17. プレゼント
その日私はロバートに呼び出されてカルマン百貨店に来ていた。
「ねえ、わざわざ呼び出して…何か用?」
「もうそろそろだな」ロバートが時計をチラリと見る。
ざわざわと辺りが騒がしくなった。
「号外! 号外!」
新聞売りの少年が無料の号外を配っている声が聞こえて来る。
それを貰ったロバートは満面の笑みで私に差し出した。
号外の見出しを見た私は意味が分からずポカンとしていた。
『ヴェリーニ領に第二の港建設。国の新たな玄関口に!』
ヴェリーニ領って、うちですけど。
な、何??
『政府はこの度ヴェリーニ領沿岸に新たな港を建設することを発表した。同時にカルマン商会によって王都と港を直線で結ぶ鉄道が敷かれる予定だ』
どう言うこと?
『新たな港は主に貿易、観光などの用途に重点を置き、既存の軍港との区別化を図る』
は?
『カルマン商会は鉄道事業に参入する。新鉄道は港と王都を2時間で結ぶ。ヴェリーニ領は国の新たな玄関口としての役割が期待される』
カルマン百貨店の店員さん達もみんな拍手している。
「新しい港が建設される。この意味がわかるかいディアンドラ?」
ロバートが私を抱き上げた。
「船舶の停泊料に鉄道の通行料。これからヴェリーニ領には莫大な金が落ちる」
「え?」
「ヴェリーニ領はこれから大きな都市になるんだ。港周辺はこれから開発が進み、色々な企業が進出を狙ってくる。ヴェリーニ子爵は自由にそれを選べ、許可出来る立場なんだよ」
心臓がドキドキした。
話が大きすぎて頭がついていかない。
「君の家はもう貧乏貴族じゃない。国一番の大富豪になるんだ」
ロバートが嬉しそうに言う。
「君、以前女性でも学べる学校が欲しいって言ってたよね? 作っちゃえよ、自分で!」
声が出ない。私は呆然としたままロバートを見つめた。
「僕が発案したんだ。褒めてくれるかい?」
ロバートがキラキラした瞳で私を見つめる。
「君が生きたいように自由に生きられる世界ーーこれが僕からの君へのプレゼントだ」
もう誰も君を傷つけることは出来ないよ、とロバートは嬉しそうに言った。
私の予想を遥かに上回るスケールのプレゼントだ。
女性に『世界』をプレゼントする男なんてどこにいるだろう。
感謝の気持ちを伝えたかったけど、涙で声にならなかった。
そんな私を、ロバートはみんなが見ている前で堂々と抱きしめ口づけをした。
本当にこの人は私を泣かせる天才だーー。
このプロジェクトには様々な人が関わっていた。
なんと陣頭指揮はアレクサンドル陛下だそうだ。
新しい港が出来れば、この国の人の流れと物の流れが大きく変わる。
ラゴシュ領の盗賊問題の解決にも繋がるそうだ。
港の建設は多くの労働力を必要とする。
これまで生活に困って盗賊になっていた人たちに仕事を提供出来るのだ。
物流も船、鉄道、陸と選択肢が増え、コストに応じて使い分けが可能になる。
ヴェリーニ領の領民も従来通り農業を続けるもよし、別の職に就くも良し。
人生の選択肢が増える。
女性は爵位は継げないけど、事業は継げるとロバートは言う。
私は自分の領地を好きなように運営し、自分の理想の街づくりをすれば良いと。
号外が出てからと言うもの、目まぐるしい日々が続いた。
新聞の取材が後をたたず、様々な企業が連日のように売り込みにやってきたからだ。
中には賄賂めいた贈り物までよこす人もいた。
さらには、縁談が殺到した。
以前、あんなにクズみたいな息子しか紹介してくれなかった貴族達がこぞって優秀な持ち駒を推してきたのだ。
容姿端麗、頭脳明晰な貴公子が列をなして私を訪ねてきた。
もはや私の悪口を言える者はいない。
毒婦だ売女だと言っていたその口で私を女神だと讃えてくるのには笑った。
ある日、ロバートが久しぶりに声をかけてきた。
「今晩、君の家に行くけどいいかな?」
そう。ご褒美の約束をもちろん私も忘れてはいなかった。
私が生きたいように生きられる素晴らしい世界に、一つだけ決定的に欠けているものがある。
ロバートだ。
一番欲しくて、唯一手に入らないもの。
私がヴェリーニ領を継がなくてはいけないように、彼もまたカルマン商会を背負って立つ身だ。
領地の問題は片が付いたものの、ロバートがいない未来を考えると心にぽっかり穴が空いたようだった。
そして夜ーー
緊張した面持ちでロバートがやってきた。
「久しぶりだね、ディアンドラ」
明らかにソワソワしている。
やっぱりご褒美ってそう言うことよね?
き、緊張するけど大丈夫。望むところだわ。
私は今夜ロバートに抱かれることに悔いはない。
……たとえ、いずれは別々の道を歩むことになるとしても。
「いらっしゃい。……2階で話しましょう」
そう言って寝室へ案内する。
「え? 2階? 別に1階でもいいんじゃないか」
ロバートは妙な顔をしていたが黙ってついて来た。
部屋に入り、しばらく妙な沈黙が流れる。
いつも余裕のあるロバートらしからぬぎこちなさだ。
「コホン。えっと…前に言ってたご褒美のこと覚えてる?」
来たーー。
「ええ。覚えているわ」
女は度胸よ、ディアンドラ!
「ではーー」
「じゃあーー」
そう言って、私がスルッとドレスを脱いでシュミーズ姿になるのと、ロバートが跪いてポケットから何かを出そうとしたのは同時だった。
「え?」
「え?」
ロバートは真っ赤になった。
「ちょ、ちょっと待てディアンドラ。ご褒美ってまだそこまでは…いや、嬉しいけれども? ち、違う…そ、そ、その…」
「ち、違うの?」
「流石に下着姿でプロポーズって言うのもなんだから、服着てくれないか」
目のやり場に困ったロバートが顔を逸らして言う。
え? 今この人なんて言った? 空耳かしら。
「プロポーズって。私たち家を継がなきゃいけないんじゃ…」
ロバートがドレスを着るのを手伝ってくれる。
「だから! もう何度言えば分かってくれるんだ? 君の望むことは全部叶えるって言ってるだろ」
「でも……」
「君が自分の我儘でヴェリーニ家やカルマン家に迷惑をかけるのを恐れている事は分かっている。そこは僕がなんとかするから……」
ロバートは自信に満ちた力強い眼差しを私に向ける。
「君は僕を信じて、正直な気持ちを言ってごらん」
「だ、だって……」
「でももだってもない。それとも君は僕と結婚したくない?」
本当に?無理でしょ。
そんなこと出来る訳ないのに。
優秀なロバートがカルマン商会を継がないなんてことになったら損失は計り知れない。
かといって、私だってヴェリーニ領を見捨てることも出来ないし。
私と結婚したら王都を離れなきゃいけなくなるし、カルマン百貨店は王都にあるわけで、
馴染みのお客さんだっているし、迷惑かからないようにしてくれるって言ったってそんなこと無理だし、でも……だって……
あれこれ悩んでいる私を見てロバートが呆れたと言わんばかりにため息をつく。
「…全く君って人は。 ディアンドラ、もう良いから!」
そして優しく、でも力強く腕を広げる。
「ーーーーおいで」
この一言を聞いた途端、私の頭は思考を停止した。
まるで魔法の呪文だ。
涙が溢れる。
磁石に惹きつけられる釘のように私は彼の腕に飛び込んだ。
「ロバートと……ずっと一緒にいたい」
ロバートはホッとしたように私を抱きしめ、背中をトントンした。
「了解。 僕の人生、丸ごと君にくれてやる」
そして跪いてポケットから指輪を取り出した。
「ディアンドラ・ヴェリーニ嬢。どうか僕をヴェリーニ家の婿にして下さい」
ロバート……好き。
もう…もう、どうしたら良いのかわからない。
分かっていることはロバートのことが好きだってことだけ。
私は彼の首にしがみついた。
彼は優しく微笑みながらキスの雨を降らせた。
「本当にいいの? カルマン商会は?」
「ジョンがいるさ。どうせうちの爵位なんておまけみたいなもんだし」
私を抱きしめながらロバートが言う。
「もちろんカルマン商会の仕事は続けるよ。これからヴェリーニ領はビジネスの中心になるからね」
話しながらも、ロバートは何度も角度を変えなが口づけを繰り返す。
「鉄道が出来たら簡単に行き来出来るようになるし」
「ラゴシュとの縁談は?」
「そもそもそれを回避するために一生懸命考えたプランだ。これからは海路でも商品を運べるし、雇用が生まれれば盗賊も減るさ。もうラゴシュと縁談を結ぶ理由がないんだよ」
んっ? 気のせいだろうか。
先ほどから、話をしながらロバートの手が私の背中を撫でているような。
タイムの時の背中トントンではなくて、何かこう……ゾクっとするような?
色っぽい触り方……?
……何ドキドキしてるの私ったら。どうしよう恥ずかしい。
ロバートはヴェリーニ領での今後のビジネスプランについて淡々と語っているが、私は背中を撫でる指の感触に意識を持っていかれつつあり、会話が頭に入らなくなってきた。
すると今度はもう片方の手が私の掌や指の間をそろりと撫でた。
「……………………っ!」
なにこれ。くすぐったいような気持ちいいような。
変よそんなの、たかが掌なんだから。そんなはず……。
見るとロバートが肩を震わせ笑いを堪えていた。
「今回は偶然でも気のせいでもないよ」
あれ? なんか覚えがあるこの感じ。
そうだ初めて会った日。
ダンスの時に同じようなことがあったーー。
えっと、でもあのダンスの時は気のせいで……あれ?
恥ずかしい……。
よく「エロくてふしだらな女」って陰口叩かれたけど、あながち間違いじゃなかったのかも。
だって手を撫でられただけで、変な気分になっているんだもの。
私って最低だわ。ロバートに軽蔑されてしまう。
手のひらを撫でていた彼の手が少しずつ私の腕を登ってくる。
そして鎖骨をそっとなぞった。思わず身体が震えた。
だめよディアンドラ。平常心よ平常心。
もうやだ…息が上がってきた……呼吸を止めて誤魔化さなきゃ。
みっともないもの。
更に耳たぶを軽く噛まれ、甘い声で囁く。
「可愛い…ディアンドラ。僕そろそろ我慢の限界かも」
どうしよう身体が熱い。
「もともと暑がりだった」という設定は通るかしら。
暑いと思っているのが伝わったのか、ロバートが背中のボタンを外してくれた。
すごいわ察しがいいのね。
ボタン外すのも上手だわ……洋服屋さんだったからかしら。
ああダメだ、頭が働かない。
蕩けそう。膝の力が抜ける。
気がつけば、私はベッドの横たわっていて、ロバートが首筋に唇を這わせていた。
気持ちが良くて、甘い気分が込み上げてくる。
ロバートがクスッと笑って耳元で囁いた。
「どう? そろそろ僕に抱かれたくなってきたんじゃない?」
これもどこかで聞いたようなセリフ……。
もう頭がぼーっとして喋れない。
涙目の私は弱々しく頷くと、彼に全てを委ねたのだった。




