交渉
その後景虎が奥座にて静かに座禅を組み始め、場の圧迫感、プレッシャーは収まった。しかし、広間に漂っている緊張感は収まらないままだった。
「……さて、名乗りも終わった事ですし、本題に入りましょう。」
直江景綱がそう言うと何人かの上杉家臣の顔がこわばる。面子から見て、恐らく宇都宮拒絶派の面々だろう。
「改めて申し上げますと、我々宇都宮家はあなたがた上杉家と盟を結び、共に南の北条と対峙していきたいと考えております。」
上杉家家臣の一部から不満そうな声、鋭い目線が飛んでくる。それもそのはず、不満そうな家臣はもと北信濃の国人領主だった者達と彼らと親しい家臣であり、彼らはわざわざ関東まで険しい越後山脈を越えて新しい戦線を構築するよりも信濃で自らの本領を武田から奪い返すことを優先させたいのだ。
交渉はそういった家臣達の反対意見から始まったが、弥三郎は彼らの意見を理詰めやハッタリで抑え込んでいく。
「僭越ながら申し上げますが、そもそも何故宇都宮殿は我々上杉をお頼りになられたのでしょう?他にも周辺には頼れる家がありましょう。」
と、暗に拒絶の意を表したのは高梨政頼。彼も武田によって本拠地を追われ、上杉謙信を頼って来た一人だ。
政頼はそう言うが、以前述べたように宇都宮は三方敵に囲まれており、唯一頼れる佐竹も自分のことで手一杯。ならちょっと離れた所に頼るしかないだろ!それに遠交近攻策つって遠くの国と結んで近くの国を一緒に攻めるっていう政策にちょうどいい位置関係だし。
と言うか、頑張れば行ける距離にめちゃんこ強い奴がいれば、そいつ頼るに決まってんだろ!
「我が宇都宮家は関東八屋形が一角にて、その面目を保つには万が一助けを借りるとならば同格の他七家もしくは関東の長たる関東公方、あるいは関東管領となりましょう。しかし八屋形のうち五家は我が敵となり、一家は関東より消え、もう一家は争いこそないまでも傘下の事で揉め事があり、公方様も北条の傀儡。とならば、頼れるのはあと一家。関東管領たる上杉のみでございます。」
ちなみに関東八屋形というのは、関東で他の大名より上の称号、『御屋形』を名乗る事を許された名門八家の事を指すらしい。それぞれ、
・下野宇都宮氏
・下野小山氏
・下野長沼氏
・下野那須氏
・常陸佐竹氏
・常陸小田氏
・下総千葉氏
・下総結城氏
彼らは室町時代初期、足利家が関東を支配する際に有力だった大名達で当初はとても大きな勢力を誇ったが、時代が下るにつれ弱体化が進んでいった。そして戦国時代に入ると弱体化したこの旧勢力は北条氏の侵入により、その勢力下に呑み込まれた。お陰で今の八屋形達の状態は、
宇都宮氏:北条傘下ではないが壬生が専横
小山氏:北条傘下 宇都宮と隣接
長沼氏:陸奥に移る
那須氏:うち宇都宮家により分裂 宇都宮と隣接
佐竹氏:北条傘下ではないが内部分裂で少々弱体
化 宇都宮と隣接
小田氏:氏治 北条傘下 宇都宮と隣接
千葉氏:北条傘下
結城氏:北条傘下 宇都宮と隣接
こんな感じ。つまり、宇都宮家が壬生を抑える為に援軍を乞おうにも三方敵。佐竹も恐らく隣接する勢力が分裂するなら万々歳ってとこできっと救援はしてくれないだろう。
じゃあ家柄にこだわらず他の所に頼めって?いや、だから頑張れば行ける距離にめちゃんこ強い奴がいれば、そいつ頼るに決まってんだろ!さっきの理由付けはまあ、上杉からの援軍欲しさの方便ですな。うん。
「しかし、だからといって我々が宇都宮家と盟を結ぶ理由にはなるまい!」
いや、まあそうなんだが。だがなぁ。俺には秘策があるのだよ。上杉謙信が俺達の知っている様に義を重んじる人ならば絶対に宇都宮と盟を結ぶだろう秘策をな!
「現在、我が宇都宮家では奸臣壬生中務少輔が家政を牛耳り、専横を極め道義に外れた悪政を行っております。そして更に中務少輔は古河公方様を自らの傀儡とし、関東の秩序を乱している北条と結び、宇都宮から反旗を翻し関東にさらなる混沌を作り出そうとしています。世に義将と知られる弾正少弼殿、どうか関東に秩序をもたらし、義に沿った政治を復活させて下さりませ。」
この嘆願で上杉家の方針は決まった。上杉家は宇都宮と同盟を結び、一年後関東へ出兵する事が定められた。勿論だが、信濃優先派はこの決定に異を唱えようとした。しかし当主自らの意向とあっては、また上杉に支援を仰いでいる自らの立場を考えても引き下がらずを得なかった。