16. 消毒そして背中の開いたドレス
「ーーお前のことが好きだったんだよ」
ナイジェルはそう寂しそうに言った。
ああ、やっぱりそうだったんだな。
カルマン百貨店で指輪を買った時の彼の表情を思い出す。
不器用な奴だなと思った。
ディアンドラが何か言いかけたタイミングでドアが激しくノックされた。
「兄さん!? いるんだろ! 開けて!」
「ジョン!?」
なぜジョンがこんなところに!?
弟の声に驚いてドアを開けると、ドヤドヤとたくさんの警察が部屋に雪崩れ込んできた。
武装した男達は直ちに床にへばっているナイジェルを取り囲んだ。
「ナイジェル・レヴィ! ドン・フィロ殺害未遂容疑の参考人として連行する!」
「は?」
ナイジェルはポカンとしていたが、そのまま連れて行かれてしまった。
家にはディアンドラと僕とジョンの3人が残された。
「ジョン、これは一体どう言うことだ?」
「ドン・フィロって言うのはきゅうりの苗を売った奴らしいよ」
ジョンが話し始める。
「あ、順を追って話すね。僕が昨日の晩王都西の橋の下にいたらーー」
「夜に橋の下ってお前何してたんだそんな所で?」
「…………そ、それは。その……ランバルド伯爵夫人と…その」
ジョンが口ごもる。
「………………」
あ、察した。ランバルド師匠にご指導を賜っていたんだね。
橋の下は人目につきにくいためよく逢い引きに使われるのだ。
赤い顔をしてジョンが続ける。
「そしたら、橋の上でヒソヒソ声がして、大きな麻袋がドボンと落ちてきたんだ」
橋の上の男達が走り去ってから、ジョンとランバルド夫人は麻袋を川から引き上げた。
すると中には縄でぐるぐる巻きにされ、猿ぐつわをかまされたドン・フィロが入っていたのだった。
気を失っていたドン・フィロはすぐに意識を取り戻し、二人はドンを警察に連れて行った。
そこでドンは洗いざらい話した。
ナイジェルに雇われて、ヴェリーニ子爵にきゅうりの苗を売りつけたこと。
その報酬をもらいにレヴィ侯爵家に行ったら、ナイジェルは留守で、代わりに父親のレヴィ侯爵が対応してくれたこと。
ワインを勧められて飲んだまでは覚えているが、そこから先は意識がなく、気がついたらジョンとランバルド伯爵夫人に助けられていたこと。
警察はレヴィ侯爵とナイジェルを連行し、現在取り調べ中だ。
「口封じのために殺されそうになったんだろうなぁ」
僕は床に散らばった割れティーカップの破片を拾いながらため息をついた。
ディアンドラは紅茶を淹れ直している。
「ーーで、君はナイジェルと何があった?」
ジョンが帰って二人きりになってから、ディアンドラの話を聞いた僕は仰天した。
ナイジェルがディアンドラに関係を迫ったであろうことは予想していたが、まさか彼女が彼との結婚をOKする気だったとは!
ナイジェルに組み敷かれているディアンドラを見た時は発狂するかと思った。
「ダメだよ! 何考えてるんだ君は! 他の奴との結婚なんて!」
「だって……それしか方法がないと思ったの」
ディアンドラが僕から離れるつもりだったと知りショックを受けた。
彼女は領民のためなら僕と簡単に離れてしまえるのか。
「ヴェリーニ領の作物が全滅になったってどうして真っ先に教えてくれなかったんだ?」
「カルマン商会は今色々大変そうだったから…盗賊問題とか」
ディアンドラのこの物分かりの良すぎる優等生なところが時々僕をイラッとさせる。
どうして僕を頼ってくれないのか。
しかも僕の知らないところで、勝手に『最後のタイム』にしようと考えていたなんて。
だから様子がおかしかったのか。
「珍しく『もう少し…』なんて可愛いこと言うからって喜んでた僕が馬鹿だった」
「ねえ、もう遅いわロバート、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
「嫌だね。帰らない」
ぎゅうっとディアンドラにしがみつく。
「目を離すと違う男と結婚してしまうからね、君は」
……駄々っ子のような自分に苦笑する。
余裕のある大人な僕はどこへ行った?
「タイム」
僕は不貞腐れながらタイムをコールする。
「?」ディアンドラは不思議そうな顔だ。
今回はディアンドラを癒やすためのタイムじゃなくて、僕のためのタイム。
君を一人にしたら、きっと心配で今夜は眠れないから。
たまには僕のために『タイム』にしたってバチは当たらないだろ?
「タイムのルールはちゃんと守るからさ。時間は無制限で良いよね?」
「??」
「僕、今夜は帰らないから」
その晩、僕は宣言通り『夜通しタイム』を決行した。
何があっても腕の中に閉じ込めて朝まで離さない。
抱きしめて眠るだけだから、良いんだよ別にベッドの中だって。
『タイム』のルールからは外れていないよね?
「……ディアンドラ、もうすぐ君に大きなプレゼントがあるんだ」
ベッドの中で背中からディアンドラを抱きしめる。
誰にも奪われないように。
「それ、前にも言ってたわね」
「内容についてはまだ口外出来ないんだけど。僕、結構頑張ったんだ」
「そう」
「それで……さ。そのプレゼントを気に入ってもらえたら、ご褒美をくれないか」
ああ、早く君を僕のものにしてこの不安から解放されたい。
枕に頭を乗せたディアンドラが可愛い顔で僕を振り返る。
「ご褒美? どんな」
「君が僕のお願いを一つ聞いてくれる、っていうご褒美」
ディアンドラはちょっと考えて、にっこり微笑んだ。
「いいわよ」
よし。言質は取ったぞ。
それまでは我慢だ。我慢。
「……………………」
タイム中は抱きしめるのはOKだが、嫌らしい事をするのはNGだ。
しかし、怪我の手当や消毒は『嫌らしい事』には該当しないのではないだろうか。
むしろ必要不可欠な医療行為だよな?
「ディアンドラ?」
僕は暗闇の中でそっと声をかけてみた。
返事はなく、彼女の寝息だけが聞こえる。
「……………………」
僕は彼女の髪をそっとかき上げ、
「ごめん、ちょっと消毒するね」と囁きーー
白く滑らかな首筋にそっと自分の唇を這わせた。
ナイジェル・レヴィが昼間そこに顔を押し付けているのを見た時は殺意が湧いた。
許せない。消毒だ消毒。
はぁ…良い香り。イライラしてた気持ちが嘘みたいにスーッと消えていく。
耳の付け根から鎖骨まで、丹念に消毒し、最後にチュッと強く吸って僕のものだという印をつけておいた。
明日、万が一ディアンドラが気が付いてもシラを切り通すつもりだ。
ディアンドラが普段寝る時に小さなナイトライトなどを一切点けない主義だったのは幸いだった。
でなければ、きっと消毒だけでは終わらなかった事だろう。
その部屋はあまりに暗くて僕は何も見えなかったから。
狸寝入りしているディアンドラの潤んだ瞳も、その蕩けそうな表情も全部闇に呑み込まれて見えない。
やがて僕は静かに眠りについたのだった。
翌朝、ジョンとキャロラインが警察からの連絡を持ってやってきた。
ドアを開けた寝起きの僕を見て、キャロラインが悲鳴を上げた。
「お、お兄様!? 未婚の女性の家に泊まるなんて!」
キャロラインはディアンドラの首の赤い痕を凝視しながら言った。
無駄に鋭いな、キャロライン。
ディアンドラ本人もまだ気がついていないのに。
外の通りにいた奴と目が合ってしまった。
あ、やべ。顔見知りの貴族だ。
また賭けの対象にされるなこれは。
ごめん、ディアンドラまた良からぬ噂を立ててしまった。
きゅうりの苗を売ったドン・フィロを殺害しようとしたのはレヴィ侯爵だった。
ナイジェルは知らなかったらしい。
屋敷にやってきたドン・フィロから息子のやったことを知り、体面を気にして口を封じるつもりだったようだ。
レヴィ侯爵は殺人未遂で有罪。
爵位は剥奪、財務長官を辞任することとなった。
そしてヴェリーニ領の損失の補填を命じられた。
ナイジェルは詐欺罪。
ドン・フィロが殺されそうになったことは知らなかったらしい。
罰金刑となった。
ドン・フィロは意味もわからず指示通り苗を販売しただけなので、保釈金を払って釈放された。
驚いたことに、この保釈金を払ったのはランバルド伯爵夫人だと言う。
「子飼いにして、やばい仕事をやらせるつもり」なんだとか。
「それにちょっと可愛い顔してるしね」とも言っていたそうだ。
きっと使えるペットになることだろう。
ちなみに、空いた財務長官のポストには繰り上がりで副長官だったランバルド伯爵が就任した。
夫人が喜ぶ姿が目に浮かぶ。
ランバルド家が財務長官だと非常に商売がやり易くて助かる。
レヴィ家の面々は王都から姿を消した。
田舎にいくつか屋敷を所有しているからそこに移ったのだろう。
爵位を失って今後はどうやって生活していくのかはわからないが。
レヴィ家の奴らが姿を消したその日、ディアンドラの家のドアの外に小さな包みが無造作に置かれていた。
開いてみると、中にはスケッチブックが入っていた。
ページを捲るとそこには鉛筆で描かれた無数のーー
ディアンドラの姿があった。
どのページもどのページもディアンドラのスケッチで埋め尽くされている。
泣きたいのを堪えているディアンドラの顔。
強がってわざと悪役のセリフを言う時のディアンドラの顔。
ディアンドラが人前では隠していた胸の内をよく捉えていた。
これを描いた人間がどれだけちゃんと彼女を見つめていたのかが伝わってくる。
優しい、愛に溢れたスケッチだった。
残念なことに、笑顔のものが一枚もない。
見ることが叶わなかったから描けなかったのだ。
胸が痛んだ。
あいつ、本当にディアンドラのことが好きだったんだな。
ディアンドラも驚きながらも真剣に一枚一枚見ていた。
そしてあるスケッチを見つけ、手を止めた。
見たことがないドレスを着たディアンドラの姿が描かれている。
背中が大きく開いた上品でシンプルなドレスを纏った美しいディアンドラ。
「あ……」
ディアンドラがポタリと涙を落とした。
「どうしよう。私ひどい勘違いをしていたわ」
しかし、もつれた糸は解かれることなくーー
僕たちがナイジェル・レヴィの姿を見ることは二度となかった。
次回最終話となります。
明日投稿します。




