15. ナイジェルの想い
初めてディアンドラ・ヴェリーニを見たときの胸の高鳴りを俺は一生忘れないだろう。
一目惚れだった。そして初恋でもあった。
俺はナイジェル・レヴィ。レヴィ侯爵家の跡取り息子だ。
姉がいるが、男児は俺一人だけ。
幼い頃から侯爵家の跡取りになるべく厳しく躾けられた。
父は政府高官で、財務長官にまで上り詰めたエリート。
こう言う父を持つと子供は大変だ。
常に期待され、周りと比べられる。
運の悪いことに、父の一番のライバルに俺と同い年の息子がいた。
そいつは天才児で、何をやらせても完璧にこなす。
そんなやつと物心ついた時から比べられたら卑屈な性格にもなろうと言うものだ。
俺は自分の目から見ても凡庸な人間だ。
加えて野心もさほどない。
出来ることなら好きな絵でも描いてのんびり暮らしたかったのだが、それは許されなかった。
三年前、俺が16歳の時。
ディアンドラが領地から王都へやって来た。
養子に入ってくれる婿を探しにきたのだそうだ。
彼女は一つ年下の15歳。
でもずっと大人っぽく見えた。
夜会で初めて彼女を見た時、その美しさに一瞬で心を奪われた。
俺は当時、女性に全く興味がなかったので、その気持ちが恋だとはしばらく気が付かなかったけど。
ただ、気がつけばいつも彼女の姿を探し、目で追っている自分がいた。
用もないのに彼女の家の近くをうろつき、偶然姿を見かけた日は一日中幸せな気分になった。
俺は見た目もパッとしないし、性格も暗い、なんの取り柄もない人間であることは自覚している。
自分でも自分のことがあまり好きではない。
でも。
もし、彼女が俺のことを認めてくれたら。
俺のことを好きになってくれたら。
そんな夢みたいなことが本当に起こったら、俺は変われるような気がする。
残念なことに彼女は俺を嫌っていた。
食事に誘っても、観劇に誘っても断られた。
いつもツンとした態度で、笑ってもくれない。
会いたい。
会って話がしてみたい。
俺のことを見て欲しい。
どうすれば俺のことを好きになってもらえるだろうか。
抱きしめたい。
俺の腕の中で笑顔を見せてほしい。
彼女に触れてみたい願望は日増しに大きくなる。
ダンスも断られてしまってはそれも叶わない。
悪友たちに「社会勉強だ」と誘われて、娼館に行った。
ディアンドラ以外の女性になんて興味なかったんだけど。
なるべく似たようなタイプの女性を選び、ディアンドラのことを想いながら抱いた。
おかげで、俺は友人たちにグラマラスなタイプが好みだと思われているがそうではない。
もしディアンドラが金髪でスレンダーだったらそう言う人がタイプだったことだろう。
ディアンドラみたいな人が好きなのではなく、ディアンドラが好きなのだ。
婿探しに来た彼女は幾度となく婚約をし、そして破棄した。
貧乏な田舎貴族の婿になるために、優秀な息子を差し出す貴族はいない。
大抵家族の中で使えなくて持て余していたような放蕩息子を推してくる。
俺の目から見ても、彼女の婚約者になった男達は、クズばかりだった。
俺は侯爵家の跡取りだから、彼女の婚約者候補にはなれない。
それが残念でならなかった。
婚約破棄された奴らは腹いせに、彼女を貶めるような噂を吹聴して回る。
なぜみんなあんなに素晴らしい彼女をもっと大事にしないのか理解出来ない。
俺だったら…大切にするのに。
優しくして、欲しいものはなんでも買ってやるのに。
やるせない想いを抱えながら3年間、彼女だけを見つめ続けた。
ところがそんなある日アイツが現れた。
ロバート・カルマン。アイツだけは許せない。
とある舞踏会で、奴はディアンドラの了承も得ずに強引にダンスを始めた。
俺も申し込んだけど、断られたから諦めたのに。
さらにディアンドラの胸元を不躾な視線で眺め回した。
彼女は嫌がってるのに。可哀想に。
そしてーー俺はしっかり見てしまった。
奴がいやらしい手つきで彼女の背中を撫で回したのを。
怒りのあまり身体が震えた。
ある日、ディアンドラに会いたいが故に彼女の出没しそうな場所で酒を飲んでいたら、運よく本人が通りかかった。
勇気を振り絞って声をかけてみた。
少し酔っていたから、タチの悪いナンパみたいになってしまったけど。
でも酒がないと緊張して声かけられないんだ。
俺は君を助けたかった。
君に感謝されたかった。
待って! もう少し話がしたい。
頼む、逃げないでくれ。
上手く伝えられなくて、咄嗟に彼女の腕を掴んでしまう。
女性の力がこんなにか弱いなんて知らなくて、戸惑った。
彼女を怯えさせてしまったことは後悔している。
でも他に方法を思いつかなかったんだ。
そんなところに奴が現れた。
あたかも悪者から姫を救いに来ましたと言わんばかりの登場の仕方だ。
奴の方がよっぽど悪者なのに。
何が「大丈夫か?」だよ。
ロバート・カルマンの女性関係の激しさは貴族の間では有名だ。
いつも違う女性を連れているし、人妻といちゃついているところも何度も目撃し
ている。
なのにーー。
神様は俺ではなくロバートに味方した。
ひょっとして神様って女性なんじゃないか。
ロバートとディアンドラが二人で観劇にやって来たところを見てしまったのだ。
二人っきりでボックス席で。
俺なんか、その数日前にディアンドラに贈ったプレゼントを突き返された。
これはショックだった。
ディアンドラは直接渡されたプレゼントは受け取らないが、家に贈られて来た物は仕方なく受け取ってくれる。
なのに、なぜか俺が贈ったドレスは使用人がわざわざ返しに来た。
ものすごく傷ついた。
なぜ俺のプレゼントだけ受け取ってもらえないのだろう。
ディアンドラのために一生懸命考えて選んだドレスだった。
男どもに胸元をジロジロ見られないように、前はドレープのボートネックになっていて、背中が大きく開いているドレス。
彼女を守りたくて、彼女のためを想って選んだつもりだった。
素材も最高級のシルクだ。
気に入ってもらえるのではないかと期待していた俺の心は無惨にも打ち砕かれた。
着てもらえたら勇気を出して「綺麗だ」って言ってみようと思っていたのに。
なぜそこまで俺を嫌う?
俺はそんなにひどいことしたか?
俺はろくに口も利いて貰えないのに、あいつとは二人で出かけるんだな。
あんな、他にいっぱい女がいるような奴と。
ディアンドラは残酷だと思う。
憎んでしまえればどんなに楽だっただろう。
でも無理だ。
どんなに嫌われても、冷たくされても。
俺はディアンドラが好きなのだ。
だから酷いことをした。
彼女の領地の作物を全滅させて、俺に頼らざるを得ない状況を作り出した。
植物学者にヴェリーニ領では育たない植物を聞き出す。
人を雇って、ヴェリーニ子爵をそそのかしてそれを売りつける。
そして俺にしか出来ない救済方法を提案した。
もともと交換条件なんて出すつもりはなかったんだ。
彼女が「ナイジェル! ありがとう」って感激してくれることを期待していた。
少しでも俺のことを好きなってくれれば十分だった。
悪者になりたくてなる人なんてこの世にいるだろうか。
正義の味方になってみんなに愛され、感謝され、尊敬される方がいいに決まってる。
俺も彼女に感謝されさえすれば良かったんだ。
でも彼女は
「あなたのことだから何か条件があるのでしょう?」と言った。
あなたのことだからーー彼女の中で、俺の立ち位置は悪役なのが悲しい。
だから「俺の女になれ」と言った。
恋人になって欲しい、という意味のつもりだったんだけど。
「ヤラせろよ」的な意味にとられていた。
いい加減な気持ちだと思われたくなくて、流れで思わずプロポーズしてしまった。
本当は恋人になり俺のことを好きになってもらってからと思っていたのだが。
結果は同じだ。むしろかえって良かったかもしれない。
少なくとも彼女の親御さんは安心するだろう。
彼女は困惑していた。
俺が真剣に彼女を愛しているかもしれないなんて考えもしないんだな。
まあいい。
どうせ彼女は俺の提案を受け入れざるを得ないのだから。
他に領民を救う方法はないはずだ。
俺は改めて彼女にきちんと想いを伝えようと思った。
身体目当ての他の男どもとは違うんだと、心から君を愛していると伝えようと。
そうすれば……俺を愛してくれるとまでは行かなくても、少しは印象が良くなるのではないだろうか。
これから始まる彼女との生活を考えると胸が弾んだ。
次期侯爵夫人ともなれば、もう誰も彼女に失礼な態度は取れなくなる。
もし誰かが彼女の陰口でも叩こうものなら、俺がそいつを叩き潰してやるんだ。
ディアンドラを大切にしよう。
高価な宝石でも、屋敷でもなんでも買ってやる。
わがままでも意地悪でも構わない。全部愛しい。
ヴェリーニ領の作物を高の値段で買い取れるよう手配してあげよう。
頻繁に里帰り出来るよう、ヴェリーニ領に別荘でも建てようか。
彼女のご両親のことも大切にしよう。
ヴェリーニの領民に王都での侍女の働き口を紹介してあげたらディアンドラは喜んでくれるだろうか。
まずは再プロポーズだ。
この前のように適当な言い方ではなくきちんとしたい。
俺の真剣な気持ちを知って欲しいから。
俺の気持ちの大きさを表すような立派な指輪を買おう。
薔薇の花束を持って、跪いて。
生涯君一人を愛する事を誓います、だから僕の妻になって下さいって言うんだ。
深紅の薔薇ってディアンドラみたいだな。
いい香りで。棘があるところもなんか似てる。
でもこの世で一番美しい花だと思う。
ウキウキした気持ちで花束と指輪を買った。
ふふ。指輪のダイヤが大きすぎて重いって文句を言うかな、彼女。
そうしたら、「重かったら俺が持ってやる」って言って、彼女の手ごと持ったりして。
そんなことを考えながら、隣の店で菓子でも買おうと歩いていた時だった。
百貨店と、隣の建物の間の細い路地で抱き合う男女がいた。
通り過ぎようとしたらーー
「ディアンドラ、もうそろそろ店に戻らないと」
聞き覚えのある声と名前にぎくりとした。
ーー振り向くな! 心の声が警鐘を鳴らす。
まさか。そんな。でも………
「もう少しだけ。もう少しだけ……お願い」
切ない表情をしてロバートにしがみつく彼女がいた。
俺が一度だって見たことのない表情。
いつもの強気で気高いディアンドラとは別人のような可愛らしい顔。
声をあげそうになるのを必死で堪え、手で口を覆う。
その拍子に花束を落としてしまったことにも気づかず、足早に立ち去った。
歩き回って、人のいない路地を見つけ逃げ込む。
吐きそうだ。
壁に手をついて項垂れる。
ロバートとは恋人ではないと言っていたではないか。
その舌の根も乾かないうちにもう会いに行ったんだな。
もちろん、過去に何かあったかもとは疑っていた。
でもてっきりただの火遊びだと思っていたのだ。
そのくらいなら目をつぶるつもりだった。
それが、まさかあんな……愛し合う恋人同士のような……。
「ふ、ふふふ……あはは」
不意に笑いが込み上げてきた。
笑いすぎて涙が出る。
結局俺が悪者かよ。
ディアンドラを救うヒーローになるはずが、愛する二人を引き裂く悪役になっているではないか。
ディアンドラはきっと結婚してからもロバートとの関係を続けるのだろう。
まあ、貴族にはよくあることだ。
俺も愛人を持てばいいだけの話だよな。
………………。
心が痛い……。
苦しい……。
俺は愛人なんかいらない。
欲しいのはディアンドラただ一人。
なのに……………。
「なんで……なんで俺じゃダメなんだよ」
壁を拳で殴った。
酷い女だと思う。
こんなにも哀れな俺に、ほんの一欠片の愛さえ恵んでくれない。
だけど
どんなに傷つけられても、どんなに拒絶されても。
他の人を選ぶと言う選択肢はない。
なぜならーー俺はどうしようもないくらいディアンドラを愛しているから。
いいさ、好きにすればいい。
お望み通り悪役になってやる。
悪役らしく君を力ずくで俺のモノにするよ。
そして屋敷に閉じ込めて二度とロバートには会わせない。
ああ、でも本当は。
ーー俺は悪役よりヒーローになりたかった。
ナイジェルにはヤンデレのポテンシャルが垣間見えます




