6.2 吐息
それからの数日間、真子と私は病院で2人きりになれるタイミングを必死で探し、人目を憚りながら堂々巡りの議論を交わしていた。
混雑した平日の病院で、いかにして初対面の男性を探すのか。
たとえ見つかったとしてーーー
「伝え方間違うと・・・悠馬さん、また自殺未遂しかねないよね」
非常階段の踊り場で壁にもたれ、院内のカフェで買ったLサイズの抹茶シェイクをストローで吸いながら、うんうんうんと真子が頷いた。
好奇心も食欲も旺盛な真子はよく食べる。
気が向いた時に家でストレッチしてるだけだよーと前に言っていたけれど、
腕はすっきりと細いし、腰のくびれは日を重ねるごとに磨きがかかっているように見えるから不思議だ。
女の子の神秘と生きる喜びを体現した身体に、男性がカブトムシのように惹き寄せられていくのも無理はなく、
真子の恵まれた恋愛遍歴に疑問を抱いたことはない。
「生きてるにしても死んでるにしても、嘘は言えないよねー。
かと言って、生々しく全部伝えるのもなんかショックでかそうよね、
内臓大出血に破裂に右足切断でしょ、さすがに気が重いなぁ」
私は返事の代わりに熱いカプチーノを一口飲んだ。
カフェインは好きだ。思考が冴えて、処理能力が速くなる。
しかしことこの問題に対しては、なんだか効果が薄いような気もしていた。
純粋な疑問という風に、真子がふと首を傾げた。
「生きてるとしたら、なんで悠馬さんに連絡してこないのかな?」
「・・・わからんけど、今は誰にも会いたくないんじゃない?」
「あ・・・そういう?」
真子が、ピンとこない顔をしてもっと首を傾げる。
急性期病院に慣れた上級医は、悲惨な目に遭った患者の心の動きに関しても、どこか鈍感で冷徹だ。
半年以上、そんな彼らと行動を共にしている、私たちの感覚もだんだんと麻痺してきたのを感じる。
私は今まで観た映画やら読んだ小説やら、あれこれを総動員して、どこかに置いてきた情緒とやらを取り戻そうと苦戦する。
「今まで健康なひとだったわけだし・・・
いきなり怪我人になっちゃって、もう治らないかもしれなくて弱ってる状態を、
事故前を知ってる友達には見られたくないんじゃないかな、普通は。
うちらなんか、生きてるだけでよかったよかった、てなるけど。
悠馬さんも、聞いたら聞いたですごく落ち込みそう」
変わり果てた友人を見てあの繊細な青年がどんな顔をするのか、想像してみる。
悪い報せというものは、どう伝えたって、悪い報せには変わらないけれど。
真子が、噛み締めるように呟く。
「普通は、か・・・」
しばらく無言で、お互いに飲み物を啜った。
手の体温で溶け切った抹茶シェイクの残りを名残惜しそうに眺めながら、ぽつりと真子が言った。
「死ぬとか、体の一部がなくなるとか、すごく壮絶なことのはずなのに、
なんだか慣れちゃったよね。この病院来てから。もはや日常」
真子の笑った顔は、ぞっとするほど冷たかった。
「私たち、普通の人の感覚なんて、もう思い出せないもんねー」
私は反論できず、唇を噛んだ。
彼女の言う通りだ。
未熟なこの手では何も治せやしないのに、私たちはもう、充分に狂っている。
溜息の中に香るコーヒーの味が、いつもより苦くて、不味かった。