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5%の冷やした砂糖水  作者: 煙 うみ
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1. 蒼白

土曜日、昼、天気は曇り。


御崎赤十字病院の救急外来(ER)は、今日も平常通りの混沌状態にあった。



「おい!10分後に救急車また来るよ、75歳男性意識消失、いまJCS200、痙攣始まった!セルシン用意して!」


「このラベルここに置いたの誰?!検体はどこにあんの?採血誰がするの?」


「心電図呼んだ?技師さん何分で来そうかな」


「あそこのおじいちゃん入院あげたら田中さんこっちの介助入って。え?MRI

?無理じゃん、人手足りないよ」


「すみません、あの・・・」


「先生!!そこ通らないで!いま床拭くから!拡げてどうすんの!!!!」


狭い通路を行き交うストレッチャー。

響く患者のうめき声。

床に飛び散る血飛沫と誰の何かとも知れないどす黒い液体。

それを拭き取る看護師。


あやうく血溜まりを真上から踏みそうになって怒られる研修医が、私、松永星羅(まつながせいら)


「すみませぇん・・・・」


今日8時に当番が始まってから現在15時30分までで通算52回めくらいのすみませんを呟きながら、私はおずおずとパソコンの前に座り電子カルテを立ち上げた。


何も食べてない。お腹が空いた。

しくしくと痛み始めた胃のあたりを抱きしめた。


今年はイケてないんだ本当に。



「やっほー、どう~?」



同期の白坂真子(しらさかまこ)が、向こうからひらりと現れた。

面長の和風美人。背は165cmくらい。

切れ長の瞳が今日も親しげに笑っている。


この子はいつ見ても楽しそうだ。マスクの下も満面の笑みだろう。


死んだような目をしていたであろう私も、少しだけつられて口角が上がる。


「星羅、何か面白いの来てる?」


「来ない。誤嚥性肺炎と転倒外傷ばっかり。肺と頭のCT見すぎてどれがどの患者のか正直思い出せない。


これどう思う?さっき来たふらついて倒れた人のデータなんだけど・・・」


「うーん・・・?」


真子がこっちにかがみ込む。セミロングの髪が一束はらりと横顔にかかる。首を傾げる。


その才女めいた風貌に反して、実は深く考えるのが苦手なのを私は知っている。


案の定5秒後にはぱっと顔を上げて、全てを誤魔化す得意の笑顔でにっこり笑った。



「・・・わかんない!なんもなさそ!元気だよきっと!!!じゃあ戻るね、イケメン来たら呼んで!!」



軽口を叩くだけ叩いて、真子はウォークイン診察室の方に素早く消えた。


真子が早足で歩く後ろ姿は、綺麗にくびれた腰周りが揺れてなかなかに扇情的だ。


医療用スクラブを着ていても溢れ出る色気に一種の感動を覚えながら、私は電子カルテの画面に目を戻した。



訂正。この子と毎日会えるのは、なかなかにイケている。



「松永先生!患者来たよ!オーバードーズ(OD)!意識大丈夫!早く診察して!」


空想にふける時間は一瞬で終わりを告げる。


舞台のセットが回転するように、場面が慌ただしく移り変わる。


私は聴診器を取り上げ、背後に運ばれてきたストレッチャーに急いで向き直る。



もうこんな仕事やめたいんだ。


いつもいつも同じことの繰り返し、早く自由に夢を見たいんだ。



「ここどこかわかりますかー?・・・」


いつも通りの前口上を口にしながら、患者の目を覗き込む。


救急隊のストレッチャーにベルトで縛りつけられた若い眼鏡の男性が、青白い顔で横たわっていた。


黒いスキニーパンツに革靴。


白くて光沢のあるTシャツの前がワインの濃い紫色に染まっていたが、羽織っているカーディガンは上品なニット素材で、彼の華奢な体に脱げかけた状態でまとわりついていた。



急性期病院の救急外来では、患者は商品のように扱われる。



次々運ばれてきて、服を剥かれ、検査に送られ、結果がでたら病棟なり自宅なり然るべき場所に出荷されていく。



同情なんてとっくに捨てた。


患者の叫びに感情を動かしたりはしない。



私は瞬きする。

仕事は辛い。心を殺して、決して優しくはない医療の歯車になるのが辛い。



「大丈夫ですか・・・?」



彼は泣いていた。


濡れた黒い瞳が、眼鏡の奥からこっちを見つめ返していた。



「28歳男性、睡眠薬の過量服薬です。勤務先の店長による救急要請。


バイタル安定、精神科疾患の既往は特になし、


同様のエピソードは初めてで、


親友の死をきっかけに最近鬱傾向を認めており、今回このような行動に至ったと・・・」



彼は、自分について話す救急隊員の話を他人事のように聞きながら、全てを諦めたように静かに肩で息をしていた。


涙で汚れた白い頬に、新しい滴が一筋、伝わっていった。

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