13. 選択肢
「そんなわけで、僕は賭けで大儲けしたわけなんだ」
ロバートがドヤ顔で自慢する。
私は今日も用もないのにカルマン百貨店に来ている。
私とアドニスが噂になっていたことには驚いた。
まさかそれが賭けの対象になっていたとは。
しかも、大半の人が「二人はデキている」方に賭けていたと言うから心外だ。
火遊びをしている貴族なんて他に沢山いるのに。
なぜ私ばかりが有る事無い事言われるのか。
本当に理不尽だ。
「でもロバートは私を信じてくれたのね。嬉しいわ」
「う…いや、まあ…そうだな」
なぜか歯切れが悪いロバート。
でも彼は「デキていない」方に大金をかけてくれたのだ。
嬉しかった。
あれ以来、キャロラインが優しい。
口調はキツいが、会うと話しかけてくれるようになった。
そのうちアドニスの婚約者のオフィーリアを紹介してくれるそうだ。
「3人で女子会をしましょう」とも。
私が女の子グループに入れてもらえるなんて!
感激のあまり泣いたら、キャロラインに「ばか!」と怒鳴られた。
泣いてる私を心配してロバートがすっ飛んで来る。
キャロラインに意地悪でもされたと思ったらしい。
そしてこそっと「大丈夫? どこかで『タイム』にする?」と耳打ちしてくれた。
はぁ〜。なんて優しいのだろう。
「今は…いい」と、『今』の部分をあえて強調して遠慮する。
察しの良い彼は目を細めて笑う。
「ふふ。了解。じゃあ後でね」
そして私の頭にポンと手を乗せた。
「大変です! ラゴシュ領でまた積荷が奪われました。負傷者が出ています!」
和やかだった店内の雰囲気は従業員によってもたらされた知らせによって一変した。
ロバートの顔色が変わる。
「僕はこれから親父と盗賊襲撃の件の対応にあたる。百貨店は通常通営業してくれ。後で詳細は番頭に報告を入れる」
そう従業員に指示を出すと大急ぎでカルマン商会本部に向かう。
王都から北東に伸びているノルデステ街道はこの国の大動脈である。
ラゴシュ領と隣国の国境まで続いている。
外国との往来を一手に担っている街道だが、治安の問題を抱えている。
政府も何度か軍を派遣して盗賊の討伐に乗り出したが、効果がなかった。
「ノルデステ街道の物流がストップしてしまったらこの百貨店はどうなるんだ?」
従業員たちの不安な声が聞こえてきた。
「心配ない、ロバート様とラゴシュの令嬢の婚姻が成立すれば、うちの積荷の安全は保証されるんだ」
…………………………え!?
心臓がドキリと音を立てた。
ロバートとラゴシュの令嬢との婚姻。
私の耳ははっきりとその言葉を聞き取った。
キャロラインを振り返ると、言いづらそうに説明してくれた。
「ラゴシュ家には16歳になる令嬢がいるのーー」
女性だけど王都で騎士団に所属している令嬢だそうだ。
今、ロバートとその令嬢との縁談が持ち上がっているらしい。
ラゴシュの領主である令嬢の兄が強く望んでいる縁談だそうだ。
その代わり、カルマン商会の積荷がラゴシュ領を通過する際は安全を保証してくれるという。
双方にとって利のある良縁だった。
分かっていたことだ。
私もロバートもいずれ別の誰かと結婚することは。
分かっているのだけど…………。
(ディアンドラ……おいで)
不意にロバートの声を思い出す。
あの優しい声がたまらなく好きだ。
私を優しく甘やかしてくれるあの腕が、別の誰かのものになると思うと、心が潰れそうに痛んだ。
言いようのない不安と心細さに襲われる。
また私は一人ぼっちになってしまうのか。
◇◇◇◇◇◇◇
重く沈んだ気持ちのまま家に帰り着くと、見覚えのある馬車が停まっていた。
実家の馬車だ。父が来たのだろう。
ロバートの縁談を知り、精神的に参っていた私は、早く父の顔が見たくて家の中に駆け込んだ。
しかし私を迎えてくれたのは、ムール貝のお土産を持って微笑む父ではなく、青ざめて項垂れている父の姿だったーー。
「もうおしまいだ…………」
「……お父様?」
ただならぬ父の様子に嫌な予感がした。
「うちの領地はもうおしまいだ」
両手で顔を覆って振り絞るような声で父が言った。
「畑の作物が…………全滅した」
「……な…?」
何を言っているのか分からなかった。
畑の作物が全滅?
大きな自然災害はなかったはず。どう言うことだろう。
「す、すまないディアンドラ。全て私のせいだ……」父が肩を震わせる。
ポツリポツリを語り出した父の話をまとめるとこうだ。
きゅうりは大麦の5倍の収入になると聞き、行商人に苗を注文した。
ところが植えたきゅうりは全て枯れてしまった。
「そんな…………」
ディアンドラは驚きを隠せない。
大麦を全てきゅうりになんて。
いつの間にそんな話になっていたのだろう。
きゅうりの苗を販売している途中に通りがかった行商人?
そもそも王都より北できゅうりを栽培している領地なんてあっただろうか?
確かにきゅうりのサンドイッチは王都で流行っている。
単価も高いのは間違いないけど……。
「それにしてもなぜ全て枯れてしまったのかしら」
全て枯れるなんてよほどのことだ。
ふと、王立科学アカデミーのアーデン教授を思い出した。
私は父を伴って教授を訪ねることにした。
教授は研究室で怪しげな実験をしていた。
急に訪ねていった私たちを嫌な顔せず迎えてくれホッとする。
きゅうりの苗のことを話したら、教授は呆れ顔で叫んだ。
「なんてバカなことを! アンタのところの土地ではきゅうりは育たんよ」
きゅうりが枯れた原因は海の塩で間違いないだろうとのことだった。
「塩害に弱い植物なんじゃよ、きゅうりは」
そして、早く貝殻の粉の石灰を撒いて、冬の間はクローバーを植えて放牧すれば、来春にはいい土ができるだろうとアドバイスをくれた。
教授にお礼を言って自宅のタウンハウスに戻った。
「お父様、頑張ってお金を貸してくれる人を探しましょう。土壌問題も解決したことですし、今後収穫を増やせば、少しずつ借金も返せるかと」
何か方法はあるはずだ。諦めずに頑張ろうと、父に声をかけた。
しかし父は悲しそうに首を横に振った。
「無理だよ。個人が出せるような金額じゃない」
これから冬になるので、今から別のものを植える事は出来ない。
来春に植え、夏に収穫…が最短だ。
この秋の領民の収入はゼロになり、冬を越せない。
全領民の生活を1年間保証するのは個人のポケットマネーでは無理……わかってはいるのだけど。
「爵位を返上して、領地を国に返還しようと思う」
「…………! お父様!」
国に領地を返還すれば、王領となり、領民の生活はある程度国が保証してくれるのだ。
そして私たちは爵位を返上して平民となる。
領主として、代々領民と手を携えて守ってきた故郷の領地。
手放したくない。
領地は私の身体の一部も同然だ。
「お父様諦めないで!」
「ーー無理だよ、ディアンドラ」
家財道具など個人の資産で少しでもお金に変えられるものがないか、銀行や質屋に相談しに行ってくる、と言うと父は街へ出て行った。
どうしよう………………。
せっかく来季から収穫量が増やせる目処が付いたばかりだったのに。
こんな形で領地運営から手を引くなんてあり得ない。
これまでの苦労は一体……。
私は一人家の中で途方に暮れる。
すると、玄関の扉を誰かがノックした。
「ロバート!?」
もしかしたらロバートが来てくれたんじゃないかしら。
だって、いつでも私が困っていると魔法使いのように現れるもの。
期待してドアを開けるとそこには、
「………………。カルマンじゃなくて残念だったな」
ひねくれた笑みを浮かべるナイジェル・レヴィが立っていた。
何の用だろう。正直、今ナイジェルの相手をする気分ではない。
何しに来たのかと尋ねてものらりくらりとはぐらかす。
「コホン。ど、どうした? 元気がないようだが」
不自然な様子でこちらの事情を尋ねてくる。
一体何しに来たの?
「あなたに関係ないでしょ。今うちの領地が大変で、あなたに構っている余裕がないから、帰っていただけないかしら」
「領地がどうかしたのか? 話してみろよ。力になれるかもしれないぜ」
鬱陶しい。放っておいてほしいものだ。
「個人でどうこうできるレベルじゃないのよ。畑の作物が全滅して、破産状態なんだから」
「それは気の毒に」
心配するようなことを言う割には嬉しそうなのはなぜだろう。
「でも俺なら助けてやれるぜ」
ナイジェルは勧められてもいないのに、我が家のラウンジの椅子にどっかりと腰を下ろして脚を組んだ。
「そうツンケンするなよ。俺しか助けてやれる奴はいないと思うよ」
そしてニヤリと笑った。
「……………………?」
「なんだよ、お茶も出ないのか?」
もったいつけてなかなか本題に入らない。
ばあやたちが出かけているので、仕方なく私が紅茶を淹れた。
「ヘェ〜。君が手ずから淹れてくれたお茶か。いいね」
ナイジェルは嬉しそうにゆっくり紅茶を味わってから、ようやく本題に入った。
「この国には災害に対する支援制度があるのは知ってるか?」
悪天候や台風などで作物が収穫出来なかった場合に、国が農民を救済する制度がこの国には存在する。
ワンシーズン分の収入を国庫から補填してくれるのだ。
「でもうちは自然災害ではなくて父のミスだもの。対象外だわ」
そう。自然災害には適用されるが、人災には適用されないのだ。
「海という特殊な気候による災害と言えなくもないだろ。審査に通れば補償を受けられる」
「審査に通るわけないじゃない! 時間もかかりそう」
「通る。時間もかからない」
「なぜそんなこと言い切れるのよ!」
「これは財務省の管轄。そして…災害補償は俺が担当しているからだ」
ナイジェルは長官である父親と同じ財務省に勤務している。
災害補償の決裁を行う権限をナイジェルが握っているとは知らなかった!
つまりナイジェルの一存で補償が受けられるかどうか決まるのだ。
「………………。あなたのことだから何か交換条件があるのでしょう?」
聞かなくても察しはついている。
「…………」
ナイジェルが少し寂しそうな顔をしたのは気のせいだろうか。
「そうだな。……俺の女になれよ、ディアンドラ」
やっぱり。
「弱みに漬け込んで……。身体を差し出せってこと!?」
卑怯者め。
こんな人大嫌いだけど。
でも今の私に他の選択肢はない。
悔しい。
こんなやつの前で泣きたくないけど、堪えきれずに涙がポロリと溢れた。
「え…! ち、違う、いや違わないんだけど」
私の涙を見てナイジェルはなぜか狼狽えた。
そしてしばらく考え込んで、ゆっくりと口を開いた。
「こ、こんなタイミングで言うつもりはなかったんだけど……」
ナイジェルが私の顔色を窺うような視線をよこした。
「そ、その……もしお前さえ良ければ……お、お、俺とけ、結婚しないか」
「えっ?」
今聞いた言葉の意味を一瞬理解できなかった。
「まさかうちの爵位を返上しろってこと!?」
「ち、違う!」
ナイジェルが慌てる。
ナイジェルはレヴィ侯爵の一人息子。
大事な跡取りだ。
「だ、だから! ヴェリーニ子爵が存命のうちに俺の息子を産んで、その子に君のところの領地を継がせればいいじゃないか」
私はレヴィ侯爵夫人となり、二人以上息子を産む。
次男を実家のヴェリーニ子爵領の跡取りにすればいいのだとナイジェルは言う。
私の代を飛ばして、父から直接私の息子に爵位を受け継がせるのだ。
ナイジェルが私と結婚!?
正直驚いた。
「なぜ? なんのために?」
結婚しなくても私を愛人にできるのに、あえて結婚する理由がわからない。
侯爵家にとって、メリットがなさすぎる結婚だ。
驚きすぎてポカンとしていたら、私が難色を示していると勘違いしたナイジェルがしきりに説得してきた。
「そ、そうすれば今季の災害補償だけでなく、身内としてずっと援助できる。お前にも侯爵夫人として好きなだけ贅沢させてやる。な? 悪くない条件だとは思わないか」
むしろ条件が良さすぎて、何か企んでいるんじゃないかと疑りたくなる。
「考えてみてくれないか。 どうせお前はカルマンとは結婚出来ないぜ。あいつの家はラゴシュの協力なしに商売は出来ない」
ロバートの名前が出た瞬間、胸がちくりと痛んだ。
「わ、わかってるわ。別にロバートとは恋人ではないもの」
自分に言い聞かせるつもりで言う。
「ほ、本当か!?」
ナイジェルが目を見開き、頬を上気させる。
「急に返事は無理だろ。数日後にまた来るから考えておいてくれ」
と言うと、なぜか嬉しそうに帰って行った。
何を考えているんだろう。
迷うことはないはずだ。
領地を返上せずに領民の生活を守る方法は他にない。
どうせ適当に婿を取るつもりだったのだから。
レヴィ家のような名門に嫁ぐなんて、有り難い話ではないか。
なのに
どうしてすぐに返事ができなかったのだろう。




