3.3 艶然
私が言葉に詰まってしまって、バーに流れる音はBGMのジャズだけになった。
彼が、先に沈黙を破るように苦笑する。
経験とセッティングがものを言う対人職同士、この場では彼が何枚も上手のようだった。
「いきなり話しかけちゃってすみません。来ていただけて嬉しくて。
お連れ様も、先生ですか?」
「あはは、同僚ですー。仕事帰りに、飲みに行こうって感じで」
「ありがとうございます。楽しんでいただけたら何よりです」
彼の頭が一瞬消えたかと思ったら、もう一度現れて、カウンターの向こうから、長い両手がすっと伸びてきた。
生ハムとオリーブ、違う種類のチーズが2種類盛られた小皿が2つ。
真子が顔を輝かせて私を見る。
彼女は生ハムに目がない。
「これ、僕からの奢りなので。お口に合えばどうぞ。先生方、ゆっくりお過ごしください」
にっこりと笑う。
バーの暗い照明の下の笑顔は、男性とは思えない妖艶さをたたえていた。
彼はゆっくりとまた頭を下げ、医者の私たちに背を向けようとした。
医者じゃない私が、いつか友人の死に目を腫らして渇き切るまで泣いた私が、突然に顔を出す。
こういう人間の不完全さには、心を乱されるから嫌いだ。
数日前に初めて会ったというのに、自分の分身のように錯覚してしまって嫌だ。
「星羅?」
不思議そうな声をあげる真子の横で、私はバーのスツールから半分腰を上げ、カウンターに乗り出した。
行儀悪いのは知っている。でも今言わないと消えてしまう。
「あの、待ってください。」
私にはこういうところがある。
衝動的な積極性。
相手の気持ちなど置き去りにして義足の親友に迫った夜も、破滅的な感情の波に突き動かされていた。
パンドラの匣は、もうこの手で開けないと誓ったはずなのにーーー
「お話、もっと聞かせていただけますか・・・?」
彼がこっちを振り向く。
黒い瞳が、また、あの日と同じように濡れていた。