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第一話 結構ちゃんと愛してました

「シャーロット様!いかがなさったのですか、その隈は!」

 今朝、私を起こしに来た侍女マロンが絶叫をあげた。

「昨日、全然眠れなくて……。耳元で叫ばないで………」

「シャーロット様!今日は学園祭ですからと張り切っていたではありませんか」

「そうね。そう記憶しているわ…。分かっているからそう大きな声を出さないで…」

 寝起きの頭に元気な声は響く。マロンはそれでも改める様子なく大騒ぎをして、朝からエネルギーを使いすぎ!と少しずれた内容で駆けつけた母に怒られた。

「自己管理くらいなさい。貴方はもう社会では一人の大人なのですから。もし大事な商談があった場合…」

「申し訳ありませんがお母様…その話は、また今度で…」

「そうね。今する話ではなかったわ。マロン、シャーロットを頼むわね。私は今日、外せない商談があるからもう行くわ。朝食も済ませたと伝えておいて…それから」

 母の長い連絡事項を私は枕元に置いてあるメモに書き綴る。母が去って行ってから目を回しているマロンにそのメモを渡した。

「メモはしておいたからよろしくね。私も準備が終わり次第学園に向かうから朝食は携帯できるものでお願い」

「はっ、はい!」

 マロンが部屋から出て行ってから、私はふわふわのベッドから起き上がった。髪を掻き上げて、ため息をつく。大丈夫。私には、居場所がたくさんあるから。一つを失っても生きていける。ただ、悲しいだけ。ええ、大丈夫だわ。

 鏡の前にいた私はいつも通りだった。いや、いつもよりも少しだけボロボロになっていたけれども。綺麗な薄緑で若葉ような色をした長い髪、黒みがかった赤い瞳、手足は長くスタイルは良い。整った顔立ちをした自分に笑ってしまう。こんな裕福な場所に身を置いておきながら目の下に隈を作っているだなんて。こんな私よりも、ヒロインの方が王子様にはお似合いかもね?勉強していた政策についてももう忘れてしまいましょう。必要ないのだから。政治と商売は全然違う。似合わない事をしなくて済みますわ。

 自分を慰めて、制服を着る。髪を整えて化粧をして、身なりを整え荷物を手早く取り上げる。資料を読み込みながら部屋を出た。

「シャーロット、もう行くのか?」

「あら、オーウェン兄様。おはようございます。今日は学園祭なのでもう出ようかと」

 軽やかな足音とハイトーンな声。振り返ればそこにホワイト家の三男、オーウェン兄様がいた。私と同じ薄緑の髪を高い位置でまとめ、シュッとした目にキリリとした眉、柔らかい笑みを浮かべた、私にとってはローガンよりよっぽど王子様に見える兄だ。彼は学園の高等部三年生。ローガンと同い年だ。私の二つ上である。

「そうか。ローガン様が昨日訪ねてきた件と関係があるのか?」

 オーウェン兄様が眉を寄せた。実は、爪の甘いローガンが助けを求めて私を訪ねてくることはこれまでにも何度もあり、私はその度に走り回って対処したものだ。ローガンにとって私は都合の良い女だったのかもしれない。しかし、昨日の件は違う。私にパーティに来るように念を押しに来ただけだ。オーウェン兄様はそんなローガンのことを嫌っている。自分のことくらい自分で対処しろ、子どもではないのだ、と前に誰もいない部屋で零していた。妹のことを見守って心配までしてくれる優しい兄だ。私はオーウェン兄様を安心させるためにできるだけの幸せそうな笑みを張り付けた。

「いいえ、関係ございません。念には念を入れて早めに現地に入って何事にも対応できるようにせねばなりませんから」

 もちろん、これは普段から心がけていることだ。商人として、それは当たり前。臨機応変に何事も対処できるようにする。私にはその力があるのだから。そして、それをせねばならない立場の人間だから。

 私が言えば、オーウェン兄様は安心したような優しい笑みを浮かべる。

「それは良い心がけだな。僕は商談の影響で遅れていくから、僕の分まで学園祭を楽しんで…って言ってもシャーロットは生徒会の仕事があるのか」

「はい。けれども、見回りをしながら楽しませていただきます」

「ああ、お仕事お疲れ様」

「オーウェン兄様こそ、お勤めご苦労様です」

 玄関ロビーで別れる。マロンがお弁当と手作りのクッキーを渡してくれる。このクッキーこそが朝ごはん。フルーツやカロリーの高い小麦などでつくられているうちで愛用のクッキーだ。とても美味しいが、そんなことではない。これを食べるとモチベーションが下がらないから愛用されているのだ。

「シャーロット様、こちら、今朝届いた資料でございます」

「ありがとう」

「それと、本日の予定ですが――」

 予定を再確認して、マロンを下げる。自分で扉を開けて庭に出た。効率ばかりを気にする父の影響で庭は屋敷の奥にあり、正面には少々の草花しかない。私はその花を見ながら門をくぐった。すぐそこにいた女性がパァと顔を輝かせた。

「シャーロット!おはよう!」

「ええ、おはようございます、レイラ」

 にこにこと私に抱き着いて来たのはレイラ・スペンサー。私の親友の一人であり、可愛いものが好きという女性らしい子だ。レイラは由緒正しき貴族の一人。私と同い年だ。ミルクのように白いふわふわの髪を巻いていて、黄色い瞳をしている。流行に敏感で、情報に詳しい上に成績も良く、頭の回転はピカイチ。

「レイラ、抱き着くのはどうかと思う」

「貴女もいたのね、ハンナ」

 彼女はハンナ・アンダーソン。私の親友の一人。黒髪で黒い目をした女性。スラリとした体形で、武家の一員だ。彼女の家は代々王家に使えるのだ。私がローガンと婚約してからハンナは私を守ってくれるようになった。もちろん、今はそれだけではないと信じているけれども。アンダーソン家は、次男の兄の憧れでもある。

「ああ、おはよう、シャーロット。今日も美しいな」

「ふふ、それレイラにも言ったのでしょう?」

「ん?もちろん。レイラは可愛らしいからな」

 ふわりと笑うと男性に負けないくらいかっこいい。もう慣れたけど、慣れない頃はいちいちドキドキしてたものだ。

「二人とも早いわね」

「待ちきれなかったの!何と言っても今日は学園祭!可愛いものがいっぱいあるから楽しみで眠れなかったわ!」

「この話、今朝からもう二桁は聞いてるんだよ」

 呆れ顔をするハンナ。そんなことを言って、面倒見のいいハンナは呆れるなんてことはない。なんだかんだ言って、ハンナはレイラや私の味方でいてくれる。それも、今日までか。

 学園に向かいながら、そんなことを思った。馬車とかで行くと思った?国のなんとかの法律で学園へは緊急のことがない限り馬車を使う事は禁止されている。今でこそ、学園もののゲームだったからかと思うが、昔は意味が分からなかった。これも、もう慣れてしまったけど。

「ねえ、二人とも」

「ん?なぁに?」

「どうした?」

 私が足を止めれば、二人も足を止めて振り返ってくれた。柔らかく微笑みかけてくれる二人の笑顔を見て、開きかけていた口を閉じてしまう。『もし私がローガンの婚約者でなくなっても友達でいてくれる?』なんて。そんなの聞けない。それで友達でいてくれないなら、それまでの関係だった。そう割り切れないのは、効率が悪いわね。心の中で自嘲しながら、笑みを張り付ける。

「ううん。何でもないわ」

「シャーロットがそんなことを言うなんて珍しいな」

「も~、乙女にはそういう時があるのよ!ね!」

 ハンナが不思議そうな顔をしたが、レイラが私を庇って笑う。腕を組んで笑うレイラ。その温かさが嬉しくって。泣きそうになってしまった。驚いた二人がハンカチを差し出してきて、私は慌ててそれを隠した。まだまだ心配そうにしていたけれども、校門につけば二人はいつも通りに接してくれた。そんな二人が有難い。

「じゃあまた後で」

「絶対に一緒に回るよ!約束!」

 二人はそう言って校舎に入って行った。私といえば、これから生徒会室に向かって生徒会の仕事がある。一般生徒は出席を確認してすぐに学園祭を回ることになる。生徒会は膨大な仕事があるのだ。見回りをして、それぞれのクラスに得点をつけ、売り上げランキングなどを放送し、来賓の方々の案内まである。見回り以外全てローガン様の安請け合いに乗っかっただけの他の人の仕事である。得点を付けるのは実行委員の仕事、放送は放送委員の仕事、来賓の案内はそもそも生徒の仕事ではない。教師の仕事である。教師が「仕事が多い…」などと愚痴をこぼした現場に偶然居合わせたローガン様が「ではこちらで引き受けよう」と安請け合いをしたのだ。もちろん、報酬などない。そして生徒会の仕事はここまで多く大きくなってしまったのだ。

 そして私の個人的なものだけれども、至急連絡をしなければならないものがいくつかある。資料を読み込み、確認し、それを連絡せねばならないのだ。私の仕事だから文句など言えないのだが、それでも見回りだけならこれも簡単に済ませられたはずである。

 携帯電話を使い連絡をしながら廊下を急ぎ足で歩く。これから生徒会室に資料を取りに行き、見回りの支度だ。その全てのクラスが問題なく進んでいたら、それでいいのだけれど進んでいなかった場合、来賓客の案内ルートを変更、連絡、そのあと来賓客の出迎えがある。朝のうちに案内交代の確認をしておかないといけないから、ルートを変更した場合は気を付けないと。こういう時の連絡が何より大事なのだ。私はそんなことを思いながら頭の中で物事を整理していく。

 電話を済ませた時だった。生徒会室へ向かう階段の途中、ローガン様が見えた。

「ローガンさ……」

 挨拶をと思いかけて、言葉を飲み込んだ。ローガン様と女性がキスをしていたのだ。白昼堂々、廊下の真ん中で。一般生徒は教室にいていないから人目はないけれども、そんなまさか。王子ともあろう人が、そんな浅はかな。それ以上に、キスシーンを見ると流石の私もダメージが入る。頭から冷水をかけられたような気分で、何も考えられなくなる。それでも生徒会室に行って最終確認と見回りの支度をしなければならないということだけは頭の中にあった。

「ローガン、こんなところで…」

「悪いな、愛おしさがこみ上げて溢れちゃったんだ。大好きだ、アリス」

「私も好き」

 そんな会話が聞こえてきて、思わず耳を塞いでしまう。その時に落ちた携帯電話がカタリと音を立てた。二人が、こちらを見る。足が震えてしまった。

 分かっていたことなのに、こんなことになるなんて。私の居場所だったところ。ローガン様の隣は、私の居場所だったの。ちゃんと、大事にしてきた場所で…。仲は冷めきっていた。けれど、私はちゃんと……。

「シャーロット?」

 ローガン様が訝し気な顔をしてこちらを見る。貴方が、そんな顔をするのですか…?だったら私は、どんな顔をすればいいのですか?

「ローガン、誰なの?」

「彼女は……シャーロット。ホワイト家の娘だ。シャーロット、こちらアリス。アリス・スミスだ」

 ローガン様とキスをしていた女性が、こちらを見る。それに優しく微笑み返し、ローガン様は手でこちらを指した。アリスと言われた女性がこちらを見て笑いかけてくれる。

「はじめまして、シャーロットさん。私はアリスです」

 ぴったりとローガン様にくっついて、女性は笑った。動けない私を嗤っているかのようだった。私が、そう見えてしまうだけかもしれないけれど。

 茶色の髪のハーフアップにした髪が似合う、可愛らしい女性だった。

「シャーロット…?どうしたんだ、体調でも優れないのか?」

 ローガン様が首を傾げた。それに応える力は、私にはない。現場を見ることがこんなに辛いなんて知らなかった。自分で思っていたよりも、ローガン様のことを慕っていたようだ。今更、遅いけど。

「い、いえ……、あ、あの、わたく、し…、仕事がありますので、失礼しまっ…」

 携帯電話を拾うようにして視線を外した。涙で目の前が歪んで、手が滑る。もう一つしたの段に落としてしまった携帯に手を伸ばした時、スカートの裾を踏んでしまい、気づいた時には階段から落ちていた。

 踊り場まで転がり落ちたようで、辺りに資料が散らばってしまう。持っていた鞄に手をついたようで、慌てて鞄の中身を見ればクッキーがボロボロに割れてしまっていた。今朝もらった資料は無事だったけれど。

「大丈夫ですか⁉」

 慌てた様子で資料を集めてくれるアリス。私は呆然として動けずにいた。

「これで全部です。あの、本当に大丈夫ですか?保健室にいきますか?」

「あり、がとう…けれど…だいじょう…」

「その心配はいらないよ、アリス。君はこのあと学園祭だろう。もう行った方がいい」

 私が言いかけた言葉を遮り、ローガン様がアリスに手を差し出す。私に資料を渡すためにしゃがんでいた彼女がその手をとり、二人で階段を降りて行った。

 私は状況が理解できずに体の痛む部分を摩る。まとめられた順番のバラバラの資料をもちあげて、やっと体を起こした。携帯電話を拾って、手すりを使って階段を上り切る。

 まさか、悪びれもしないなんてね。そんなの……私、なんだったのよ…、ローガン、貴方にとって私は、なんだったのよ……。ボロボロと落ちる涙を資料で隠して、ひっそりと声を殺して泣く。化粧をしなおさないとならないのは、手間だなとか。そんなことを考えるようにしていた。頭の中には、ちゃんとやるべきことが居座る。念のために設定していた腕時計のアラームが鳴った。もう、余裕がない証拠だ。

 資料を脇に抱えて、化粧を簡単に直して生徒会室に入る。私にどれだけ辛いことがあっても、来賓客は来るのだから。準備はしなければならないのだ。

「皆さん、おはようございます」

 優雅に見えるよう精一杯気を付けて、挨拶をした。生徒会の面々が立ち上がって「おはようございます」という。生徒会のメンバーはそこまで多くない。生徒会長のローガン、副会長の私、書記のキャメロン・ウォーカー、会計のノア・グリーン。この四人だ。キャメロン・ウォーカーは庶民の位の青年。皆から人気があるキャメロンは元気のある青年であり、短髪の黒髪に青い目をしていて、だらしなく見えない程度に着崩した制服を着ている。二年生で、私の一つ上だ。ノア・グリーンはこのまえ貴族の仲間入りとなったホワイト家とは馴染みの、有名な商会の息子だ。白銀の髪で薄紫色の瞳をしている。眼鏡をかけているが話の通じる同い年の幼馴染。二人とも優秀な人材である。

「…ローガン様のご到着が遅れているようですが、すぐに確認にとりかかります。まず資料を……」

 二人に資料を渡そうとして、手が止まった。まだ、バラバラのままだった。

「どうかしたの?」

 キャメロンが心配そうに私の顔を覗き込む。青い瞳に怖い顔をした自分が映り込み、それを見てはっとした。

「い、いえ…、先ほど資料を落としてしまってバラバラに…」

「そのくらいならこっちでやるから、昨日までに準備した資料の説明からしてよ」

「え、ええ。ありがとうございます、キャメロン」

 私の手からキャメロンが資料を抜き取り、さくさくと順序を整えていく。私は昨日準備しておいた資料を広げた。キャメロンは耳だけ傾けてくれているようで、説明が始まれば頷きつつ聞いてくれた。

「――それで、見回りの時に順次ルートを変更する可能性があるからその後はすぐに連絡ができるようにしておいて頂戴」

「了解。流石、この資料分かりやすいな」

「そう、よかったわ。それを来賓客に配ってちょうだい」

 ノアが嬉しそうな声を上げる。私が全力で作った資料は、彼にとってお宝だ。私の真似ができるのだから。それを持ち帰るためにコピーする様子が目に見えるようだった。

「ノア、来賓の方に粗相のないようにしてよ」

「はいはい、分かってるよ。一切の隙も見せないから安心してくれていーよ」

「本当かしらね」

 ノアは昔馴染みだから、自然と肩の力が抜ける。まあ、商会を背負う立場としてはライバルであるのだけれども。

「ノアなら安心だって!ほら、資料できたから」

「キャメロンありがとう。本当に助かります」

「これくらいお安い御用だよ。ノア、お前の仕事いっぱいあるらしいぜ」

 キャメロンがノアに資料を渡しながら、そう言った。ノアはざっと資料に目を通してから、私の方を見る。

「仕事の量がおかしい!シャーロットはいつも一人に課す仕事量が多すぎる!なんで一人で売り上げの管理から放送までしなくちゃいけないのさ!」

「そのくらい一人でしてちょうだい。代わりに来賓対応の時間が短くなっているでしょう?」

「割に合わない!」

 ノアはそう騒ぐが、彼なら完璧にできるから問題はない。むしろ、もっと増やしてもいいくらいだ。彼の限界はまだまだ先にある。

「まあまあ、俺なんて一日来賓対応だぜ。休憩は三十分」

 キャメロンがそう言った。彼は人当りがいいため、積極的に来賓の対応に回したい。彼を中心に一人ずつ交代していく予定だ。まずは私とローガン様が挨拶をして学校の設備などを紹介し、キャメロンと私に交代、その間にローガン様には見回り兼得点付けに回ってもらい、ノアは一時間で校舎を走りまわって売り上げを細かく書いていく。続いて私とノアが交代、私が次の一時間の売り上げと得点付けを担当だ。目まぐるしいが、それも午後三時まで。そこから来賓方は帰られるのでお見送りして、来賓対応は終わり。得点付けと売り上げを交代して担当して午後五時には学園祭終了。そこから最終発表をせねばならない。その後の後夜祭ですら、私たちの進行だ。準備は実行委員がしてくれるそうだが。ぜひ進行もしてもらいたかった。

「二人とも、期待してるわ」

「ああ、任せろ」

「えー、やっぱり割に合わない気がするんだけどな~」

 二人がそう答えた瞬間、チャイムがなる。それぞれさっと立ち上がり、資料を持った。

「では、それぞれ見回り、終えたら広場の噴水前に集合ね」

「「了解」」

 それぞれが担当の場所へ向かう。私は駆け足でクラスを回った。姿を見せなかったローガン様の担当の場所もやらねばならない。あんな人…と思いかけたけど、そんなことをして生徒会の評判を下げるわけにいかない。この生徒会はローガン様が苦労して立ち上げた……いや、今は考えないでおこう。やらなければならないことだけを考えよう。始まった学園祭の中を見て回る。準備の遅れてるクラスも結構ある。管理のままならないところもある。来賓の方に見せられるようなクオリティではないものも、案内のルートから撥ねる。そうして廻り終え、走って噴水まで行けば、二人はもう案内の資料を読み込んで待っていた。

「終わったようね。報告を。まずはノア」

「はい」

 息を整える暇もないまま意見をまとめて、案内のルートを弾き出した。資料に載せておいた地図にルートを書き込み、すぐに校門の方へ向かう。

「二人とも、制服を整えて。お客様の前です」

 私が小声で二人に言えば、二人は慌てて第一ボタンを留めて、ネクタイをしめた。

「それにしても会長はなにしてんだろ…。オレらだけ走ってない?」

「仕方ないだろ、来ないんだから」

「ローガン様にとやかく言うのは控えなさい。誰が聞いているか分からないのだから」

 文句を言い出す二人と窘め、門の前に到着し、横に並ぶ。馬車から来賓の方が降りてきた。学園長と、この学園を支援して下さっている方々。五名ほどの来賓のお客様。私たちは合わせておじぎをした。

「この度はご足労頂ありがとうございます。本日は私共生徒会がご案内させていただきます。まずは私からこの学園についてご紹介せて頂きますわ」

 他の二人に目配せをして、来賓の案内を開始する。二人は資料を配って、さっと姿を消した。それぞれの仕事に向かったのだろう。

「この学園は―――」

 事務的にこれまでのことを述べ、学園を案内する。しかし、この場にローガン様がいないのはいただけない。生徒会の顔として売り出して……いや、生徒会の会長として噂が広がっている彼がいないと、来賓の方々に不快な思いをさせてしまうかもしれない。決して彼らを軽く見ているわけではないのだ。ただローガン様が来ないだけで。

 もうすでに機嫌のよろしくない客を笑顔で案内し、一時間ほどたったあと、曲がり角からキャメロンが出てきた。

「ここからは私、キャメロン・ウォーカーが案内させて頂きます」

 キャメロンを先頭に来賓の列は進む。私は最後尾に着き、キャメロンの補足と生徒の誘導をする。来賓の方の邪魔になっては、その者の未来が危ない。平和な学校のためになんとしてもそれは防がねばならない。

 はらはらしながら案内、得点、売り上げと走り回った。その間、一回もローガン様は姿を見せなかった。途中、人混みがあったため、その場所にいたのかもしれない。彼はいつも話題の中心だ。その隣にいるのが私でなくアリス様だと言えば、注目度は跳ね上がる。

 やっとのことで、三人揃って校門に並び頭を下げた。

「本日はありがとうございました」

「我々も中々有意義な時間だったよ」

 私たちの精一杯にそう言って、馬車に乗り帰って行く来賓の方々。見えなくなるまで頭を下げ続けて、三人同時に緊張を解いた。

「やべー、俺、上手くしゃべれなかった」

「オレは上手くできましたけど、自分の商会を売り込めなかったのは痛いな」

 二人はそんな会話をするが、私はローガン様がいなかったおかげでその尻拭いに走り回ったのだ。お昼だって食べてないし、朝だってボロボロになって食べれなかったのだ。お腹が鳴りそうだった。

「二人ともお疲れさま。後も乗り切るわよ…」

「うん。それはもちろんだけど、シャーロットは大丈夫?」

「シャーロット、オレより走ってたでしょ」

 二人が心配そうにこちらを見るから、私は顔を背けてしまった。大丈夫じゃない。朝から全然大丈夫じゃない。けれども、弱音を吐くのは今ではない。

「大丈夫よ。私はこれから仕事をしてくるから、二人は一時間休憩してきてちょうだい」

 そう言って、すぐにクラスを回る。売り上げと得点を同時に行い、何かトラブルがあったら解決する。放送室に戻り、放送をかけて、やっと自分の仕事は終わった。この後は、朝できなかった分の電話と…レイラとハンナと回れるのか。とてもそんな気分じゃないけれど、楽しむべき時に楽しまなければ私は楽しみのない人生を過ごすことになる。それは損だろう。私は損が一番嫌いだ。それは避けよう。

 そんなことを考えていたら、放送室の扉が乱暴に開いた。

「シャーロット!会長が!」

 慌てた様子で入ってきたのはノアだった。

「何か問題でも起こったかしら?」

「違う!変な女と一緒にいた!とにかく来てよ!」

 ノアはこちらの話を聞かずに私の手首をひったくり、廊下を走る。私とそう変わらない背に正義感と私とライバルになるくらいの商会を背負っているのだ。すごいなあと思う。ノアは商会を背負っているし、腹黒いところもあるし、ローガン様の前で猫を被るような性格だけど、昔からの純粋な正義感はなくしていない少年だ。

 ごめんね、ノア。私、知ってたの。ゲームでローガン様はヒロインのために生徒会の仕事をサボる。そしてヒロインに「君のほうが大事なんだ。ちょっとだけ、だよ」とウインクをする。膨大な仕事を抱えているはずの彼がそんなことをしてくれるなんてと感動した覚えがあるが、そのツケがこうして自分に回って来るとそうも言ってられない。そもそも、ゲームではこんなところ語られていないのだ。てっきり彼が自分のために仕事を片付けてくれた、とか思うではないか。こうして走り回ったことで思い知るローガン様の我儘さ。ゲームの中の好青年ぶりはどこにやったんだろう。もしかしたら来てくれるかもなんて思っていた自分が憎たらしい。朝のあれを見て、来るわけがないと思うだろうに。

「ノア、待って」

「待てないよ!シャーロットの婚約者だろ、アイツ!」

「お願い待って!疲れてるの!」

「っ!……ごめん」

 ノアは、私のために怒っているのだろう。でも私にあるのは喪失感ばかりなのだ。そうそう動けるものではない。それに、走り回っていた疲れもある。男子のノアに付いて行くのは難しい。

「事の概要を、簡単に教えてくれる?」

 息を整えながらノアに聞けば、ノアは苦しそうに眉をゆがめた。

「会長が、アリスと一緒にいたんだ」

「アリス……」

「そ、庶民の出の。普通科にいるアリスだよ」

 アリスというのは、今朝の女性だろう。愛おしそうに彼女を見るローガン様の横顔が蘇って、泣きそうになってしまう。

「シャーロット?………泣くなよ」

 ノアがハンカチを差し出してくる。けれどもそれを押し返した。深呼吸をして、ゆっくり顔を上げる。

「ノア、いいの。それでいいから。私、レイラとハンナと回る約束があるから」

「そんなこと…!」

「そんなことではないわ。それに、ノアは自分の仕事があるでしょう。貴方は自分の成すべきことも分からないような人じゃないはず」

 ノアが悔しそうに顔を歪めてから、私の手を離した。

「オレはシャーロットの味方だからな!」

 そう言い捨てて、ノアは放送室に入って行った。その数秒後、売り上げを書き込む資料を持って出てきて、そのままイラついたような足取りで歩いて行った。それでこそノアだ。何があっても自分のやるべきことを完璧に成し遂げる。私の幼馴染で、ライバル。

「ありがとう」

 去って行くその後ろ姿にそっと呟いた。

 それから自分のクラスに行き、レイラとハンナと合流し、一時の楽しい時間を過ごした。レイラが可愛いものをおそろいにしようと提案して色違いの髪留めを買ったり、ハンナがステージのダンス対決に飛び入り参加したり。一時間なんてあっという間だった。二人の笑顔を見るだけで、疲れも悲しさもどこかへ行ってしまうようで。

「じゃあね」

 時間になり、クラスの片付けに向かうレイラとハンナにそれだけ告げる。もし、二人が友達でいなくなってしまっても。私は二人に今日、二人に救われたし、今までだって二人のおかげで楽しかったのだ。大好きです、二人とも。

 余韻に浸りながら生徒会室に向かう。髪留めをつけた自分が窓に映った。私も、ちゃんと楽しめた。大丈夫。私は、幸せだ。そう言い聞かせ、生徒会室の前に立つ。深呼吸をして、扉に手をかけた時だった。

「ふざけんなっ!」

 そんな叫び声が聞こえ、手を引っ込めた。無意識に耳を澄ませてしまう。

「ノア!それはダメだ!」

「…二人とも、話はそれか?残念だが俺はアリスを愛してる。そもそもシャーロットとは愛の無い婚約だったんだ」

「ばっかじゃねーの!シャーロットがどれだけお前のために動いてたか知らないのかよ!」

「だから、今日はすまなかった、と最初に言っただろ?」

「今日だけじゃないだろ!お前がミスしたところ、穴埋めしてたのはシャーロットだ!」

「その度にお礼を言っているし、彼女には感謝している。この気持ちに嘘はない」

 ローガン様と、ノアが言いあいでもしているのだろう。ローガン様は気さくな方で、普段からあの二人は言いあいをすることもある。それは生徒会ということで多めに見てもらえている。キャメロンの声を聞くに、いつもの言いあいではない。そもそもローガン様に媚を売っていたノアがこんな感情的に攻撃することは、通常ではありえない。いつもの言いあいは「また仕事受けてきたんですか⁉」「ああ、大変そうだったからな。俺たちならできるだろう」「できますけど!多すぎますよ!ご褒美がないとできません!」などという形だ。そして最終的にノアが自分の商品を売りつけて言いあいは終わる。

「ノア!手は出すな!」

「離せよキャメロン!一発殴らないと気が済まない!」

「ノア!相手は王子だ!」

「うるせえ!」

 そんな声が聞こえて、慌てて扉を開けた。

「やめなさい!廊下にまで響いてましたわよ!」

 そう言って生徒会室に入れば、全員が動きを止めてこちらを見た。

「お、おかえり…?」

 キャメロンだけがそう言って、ノアはキャメロンの手を振り払い私の横を通り過ぎていった。

「頭冷やしてくる」

 通りすがりにそれだけ言って、扉を乱暴に閉めて行った。

「ノアが申し訳ありません」

 私が頭を下げれば、ローガン様はにこりと笑った。

「大丈夫、気にしてないから。今日はサボってごめんな。ノアも気が立ってたらしい」

 ……分かってたけど、悪い事をしているつもりはないようだった。数時間後に婚約破棄を言い渡されるというのに、何を暢気な。自分自身に呆れてしまう。

「シャーロット、無理しなくても」

「ありがとう、キャメロン。でもローガン様はこれから学園祭の実行委員の仕事があって行かなければいけないから。いつまでも引き留めておくわけにいかないのよ」

「…そうだったな。シャーロット、ありがとう。忘れちゃってたよ」

「そうでしたか。ローガン様は多忙の身。仕方のない事でございます。あとは私共にお任せください」

 私が頭を下げればローガン様が「そうか」と言って生徒会室を出て行く。キャメロンは頭を下げなかった。それが彼の精一杯の反発なのであろう。

「シャーロット、あのね、落ち着いて聞いてほしいんだけど…」

「アリス様のことでしょうか?」

「知ってるんだ…」

 キャメロンは乾いた笑みを零し、それ以降部屋に沈黙が訪れた。ローガン様にとって、悪い事をしている自覚がないのでしょう。この様子では婚約破棄のこともよく理解していないに違いない。私の家の支援がなくなったら国がどうなるかも分からずにいるのであろう。最悪の状態になったらどうするつもりなのか。…ああ、いつでも彼の頭の中には最高の状態しかなかったか。そんな自信満々のローガン様が好きでした。

「キャメロン、私が生徒会を辞めたらどうなると思います?」

「三日も持たずに潰れるね」

「……辞められませんね、それは」

「シャーロット…」

「さあ!二人しかいませんが時間は有限ですわ!後夜祭の最終打ち合わせを済ませましょう!」

 無理して笑みを張り付けた。キャメロンはただ頷いて、大まかな流れの載っている紙を出した。その流れを確認、細かなことを詰めて、最終確認。

「――では、これで完了ね。あとちょっとだから頑張ってください。あと、私は準備がありますのでノアのことよろしくお願いします」

「うん。了解。そっちも頑張って」

「はい。ありがとうございます」

 生徒会室を出て電話を出した。オーウェン兄様に電話をかける。

「オーウェン兄様、今どちらに?」

『後夜祭の会場に向かっているよ。学園祭に参加していない僕が後夜祭に出るのもなんだか可笑しな話だけれどね』

「いえ、準備に参加していらしたのだから当然の権利ですわ。……一つ、お願いがありますの」

 深呼吸をして、丁寧に切り出す。しかし、返ってきた返事は呆気なかった。

『いいよ』

「まだ申してませんが…」

『シャーロットのお願いなら聞くよ。可愛い妹のお願いくらい、叶えてあげなくちゃ』

「ありがとうございます。オーウェン兄様、今夜、何があっても私の味方でいてください」

 涙声にならないように気を付けながら言えば、電話の向こうで息を呑む音がした。

『シャーロット、何かあったんだね?それも、良くないこと。何があったか教えてくれないかい?何とかできるかもしれない』

「いいえ。何があっても、味方でいてください。それだけです」

『……うん。分かった。絶対に、僕だけはシャーロットの味方だよ』

 通話が終わってから、しゃがみこむ。ごめんなさい、オーウェン兄様。私ね、ホワイト家に泥を塗ってしまうかもしれないの。だって、泣かない自信がないのだもの。

 —――ううん。こんなことしてる場合じゃない。やること、まだまだあるのだから。パンパンと頬をはたいて、更衣室に向かった。後夜祭のためのドレスに着替える。髪の色と一緒のドレス。思い返せば、スチルにもこのドレスが映っていたっけ。もっと豪華なドレスを着たアリス様もいるのだけれどね。

「うん。しっかり美しい、はず」

 目の下の隈は隠れているし、表情も明るくできる。背筋を伸ばして、更衣室を出た。私はシャーロット・グレイス・ホワイト。損が大嫌いな我儘姫。大丈夫。私には味方がいる。

 後夜祭の会場に向かいながら、廊下を歩いていた。なんで、こんなことになったかしらね?自分の商会のことばかりでなく、もっとローガン様に気を配っていればよかったのだわ。あの時に気づいていれば、もっと心の準備が……なんて。もうローガン様を手放す以外の選択肢が浮かばない時点で私の負け、ね。勝負にもならないかも。アリス様の不戦勝だ。

 流れの最終確認をする。正装で広間に集まったら、まず校長の挨拶があり、それからはダンスパーティーになる。立食形式のラフなものだ。三曲が終わったら、私とローガン様のダンスがある。そこで、ローガン様はアリス様と踊る。二人の踊りを見せつけられた後、私は婚約破棄を告げられる。そこからの流れはキャメロンにしつこいくらいに伝えてきた。私が立ち去っても大丈夫だ。キャメロンは最低限仕事はやってくれるはずだし、ノアだって完璧に……やってくれるはず、だ。

「ふぅ……」

 他の人たちみたいにエスコートの心配がなくって本当によかった。生徒会の仕事を言い訳にできる。私は扉の前で深呼吸をして再び確認したはずの資料に目を通す。心配だ。大事な商談がある日よりも緊張してるな、私。手先が氷のように冷たい。

「シャーロット」

 その声に振り返れば正装をしたノアがいた。髪を上げてあり、いつもの幼さがなくなりつつある。真剣な顔をしていると、オーウェン兄様に負けず劣らずのイケメンだ。

「ごめん、俺」

「いいの。済んだことよ。それにあれで損はしてないから安心していいわ」

「損って……。シャーロットは本当逞しいな」

「レディに対して逞しいは誉め言葉ではないのよ、ノア」

 私が大袈裟にため息をついてみせれば、ノアは何が可笑しいのか笑っていた。

「やっぱり、それでこそ俺のライバルだ」

「何がやっぱりなのか分からないわよ。それより、大まかな流れは理解してるわね、ノア」

「細かいところまで頭の中に入ってるよ、シャーロット」

「だったらいいわ。キャメロンが待ってるでしょうし、行きましょう」

「了解」

 先に行ってマイクなどを準備してくれているキャメロンは、何を思っているのだろうか。それでも彼なら、仕事はきっちりとやってくれる。大丈夫よ、シャーロット。扉を開けて、私とノアは胸を張って中に入った。

暗くなっている会場で、司会の席に立つ。照明を扱うノアに合図をした。眩しい光が私だけにあてられる。会場を見渡せば、オーウェン兄様もレイラもハンナもいた。私は、独りじゃない。

「これより後夜祭の―――」

 ローガン様、貴方は何を思っているの?私のこと、見ていらっしゃるかしら?キャメロンが隣で胸を張ってる。うん、大丈夫。大丈夫だから、私は堂々としていればいい。

 司会としての言葉を淡々と述べ、後夜祭は予定通りに進んで行く。みんなが楽し気に踊ったり、食事をしたり。その様子を眺めながら、私はため息をついた。曲が鳴りやむ度に緊張感が高まって行く。三曲目の途中から、音楽がやまないことを願っていた。

「シャーロット」

「分かってる」

 小声でキャメロンが名前を呼んだ。分かっている。私の番だ。ゆっくりと、会場の真ん中に進む。ざわざわと周りの人が騒ぎ出す。私は優雅に見えるように歩く。ブラフというのだろう。取引では大切だからと母親に身につけらせられたそれは、今とても役にたっている。

 足を止めた。

「ローガン様、その女性は?」

「アリスだ。知らないわけでもないだろう。俺の恋人だ」

 瞬間、会場がざわっと湧いた。マスコミが人をかき分けてくる。オーウェン兄様が絶句したのが見えた。

「私が婚約者であるはずですが」

「そうだな。しかし俺はアリスを愛している。本当に愛している者とダンスをすることは罪ではない。俺は心からアリスを愛しているのだ」

「そ、うなの…で、すね」

 分かってたのに。ちゃんと、分かってたのに。なのに、言葉が喉につっかえる。

「ここで宣言しよう。俺、ローガン・マーチ・ヴェルトルスはシャーロット・グレイス・ホワイトとの婚約を破棄し、本当に愛する女性、アリスと婚約する」

 また、会場がざわめいた。

「婚約は破棄させてもらう。アリスは俺の全てを受け入れてくれるんだ。我儘な君とは違う。すまない、アリスのことしか愛せない」

 ローガン様が私を見る。ゲームでは、私はここで立ち去る。しかし、その前に一つだけ聞きたいことがあるのだ。

「私に、足りないものがございましたか……?」

「そうだな。あるとしたら、君の商会の者から仕事が多いと聞いている。君がやらなければクビにすると言ったとも。部下を思いやれぬ我儘な君に、王女は務まらないよ」

「っ………!」

 なんで、そんなこと…!ローガン様に言われなければならないのですか。

 利益を出すために必死で頑張ったのに。給料だって見合っただけだしているし、部下のみんなの家はだんだん裕福になっていったのではないのか。ローガン様に言われなければならないほど落ちていたとは思わない。

 カメラのフラッシュがたかれる。眩しいくらいだ。

「も……もうしわ、け…ありませんでした……」

 ローガン様に、最後になるであろう謝罪をする。貴方の耳にまでそんな言葉届いているとは思いませんでした。フラフラとした足取りで立ち去るために扉の方へ歩く。後ろでCDプレイヤーの音が聞こえてきた。…私が指揮者に合図をしてきたので、こんな中対応できないだろうと準備しておいたのだ。音楽団が無理だと思ったらと言ってあったのに、ノアったらすぐにならすんだから。

「聞き捨てならないわよ!ローガン第二王子!」

 もう少しで会場から出れる。そんな時に、後ろからレイラの声がした。

「私もあり得ないと思うぞ、ローガン第二王子様」

 ハンナも一緒らしい。その声でボロボロと涙が零れた。目の前にハンカチが差し出される。視線をあげればオーウェン兄様が優しく微笑みかけてくれた。

「っ……」

「頑張ったよ、シャーロット」

「……うぅ」

 泣いてはいけない。何故ならば、ローガン様が悪者になってしまうから。ホワイト家に泥を塗ることになってしまうから。でも、涙が勝手に零れていく。

「婚約者はシャーロットだ」

「婚約は破棄しただろう」

「婚約破棄は王家とホワイト家で交わされたものでなければ成立しないわ!」

「では、シャーロット!」

 ローガン様が私を呼ぶ。最後だと自分に言い聞かせ、振り返ろうとした。しかし、それをオーウェン兄様に止められた。私を片手で抱きしめ、ローガン様に堂々と言い放つ。

「今夜中に城を訪ねよう。そこで、しっかりと話をしようか、第二王子様。」

 オーウェン兄様は最後、ドスの利いた声で「妹を泣かせた罪は重いぞ」と言い捨てる。それから私の手を引いて、広間から出た。

「学園の外に馬車を用意してある。シャーロット、今は自分のために泣いていいんだよ」

「……いいえ。もう、泣きません。水分がなくなるだけ損ですわ」

「…そうか。強いな、シャーロットは」

 ハンカチを押し当てて涙を拭き取り、笑って見せる。

「オーウェン兄様、私も本当に愛する相手が見つかりますか?」

「絶対に見つかるよ。シャーロットは、とっても素敵だからね」

 オーウェン兄様が笑う。その笑顔が眩しくて。私も精一杯に笑って見せた。それから家に帰ったのだけれど、もう良く覚えていない。ただいつもはいない両親がいて、家族全員で迎え入れてくれたことだけは覚えている。

 両親とオーウェン兄様と長男のオリヴァー兄様が城に向かい、次男のリアム兄様が一晩中ともに居てくれた。オリヴァー兄様に「何か希望はあるか?」と聞かれたので「今後一切ローガン様との関わりを切りたいです」と言ったのは覚えている。もう、十分尽くしたはずなのだ。これ以上は、私には無理です、ローガン様。

 ただ、私の商会…ドレスや香水などを扱っているから王家と縁は切れないと思う。お客様である。ドレスや香水だけでない。宝石だって一番の大手だ。最近始めた化粧品も波にのっている。貴族の間で有名なブランドになっている。同じくドレスと普段着、誰でも着れる服を売っているノアの商会とは良きライバルである。ノアの商会に客が流れるかもな、と思った。あはは、ノアがニマニマしながら電卓を叩いている様子が想像できる。

 そんなことを考えながら、私は眠りについた。リアム兄様がずっと「大丈夫」と言っていたことは覚えている。


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