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第三話 国の最大権力を敵にまわすということは

「シャーロット様!」

 ホワイト家の前についたら、マロンの声がした。ノアをそっと寝かせて、音を立てないように降りる。

「どうしたの、マロン」

「大変です!大変なんです!」

「貴女最近そればかりね?今度は何があったの」

「ルーファス様が!」

「………え?」

 暗くなりつつある庭に、大きな馬車が止まっていた。今まで乗っていたノアの馬車とは比べ物にならないくらい豪華な。助けを求めて振り返ってもそこにはもうノアの馬車はなかった。すぐに出ていいと指示を出したのは私だ。しかし、ルーファス様の対応を私一人でできるとは思えない。

 慌てふためくマロンを静かにさせて、通されたと言われる客間に走った。この家は客間が何個もあって、どれも豪華になっているから困る。しかも、客間もそれぞれの商会で違うのだ。つまり、一番儲かっていない私の商会が保持する客間は一番遠く。二階からの個人の部屋よりも客間の方が豪華ってどういうことよ。……知ってる。見栄を張るため。これでも商売人よ。商売相手になめられるわけにはいかないの。けれども、一部屋ずつが大きいから遠い…!

「お、遅くなりましたわ…」

 そう言って扉を開けば、ルーファス様は視線だけこちらを見た。

「すまないが、あと五分待ってくれ。きりのいいところまで読みたい」

「もちろんです」

 私はそう言って、ルーファス様と向かいのソファに座る。読書をなさっているルーファス様は、いつもより寡黙な印象が目立つ。ルーファス・アヒム・ダリメルト様。ダリメルト王国の王子様だ。赤みがかった黒髪に、金色の瞳を持つ、魔法が使える人間だ。この国ヴェルトルスでは、技術が発展し魔法が退化していった。しかし、ダリメルトは技術が発展していない代わりに魔法が進化している。ヴェルトルスにはいない魔法使い。ルーファス様にはそのくらいの印象しかない。……シャーロット・グレイス・ホワイトとしては、だが。

 思い出しつつある記憶、ユメキミの情報でいけば、彼は攻略対象者の一人。隣国の第一王子で魔法が使える。技術を学びにヒロインの入学する学園に留学中。学年は第二学年。クールでありながら優しさを持ち、天然である彼は人気キャラの一人だ。頭が良いが、物事を達観してみることが多い。私はローガンしかプレイしていないからよく知らないが、あらすじだけならば分かる。例により他の生徒に雑用を押し付けられているアメリアを助けるヒロイン。ルーファスの指示だというアメリアを救うためルーファスに文句を言いに行く。これが出会い。その後、ルーファスの指示ではないということを理解したヒロインはルーファスに謝りにいく。そこでルーファスからアメリアとの関係を聞かされる。次はデートを何回かしたあとに学園祭になる。その後なんらかの事件が起こる…あらすじはここら辺までしか知らない。プレイしていないからアメリアとの関係も曖昧だ。

「……すまない。手間をかけたな」

 きっちり五分して、ルーファス様が本を閉じる。私はにこりと笑いかけた。

「いえいえ、こちらこそご足労いただきありがとうございます」

「要件はこれだ」

 私が丁寧に頭を下げている途中で、机にバサリと書類の束が置かれる。はっと顔を上げれば市場の売り上げから、流行の変化まで全てが載っている書類があった。昼間、アメリアに頼んだものだ。まさか、もうできていたとは。

「アメリアが指示を受けたはいいが家の場所を知らずにどこに持っていけばいいか分からないと言われてな」

「…わざわざありがとうございます」

 これ、もうルーファス様の名前を使ったことバレてるのですよね。……どうしよう。今更だけど怖くなってきた。

「いや、俺の指示だったのだから構わない」

「……そ、そうですか」

 私はなんとか笑みを返す。怖い怖い怖い。アメリアはルーファス様の指示だと言えば、何でもいうことを聞く少女である。それは学園中で了解している暗黙のルールだ。そして、ルーファス様もそれを黙認している。これはゲームでも一緒。確か「全てが計算のうえでしたことだ」という台詞の入ったスチルを何かで見た覚えが……あ、OPだ。ユメキミのOPでは珍しくないのだけれど、切なげな表情をしていた覚えがある。

 実際にアメリアが生徒に使われているのはよく見る。私がアメリアに頼み事をしたのは今日が初めてだけれど。

「……アメリアの仕事には違いないが、あまりアメリアを困らせてやるな」

「申し訳ありません…」

「いや、分かってくれたのならいい。今日ここに来たのには訳がある」

「は、はい!」

 背筋をびしっと伸ばした。何を言われてもいいように商人モードに切り替える。どんな暴言だろうと耐えられる。この部屋では、私は無敵だ。

「……昨日、さぞ大変だったと思う。俺には何もできないが、君に非がないことは断言しよう」

「え………?」

「こんな時くらい、ゆっくり休めばいいのに、もう仕事を始めるという君の精神にも驚かされた」

「身に余る言葉でございます……」

 優しく労わるように言葉を継げるルーファス様。その瞳は優しさが浮かんでいて。もう泣かないと決めていたのに泣きそうになってしまう。

「こんな時に言うのも酷かもしれないが、君の家からの支援がなくなればヴェルトルスは危なくなってしまう。どうか、ヴェルトルスを途切れさせないでほしい…」

 ルーファス様はそう言って持っていた本の表紙を撫でた。そのタイトルはヴェルトルスの歴史。そんな本を読むを読むほど、ヴェルトルスが好きなのであろうか。私はヴェルトルスの歴史はあまり好きでないのだけれども。ヴェルトルスは則ち戦争の歴史。そこには勝つために磨き上げてきた技術の歴史がある。血生臭い話ばかりなのだ。

「それについては、私の一存ではなんとも言えません」

「そうか……」

 私が極めて冷静に告げれば、ルーファス様は肩を落とした。しゅんと垂れた犬耳が見えるような気がしないでもない。その様子はなんとなく可愛く見えてしまう。美形な男性に、可愛いはどうかと思うけれど。それも、隣国の王子様。

「……ですが、もう別の手を準備しております」

 まだ確実になったわけではないので言うか迷ったのだけれど、上手くいけば話はいい方向に進むだろう。ダリメルトの王子様が手伝ってくださるなら注目度も、私の目的他国との親睦を深めることも達成できる。

「そうなのか?それは?」

 私がなるべく笑顔で言えば、ルーファス様はパァと顔を綻ばせた。嬉しそうな表情に、自分は何もしていないのにこの人に何か与えられるのではと勘違いしそうになる。そうだ、ゲームでも、ルーファス様はそんなキャラだったはず。ローガンルートでも少しだけ出てくるからなんとなくこんな感じかな、くらいの知識でしかないが。

「ここではお話できません。もし、気になるのであれば、ノア…ノア・グリーンという商人を訪ねてみてください」

 精一杯に笑顔を張り付けた。ヴェルトルスの破滅を望んでいるであろう兄たちに聞かれるわけにいかないことだ。その扉の向こうにいるのは知っていますわよ、オーウェン兄様、オリヴァー兄様。

「ふむ。了解した。やはり君を訪ねて正解だった。ダリメルトにも商品を売るのだろう?俺も手伝うから、今度からは俺に言ってほしい。ではまた明日」

「……はい。気を付けてお帰り下さい」

 ルーファス様が出て行くので、見送りのために立ち会がり、ドアを思い切り開け放った。ゴン…と鈍い音がしたが、私もルーファス様も気にせずに通り過ぎた。

 馬車に乗り込むまで見送り、私は今日一番の笑みを浮かべた。

「今日は本当にご足労いただきありがとうございました。それと……労いのお言葉、身に染みました」

「…そうか。それならよかった」

 そう言って、ルーファス様を乗せた馬車はホワイト家から帰って行った。見送ったその背中に、視線が刺さる。私は笑顔を作って振り向いた。

「兄様たち、何をしてらしたの?」

「いや、ルーファス様が尋ねてきたのだろう?今朝から今までの間に隣国の王子にまで商品の取引をしているのかと思って」

 オーウェン兄様がにこやかに笑いながら最後に「杞憂だったみたいだけどね」と言った。その笑みを見てなんとなく察する。たぶん、私が屋敷に到着するまでにルーファス様とオーウェン兄様は何かお話をされていたのだろう。それも、取引に関すること。医療関係はこちらの方が…いや、オーウェン兄様が独占状態。ダリメルトには医学がない。魔法で何とかしてしまうのだそうだ。しかし、魔法そのものが寿命と引き換えに力を手に入れる行為。病気が治っても、そのぶんの寿命は削られている。それを知ったオーウェン兄様はダリメルトに是非近いうちに売り出したいと、もう数年前から言っているのだ。今日、それについて話していたのだろう。これは、ダリメルトへの進出をかけた勝負になりそうだ。

「もちろん、ダリメルトにも売り出す予定ですわ。協力も了承していただけました」

 ならば、先手必勝。少しでも威嚇できればと思ってそうブラフを切ってみる。しかしオーウェン兄様は余裕そうににこりと微笑む。

「へえ、そうなの?」

 オーウェン兄様と私で見つめ合う。睨み合うわけじゃない。しかしその視線では商人としての火花が散っている。ダリメルトへ一番に進出するのは私だ。

 私たちが一歩も引かないでいると、オリヴァー兄様が大袈裟にため息をついから低い声を出す。

「シャーロット、ルーファス様との関係は?」

 その声はピリピリとしていて、オーウェン兄様が息を呑んだ。私も恐る恐るオリヴァー兄様を見れば、眉間にしわが寄っていて、機嫌が悪いことが一瞬で分かった。

「え、えぇっと、ただの……同じ学園に通う学友でございます」

「……それは本当だな?」

「も、もちろんです」

 オーウェン兄様と二人で動けないままそう答える。すると、オリヴァー兄様はまた大きなため息をついた。

「お前は、こんな時間にただの学友を家に呼んだのか」

 そこで、ようやくオリヴァー兄様が言っている意味を理解する。違う。そうではない。決して恋仲などではないのだ。しかし流石に月が覗く時間に人を呼ぶのはよろしくない。まあ、正確には呼んでいないのだが。…つまり、オリヴァー兄様は恋人なのかと聞いているのだ。

「決してオリヴァー兄様の懸念するような関係ではございません。本日の用事は資料の提供でありました」

「……お前がそう言うならそうなのだろうが、世間からの見え方を気にしろ。ただでさえ昨日の件で世間体を気にしなければならない時期なのだ」

「私が浅はかでした。申し訳ございません」

「お前の商売魂は知っているが、今後は関わる人間を選べ。…自分が、傷つかないようにな」

 オリヴァー兄様は最後に切なそうな微笑みを浮かべ、屋敷の中に戻って行った。

「……オリヴァー兄様はシャーロットが心配なんだよ。あんな顔して超絶シスコンだから。しばらくは許してやってね」

 オーウェン兄様もそう言い、颯爽と部屋に歩いて行った。そう言うオーウェン兄様もそれなりにシスコンであるとは思うのだけれども、そんなことを言ってられない。商売に必要なのは報連相。まず、資料を貰ったことをノアに報告しなければならない。キャメロンは…明日訪ねるしかない。平民の彼の家には電話がないのだ。学校から支給されている生徒会連絡用のトランシーバーならあるけれど。それを今使うわけにいかないし、そもそもキャメロンに伝える必要性は皆無だ。形だけ共有する必要はあるけれど。

 私が屋敷に入れば、柱の陰からひょこっとマロンが顔を覗かせた。

「あの…大丈夫でした?」

 臆病な動物みたいで可愛らしい。

「マロン、今日の夕食は要らないと伝えておいてくださる?これから今日のぶんの書類仕事くらいは済ませてしまうから」

「了解しました!」

 部屋に戻るついでに、携帯電話でノアに電話をかける。数コールしたあと、機嫌の悪い声がした。

『なに』

「アメリアから書類を受け取ったわ。詳細は明日でいいわね?」

『…無理。明日は今日動けなかったぶん商会に顔だすつもりだし。シャーロットもでしょ。新しい商会を作るからって自分のを疎かにはできないよ。明後日、生徒会室に集まろう』

「分かったわ。キャメロンも呼んでおいてくれる?」

『そのくらいなら。切って良い?いま忙しいんだよね』

「ええ。ありがとう。おやすみ」

『ん、じゃ』

 ノアがあそこまでピリピリすることは少ない。きっと何かあったのだろう。しかし、商会に関することだったら、私には何もできない。その線引きは小さい頃からお互いに弁えていた。相手が厳しい状況にいたら、容赦なく蹴落とす。ノアとの約束である。助けは求めないし、助けもしない。きっと、ノアと友人でいられるのも、これを守っているからだと思っている。

 まあ、ノアのことはどうでもいいのだ。ノアだし。自分でなんとかできないのならばそれまでだ。私には関係ない。そう割り切って、私は今朝ピックアップした新規のお客様になりそうな方に片っ端から電話をかけていく。

 部屋に戻って椅子に座り電話を掛けながら、取引のリストを制作する。ついでに少しだけ、スイーツについて聞いてみたが、明るい話はなかった。食べた事ないという話も聞けば、高いものだとも。この世界は卵も砂糖も生産ルートが安定していて、そこまでお値段も張らない。では何が問題か。パティシエがいないのだ。ヴェルトルスには一割も存在しない。

 ではなぜパティシエがいないのか。給料が低すぎるから。お菓子自体は高く、買い手がいないからだ。安くすればいいかって?それでは希少価値が下がり過ぎて、供給が追い付かなくなる。そういったしがらみを考えると、パティシエをやる者は圧倒的に少ない。

 そして、昼間のキャメロンを思い出してほしい。ヴェルトルスの平民は給料を基準に仕事を選ぶ。何をしたいという希望はほとんどの人が持っていない。そして給料の不安定なパティシエは選ばれにくい。

 ならば現存のパティシエには悪いが、そのスイーツは高い、という概念からぶっ壊させてもらう。手に職をつければいい。平民の女性が手に職をつけ、スイーツを作れるようになればいいのだ。今まで経済を発展させようとしてこなかったパティシエの落ち度でいいだろう。可哀想?まさか。弱者は蹴落とすものだ。経済争いには、非情さも必要である。発展させたのちに救済措置を考えればいい。この国のパティシエは職人気取りが多いが、作っているものは少ない。そしてその味もあまり良くない。まあ、一度しか食べた事ないけどね。それもローガン様が小さい頃に開かれたお誕生日パーティでのこと。あの時にはあれがとても美味しかった。初めて食べたクリームは滑らかで、フィナンシェは甘く素敵な香りがした。

 だが、前世の記憶をたどれば、そこには可愛らしくふわふわのケーキがある。上手く思い出せないのだが、前世の私はそこそこにスイーツが好きだったのではないだろうか。夢でみただけの客観的な事実だが、傍らにはいつも可愛らしいケーキがあった気がする。

 ……なんて。夢で見ただけ。ゲームのシナリオだって完全に思い出せるわけじゃないのだから、絶対とは言えないのだが。

「問題は誰に講師をお願いするかよね…」

 ヴェルトルスの腕のいい職人が誰かに丁寧に教えるとは思えない。そして高い料金を取られるのがオチであろう。それに、商会として立ち上げるのだから、生産ルートをしっかりしておかねばすぐに潰れる。中々難儀なものだ…。いえ、別にそれならスイーツにしなくてもよかったのではなんて思うかもしれないけれども。爆発的に売れる筋はここしかない。それも、今からも、これからも続くようなものは。今回商会を立ち上げて、すぐに潰してしまうようではあの王子様たちとやっていることは同じだ。なんとかしなければ。やることはいっぱいだ。私はこれからのことを頭で整理しながら書類を読み込んでいく。スケジュールを見ながら調節を…と思い、そこで手が止まった。

「………待って。私としたことが……!」





「ノア!大変よ!」

「……どうしたの?」

 月曜日の朝。日曜のうちにレイラとハンナには連絡を入れてあり、私は一人で学校まで登校した。周りから憐れんだ目で見られたのだが、それを気にする暇もなく、今朝も電話と資料の読み込みに時間を注いでいた。…奇異の目で見られたのはそのせいかもしれない。そうして学校につき、急ぎ生徒会室まで来たのだ。階段を上りながらあの特製クッキーを食べきったので咽そうになったのだが、そんなことはどうだっていい。

「三か月後に何があるか知っているかしら!」

「は?三か月後って……」

「そう!収穫祭!」

「あー…、うん」

 ノアが諦めたようにため息交じりに返事をした。手元の資料にはグリーン商会売り上げ表…とある。隠さないのは珍しいと思って覗き込めば、ここ数ヶ月伸び悩んでいるようだった。甘いわね、ノア。私の商会は右肩上がりなのだ。それもそのはず。学園の男子というのは成長期だ。いっきにぐんと伸びる。つまり、正装で必要なタキシードなどのスーツの類が売れるのなんの。私が地道に校門などで商会のビラを配ったからだろう。学園祭の高等部の注文は全て私の商会が貰ったと言ってもいい。みんなの成長期に合わせてうちの売り上げもぐんと伸びた。

「続きは?って!…ちょっと!マナー違反!」

 私が覗き込んでいることに気が付いたのだろう。ノアが慌てて書類を裏返して睨んできた。

「あら?情報は盗み合うものよ。気が緩んでるんじゃないかしら……って、ノア、その隈はどうしたの?」

 でも、ノアの商会の売り上げが伸び悩んでいるのは普通にしていれば入って来る情報だからノアにとって痛くない情報だと思うのだけれど。なんて考えながらノアを煽るように見れば、ノアの目の下に濃い隈ができあがっているのに気が付いた。髪の毛もボサボサだ。

「は?熊?」

「隈!酷い顔してるわよ」

「……いいよ、今日は商談がないから。それよりも収穫祭がなんだって?」

 私がノアの顔に手を伸ばしかけたら、その手は弾かれた。そして、眼鏡をとって目を擦りながらため息をつく。

「…………」

ため息が多かったのは、商会が伸び悩んでいたから。それはすぐに分かる。けれども、いくら忙しくても身なりはきちんとするノアが、今日に限ってこんな格好をしてくるなんて。

 ノアは、いつも身なりをしっかりとしている。それは商人として舐められないためでもあるし、平民よりも上の立場であることを証明するためだ。ノアの家は使用人がいない。いや、いるにはいるのだ。ノアのお父様の使用人は。ただ、ノアには使用人がいない。ノアのお父様は大臣の仕事をしており家にはいないし、お母様はもう数年も前に他界している。ちょうど、オーウェン兄様の研究が中盤までいったぐらいかしら?……まあそんなわけで、ノアは広い屋敷に一人暮らしをしている。家事全般をこなしながら、いつ父親が帰ってきてもいいように綺麗にしておく、そして商会も繁盛させる。ノアはそれを全て行っている。そんなに忙しくしているはずのノアは、いつも身なりを綺麗に整えているのだ。私が前に一度、取引で大失敗をし、その処理に追われて現場からそのまま徹夜明けで学園に来た時にノアにため息をつきながら「そんな恰好してたら自分は可哀想ですって言ってるようなものだよ」と言われた覚えがある。それにムカついた覚えもある。しかしその後、髪を整えてくれたし、温かい飲み物をくれて幾分私のことを気遣ってくれた。それも「ライバルにそんな恰好されてちゃ、オレまで舐められる」という理由で。

「聞いてるの?聞いてないの?オレ忙しいんだけど」

「……ノア、今日の予定は?」

「予定…?分かんない。商談がないことだけは確かだけど……」

「…そう」

 寝不足なのは見て取れる。会話にもキレがない。しかし、なぜそうなったのかが分からなければ、私は何もできない。

「ノア、伸び悩んでいることがそんなに気がかりなの?」

「……なにそれ、同情?意味分かんない。そりゃ停滞してたらリリアンさんが活躍する前の貴族たちと一緒だけど。オレの商会はそんなんじゃ…」

「マイケルさんにそう言われたのね?」

「……そうだよ」

 ノアはそう言って眼鏡を外して机に突っ伏した。

 マイケル。マイケル・グリーン。ノアのお父様だ。そして私の商売敵である。私の商会ができるまではドレス売買において独占状態だったグリーン商会。それを上位から叩き落としたのは私だ。だからだろう。今でも時々会うと嫌味を言われる。…だが、独占状態を保っていただけはある。人の表情を読み、相手の感情をコントロールするのがとても上手い。そんなマイケルさんだが、近年はノアに商会を預け、大臣の仕事をしている。

「はぁーあ…、まったくオレらしくない。一番のライバルに、自分から言っちゃうとか。ほんと、オレらしくない」

 ノアの声は段々泣きそうになっていく。私はその頭を撫でた。今度は弾かれないので、嫌ではないのだろう。確かに、近年のマイケルさんのノアに対する期待も仕打ちも酷いものだった。商会が一番にならないから、無駄を減らすために使用人を減らす。なんてことをした鬼畜がマイケルさん。ノアはそれでも文句も言わずにやっているのに、何を思っているのかしらね。

「ノアの商会は素晴らしいわ。けれど、私の商会が勝っている。それだけよ。ノアの商会は素晴らしい。自信を持って」

「……その、慰めに現実を突き付けてくるスタイルはなに」

「事実。私の口からは事実しか出ないの」

「嘘つけ。あり得ないね」

 ノアはそう言って、やっと顔を上げた。そして、私を見て皮肉にも笑みを浮かべた。

「らしくないとこ見せたね。けど、オレだってすぐに巻き返すから。……ふぅ、さっさとやることやらないと」

 その横顔は強がっているのが丸わかりで。私は大げさにため息をついて見せる。

「仕方ないわね。私が髪を整えてあげるわ」

「はあ?いいよ。自分でできるし、後でやる」

「貴方が資料を読んでいる間、暇だからやるだけよ」

 私がそう言ってノアの前に昨日ルーファス様からもらった書類を置く。ノアは肩をすくめて見せたけど、私がくしを取り出せば大人しく資料を読み始めた。

「流石ダリメルトだね。ヴェルトルスにはないくらいのお金の回りよう」

「そうね。現在のダリメルトの王様はとてもよい国政をしていらっしゃるわ」

「それにしても、スイーツの市場価値ってもう少し高いものだと思ってた」

「……ノア、それはヴェルトルスだけよ。一歩外に出れば、スイーツは庶民でも食べられるものなんだから」

 現に、私の前世はそういう世界だったのだから。

「そうなんだね。知らなかった。こういうところが、シャーロットとの差なのかな…」

 ノアはそうぼそりと呟いた。きっと数か月もすれば、他国のことに私よりも詳しくなっているに違いない。ノアはそういう子だ。私もまだまだだな。また外国の書籍でも漁ってみようかしらね。そんなことを考えていれば、勢いよく生徒会室の扉が開いた。

「おはよう!」

 元気に挨拶をして入って来るのはキャメロン。その眩しい太陽のような笑顔にノアがダウンして、書類で顔を隠した。

「ん?ノアは体調が悪いのか?」

「違う……」

「そうか。それならいいんだ!それより話ってなんだよ?」

 朝から元気なキャメロンの眩しい笑顔にノアの生気がどんどんなくなっていくようだった。分かるわ、ノア。キャメロンは眩しいもの。

「いえ、そうではないの。ちょっと疲れているだけです。ノア、キャメロンに情報の共有を」

「はいはい。キャメロン、ダリメルトって知ってる?」

「ダリメルト?隣の国だよな?」

「それの話。読んでくれる?」

 ノアはそう言って、資料をキャメロンに渡す。キャメロンは笑顔で受け取った後に段々青くなって、最後にはまた眩しい笑みを浮かべた。

「…………数字が沢山だな!」

「「っはぁあ~~…」」

 そうだった。ノアと二人でやっていたから忘れていたけれど、私もノアもかなりこういうものを見慣れている。しかし、キャメロンは平民の出。当然、こういったものを見る機会などない。

「し、仕方ないだろ!こんなの普段見ないんだから!」

「……そう。だったら話はなくなったよ、キャメロン。書類を貰ったことだけ覚えておいて。一応キャメロンが代表だから」

「お、おう…」

 ノアが怖い顔をして冷たく告げる。キャメロンは頼まれてやってくれているというのに、そんな態度をとってどういうつもりなのか。

「ごめんなさい、キャメロン。ちょっと気が立っているらしくて」

「気にしなくていいよ、二人ともお仕事お疲れ様!」

 キャメロンはそう言ってニカッと笑うと、ノアに書類を返して生徒会室から出て行こうとする。その背に慌てて呼びかけた。

「待ってキャメロン!」

「ん?なに?」

「お願いがあるの。こうやって商会を立ち上げようとしていること、オーウェン兄様たちに言わないでくださいますか」

「ん、了解!そもそもオーウェン様との関わりなんてないしな!じゃ、二人とも夢中になりすぎて授業に遅れるなよ!」

 キャメロンは爽やかに笑って生徒会室を出て行った。私はその後ろ姿を見送ってから、振り返る。ノアはまた机に突っ伏していた。

「…オレ、最低だ。キャメロンは単純にできないだけで、バカじゃないのに」

 自己嫌悪に浸るノア。こうなったノアはもう使い物にならないのでそうそうに処分するのが吉だ。

「キャメロンなら気にしてないわよ」

「オレが気にすむぐっ…」

「あのね、キャメロンが気にしていないのだから忘れなさい。効率が悪いわね。時間の無駄。すなわち損よ。慰める時間が必要なら他を当たって」

 私はそう言って、うちの特性クッキーをノアの口に押し付ける。大人しくそれを食べ始めたノアの髪を整えて、さっとくしをしまった。それよりも、今は話さなければならないことがある。くしと引き換えに私は一枚の紙を取り出した。

「これを見てちょうだい」

「は?」

「これはこれからの行事をまとめた表。一か月後に第二王子婚約者の誕生日、二か月後に十五夜祭、三か月後に収穫祭があるの」

「…うん」

 ノアが落ち込み気味に返事をする。こんな時に可哀想だが、このために集まったのだからノアには聞いてもらうしかない。キャメロンのあの様子を見る限り、もっとしっかり具体的な説明ができるようにしてから、話をしないといけないだろう。当面、キャメロンには自分の役割に徹してもらおう。

「第二王子婚約者の誕生日にスイーツを提供するのは諦めましょう。しかし、十五夜祭は貴族が盛り上がる祭り。ここに合わせて売り出すわ。そして収穫祭はなんといっても平民が主に輝く祭りよ。ここで大きく平民にもスイーツを販売したいの。だから期限は三か月後。それが終わったら、もうチャンスはないと思った方が良い」

 外国への取引開始はその後でいい。まずは国内で有名にならなくてはいけない。それができなかったら、外国との取引なんてできない。そのうえ、戦争を止めるまでに経済を回すのは不可能だ。最終目的は戦争を止めることなんだから。

「……つまり、一か月以内に準備をすべて完了して再来月にはもう動き出すってこと?」

「そういうこと」

「…………分かった。思ったより早いけど、できないわけじゃない。父さんのコネを使えば、一週間もかからずに店を開けるし、十分可能だよ」

「流石ノアね!キャメロンに社員は頼んであるから、次は講師を探さないと」

 私はそう言って、ノアにプリントアウトしたこの国のパティシエ一覧を渡す。昨日あれから苦労して集めた大事な資料だ。この国のパティシエは職人気取りが多く、レシピは公開しない上に修行は皿洗いから。それではとても三か月後に間に合わない。そこで、もし家で雇うならばとちらつかせて、いくらならば良いか聞いたのだ。そうしてレシピが盗めればこちらの勝ち。

「……これ、やめたほうがいいよ」

 私の用意したプリントを見て、ノアがため息まじりにそう言った。

「どうして?雇えば意見くらい聞けるでしょう?」

「ホワイト家に雇われたいパティシエなんていっぱいいる。たぶんホワイト家に雇ってもらえるならってことで値段を控えてある。けど、それだとオーウェンさんやリアムさんにバレる。二人は誤魔化せても、オリヴァーさんには確実にバレる。商会自体が潰されかねないよ。あと、盗まれたとなれば、訴えられるかも。そんなの困るでしょ」

「……そうね。ノアの言う通り。違う方法を探すわ」

 言われてから考えてみれば分かる。昨日は考えが偏っていたのだろう。昨日念頭においていたのは三か月後に間に合うってことだけ。世間体を気にしてみれば、ノアの言う通りリスクが大きい。潰れてはもう取返しが付かない。ゲームで大繁盛しているからって、それは結果にすぎないのだから。商会を長く続かせるためには、過程も大事だ。

「そんな穴だらけの案、シャーロットらしくない。何を焦ってるのか知らないけど、そっちこそちゃんとして。これをまとめた時間が無駄。すなわち損、でしょ」

「…………その通りよ」

「悪いけど、講師探しは頼むよ。オレ、ちょっと緊急でやらなきゃいけないことがあるから。その代わり、場所は探しておく」

「分かったわ」

 ノアはそう言ってプリントを私に押し付けて足早に席を立った。私も慌てて鞄を持って後を追う。

「ちょっと待ってよ」

「なに?」

「こっちを向いて」

「は?」

 振り返ったノアの顔にクリームを塗り込む。ノアがくすぐったそうにするが、お構いなしだ。

「なに、なに?なんなのさっ?」

「隈を隠しているの。可愛い顔をしているのだから、ちゃんとしなさい。…あと、このクリームはうちで開発したの。しわやシミを隠すのにも使えるわ。ノアもひとつどう?」

「オレの感動返せ、金の亡者が!」

 私が新品を見せたら、ノアはケッとそっぽを向いて今度こそ生徒会室から出て行った。その背中は今朝見た時よりも元気そうだから、及第点。私にしてはよくやったわ。さて、授業がそろそろ始まる時間だし、私も教室に行かなければ。昼休みに新しく講師を考えよう。

 そんなことを思いながら廊下に出れば、窓が開いていたのかふわりと湿っぽい風が頬を撫でて行った。私が悲しみに暮れていても、ほら、夏はくるのだから。落ち込んでなんていられない。





「ふんふふん~」

 鼻歌交じりに席を立つ。授業が終わり、昼休みになれば自然と気持ちが上がるものだ。ノアの様子は気になるけれど、私にできることなどない。むしろ、私が近くにいたら弱みなんて見せられないと気を張って、ますます疲れてしまうだろう。ノアの体調が悪かろうが、私は平常通り振る舞うのだ。

まずは食事。最近忙しくてろくに食べられていなかった。講師の件が手詰まりなので、気分転換がてら、学食に行ってみよう。学食のフリー利用券を中等部の頃に買ってもらったのにも関わらず、学食で食事をしたことはほとんどない。そう考えてみると損をしている気がするが、それ以上に大切なことがあったので仕方がないだろう。現に私が今まで昼休みを弁上して働いた結果は私の商会の盛り上がり用で証明されている。私は片付けなければいけない電話だけをしながら廊下に出た。そろそろ電話で片付けられるものもなくなりつつあるので、走り回らなければならないだろう。商人の立場で貴族を呼びつけるわけにもいくまい。ホワイト家は貴族の階級で言えば一番下なのだから。所詮金があるだけの成金だ。下手に出なければならない仕事もある。授業は出ておきたい気がするけれど、商会の方が大事ですし、商会を優先するしかない。…それに、学校にいなければならない時間が減るのは、今の私には少しだけラッキーな話だ。

 授業なんて簡単…とはいかないものの、復習も予習もしなくて上位に入れているのだから、私はそこまで学校で習う勉学というのが苦手ではないのだろうと思う。復習も予習もしていた時があった。うんと小さい頃は勉強を頑張っていたが、今ではそんな時間はとれない。授業でどれだけ頭の中に詰められるかが勝負になっている。まあ、授業中に資料を読んでいることも、それなりにあるけれど…。

 電話をしまって学食にはいる。流石に人の沢山いるところで電話をするほど常識知らずではないつもり。それに、聞かれると困る内容もあるために、なるべく人は避けたいのだ。廊下で電話をしても他の生徒は話に夢中だったけど、学食ではそうもいかない。ノア以外に企業秘密を明かすつもりはないの。

「う~ん…結構種類があるのね…」

 食券売り場の前で止まってしまう。久しぶりに来たからメニューなんて初めて見るのも同然である。気分転換を兼ねているのだし、美味しいものが食べたい。だけどどれが美味しいかなんて分からない。料理の名前を見ればどんな料理かは分かる。が、その味を思い出せるかと言われれば答えはNO。味わって料理を食べるなんてこと、私は数えるほどしかしたことがない。今更だが、なんとひもじい人生だろうか。

 なんてことのない昼休みになんでこんな悲しい気分になっているのだろう。そんなことを思いながら、一番人気!と広告が貼ってあるランチの食券を買う。後ろの人がつっかえていたので申し訳程度に会釈をして引き換えるためのカウンターに向かおうとしたところで、ピリリリと携帯電話が鳴った。

 何か緊急の用事などあったかしら?ノアから場所についての電話かしら?そんな能天気なことを考えていた。

「はい。こちらシャーロット・グレイス・ホワイトです」

『シャーロット様!大変です!』

「マロン、何度も言っているけれども、情報を…」

『マテリアルスリープ商会から先ほど電話があって!』

「え……………?」

 私は学園祭でローガン様とアリス様を見た時以上の、冷水をかけられた気分になった。頭の中は真っ白になり、一瞬で喉がカラカラになった。理解がおくれ、先に冷や汗が噴き出る。手先が冷えていき、携帯電話を落とすまいと握りしめた手が震えていく。

「おーい、なに止まってんだよ」

 そんな声が後ろからして、びくりと肩が跳ねた。先ほど後ろにいた生徒だ。

「ご、ごめ……んんっ、ごめんなさい。お詫びにこれ差し上げますわ」

 困惑した顔をする男子生徒に先ほど買った食券を押し付けた。「は?」と首を傾げた生徒の横をすり抜けて、学食を出た。足早に教室に戻って荷物を取り上げる。

 教卓の辺りに固まっていた女生徒に向かって、あらかじめ時間以外は書いてあった欠席届を半ば押し付けるようにして渡す。

「これ、先生に渡しておいてくださる?」

「え、その…」

「ありがとう。助かるわ」

 生徒が困惑した顔をしたままだったが、そんなのお構いなしで廊下に飛び出た。こんなことをしているから我儘姫と呼ばれるのだろうが、そんなことはどうでもいい。

急いで学園の外に出て、家の方向へ走り出す。しばらく走っていれば、私の馬車がこちらに向かってきて、それに飛び乗った。

「マロン、契約の時の書類は持ってきたわね?」

「もちろんです!」

 息が切れたままそう言えば、飛び乗ってきた私を見て驚いた顔をするマロンが反射で返事をする。しかし、持ってきてくれたのは本当に有難い。

「ありがとう。すぐにこちらにちょうだい」

「あの、休憩をした方が…」

「ちょうだいって言っているでしょう!早く出して!」

「は、はい!」

 マロンがファイリングされた書類を慌てた様子で出す。マロンが私を心配しているのは分かっている。しかしそれに甘んじている場合ではないのだ。

 マテリアルスリープ商会。取引をしている商会の一つだ。ドレスを作る生地を買っている商会で、私が商会を立ち上げた時に一番お世話になった商会。前の代表の人がドレスなどの衣類が好きで、生地の良い使いかたや作るときに気を付けた方が良いことなど、生地についてのいろはを教えて下さった商会だ。その知識は私の商会の土台となり、前の代表は私の恩人の一人だ。

 そんなマテリアルスリープ商会だが、急に取引をやめたいと言い出したのだ。主に二か月で契約、その更新は自動的に行うものとし、契約を解除する場合は契約満了の二か月前までに通知するものとする。つまり、契約をやめたい場合は二か月前までにこちらに連絡をせねばならない。しかし今回は、急に今月いっぱいで契約をやめたいと言い出したのだ。そんな急に言われたところで対応できるわけがない。誰が「はい。分かりました」と言えるものか。

 弊社がマテリアルスリープ商会から買っていた生地は30%。必要数の約三分の一をマテリアルスリープ商会から買っていた。それを急に止められては困ってしまう。立ち上げる時から共にやってきていたのだ。一番長く取引をしている商会であり、一番信用していた商会だ。数年前からお互いに一番の取引相手であり、先代の頃から共にやってきた。

 だからこそ、こんなことになるなんて思ってなかった。契約解除をされる、という考えがなかったのだ。もちろん、取引をしているのだから契約解除はある。十分にあり得る話だ。しかし、それをされるだなんて思ってなかった。私の商会が作るドレスを褒めてくれた初めての人、初めての商会。立ち上げる時にとってもお世話になった商会で、先代の代表とは家族のように笑って泣いて、話し合ってきた商会。

 新しいデザインのドレスを出せば「良いセンスだ」とか「ここを部分的に変えたらもっと良くなる」とか毎度のことアドバイスをくれたような、ずっとずっとお世話になって、一緒に成長してきた商会。一番に買ってくれて「孫にプレゼントするんだよ」と言い笑っていた先代のことを、よく覚えている。私のことも可愛がってくれていて、先代には「もう孫のようなものだ」なんて言ってもらえていたのだ。困っていたとき、どうしようもないような窮地に立たなければならなかった時、必ずどこかで助けてくれた。直接的でなくとも、何度もそれに助けられてきたのだ。

 また、私の商会…『アイリス商会』という。それの名づけ親も先代の代表だ。悩んでいる私に花言葉を教えてくれたのも代表。そして最初のドレスもアイリスがモチーフになるほど、私はその花を気に入っている。

 ……まだ何も返せれていない。助けてもらったぶんを、返せていないのだ。一方的に、与えてもらっただけ。先代に言われたのだ。「まだ幼い新しい代表を助けてくれ」と。「支えてくれ」と。「それが恩を返すということだ」と。そう言われていたのだ。

 こんな一方的に契約解除なんて認められないだろう。私は何もできずに終わるのだろうか。そんなことあってはならない。ホワイト家の家訓は『もてるものこそ、与えなければ』だ。私の商会は『もてるもの』である。それはきっと、自他ともに認める事実であるのに。与える機会すらなくしてしまうのか。

「シャーロット様、着きました」

「ええ。ありがとう、マロン。行ってくるわ」

「いってらっしゃいませ」

 マロンの言葉で顔を上げ、すぐに荷物をまとめて馬車を降りる。商会の本社の前に立ち、深呼吸をした。

 正直に言えば、マテリアルスリープ商会でなくとも生地は買える。一週間もあれば新しい取引を取り付けることもできるだろう。けれども、そうではない。私は、マテリアルスリープ商会と取引をしたいのだ。

「行くわよ…」

 自分にそう言い聞かせ、マテリアルスリープ商会に足を踏み入れた。

 中に入れば、清潔感のあるエントランス。その受付に綺麗な女性がいた。来ている制服は、私の商会が以来を受け、つくったもの。

「アイリス商会のシャーロット・グレイス・ホワイトです」

 社長に取り付けるようにお願いすれば、待合室に通される。一時間ほど待って、マテリアルスリープ商会の現代表、エゼキエル・クラーク。

「わざわざご足労いただきありがとうございます、シャーロット様」

「クラーク様こそ、お時間を頂戴させていただきありがとうございます」

 にこりと笑う彼が、私が座っているのとは反対の席に座る。この一時間、飲み物も出されずにただ待たされていた。

「ご用件を伺おうか」

 そう言って、話は分かっているだろうに。そう思いながらも私は契約書のコピーを机の上に出す。

「今回の契約解除について、でございます。契約を解除する場合、二か月前までに通知、通達するという契約なのですが、今回の件はどういうおつもりでしょうか」

 真っすぐにクラーク様の目を見て真剣に言えば、エゼキエル・クラークは申し訳なさそうに顔を歪めた。

「本当に申し訳ないのだが、契約は解除したい」

「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。流石にこちらも、そうですかとは言えません」

「…ホワイト家が王家との取引をしないと契約を結んだだろう。王家から恨まれることをしている企業との取引は避けたい。うちは君たちの商会ほど、大きくもなければ安定もしていない。圧をかけられれば、簡単に潰れるような商会だ。もちろん、アイリス商会とのと引きはとても大事だ。こちらとしても、損益が大きい。しかし、アイリス商会以外の商会との取引がなくなってしまえば、たちまち潰れてしまう。君との取引はリスクが大きすぎる。そう、判断した」

 エゼキエル・クラークはそう言って、丁寧に頭を下げた。私は慌てて「頭を上げて下さい」と言いつつ、頭の中では王族に逆らうということはこういうことなのかと思い知る。お父様もお母様も兄様たちも清々しい顔をしていたけれど、現実的に見ればこういうことである。国王に逆らった商会が生き残るなんてこと、普通ではありえない。それなりの努力をしなければ、インフレを起こすどころか私の商会が潰れてしまう。今まで一生懸命になっていたこととは他に新たなことを始めたのだ。手が回らないことくらい、予想できる。そして、契約を解除してほしいと言われることも、予想できたはずなのだ。それをしなかったのは、私の落ち度でしかない。きっとみんなはもう対策を練っているのだろう。荒稼ぎをする時期だと言っていたのだ。動いていないはずがない。これが私と父の商会、そして家族みんなの商会との差だろう。上に立つ者が無能だと、こうなるのだ。予想することをサボり、他のことをはじめ、疎かになる。

 巻き返すのには倍の時間がかかるものだ。損益をうけてから利益を上げるのは難しい。利益を上げている中、損益を被ってもなんとかなるもの。

 厳しい状況に立ってから焦っているようでは、先が危ぶまれる。私は未熟過ぎるのだ。

「……確かに、こちらの状況が変わったのは事実です。ですがせめて、次の契約更新の時期まで待っていただけませんか?それでも遅くはないと思うのです。来月まで契約続行という形にしていただけないでしょうか。お願いします」

 それならば王家、王族も難癖を付けれないだろう。早急に契約解除に向かって動いた事実があるのだから。今度は私が頭を下げる。すると、エゼキエル・クラークは重むろに口を開いた。

「君のお兄さん、オーウェンさんの商会と取引を予定していた商会が、急に王家に買い取られ、契約が白紙になったのを知っているかい?」

「え…?」

「ホワイト家がした契約の王家、王族と取引をしないというのを逆手にとった嫌がらせだ。マテリアルスリープが王家に買い取られれば契約はたちまち白紙になる。そうなってしまえば、違約金すら払われない。今ならまだ、違約金を払うことができる。きっちりけじめを付けられるんだ」

 そう言って、エゼキエル・クラークは切なそうに笑う。その笑みが意味するのは、マテリアルスリープ商会の今後。マテリアルスリープ商会は、近いうちに王家または王族に買収されるのだろう。

 それを逃れるためには、王家または王族に属さないこと、ホワイト家に属する商会のいずれとも取引をしないこと、あくまで中立の立場であることを示すほかない。

「……いえ、違約金はいりません。今までマテリアルスリープ商会にはお世話になりました。今回のことは、私の家が原因のもの。こちらの責任で…」

「君は、商会のトップだ。世間体も大事だし、商会同士の信頼関係も大事。だが、トップはいつも部下のことを思わなければならない。君がよくても、給料がきっちり払われても、納得できない者を出してはならないんだよ。今回の件は、こちらがもっと大きな商会であれば、結果は違っただろうから。こちらが至らないばかりに申し訳ない」

 そう言ったエゼキエル・クラークの悲しげな目を、きっと私は忘れないだろう。

 その後、契約違反、違約金の話をした。その時間、私もエゼキエル・クラークも言葉が少なかったように思う。ただ、私が悲しくなっただけなのかもしれないけれども。

 そして、次の仕入れで、マテリアルスリープ商会との取引は終わることになった。今までよりも多く、必要数を買い占めたいと言えば、エゼキエル・クラークはにこりと笑って「大丈夫だよ。ありがとう」と言ってくれた。沢山の布を売るとなれば大変にもなるはずなのに、そう笑ってくれたこと。やはり、クラーク家には昔からずっと頭が上がらないな、と。そんなことを思ってしまった。最後にエゼキエル・クラークが「僕も父も娘も、君のドレスのファンだ。これからも買わせておくれ」と言って下さったのが、とても嬉しかった。

「お帰りなさいませ」

 馬車に戻ればマロンが心配そうな顔をして、私を待っていた。そこで、泣きそうになってしまう。私は、何もできないままだ。恩も返せなければ、大きな商会を持っているというのに周りを守ることもできない。

「シャーロット様?」

「…大丈夫よ。急いでやらなければならないことができたの。このまま商会へ向かってくれる?」

「はい。わかりました」

 マロンがそう言って、何かを考えるように下を向く。私は学校へ連絡を入れた。休校の連絡。しばらくは学校に行っている暇などないだろう。すぐに商会の本部へ向かわなくてはならない。

 最近大きな嫌なことがあったせいで、考えるのを放棄していたのかもしれない。もしくは、商会が安定していたから調子に乗っていたのかも。どちらにせよ、私がやるべきことをやらなかったことには変わらない。

 これから商会へ向かい、営業部の者…日頃、商品の売り込みをしている者たちに声をかけなくてはならない。すぐに新しい仕入先を確保しなければ、ドレス部の仕事を止めなければならなくなる。そんなことがあっては赤字になってしまう上に、いま予約されているドレスの納入が間に合わなくなってしまうだろう。そうなれば違約金発生、つまり損だ。リストラするような事態になれば、インフレーションを起こすなど夢のまた夢。

「マロン」

「はい」

「ありがとう。先ほど、心配してくれて」

 私がそう言えば、マロンは幸せそうな顔をして「いえ、お礼を言われるようなことではございません」と言った。マロンのその言葉に毎度のこと甘えてしまう私がいる。本当に感謝しているのだ。

 これから、取引をやめたいと言う企業が続出するだろう。しかし、国外を見ればそこには取引をしたいという企業が山ほどある。長い目で見れば、今は移行期間となるのだろう。周りから見れば、婚約破棄に腹を立てた元婚約者が腹いせに国内の企業を切り捨て国外と取引をするようになった、となるのだ。それで結構。私の商会と関わったから他の商会が潰れた、なんてことあってはならないのだから。それで職を追われた人間がいるなんて、後味が悪いだろう。どうせ、ホワイト家からは見捨てられた国なのだから。自分が何の損益もなく指を指して笑うくらいが丁度いい。その方が、美しくて綺麗だ。

 さて、ノアとの約束の講師を探さなければならないのはもちろんだけど、それ以上にこの二週間以内に新しい取引先を決めておかなければ私の商会が潰れてしまう。早急に決めて、すぐに講師探しに戻らなければ。


 しばらく馬車を走らせ、私は森林の少し入ったところにあるアイリス商会の本部を訪れていた。どうしてここに本部を構えたのかと言えば、案外私の家から近いのと、土地が取りやすかったからだ。交通の便も、木こり達が昔から使っている道というものがあり、かなり良い。道がしっかり整備されているし、馬車も通れる道がある。本部の管理をしつつ、新しい商品の研究、休憩スペースや仮眠室など大きな場所が必要だったから、木を伐採して更地になっていた場所を買い取って本部を構えたのだ。すぐに木を売るためという理由なのか、街への道もある。昔の人は良い事をしてくれる。美味しいところだけを貰った形だ。道を作ってくれた先人たちには感謝しかない。

 マロンに周りに気を付けながら待つよう告げ、私は本部の中に入った。オリヴァー兄様の商会に頼んで建築してもらったこの建物は、最新の技術がふんだんに使われているらしい。私は建物のことはよく知らない。ただ、設立にかかったお金はバカにならないものだと、書類上で知った。これでも家族ということで割引されているのだとオリヴァー兄様に言われた時には普段はどんな仕事を行っているのだろうと、そんなことを考えたものだ。

「各部長に連絡をしてくれる?すぐに会議室に集まってほしいの」

 受付嬢にそう言えば、驚いた顔をされた。少なくとも社長という立場の私に向かってそのような態度では先が知れる。もっと自分を売り込むようにしなければ、昇格することはできない。ここには一流を集めたつもりだったのだが、まだ指導が足りなかったのだろうか。彼女はどこの出だったか、誰の推薦で本部に呼んだのだったか。そんなことを頭の片隅で考えつつ、社長室にあたる部屋に飛び込む。

「シャ、シャーロット?」

「取引先についての資料と、今から作る資料を営業部の人数分コピーしてちょうだい」

 私が入れば突然の来訪に驚いたような顔をする人物がいる。彼はパーカー・ルイス。とてもネガティブな私の秘書だ。墨のように黒い髪に、蜂蜜のような色の瞳をしている。徹夜明けなのか暗い顔をしていた。綺麗な目をしているのに、死んだ魚の目をしているように見えるのだから不思議だ。口を開けば「こんな仕事やめてやる」「何で俺はこんなに働いているのだろう」「絶対にやめる。明日やめる」「こんな会社はブラックだ!」「いつか訴えてやる」などなど、人聞きの悪い言葉がわんさか出てくる。普段は私の代わりに本部に居座り書類仕事とスケジュール管理、本部の運営をしている。緊急でない時は彼と共に動くことが多い。

私よりもいくらも年上で、私が商会を立ち上げる時にお世話になった弁護士である。その彼が事務所を追われたところを秘書として雇った。非常に私に都合の良いタイミングで事務所を追われた彼だが、前に何かやらかしたことがありそれが表に出てきて責任を取り辞職…だったらしい。何かをやらかしたそうだが、それはまだ教えてもらっていない。私の耳まで入ってこないということは、そこまで大きなことでないのだろうとは思うのだが。それを思ったから雇ったわけでもある。

彼とは非常に良いビジネスライクをしており、お互いに平等な立場である。もちろん、私が立場上は上であり、指示をするのだが。彼の意見はしっかり練り込まれているので聞く価値があるのだ。私の商会に欠かせない人物でもある。私と同じくらいこの商会の内実を知っているため、失えないのだ。辞めると言いつつも辞めてないし、仕事に見合った給料は出しているし、弁護士だったのだから訴えようと思えばいくらでもできるというのにしないのだから、変わった人だとも思っているのだが。

「シャーロット、そんなに急いで何かあったんです?」

「そうね。何かあったのかと言われればかなり大きなことがあったわよ。私の婚約破棄」

「それは…、」

 私が言えばパーカーは視線を下げる。申し訳なさそうな顔をしているが、その手は止まっていない。さくさくとコピーをし、プリントをまとめていく。その手際の良さには毎度のこと目を見張るものがある。

「それに伴う、企業の在り方。私がしなければいけないことをしていなかったの。出遅れた分、取り返すわよ」

 私が言えば、パーカーは手帳を取り出し、それを睨むように見つめた。手帳になんの恨みがあるのだろうかというほど、彼の顔は怖かった。ペンを取り出し、ぶつぶつと何か呟きながらページをめくる。

「出遅れたとは…?今年の売り上げはグリーン商会にかなり差をつけておりますし、目標だったお父様の商会へも追いついたのでしょう?やっと落ち着いてくると思ったのに。休日がもらえると思ったのに」

「休日はあるでしょう。人聞きの悪いことを言わないで。あと、これもコピーして」

「分かりましたよ……二週間に二日とか、ブラックにも程がある…」

「私も同じよ。そもそも雇う時にそういう手続きをしたはずよ」

 さっさと資料を作り終え、今までの売り上げや今年の方針のまとめてある資料を確認しながら私が言えば、パーカーは大げさにため息をつく。

「よく考えてみてくださいよ。毎日残業、残業、家に帰る暇もなく、会社内でシャワーを浴び仮眠室で眠り、朝になればまた働く。家にもろくに帰れない。日に日にストレスは溜まり、疲れは溜まり、肩こりは酷くなり、足はむくむ。そんな十二日間の疲れが、二日でとれると思います?」

「残業代は出しているでしょう?ボーナスだって弾んでいるし、貴方は十分に裕福なはずよ。そんなことを言ってないで貴方はそろそろ貯まりに貯まった有給休暇を使ったらどうかしら?」

「こんな忙しいのに有給なんて使えるわけない…。それとシャーロット、お金は使う暇がなかったらただの数字に過ぎないんです。お金がある=幸せではないんだ…」

「はいはい、何回も聞いたわよ、それ。無理矢理休みを与えても会社に来るくせに、そんなに人聞きの悪いことを言わないの」

 私が言い聞かせるように言えば、パーカーは「だって自然と足が会社に向くんだもん…」などと可愛くもない中年の男性の愚痴をこぼしていた。休ませようとしても会社に来る。有給休暇は使わない。ミスがあったわけでも、急ぎの仕事があるわけでもないというのに。そんな人の愚痴など聞く気にもならない。自分で自分を休ませようとしないから休めないのだ。まずは家に帰り、しっかり夜ご飯を食べるところから意識してみるといい。その後、歯磨きをして温かくしてベッドに入る。それを意識するだけで生活は変わる。今までの自分がおかしかったのだと気が付ければ、万々歳。

 そもそも、二週間に二日休みがあるから一週間に一度にするか、十二日間に二日休むかどちらか選んでいいと言ってあるのだ。工夫すれば四連休だってできるのに。

「さて、こんなくだらない話なんてやめて、そろそろ会議室に行くわよ」

「はい。分かりましたよ…。資料は重いので半分持ってくださいね」

「待ちなさい。私の方が多いように見えるのだけれど」

「シャーロットは若いんだからいいでしょう…。おじさんを労わってくださいよ」

「せめて、形だけでも謝りなさいよ…。仕方ないわね」

 そんな軽口を叩きながら、私たちは山になった会議の資料と営業部への資料を持って会議室に向かう。緊急の呼び出しのため、みんな焦っているのだろう。遠くから喧騒が…

「黙れこのモジャモジャ!」

「煩いモップ!」

「二人とも煩いなあ!ちょっとくらい静かにしてよ!バーカ!バカバカ!」

「なんでこんな場所に勤めてるんだろう…死にたい…なんでだ……」

 会議室から聞こえてくる声に、気が遠くなる。隣でパーカーが「うちの会社は動物園…」などと呟いていたが、本当にその通りだと思う。

 両手を塞がれてたままのパーカーが器用に開けた扉から中に入れば、一瞬で声が静まった。きっとパーカーの顔が怖かったのだろう。

「騒がないでちょうだい、みんな。品位が損なわれるわ」

 私が資料を配りながらそう言えば、パーカーが「損なわれる品位があったのか…」などと言う。その言葉に大きく頷いた者が数名。そうだそうだと声を上げた者が数名。それ以外は机に突っ伏しているから、もうこの商会は終わりだと思う。なんてやる気がないんだ。一瞬で動物園に戻った会議室で、私はため息をついた。私はなぜ実力ばかりで人間性を見てこなかったのかしら…。昔の自分に物申したい気分だ。

「本日は私の私事ではありますが、王家、王族と取引をしないということについての話があります!」

 煩い会議室でそう叫ぶように言えば、すぐに横やりが入る。

「そんなこと知ってるから!この前聞いた!こんなことのために呼び出したの!?」

「それが話って分かってたら来なかった!」

「二人とも社長が言ってるのにうるっさい!黙れ!バカ!」

「ううぅ…なんでみんな叫ぶんだ……怖い…なんでこんな場所にいるんだろう…場違い感が………」

 みんなバラバラに言うが、本質的なことは同じことを言っている。簡単に訳せば『同じこと言ってんなよバーカ』だ。

 確かに、もう王家、王族との取引を今後一切しないということはパーカーを通して説明した。いやもうその日のうちに私の母から連絡があり、そのままパーカーがみんなを集めて話したそうだ。パーカーの独断で行った事だが、それにはとても助かっている。助かっているのは事実だが…。どうしてこんなに反感を買うような説明をしたのだろうか。いや彼らが攻撃的なのはいつものことと言えばそうなのだが。

「話くらいきちんと最後まで聞きなさい!今回はそれに基づく取引先の変更についてよ!」

「……は?」

 そう声を上げたのはどこの誰でもなく、ただ横に立っていたパーカーだった。その手で持っていたであろうペンが会議室の机に落とされカランと音を立てた後、部屋の中心に向かって転がり落ちていった。ペンを取るには机をどかさなくてはならないという最悪の事態だが、パーカーの勝手な行動なので気にしなくていいだろう。

 パーカーが間抜けな声を出したことによって静まり返った会議室で、私は配布した資料の一ページ目を見せる。

「いいかしら、今年の大まかなスケジュールと取引先の一覧、売り上げの一覧よ。その予定が大きく変更されるわ。国内の企業はどれも取引が不可能になると思ってちょうだい」

 私が言い切れば、ドレス部と製作部がパッと顔を上げた。

「なんそれぇ!あり得ないんだけど!そこは営業部の仕事でしょう!ちゃんとやってよ!」

 癇癪を起して抗議しだしたのはドレス部の、先ほどから一番に声を上げている戸籍上は男性の、美しい女性、イヴだ。カスタードクリームのような優しい色の髪に空色のメッシュを入れている。瞳はミントのような色をしていて、爽やかだ。長い髪を一つにまとめている女性で、綺麗な髪、声をしている。私よりも女子力があり、化粧品開発部ととても仲が良い。彼女はウチのドレス部の一番のデザイナーで、パタンナーの仕事もできるという万能。商会を立ち上げた時から共にやってきた一人だ。今はデザインの仕事をしながらドレス部のまとめ役をこなしている。彼女がいなかったら私の商会はここまで大きくなっていない。

「うるせーな!じじいが!俺らだって急にキャンセルされたりして対応に追われてんだよ!」

「それをなんとかするのが仕事だって言ってるの!」

 そのイヴに言い返したのは営業部のエマ。青紫の髪と瞳の可愛らしい見た目をしており、私よりも少し背が低い。私の四つ年上の男児である。ショートカットの髪をサラリと揺らしながら暴言を吐くので、ミスマッチがとても酷い。性格に難ありの営業部のまとめ役。時に可愛らしい見た目を利用し、時に言葉巧みに相手を流し、時にヤクザのように契約を取り付けてくるという、ノアよりも腹黒く、底が見えない。営業部のエースでもある。そして彼も、私が商会を立ち上げる時から共にやってきたうちの一人である。彼は身内でもなんでもなく、筆記と面接を経てこの商会に就職した人間だ。イヴが何故か商会を立ち上げた時から、なにかと面倒を見ていたからか、二人は気心知れた仲である。

 まあ、会議中に暴言を吐いていい理由にはならないが。

「二人とも、話を聞いていたの?私の婚約破棄の時にホワイト家が勝手に決めた契約のせいで、こうなっているの。私の諸事情だと言っているでしょう!それよりも、対策を練るわよ。パーカー」

「はいはい、どうぞ」

 私が声を掛けると、しばらく放心していたパーカーが新しいプリントを配る。

「それに最低限必要なものを書いて今日中に営業部に提出ね。営業部はそれをこなせる企業を探して契約を取り付けてきてちょうだい。二日後にはもう発つから。馬車も、人手もエマが決めて良いわ。質問は?」

 パーカーが配り終えたのを見計らってそう声を掛ければ、会議室に集められていた部長らからちらほら手が上がる。

「はい、ドレス部」

「あのねえ、今日中ってどういうつもりよ?いま何時だと思ってるの?」

「時計なら貴女の真後ろにあるからそれを見てちょうだい。時間は厳守よ。厳しい事を言うけれど、遅れれば遅れるほど運営が傾いていくわ。イヴ、貴女ならできるでしょう?」

「それは…できるけど……」

 私が一口でまくし立てれば、イヴは怯んだような顔をする。そして最後の言葉が聞いたのか、イヴは視線を下げて語尾をすぼめた。こうなれば言いくるめられたも同然だ。

「だったら問題ないわね。はい次」

「二日後には発つって、今の仕事はどうするつもり」

「営業部の人数を忘れたの?できるわよ。あと、今日はパーカーを貸し出してあげるから終わらせて」

 次にこちらを睨んできたエマにそう言えば、エマは肩をすくめて「仕方ないな。分かったよ」と言った。パーカーは私の隣で「え、は、嘘でしょ…」と肩を落としていた。

「次、化粧品開発部」

「私たちの研究には特に支障がないように思えるのだけれど、これからどうなるのかな?何かあるなら、対策を今の内に聞いておきたい」

「それなら、先ほど配った資料の中にあるからそれを見ておいて。その上で質問があるなら、受け付けるわ。今日の集まりはこのプリントの配布とその資料を配布だから、対策を練りたいのだったら二日後にパーカーにお願い」

「了解した」

 化粧開発部の部長、アダム。短髪の髪をサラリと揺らす女性。男勝りなところがあるが、れっきとした女性だ。常識人でしっかり者だが、目的のためなら手段を選ばないところがある。オーウェン兄様の商会で働いていたのだが、二年前に辞めたという研究員だ。それから独自で化粧品を開発していたそうだが、上手くいかなくなってしまったという。「お金と器具がそろっていれば研究ができるのに」という彼の願いと私の「腕のいい研究員が欲しい」という願いの利害が一致した結果、一年ほど前にうちに入ってきたのだ。この会議室の中では新入りであるが、まとめ役をしながら研究を進めているだけあり、とても仕事が早く頭のキレもいい。たまにバカなところがあるが、それはまた別の機会にしよう。

 その後もいくつか質問を片付け、会議室を後にする。みんなが小走りで自分の部署に戻って行く姿を見届け、なんとなく商会を立ち上げてすぐのことを思い出していた。あの頃はまだまだ私も未熟で出遅れることなんてしょっちゅうで、それを彼らが手を焼きながら補い、自分の仕事をこなしてくれたのだ。また、私が迷惑をかけたっていうのに、全く私を責めない所も、変わっていない。責任はどうなっているんだと責めてくれても良かったのに。頭を下げる覚悟くらい、してある。まだ数年前なのに、凄く懐かしい。

「シャーロット、止まってないで仕事しますよ」

「パーカーは営業部の手伝いではないの?」

「営業部はいまからしばらくは自分らの仕事をさっさと片付けて報告書に備えるって言っていましたよ…。ああ、あの腹黒のところには行きたくない……」

「パーカー、その時にこれも持っていってくれる?」

「へ…?」

 パーカーの眼の前に、私はこの間ルーファス様からいただいた資料を見せる。ダリメルトの重役しか知らないであろう『市場について、売り上げについて』を私が独自に分析し、『取引の傾向』を弾き出しまとめたものだ。

「私もめぼしいところを別の方向からアプローチしてみるわ。いいかしら?」

「……シャーロット、こんな資料どこで手に入れたんですか。違法すれすれですよ」

「すれすれでしょ。違法ではないなら結構。入手経路は秘密よ。お友達との約束なの」

 ……厳密にアメリアは友達でもない、ただの知り合い程度だが。私が社長室にあたる部屋に向かって歩き出せば、後ろからパーカーの「うわ、シャーロットとお友達なんて物好きな…」という声が聞こえてきた。…ふむ、次のボーナスの10%を他に割り当ててしまおうか。それとも、パーカーでもできる私の仕事を投げてしまおうか。パーカーになら安心して頼められる上に、私は空いた時間でキャメロンの商会のことができる。戦争を起こさないためなのだから、巡り巡ってパーカーのためにもなるわ!ぴったり!……なんて、これ以上パーカーに仕事を任せたら流石に可哀想だ。今でさえ手一杯なのに。いや、手一杯なのは私も同じだけれど。

「シャーロットー、さっきから何を考えているんです?」

「あら、どうして何かを考えているだなんて思ったの?」

「いつもより歩くのが少しだけ遅いです。あれ、もとからこんなにノロマでしたっけ?あー…なんかそんな気がしてきました」

「貴方いつも思うのだけれど、失礼すぎないかしら?」

「え、そうです?」

 あれぇ?と首を傾げるパーカーのわざとらしさったらない。私のほうが年下だからと今まで失礼な物言いはできる限り聞き逃していたけれども、あくまでも私が社長である。私の方が上の立場である。少しは敬うということをしたらどうなのかしら、この秘書は!

「自覚があるのにそんな顔しないの。ちょっと、商会を立ち上げた時のことを思い出していただけよ」

「へえ。まだイヴとシャーロットが二人だった時の話?」

 パーカーは私の隣に並んで、手ぶらになった手に会議室の鍵を引っ掻けて少しだけ煽るように目を細めニヤリと笑った。その笑みに、なんだか安心してしまう自分がいて。ドレス部の停止が迫っているというのに、暢気だなとぼんやり思う。

「そんなに前ではなくて。ここに本部を建ててすぐの時にもこんなことがあったじゃない?」

「えー…?もうこんなことあり過ぎていちいち覚えてらんないですって。ほら、そんなこと思い出してる暇なんてないですからね。仕事しますよ」

「ええ、分かっているわ」

 私が肩の力を抜いて笑えば、仕方なさそうな顔をしたパーカーが足を速めた。それに追いつきながら、自分は緊張していたのだなと思う。パーカーにはそれが見抜かれていたのだろう。なんだかんだ、彼は私よりも大人だなと思うことがある。

 さて、自分も自分のやるべきことを片付けなければ。目の前のことだけに精一杯になっていられる立場ではないのだから。


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