指輪を入れていなかったらユーニスを救えなかっただろう。
……もしかしてディアンドラとの出会い自体、ユーニスと出会うための……
「ちょっと! 他の女の人のこと考えてるでしょ! わかりますよ!」
ナイジェルの思考は鬼の形相をしたユーニスに中断される。
怒るとユーニスはちょっと凶暴だ。
でも怒って暴れても引っ掻かれても、可愛くて仕方がない。
ナイジェルは暴れるユーニスの手首を掴んでベッドに縫い留める。
「じゃあ俺の頭の中、君で一杯にしてくれるかい?」
そう言うと優しく唇を重ねたのだった。
…………残念なことにナイジェルは気づいていないのだ。
捕まえたと思っている子猫は実は虎の子で、捕まったのはナイジェルのほうだと言うことに。
完
これにて完結です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




